公開日記

その名の通りです

18/09/19 : David Bowie - Station to Station(和訳)

The return of the Thin White Duke
蒼白の公爵が帰還した
Throwing darts in lovers' eyes
愛人たちの瞳を魅惑しながら…


Here are we, one magical moment
ここで僕達は、一種の神秘体験を経験しているのさ
Such is the stuff, from where dreams are woven
これはまるで夢心地ではないか…
Bending sound, dredging the ocean
聞こえる音は皆歪んでおり、僕達は海をさらい尽くそうとしている…
Lost in my circle
共同体の中で自我を失いながら...

Here am I, flashing no color
ここで僕は、何の色彩にも彩られず
Tall in this room overlooking the ocean
部屋の中で大きく成長し、海を見渡している…
Here are we, one magical movement
ここで僕達は、一種の神秘体験を経験しているのさ
From Kether to Malkuth
王冠の世界(ケテル)から王国の世界(マルクト)へと...
There are, you drive like a demon
そこでお前達は、まるで悪魔のようにのさばっているのだ…
From station to station
生命の樹(セフィロト)の中で....


The return of the Thin White Duke
蒼白の公爵が帰還した
Throwing darts in lovers' eyes
愛人たちの瞳を魅惑しながら…
The return of the Thin White Duke
蒼白の公爵が帰還した
Throwing darts in lovers' eyes
愛人たちの瞳を魅惑しながら…
The return of the Thin White Duke
蒼白の公爵が帰還した
Making sure white stains
白い染みの痕を見つめながら…


Once there were mountains on mountains
かつては山々の上にさらに大きな山々が広がっていた
And once there were sun birds to soar with
かつては美しい鳥たちが高く飛び回っていた
And once I could never be down
かつての僕はこんなに堕落した人間じゃなかったんだ…
Got to keep searching and searching
厳しい真理の探求を続けた先では
And oh, what will I be believing
ああ、もう僕は何ものも信じることが出来ないんだ!
And who will connect me with love?
もう誰の愛も信じられない
Wonder who, wonder who, wonder when
誰を、誰を、誰を、いつ信じればいいのだ…?
Have you sought fortune, evasive and shy?
君は幸福を探したことがあるか、手の届かない幸福を?
Drink to the men who protect you and I
僕達のことを受け入れてくれるように思えた人達のために祝杯を上げよう
Drink, drink, drain your glass, raise your glass high
僕達は何度も酒を飲み干すことになったよ、何故ならそんな人はどこにもいないのだから!


It's not the side-effects of the cocaine
僕は麻薬にやられてこんな事を言っているんじゃない…
I'm thinking that it must be love
これが僕なりの愛の形なんだ…!

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ない!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is near
西洋を支配する聖典が誕生するのだ…

I must be only one in a million
僕は無数に居る人間どもの中で唯一無二なのに…
I won't let the day pass without her
彼女なしではもう一日だって平気で生きていく事が出来ないんだ…!

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ないんだ!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is here
西洋を支配する聖典がここに誕生したのだ…!

Should I believe that I've been stricken?
果たして僕は心に傷を負っているのだろうか…?
Does my face show some kind of glow?
この顔が輝くなんてことが有り得るのか…?

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ない!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is here, yes it's here
西洋を支配する聖典が今ここに、ここにあるのだ…!

It's too late, It's too late
もう手遅れさ!手遅れだとも…
the European canon is near
西洋を支配する聖典が誕生するのだ…

It's not the side-effects of the cocaine
僕は麻薬にやられてこんな事を言っているんじゃない…
I'm thinking that it must be love
これが僕なりの愛の形なんだ…

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻る事だって出来ない!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないよ…
The European canon is here
西洋を支配する聖典がここに生まれた…!

I must be only one in a million
僕は無数に居る人間どもの中で唯一無二なのに…
I won't let the day pass without her
彼女なしではもう一日だって平気で生きていく事が出来ないよ…

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ないんだ!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is here, yes it's here
西洋を支配する聖典が今ここに、ここにあるのだ…!

Should I believe that I've been stricken?
果たして僕は心に傷を負っているのだろうか…?
Does my face show some kind of glow?
この顔が輝くなんてことが有り得るのか…?

It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ないんだ!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is here, yes it's here
西洋を支配する聖典が今ここに、ここにあるのだ…!
It's too late to be grateful
もう手遅れさ!感謝されるような人間になんてなれないんだ…!
It's too late to be late again
もう手遅れさ!以前のように戻ることだって出来ないんだ!
It's too late to be hateful
もう手遅れさ!憎まれるような人間にもなれないんだ…
The European canon is here, yes it's here
西洋を支配する聖典が今ここに、ここにあるのだ…!

18/09/19 : 博打打ちとしての信仰者(聖書、人間、神について)

神は隠れておられる存在です(イザヤ書、四十五章十五節より)。何故なら神は目に見えず、理解出来ず、存在を証明する事も不可能だから。神が隠れているということは、神は理解される事を拒んでいる、とも言えるかもしれません。神が隠れており、存在証明の不能な、理解を拒んだ存在であるならば、神の存在を論じるという事は、一種の賭けです。そう、神を信仰するということは、つまり博打と同じなのです。

博打打ちとしての信仰者。人間は自身に対して利益がなければ好んで何らかの態度を取ることをしません。何故なら人間は利己的な存在だから(人間観察において何よりも大切となってくるのは、自己愛という多様であり深淵なるもの、いくら考えても結論を出すことの出来ない人間の利己性の奥深さを理解する事にあると思います)。神を信仰する者は、皆自分に利益があるから神を信仰します。信仰とは博打なのです。

自己保身としての宗教。しかし、僕は皮肉や非難をしているつもりはありません。神は隠れておられ、理解出来ず、存在証明の不可能な存在です。よって、神がいかなる存在であるかと定義することも、また人間には不可能な事です。人間のあらゆる価値観は相対的であり、人間は主観以上に物事を理解することが出来ません。こういって良ければ、人間は主体的であることしか出来ないのです。これは皮肉として書いています。

二十世紀を代表するプロテスタント系の神学者カール・バルトは、『神は絶対他者である』と考えました。神は、人間のあらゆる価値観・二元論を超越した、全く別次元の存在である、それが『神は絶対的他者である』の意味合いです。一方で、この『神は絶対的他者である』を論理的に証明する方法はありません。何故ならば、それもまた人間的な価値観に基づく意見だからです。もし人間が神を理解できないならば、神の働きも、神の定義も、皆説明出来ず、それはその人の主観以上のものとしては(または、人間的なものとしてしか)理解できません。よって、それは人間の恣意的な意見であり、一つの意見以上のものにならないのです。人間は神に対して受動的であることが出来ない。なぜなら人間は客観的な傍観者には、どう足掻いてもなることが出来ないから。人間は、自分の主観、恣意性、利己性に基づかなければ、あらゆる物事を把握すことが出来ない。個々の人間は、それ自体がひとつの世界です。なぜなら、その人の無意識には、その人の今日までの人生の中で培われてきた価値観があり、またそれは生来的な、おおよそ振り払うことの出来ないものであるため、それに基づいて生きる事しか出来ないから。もしこのように、個々の人間がそれぞれ異なった個別の価値観、個別の世界に生きる、個別の存在であるならば、一方が他方を理解するためには、一方が他方の世界(価値観)の考え方を、一方の世界の考え方に翻訳する必要があります。しかし、全ての翻訳は、常に原文の持つ意味合いを完全に表現しきる事が出来ない。よってここで一つの誤差が生まれます。これが人間が主観的である事の避けがたい結末であり、よって人間にとって争い、対立、葛藤は本質的なものです。それなしでは、「人間は人間であることが出来ない」とすら言っていい(もとい、あらゆる葛藤、対立、争いが、今日までの人間の文化と文明を創り上げて来たのです)。目に見えるに人間に対してすらこのようであるのならば、目に見えない神に対しては、尚更人間は誤解してしまいます。なぜなら人間は主観的であり、能動的である事しか出来ない存在だから。これは皮肉ではありません。


反人間中心主義のヒューマニズム。人間は人間中心であることしか出来ない、これは皮肉です。たとえ頭が良くても、猿は猿です。人間は理性によって生きる事の出来ない動物であり、非合理的である事が人間の本質なのです。ちなみに、これは決して皮肉ではありません。僕自身も、自分が動物であり、また猿であるという強い意識に基づいて生きています。

さて、ここで僕は、旧約聖書の創世記を開いてみたいと思います。創世記の冒頭箇所には、たいへん有名な『神の天地創造』が描かれています。神は天地創造の終わりに、御自分の似姿として人間を造られた。これは天地創造の第六日目の事でした。しかし、その時の人間には知恵がなく、また理性がなかった。やがてこの初めて造られた人間・アダムは、楽園にいる生物たちに名前を付けるようになり、自分の生涯の伴侶であるイブ(エヴァ)に会い、彼女を見て喜んだりしますが、これはその後の記述のことを考慮に入れると不可思議なもののように思えてきます。アダムとイブが楽園を追放された理由、それは蛇にそそのかされて善悪の智慧のなる木の実を食べたことです(いわゆる禁断の果実ですね。蛇は創世記の中で、善悪の智慧の木について、こう述べています。『神様は君たちがそれを食べる時は、君たちの目が開け、神のようになり、善でも悪でも一切が分かるようになるのを御存知なだけさ』)。さて、善悪の木の実を食べた後、アダムとイブがどうなったのか、これには非常に注目すべき内容が描かれています。『するとたちまち二人の眼が開けて、自分たちが裸であることが分かり、無花果の葉を綴り合わせて、前垂を作ったのである』、創世記の第三章七節です。これはなんと言ってもおかしい。上の記述からもわかるように、アダムは地にあるもの、無論イブのことだって、確かに眼で見て認識していたはずなのに、『たちまち二人の眼が開けて』とは、一体どういうことなのでしょう。僕は、これは一種の比喩だと思うのです。つまり、人間は善悪の木の実、禁断の果実をかじることによって、理性を手に入れてしまった。僕はパスカルとルソーの慧眼には常に感嘆の念を覚えています。パスカルは人間の理性には限界があり、人間が理性に生きることの出来ない非合理的な動物であることを早くから見抜いていました。そしてルソーは、人間の理性的な産物である学問と芸術が諸悪の根源であると考えていたからです。人間の堕落は理性があるから始まった、そうは考えられないでしょうか?無論、これは冗談ですよ。

さて、話を元に戻しましょう。善悪の知識を手に入れたアダムとイブは、裸であることを恐れ、身を隠しました。神はそんなアダムとイブの様子に気づき、善悪の木の実を食べた二人と、それを唆した蛇を叱り、そして彼らを楽園から追放するのです。ここで僕が注目したいのは、神が次のように述べていることです。『御覧、人は我々の一人と同じように善も悪も知るようになった。今度は手を伸ばして生命の樹から取って食べ、永久に行きよるようになるかもしれない』と、これは創世記の第三章二十二節です。神は人間が永遠の命を手に入れる事を恐れている、そしてそれを食べさせようとしなかった。伝統的には、「もし人が背かなかったならば、人はエデンに留まり、そこに生えている生命の木の実を食べて永遠に生きていたはずだ」と解釈されているらしいですが、果たして本当にそうなのでしょうか?しかし何より、神は誰に向かって話しかけているのでしょう?『御覧』とは、果たして誰に向かって言っているのでしょうか?僕達でしょうか?もし僕達自身であるならば、これはたいへん面白いことです。「神は全知全能だから、アダムとイブが善悪の木の実を食べることも知っており、人間が堕落する事も神のご計画の内の一つだ」とは、カルヴァンによる二重予定説の考え方です。そう、神は全知全能です。ならばこれは、神の独り舞台ということになり、人間は知らず知らずのうちに神の台本に操られていることになります。そう、しかしそれでいいのではないかと思います。こうして人間は理性を手に入れ、現世を生きるようになったのだから。もしそれが神の予定調和のうちにあるのならば、現世でより良く生きようとすることは神の御心に適った行いです。人間の理性には限界があり、人間は理性的に生きる事の出来ない存在ですが、また一方で、人間の理性による産物は素晴らしく、僕達を慰め、また強める存在だからです。

さて、ここまでの僕の考え方は、恐らく多くのプロテスタント信者の方からは、パウロ書簡(新約聖書に収録されている、使徒パウロの書いた手紙のこと)に書かれている内容とあまり一致しないという事に気が付かれると思います。そう、それは僕自身も常々感じています。しかし、僕はパウロ教徒なのでしょうか?僕はイエス・キリストに倣うもの、つまりはキリスト教徒であるはずであり、パウロに倣う者ではありません。パウロ本人の手紙から引用するならば、『パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか』(第一コリントの信徒への手紙、一章十三節)と書いてある通りです。前述の通り、たとえそこに神の御心が働いているとしても、そこにはその記述者の主観と恣意性が働いています。よって、(これは聖書全体に書かれている内容にしてもそうですが)パウロの言葉をそのまま受け取るのではなく、それをあくまでも一つの人間の意見にとどめるべきです。そうして僕達は、聖書を解体し、蜜を集めるようにそれを再構築する必要があります。本来のキリスト教とは、聖書に書かれている言葉を信じる宗教ではなく、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストに倣おうとする人間の共同体であるはずだからです。イエス・キリストが「父」として崇めていた神の真実の姿に近づき、隠れておられる神を見つけようとすること。そのために、聖書を解体し、聖書を分解し、分析すること。これこそが何よりも僕には大切なことのように思えます。


しかし、これらの意見もまた全て主観であり、何よりも聖書それ自体が人間の主観の産物です。たとえ神の啓示が本当にあったとしても、僕達はそれを理解できないのだから。よって、上の創世記も、また同様にユダヤ民族がその民族的な価値観に基づいて作り上げた創作物です。が、かと言ってそこに神が現れていないかと聞かれれば、それはまた別の話になると思います(ちなみに、高等批評によれば、モーセ五書は紀元前450年頃に成立したらしいです。ホメロスによるイリアスオデュッセイアが紀元前600年頃に生まれたのを考えると、中々面白いものがあります)。ならば僕達は何を信じればいいのか?然り、僕達は聖書を解体する必要があります。神は隠れておられるのだから、僕達は神を探さなければならないのです。もし僕達が神を探さなければ、僕達の信仰は結局自己保身のものでしかなくなります。

しかし違う、元々僕達は博打打ちなのです。もし自分の身を案じるならば、人は博打などしない。そう、神を愛し、神を信じる人間とは、皆ギャンブラーなのです。なぜなら、たとえ危険な賭け、非合理的で、論理的な証明の不可能なものを信じる賭けであろうとも、僕達はそこに勝機を見て、そこに自分の利益を見るから。僕は神を信じることに賭けます、これが僕の博打です。存在証明の不可能な存在は、『いる』と言い切ることは出来ませんが、『いない』と言い切ることも出来ません。何故なら神はいないことも証明できないから。ただ、危険な方に賭けた方が、いつだって賭けは面白い。神を信じることは面白い。神は紀元前から今日に至るまで、ずっと人間の文明生活の中で論じられてきた存在です。よって、神に関わる方がずっと人間らしい生き方なのです。人間のあらゆる価値観は相対的ですが、その一方で、人間の価値観を支配する普遍的な価値観の基準点が、この世界には存在する(フーコー的に言うならば、「人間の無意識を支配する普遍的な構造」ですね)。

よって、「神」とは、人間にとって普遍的な存在なのです。そして、その普遍的なもの(「無限なるもの」)に根付いて生きた方が、この非合理的で、理性に基づいて生きることの出来ない人間(「有限なるもの」)は、より自由に、快活に生きることが出来るのです。神を信じるということ、それは人間が活気に満ちて生きることの回復を意味します。これがこの博打に賭ける事の意味です…

と、まあ、この記述は半分冗談ですが、半分は本気でそう考えています。冗談であるのは、僕が神を信じる理由です。本当の理由はですね、僕はイエス・キリストという人物に惹かれてしまったのです。これが僕が賭けに出た理由です。僕はキリストを愛しており、また神を愛しています。だから、神に存在していて欲しいのです。だから賭けに出ている。非合理的で理不尽な、反理性的な考え方ですね。でも、この賭けに出るのは面白い。僕はこの博打に負けてしまうかもしれません。しかし、それもまた面白い。なんと言っても、賭け事は楽しんでやるものでしょう。それが博打打ちの使命です。

 

何よりも、危険な賭けに出ることほど、キリスト教徒らしい行いはありますまい。福音書を開いて見てください、キリストはいつだって大胆で危険な態度をとっています。キリストはファリサイ派に喧嘩を売り、ユダヤ人の一般民衆に喧嘩を売り、読者である我々にすら喧嘩を売ってくる。これは危険極まりない行いであり、また賭けです。『自分は神の子である』と宣うこと、これほど危険な賭けはこの世にないでしょう。そして、僕達はその賭けに乗るか乗らないかを試されているのです。

18/09/18 : The Smiths - Pretty Girls Make Graves(和訳)

Upon the sand, upon the bay
海辺の砂浜の上で
"There is a quick and easy way" you say
『簡単に、そしてすぐに出来る方法があるのよ』と、君は言う
Before you illustrate
それでも僕は、君がそれを説明する前に
I'd rather state
こう言いたいんだ

I'm not the man you think I am
僕は君の思っているような人間じゃない…
I'm not the man you think I am
僕は君の思っているような人間じゃないんだ

And sorrow's native son
…そして悲しみの血筋を引く彼は
He will not smile for anyone
もう決して誰にも微笑むことはないだろう

And pretty girls make graves
可憐な少女らが墓地を建てる

End of the pier, end of the bay
海岸にかかった橋の終わりで
You tug my arm, and say
君が僕の腕を掴んで、言った
"Give in to lust
『欲望に屈しなさい
Give up to lust,
情欲に流されてしまえばいいの
Heaven knows we'll soon be dust... "
天国は知っているんだから、私たちが皆死んだらただの塵に帰るんだって…』

Oh, I'm not the man you think I am
ああ、僕は君の思っているような人間じゃない…
I'm not the man you think I am
君の思っているような人間じゃないんだ…

And sorrow's native son
…そして悲しみの血筋を引く彼は
He will not rise for anyone
もう誰にも心を開くことをしないだろう

And pretty girls make graves
可憐な少女らが墓地を建てる

I could have been wild and I could have been free
僕はもっと大胆になることも、もっと自由に振る舞うことも出来たはずなんだ
But nature played this trick on me
それでも運命はそれを許してくれなかった
She wants it now
彼女は今、それを欲しがっている
And she will not wait
そして彼女は待ってくれない…
But she's too rough
でも、彼女はあまりにも大胆で
And I'm too delicate
僕はあまりにも内気だった
Then, on the sand
だから、砂場の上で
Another man, he takes her hand
ほかの男が彼女の手を取って…
A smile lights up her stupid face
彼女のあほ面は笑顔で明るくなったよ
(and well, it would)
(ああ、きっとそうに違いない)
I lost my faith in womanhood
こうして僕は女性への信頼を失ってしまった…
I lost my faith in womanhood
女性への信頼を失ってしまった…
I lost my faith...
僕は失ってしまったんだ…


Hand in glove...
手袋に包まれた手…
The sun shines out of our behinds...
太陽は僕らの陰を照らしてはくれない…
Oh...
ああ…

18/09/18 : David Bowie - Word on a Wing(和訳)

In this age of grand delusion
この大いなる虚偽に満ちた時代の中で
You walked into my life out of my dreams
あなたは夢の中ではなく僕の現実の人生の中へと手を伸ばしてくださった
I don't need another change
もう何も変える必要などない
Still you forced a way into my scheme of things
あなたは今でも私に生きる道を指し示してくださるから
You say we're growing
あなたは言う、『私達は
Growing heart and soul
この心の拠り所を日に日に大きなものにしているのですよ…』と
In this age of grand delusion
この大いなる虚偽に満ちた時代の中で
You walked into my life out of my dreams
あなたは夢の中ではなく僕の人生の中へと手を伸ばしてくださった…

Sweet name, you're born once again for me
愛しいあなたよ、あなたは僕のために再び生まれてきてくださったのですね…
Sweet name, you're born once again for me
愛しい人よ、僕のために死の淵から復活してくださったのですね…
Oh sweet name, I call you again
ああ、僕の愛しいあなたの名前を…僕は再び呼び求めます…
You're born once again for me
あなたが僕のために死の淵から蘇ってくださったからです…
Just because I believe, don't mean I don't think as well
なぜなら僕は信じているからです、どうか次のようにお考えにならないでください
Don't have to question everything in Heaven or Hell
僕があなたの御計画に疑問を抱いているなどと…

Lord, I kneel and offer you my word on a wing
我が主よ、僕はあなたの御前に跪き、この言葉を翼に乗せて飛び立たせてくれるようお願いします
And I'm trying hard to fit among your scheme of things
僕はあなたの御心に沿うように心の限りをつくしました
It's safer than a strange land, but I still care for myself
他の者のもとにいるよりもあなたの御元にいる方が安全なのはわかっております、それでも僕は不安なのです…
And I don't stand in my own light
ああ、でも僕は、あなたの光なしでは生きていけない…
Lord, Lord, my prayer flies like a word on a wing
ああ、我が主よ…この祈りは翼に乗った言葉のように羽ばたいていくでしょう…
My prayer flies like a word on a wing
この祈りは翼に乗った言葉のように羽ばたいていきます…
Does my prayer fit in with your scheme of things?
果たして僕の祈りは、あなたの御心に適うものでしょうか…?


In this age of grand delusion
この大いなる虚偽に満ちた時代の中で…
You walked into my life out of my dreams
あなたは夢の中ではなく僕の現実の人生へと手を伸ばしてくださった…
Sweet name, you're born once again for me
愛しいあなたよ…あなたは僕のために再び生まれてくださったのですね…
Just as long as I can see
この目に見える限りでは
I'll never stop this vision flowing
あなたの御姿がいつだって僕の瞳に映っています…
I look twice
もう一度よく見てみても
And you're still flowing
僕はあなたを見出すことができます…
Just as long as I can walk
僕がこれから生き続ける限り
I'll walk beside you, I'm alive in you
僕はいつだってあなたのそばを歩き、あなたの内で生き続けるのです…

Sweet name, you're born once again for me
愛しい人よ、あなたは僕のために再び生まれてくれたのですね…
And I'm ready to shape the scheme of things
僕にはあなたの御心に適う人間になる準備は出来ていますよ…
Ooh, ready to shape the scheme of things
ああ、きっとあなたの御心に適う人間になります…
Ooh, ready to shape the scheme of things
ああ、きっとあなたの御心に適う人間になります…
Ooh, ready to shape the scheme of things
ああ、きっとあなたの御心に適う人間になります…
Ooh, ready to shape the scheme of things
ああ、きっとあなたの御心に適う人間になります…
Ooh...
ああ…

Lord, I kneel and offer you, my word on a wing
我が主よ、僕はあなたの御前に跪き、あなたを願い求めるものです…この言葉を翼に乗せて…
And I'm trying hard to fit among, your scheme of things
僕はいつだってあなたの御心に適う人間になりたいと願っています…
It's safer than a strange land, but I still care for myself
他の者のもとにいるよりもあなたの御元にいる方が安全なのはわかっております、それでも僕は不安なのです…
And I don't stand in my own light
ああ、でも僕は、あなたの光なしでは生きていけない…
Oh Lord, Lord, my prayer flies like a word on a wing
ああ!我が主よ…!この祈りは翼に乗った言葉のように羽ばたいていくでしょう…!
And I'm trying hard to fit among your scheme of things
僕はいつだってあなたの御心に適う人間になりたいと願っています…
But it's safer than a strange land, but I still care for myself
他の者のもとにいるよりもあなたの御元にいる方が安全なのはわかっております、それでも僕は不安なのです…
Lord, Lord, my prayer flies like a word on a wing
ああ、我が主よ…この祈りは翼に乗った言葉のように羽ばたいていくでしょう…
My prayer flies like a word on a wing
この祈りは翼に乗った言葉のように羽ばたいていきます…
Does my prayer fit in with your scheme of things?
果たして僕の祈りは、あなたの御心に適うものでしょうか…?

18/09/17 : Pain of Salvation - Beyond The Pale(和訳)

And sex was always there
…そしてセックスはいつもそこにあった
From when I was only eight years
僕がまだ八つになるくらいの頃から
Tempting me leaving me thirsty
僕を誘惑し、飢えた状態に陥らせ続けていた
Sweat, skin, a pulse divine
汗ばんだ肌は、まるで生ける神のようで
To balance this restless mind
この性急な心に安らぎをもたらし
It seemed so wonderfully physical
肉体とはあまりにも素晴らしい産物のように思えた

Oh the blood, the lust
ああ血潮よ、渇望よ
The bodies that color the world
この世界をいろどる素晴らしき肉体よ
All drugs to die for
これらは皆死んでも悔いのない麻薬のようで…
Won't you share my fire?
…君よ、僕と共に燃えてくれないか…?
How can love make that world
どのようにして愛がこの世界を
A minefield of forbidden ground?
危険に満ちた禁じられた土地に変えてしまうのか?
A map of untouchable skin
触れてはならぬ肉体の地図か
And silenced desire?
それとも、この静かにうちに潜む欲求の成し得るわざなのか…?

And love was there in vain
…そしていつも愛は虚しいまま
Profound and deep but traced with pain
深淵でありながらも、それは苦痛を伴うもので…
Too early for a child of ten
十歳の子供にはあまりにも早すぎる代物だった…
Loving the pure and sane
純粋であることと、良識的であることを愛する事によって
He sought the goddesses unstained
彼は汚れなき女神に触れたいと願った
Watching them turn to flesh again
二人がただの肉欲に再び突き動かされるのを見ていながら…

Hungry for both the purity and sin
誠実であることと罪深くあることの両方を求めた彼にとって
Life seemed to him
人生とは
Merely like a gallery of how to be
たんなる『どうあるべきか』が指し示され続ける画廊のようなものにしか思えなかった
And he was always much more human
…そしてもしかすると、彼は
Than he wished to be
彼自身が願っていたよりもずっと人間らしかったのかもしれない
But there is a logic to his world
でもそこには、彼の世界の仕組みを解き明かすロジックがあるのだ
If they could only see
…もしそれを見ることが出来たなら…

Wishing
願いながら…
Sickened
病んでいく
Ill
病的でありながら
Ticking
時は過ぎていく…

Someone still this hunger
誰かこの飢えを…
(It's in my blood)
(僕の血潮に流れている…)
Always growing stronger
日に日に強くなっていくこの飢えを鎮めてくれ…!
(Ticking)
(時は流れていき…)
Budapest I'm learning
ブダペストよ、僕は学んだんだ…
Budapest you're burning me
ブダペストよ、君は燃やすんだ…僕を…!

This is not who I wanted to be
僕はこんな人間になりたかったんじゃない
This is not what I wanted to see
僕はこんなものが見たかったんじゃない
She's so young so why don't I feel free
彼女は若い、それならどうして僕は自由を感じることが出来ないんだ…?
Now that she is here
彼女は今ここで…
Under me?
…僕のものになっているはずなのに…?

Naked
裸で
Touching
触れ合う
Soft
柔らかに…
Clutching
傷つけあう

 

And then after all
それからつまり結局
It lead me here to wake up again
こうして僕は再びここで目を覚ますのだ
Seeking a love
真実の愛を探すことが
That might make me
もしかすると僕に
Feel free in myself but then
再び自由を感じさせてくれるかもしれないから
It proves to be
でもそれは
Something that hurts inside
今この心の何処かが傷を負っていることだけを指し示して
When we touch
僕達が触れ合う時、僕は苦しいんだ
So I move on
だから僕は立ち去った
I lose my way
僕は自分を見失って
Astray
迷子になってしまったよ…
I'm trying too much
僕は充分に努力したんだ!

To feel unchained
束縛のない自由を感じるために
To burn out this sense of feeling cold
この胸の内に宿る冷酷な感情を消し去りたいがために
And every day
だから毎日
I seek my prey
僕は自分のための犠牲者を探していたんだ
Someone to taste and to hold
抱きしめて、その肉体を味わえるような犠牲者を
I feel alive
生きている心地がするのは
During the split second when they smile
そんな僕の犠牲者共が笑っているほんの少しの間だけ
And meet my eyes
彼女達が僕の瞳を覗き込んでくれる少しの間だけさ
But I could cry
それにも満足できなくて泣いてしまう
'Cause I feel broken inside
なぜなら僕は、この心がボロボロに砕けているのを感じるからだ…!

 

Come and drown with me
おいで、僕と一緒に溺れよう
The undertow will sweep us away
引き潮は僕達を消し去ってしまうだろう
And you will see that I'm addicted
そして君は気がつくだろう、僕が
To my honesty
自分の誠実さの虜になっているのだと
Trust, 'cause after all
僕を信じて、だって結局
My sense of truth once brought me here
かつても心の底から抱いた感情が僕をここに導いたのだから
But I've lost control
僕にはもう自制が出来ない
And I don't know if I am true to my soul
そしてわからない、僕が自分の心に対して正直であるのか
I've lost control
僕にはもう自制が出来ない
And I don't know if I am true to my soul
そしてわからない、僕が自分の心に対して正直であるのか
Losing control
自生を失いつつある
And I don't know if I am true at all
そしてわからない、僕が本当に誠実であるのか…

 

And we were always much more human than we wished to be
…僕達は、きっと僕達自身が願っていたよりもずっと人間らしかったんだ

 

And I remember when you said
そして僕は覚えているよ、
You've been under him
君がほかの男のもとであったこともあると言った時の事を…
I was surprised to feel such pain
こんなに苦しい気持ちになるとは思ってもいなかった…
And all those years of being
そしてこれらの歳月は皆
Faithful to You
君に対する信仰によって成り立っていたんだ
Despite the hunger flowing through my veins
…この血の管には強い情欲がざわめいていたのにも関わらず…

And I have always tried to
だから僕はいつだって努力したんだ
Calm things down
何とか落ち着きをつけて
Swallow down swallow down
理解して、無理やり飲み込もうとしたんだ
"It's just another small thorn in my crown"
『これは僕の浅はかな部分に芽生えたほんの小さな刺に過ぎない』と
But suddenly one day
でもある日、そこには突然
there was just too much blood in my eyes
この目からは大量の血の涙が溢れ出るようになってしまった…
And I had to take this walk down
だから僕は歩く必要があったんだ!
Remedy Lane
この"追憶の旅路(レメディー・レーン)"を!
of whens and whys
いつ、どうしてこうなったのかを探るために…

Empty
空っぽなまま…
Licking
舐め合う
Clean
清らかな…
Choking
息が詰まりそうだ!

Someone still this hunger
誰かこの飢えを…
(Possessing my mind)
(この心の内側にしがみついて離れない…)
Always growing stronger
日に日に強くなっていくこの飢えを鎮めてくれ…!
(Craving)
(渇望よ…)
Budapest I'm learning
ブダペストよ、僕は学んだんだ…
Budapest I'm burning me
ブダペストよ、僕は燃やすんだ…僕を…!

This is not who I wanted to be
僕はこんな人間になりたかったんじゃない
This is not what I wanted to see
僕はこんなものが見たかったんじゃない
She's so young so why don't I feel free
彼女は若い、それならどうして僕は自由を感じることが出来ないんだ…?
Now that she is here
彼女は今ここで…
Under me?
僕のものになっているはずなのに…!

In the morning she's going away
朝になれば、彼女は行ってしまうだろう…
In a Budapest taxi I've paid
僕の払ったブダペストのタクシーで…
Seeking freedom I touched the untouched
自由を求めさがした結果、僕は触れては行けないものに触れてしまった…
It's too much
…もううんざりだ
I'm beyond the pale
僕を一線を超えてしまった…!


Prematurity is the story
早すぎてしまったということが、
Of both you and me
君と僕にとっての一つの物語を生み出したんだ
And we were always much more human
…だから僕達は、もしかするといつだって
Than we wished to be
僕達自身が願っていたよりもずっと人間らしかったのかもしれない

Prematurity is the story
早すぎてしまったということが、
Of both you and me
君と僕にとっての本物の物語を生み出したんだ
And we were always much more human
…だから僕達は、もしかするといつだって
Than we wished to be
僕達自身が願っていたよりもずっと人間らしかったのかもしれない

And we were always much more human than we wished to be
僕達はいつも、僕達が願っていたよりもずっと人間らしかったのかもしれない
And we were always much more human than we wished to be
僕達はいつも、僕達が願っていたよりもずっと人間らしかったのかもしれない
We will always be more human than we wish to be
僕達はいつも、僕達が願っているよりも人間らしいのかもしれない
We will always be so much more human than we wish to be
僕達はいつだって、僕達自身が願っているよりもずっと人間らしいのかもしれない…

 

 

 

 

18/09/16 : 感情の浮き沈み

時々、何もかもが嫌になって、僕は全てを投げ出したくなる。もう何も見たくないのに、これからも僕は目を開きながら生きなければならないのか。僕は時々、早く消えてしまいたいと願う。ただ存在しているという事それだけで、僕は苦しくて仕方ない。

僕には、自分が何のためにこんなにも頑張って、必死で生きているのかがわからなくなる時がある。何のために?自分の誇りのために、他人のために、そして自分と他人の将来のために。そうだ、それはわかっている。でも、こんな事が本当にそれらのために繋がるのだろうか?誇りを持つことは良いことだ、見返りを求めない良心はただ誇り高きものにのみ宿る。人は、道徳的であるために、何らかの形で強い誇りを持つに必要があるのだ。他人のために何かをすることも、やはりいい事だ。それが一番、自分の心を満たす行いだから。そして将来のために、これが一番大切だ。未来は現在よりも遥かに偉大な存在だからだ。自分の今背負っている苦しみや、過去の全ての、忘れたくて、思い出すだけで泣き出したくなるような全ての苦しみを、みんなひと思いに笑えるようになる瞬間が、未来に存在すると、僕達は信じる必要がある。なぜなら僕は知っているからだ、人生にはこんな苦しみよりも、ずっといい側面があるのだと。なぜならこの目でそれを見て、この手でそれを触ってきたから。もし現在のような苦しみがこの人生の全体に一貫して現れているならば、そもそも僕は現在を「苦しい」とも感じないはずだ。あるものは、他のものと比較される事によってその意味合いが定義される。もし現在の苦しみが永続的に僕の人生を支配していたならば、僕はそもそも現在を「苦しい」とも感じない。その状態が、自分にとっての常識となっているからだ。平常時がずっと現在のようならば、僕はそれを「苦しい」ではなく「当たり前」と捉えるだろう。しかし違う、僕はこれが1時的なもので、時にはもっと素晴らしい喜びを味わう瞬間もあることを知っている。 トルストイの『アンナ・カレーニナ』の中で、青年貴族ヴロンスキーが恋人アンナのもとに馬を走らせて向かっている場面は、僕のそういった時の心境に非常に共感できるものがある。それを少しここに引用しよう。

 

《素晴らしい、実に素晴らしい!》彼はそう呟いた。彼は今までにもよく自分の肉体に対して喜ばしい気持ちを味わったことがあるが、しかし、今ほど我が身を、我が肉体を愛おしく思ったことはかつてなかった。[以前負った怪我によって]たくましい足に軽い痛みを覚えることも快かったし、呼吸する度に胸の筋肉が動く感覚も気持ちよかった。[恋人の]アンナにはあれほど絶望的な感じを与えた[事もある]、からりと晴れた、ひんやりとした八月の日差しは、彼にとって身を引き締めてくれるように新鮮なものと感じられ、冷水を浴びる時のように火照った顔や首筋を快く冷やしてくれるものだった。彼の口ひげから発散するポマードの匂いは、この新鮮な空気の中で、とりわけ快く感じられた。馬車の窓に見える全てのもの、この冷たい清澄な空気に包まれ、日没の青白い光を受けた全てのものが、彼自身と同じように、さわやかで、たのしげで、力強く見えた。落日の陽光に輝いている家々の屋根も、塀や建物の角のはっきりとした輪郭も、まれに行き会う人や馬車の姿も、草木のじっと動かぬ緑も、きちんとあぜ[畑の仕切りのようなもの]を切ったじゃがいも畑も、消えや、木や、藪や、じゃがいも畑のあぜの落としている斜めの影も、何もかも全てのものが、たった今描き終わって、ニスを塗られたばかりの、素晴らしい風景画のように美しかった。

(…)

《僕は何も、他の何もいらないよ、この幸福さえあれば…》彼は窓と窓の間にあるベルのボタンを眺め、最後に[恋人]アンナの姿を見た時の事を思い描きながら、こう考えた。《時が経つにつれて、益々彼女のことが愛おしくなっていく。おや、あれはもうヴレーデの国有の別荘[アンナの居る場所]の庭じゃないか。一体、あの人はどこにいるんだろう?(…)》

 

僕にはこの時のヴロンスキーの気持ちがよくわかる。何らかの明確な目的をもって現在に取り組んでいる時、そしてその行いが全く文句のないものである場合、僕達は皆このような気持ちに陥らないだろうか。つまり、全身に力や喜びのみなぎるような感じがして、目に映る全てのものが美しく、また愛おしく感じるのだ。たとえば電車の中で、僕は長くそれに揺られながら、本を読んでいるとする。お気に入りの音楽を聴きながら。そうして読書の世界に熱中していると、ふと思いたって、車両の窓の外に映る世界が見たくなるのだ。おお、そこに広がるのは広大な、遥かな偉大さをたたえた山々。純白と少量の影の混じった切れ切れの雲たち、そしてそれら全てを多い包む麗しの蒼穹!僕は思う、『この世界はなんて素晴らしく、また美しいのだろう』と。こんなに素晴らしい瞬間に恵まれながら、僕は自分の取り組みたい事に取り組むことが出来ているのだ!これは一体なんという幸福だろう?そして僕は、今目的地に向かいつつあるのだ…おお!人生!お前はあまりにも豊かだ!僕はお前を手放す気になれない…お前の苦しい側面など、この素晴らしさに比べれば何とちっぽけなものだろう!その時、僕には全てが、何もかもが、全く可能な事のように思えてくるのだ。人間には不可能な事などなく、こうして絶え間ない意志と努力を積み重ね、我が道を行くならば、やがて運命は僕の想いに答えてくれるような気がしてくるのだ。全てが、全てが素晴らしいような気がしてくる。今日までの僕の積み重ねた苦しみも、またこれから僕が積み重ねなければならない苦しみも、このように素晴らしい瞬間、いやもしかすると将来に用意されているだろうこれよりもずっと素晴らしい瞬間、その瞬間に出会えるのならば、僕は何度だってこの人生を生きたいような気がしてくるのだ。そして、もしかすると、これよりも偉大な瞬間が、僕の、いや、僕達の将来に待っているのかもしれないなんて!信じられるだろうか?それだけで、たったそれだけで、この人生は生きるに値するものではないのだろうか?お前に出会うために、我が喜びよ、お前に出会うために、僕は何度でも苦しみを乗り越えてみせたい、そう思えるのだ。

しかし、苦悩に襲われた瞬間に、僕はもはやそんな事も考えることが出来なくなる。たとえば僕は、他の人たちが楽しそうに笑っている中で、突然自分は何のためにこんな所にいるのだろうと感じることがある。何のために?この心は空っぽだ。僕は、僕は空っぽな人間だ!苦しい、何故こんな風に苦しみながら生きていかなければならないんだ?こんな苦しみにも意味があるとでも言うのだろうか。なんの意味が?おかしいじゃないか、僕はこんなに沢山の人に囲まれているのに、まるで生きた心地がしないのだ。どうして?どうしてこんなふうに苦しいのに、僕は外出したりするのだろうか?何のために?他人のため?誇りのため?将来のため?こんな事がそれの役に立つというのだろうか。苦しい、消えてしまいたい。早く死んでしまいたい。そんな思いばかりが頭に思い浮かぶ。何のために、僕はなんのために生きているのだろう。こんな惨めな思いをしながら、果たして生きる意味なんてあるのだろうか?僕は虚しい、何故この苦しみを推し進める必要がある?その先に待つ未来が偉大だからだろうか?それでも僕は、たとえ未来が偉大だとしても、こんな苦しみがずっと続くなら、こんな生きた心地のしない毎日がずっと続くなら、それでも僕は生きる意味や、僕が生きる必要は、果たして存在するのだろうか?愚劣じゃないか。こんな拷問のような毎日がずっと続くなら、それこそ死んだ方がマシだ。ああ、何もかも愚劣だ!馬鹿げている。苦しい。もういやだ。しかし違う、それでも僕は、意志を捨てずに生きなければならない。そうだ、僕は試されているのだ。いつかこの苦しみに耐えられるようになる日が来る。その時まで、僕はこの苦しみを押し進めればいい、そうだろう?でも、こんな風に生きて何になるのだろう。朝目を覚ます度に、僕は虚しさを胸におぼえている。ずっとこんなふうに、生きているのか死んでいるのかもわからないような心地を味あわなければならないのだろうか。まるで生きた心地がしない。心に空洞が空いたような気分だ。僕は以前からこの空洞の存在に気づいていた。しかしその大きさは日に日に広がるばかりだ。僕にはもう何もわからない。ただただ胸が苦しい、それだけだ…

 

それでも僕は前に進まなければならない。僕は知っているからだ、いつか必ず全てを笑い飛ばせるような日が来ると。未来はそのように辛抱強く信頼出来るもののもとにのみ来る。そして僕は、その未来のために現在を生贄として祭壇に捧げる祭祀なのだ。

 

あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。(…)では、(私に忠言をお許しに下さったのですから)私からあなたにお願いしましょう、そんな事は一切おやめなさい。あなたは外部へ眼を向けていらっしゃる。しかし、今何よりもあなたがしてはいけないことがそれなのです。誰もあなたに忠告したり、あなたを助ける事なんて出来ません。誰も。そこにはただ一つの手段があるのみです。自らの内側にこもりなさい。(…)あなたが[詩を]書くことをやめられたら、あなたは死ななければならないかどうかを、自らに告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最も静かな時に、自己の内へと深く掘り下げてください。そしてもしこの[「詩を書かなければ死んでしまうか」の問いの]答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」の返答をもって、あの真剣な[「詩を書かなければ死んでしまうか」の]問いに答えることが出来るならば、その時あなたの生涯を、この必然に従って打ち立ててください。あなたの生涯は、どんなに無関係で無意味に思える一瞬の寸秒に至るまで、全てがこの胸に突き上げてくる思いの現れとなり、また証明とならなければなりません。
(1903年2月18日、ライナー・マリア・リルケが詩人を志す青年フランツ・カプスに宛てた手紙からの抜粋)

18/09/15-16 : 生存の美学

僕達は常に生存のための取捨選択をしなければならない。そのために必要なものとは何か?より強い「価値観」を手に入れ、これまでの人生を基に、これからの人生を創造していくこと。

生存の美学。生への意志。生き残るために必要なのは美学であり、道徳である。高潔であろうとすることは苦しいことだ。しかし、高潔であろうとする人間は、そうでない人よりも充実した生を手に入れる事が出来る。

死への肯定は生への執着に繋がる。そして生に執着した人間は、最早死を恐れない。死は生の一部であり、生は死の一部だから。一方で、生と死は決して相容れない。これらの文章は、一見すると矛盾しているように見えるが、しかし矛盾していない。「有限なるもの」を「無限なるもの」のために用いようとする意志。有限な自分の人生は、無限にして普遍的なものに根付いた時に初めて生き甲斐のあるものになる。その時、人は死を恐れなくなる。そして死を恐れずして生に生き甲斐を見出した人間は、むろん生に執着する。生と死は相容れないが、その両者はお互いに必要とし合っているのだ。


高潔に生きようとすること。人は、どれだけ悲惨な現状に悩まされていようとも、その心が豊かであれば、自分自身に対して、疑いを持たずに『今の私は幸福だ』と言い切ることが出来るだろう。そのために必要なことは、高潔であろうとすること。美学に生きようとすること、道徳を意志すること。道徳を愛することは人を豊かにし、生存することに美学を抱くこともやはり人を豊かにする。 それは、『道徳を愛する』または『生きることに美学を持つ』という意識それ自体の与える代物だ。

人間の意識。たとえば一般的に見て軽蔑されている人々は、他者からの軽蔑ゆえに自己を益々軽蔑されるべきものに変える場合が多い。『気持ち悪い』と罵られ続けた人は、やがでそんな自分に対して諦めをつけて『今更いい態度を取ろうとしても何のいいことも無いし、いっそ益々他人から気持ち悪いと言われるような人間になってやろう』と思い至って、自ら進んで堕落しようとする。「悪」の名称を与えられた人間は、たとえ元々善良な性格をした人であろうとも、名称の持つ魔力によって、自らを「悪」の名称に似合う人間になろうと努め始める。逆に言えば、「善」の概念をその者に植え付け、その者を愛し、受け入れる存在があれば、たとえ元々背徳的な生活を送っている者であろうとも、その人はやがて善良な人間になる。何故なら、その人は自分に「善」の概念を与えてくれた者に対して憧れを抱いており、また憧れとは、何ものかに対する執着、つまり美学的な価値観である。そして美学的な価値観を持つものは、何が自分にとって良くて、何が自分にとって悪いのかに対して、明確な意識と区別、そしてこだわりを持つ、ある種の誇りを抱いた存在だ。つまり、今の彼には道徳があり、美学がある。生存の美学が…


ニーチェトルストイの共通点は多い。二人ともスタンダールの作品を高く評価し、ショーペンハウアーを愛読し、パスカルの思想に共感し、ドストエフスキーの文学を賞賛した。イリアスオデュッセイアは双方の愛読書であり、自然科学にはどちらも否定的な見解を有していた。それでありながら、この二者には決定的な違いが存在する。実存主義者には、二つの道しか残されていない。つまり、原始的な道徳的価値観に帰依するか、新しい道徳の道を切り開くか。前者はトルストイであり、後者はニーチェであった。つまり、キリスト者であるか反キリストであるか、決定的な違いはそこにある。救いがあるか、またはないか。喜劇であるか、悲劇であるか。楽観か、悲観か。希望か、絶望か。神はいるか、またはいないか…しかし僕達は、そのどちらかを選ばなければならないのだろうか。そのどちらをも選ぶという選択肢があってもいいはずだ。何故ならば、あらゆる人生は喜劇でもあり悲劇でもあるのだから…


僕には、道徳というものは、一般的に優れているとされている何か、たとえば理性とか、秩序とか、良風、誠実などのものに求めるべきではなくて、むしろ、その反対のもの、つまり罪悪の中に求めるべきのように思えるのだ。悪の中に身を投げ込み、危険なもの、僕達を破滅させるようなものの中へ飛び込むことこそが、僕達にとって何よりも道徳的な行いだからだ。

そう、僕には、自分を大切にするよりも、自分を傷つけた方がずっと道徳的な行いのように思えるのだ。一身の安全を測るよりも、一身を破滅させ、損傷させることの方が、ずっと人として道徳的なのだ。なぜなら、これまでの歴史において、偉大な道徳家とは、常に優れた人格者などではなくて、罪の中の、悪徳の中の冒険家であって、悲惨な現状に対して、イエス・キリストのように跪くことを教えてくれる偉大な罪人ばかりなのだから。悲劇の中で、苦しみに屈服せずに神の御前に立とうとすること、僕にはそれが何よりも大切なことのように思える。