公開日記

その名の通りです

19/03/20 : Muse - Knights of Cydonia(和訳)

Come ride with me
僕と一緒に行こう
Through the veins of history
共に歴史の流れを突き進むんだ
I'll show you a god who
僕が君に神を指し示そう
Falls asleep on the job
仕事を忘れ眠っている神を

And how can we win
…どうすれば勝てると思う?
When fools can be kings
まぬけが王様を気取っているような今
Don't waste your time
時間を無駄にしてはならない
Or time will waste you
さもなくば時間が君を無駄に見捨てるだろう

No one's gonna take me alive
誰も僕から命を奪うことなどできない
The time has come to make things right
正しい裁きを行う時が来たのだ
You and I must fight for our rights
君と僕はお互いの正しさのために戦わなければならない
You and I must fight to survive
僕達は生き残るために戦わなければならないんだ

No one's gonna take me alive
誰も僕から命を奪うことなどできない
The time has come to make things right
正しい裁きを行う時が来たのだ
You and I must fight for our rights
君と僕はお互いの正しさのために戦わなければならない
You and I must fight to survive
僕達は生き残るために戦わなければならないんだ

No one's gonna take me alive
誰も僕から命を奪うことなどできない
The time has come to make things right
正しい裁きを行う時が来たのだ
You and I must fight for our rights
君と僕はお互いの正しさのために戦わなければならない
You and I must fight to survive
僕達は生き残るために戦わなければならないんだ

19/03/19 : 苦難と夢

生きている限り、人は必ず「どうしようもない」と思えるような苦難に直面するものである。そんな時、人生が僕達に要求するのはただ一つの事であり、それはつまり、「その日その日の最善を生きろ」ということだ。


人間の人生が個人的なものになるのはいつ頃からなのか?と考えた時に、僕はそれが、恐らくその人が「孤独」を感じた時からなのではないかと思われる。

人は皆、生きていれば必ず個人的な悩みというものに直面する。これまで親しかった誰か、例えば家族や友人、恋人に打ち明けても、それが上手く理解されない(またはされないように思われる)悩み。そのような個人的な悩みを抱いた時に、人は自分の近くにいた人が突然遠くにいるように感じるものである。そう、孤独とは、人が一人でいる時に感じるものではなく、誰かとの交わりの中で感じるものなのだ。

大体の場合、人が抱く幸福へと憧憬とは似通ったものであるが、人が抱く不幸は皆どこかしら異なったものがある。特にその不幸によって抱いた感情が大きければ大きいほど、人はむしろ「自分の不幸が他人と違うものだ」と好んで考えようと努め始める。

これらの事からも、人の生が個人的なものになるのは、「孤独」を感じ始めた時から、すなわち「個人的な悩み」「個人的な不幸」を抱くように、または抱きたいように願い始めてからだと言えるかもしれない。


この孤独の発明こそが、まさに僕達が人生で最初に直面する「どうしようもない」苦難であろう。そして、僕達の直面する「どうしようもない」問題は皆、一見すると全く解決不能に思えるのである。まさにどうしようもない。

だからこそ僕達は、そんな「どうしようもない」という気持ちを忘れるまでに、現在に熱中する必要がある。

去年の今頃を思い返してみてるがいい。僕達の誰もが、去年から一年経った今現在が、当時の僕達の思っていたものと(多かれ少なかれ)違うことに気がつくはずだ。そして恐らく、今現在僕達のいるところからでは、来年の今頃のことなど、予測不可能なのである。

(来年の自分の予測を当てるためには、様々な統計をとり、緻密に計算し、科学的な方法に基づいて未来を予測する必要がある。しかし、そんなことをしている間に、時は「来年の今頃」へと経過していることだろう!)

直面している問題は、確かに「どうしようもない」かもしれない。しかし、多くの現在が過去からは思いもよらなかった産物であるとすると、僕達の「どうしようもない」が解決するのも、やはり僕達の思いもよらない方法に違いないのである。そして、思いもよらないものの積み重ねが現在であり、その延長線上にこの「どうしようもない」が存在しているのなら、僕達はただひたすら現在に全力を尽くし、この「思いもよらない」人生の流れに身を任せればいいのだ。

周りに流されるのでもなく、かと言って自分勝手でもない。多くの真理とは、相反するように思える二つ以上のものによって成り立っているのだ。自分の内側に矛盾しているように思えるものを抱え、それを調和させようと努めること。完全に調和することはなくとも、その行いは、多かれ少なかれ何か必ず良いものをもたらすに違いない。


人は自分の確かさを得るために、他人の確かさにすがろうとするものだ。自己存在を安定させるためには、自分以外の存在を利用する必要がある。そして、「孤独」を感じることは、まさにそれを失うことを意味する。

(そして多くの人は、この耐え難い「孤独」を埋めようとするために、どんなに安っぽい関係でもいいから誰かといることを願い、惨めに堕落するのである)

かつてすがっていた「確かさ」が消えた今、僕達は自分の手で新しい生活の在り方を模索しなければならない。それはつまり、自分の手で再び失った「確かさ」を見出すという事だ。

かつてのものにすがろうとしても無駄だ、あなたは悲しみによって、不幸によって、個人的な悩みによって、変わってしまった。僕達の存在とは皆一直線にだけ進むもので、それを巻き戻すことは不可能だ。変わってしまったものは、決してかつてと同じ存在になることが許されない。

そう、僕達の人生とは、ちょうど炎のようなものである。炎は常に変化し、変身し続ける。同じ形であることは決してない。そして、炎が存在し続けるために、炎は変わり続けなければならないのだ。炎が安定した、変わらざるものに至るためには、まず自分の炎を消さなければならない。

そして炎の消えた人生とは、まさに死んだようなものか、または死そのものである。


過去からすれば、現在は「まさか」と言わざるおえないもの、つまり(良い意味でも悪い意味でも)夢のようなものだ。逆に言えば、僕達の未来が、まさに現在からすれば夢のようにしか思えないものに変身することだって、大いにありうるのである。

僕はいつだって夢を見ている、夢を見るのをやめるつもりはない。絶えず胸に希望を抱いている。僕は今でも奇跡や魔法がこの世に実在すると信じているおり、キリストが死んだラザロを墓場から復活させたことを大真面目に信じている。

そして夢とは、叶うかどうかが問題なのではない。夢を見るということに意味があるのだ。生活には夢が必要だ。僕達の夢は現実からの影響によって成り立ち、そして僕達の現実は、僕達の見ている夢によって突き動かされる。


「どうしようもない」が人を襲った今、彼はもうかつてのように生活が出来なくなるだろう。上手く眠れない夜がやがて訪れ、かつて笑い合えた人とも笑い合えなくなるかもしれない。自分が以前は楽しめていたものも楽しめなくなり、泡のように日々は崩れ、無意味に、また無作為に、目の前から僕達の貴重な時間が流れ去っていく。それは止めることが出来ない。

だからこそ、夢を見なければならない。日々の営みに我を忘れ、行いそれ自体の中に自分の生きる意味を見出すということ。そして夢を、眠っているときではなく、起きている時に見るということ。絶え間ない毎日の行いの中で、絶えずあなたの胸に宿っているもの、それが夢であり、希望だ。

どうしたら忘れることが出来るだろうか、あのドストエフスキーの小説に書かれていた小話を。ある囚人が、自分の牢獄の柱が全部でいくつあるかを調べあげて、それを毎日数えていくのである。そして、残りの柱の数が減っていくだけ、自分が牢屋から釈放される日が近づいているのがわかるのだ。彼は毎日柱を数えていた。そして数える度に、彼は自分の釈放の日が近づいているのを感じて、自分の夢見る未来が近づいているのを喜んだのである。

どんな刺激にも満足を覚えなかったファウスト博士が、果たしていつ満足を覚えて「止まれ、お前はいかにも美しい」と言ったのか、あなたはご存知だろうか?それは、彼が自分の未来を空想しているときである。自分のためだけに生きても虚しいだけだ、誰かのために生きようと思った時、強欲なファウスト博士は初めて満たされるのを感じた。そして、彼は自分の未来を空想しながら、幸福の内に死を迎えたのである。


かつての日々が終わり、新しい日々があなたを襲う。今のあなたに残された選択肢は、どうやらその日その日の最善を尽くし、生活の夢に我を忘れるということだけらしい。そして大切なのは、あなたの夢を愛するということである。

愛?愛とは何か。愛にも色々な種類があるが、この場合、愛とは許すということ、受け入れるということ、魂が肉体を包むということだ。

愛は美しくない、だから愛は美しくなろうとする。そして、美しくなろうとすることをやめた愛は、遅かれ早かれ終わる。

自分の夢を愛するということは、今よりも美しい自分を絶えず夢に見続けるという事だ。そのためには忍耐と辛抱が必要だ。そして、それを失った途端、夢は壊れてしまう。そして夢が壊れた途端、生活もまた壊れてしまう。生活が壊れてしまったならば、あなたは再び「どうしようもない」の苦難に逆戻りである。

夢を愛さなければならない。それもあなたが眠っている時に見る夢ではない、あなたが起きている時に見る夢だ。何かに必死になって取り組む時、絶えずあなたの頭に浮かぶもの、それがあなたの夢だ。


「焦る焦る」と歩きながら口の内で言った。

飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真っ直ぐに走り出した。代助は車の中で、

「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞こえる様に云った。彼の頭は電車の速力を以(もっ)て回転し出した。回転するに従って火のように焙(ほて)って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。

(…)烟草(たばこ)屋の暖簾(のれん)が赤かった。売り出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞いには世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼き尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。

(夏目漱石の小説「それから」より抜粋)

19/03/19 : Muse - Darkshines(和訳)

Passing by
そばを通るだけで
you light up my darkest skies
君は僕の暗闇を照らしてくれる
You take only seconds
ほんの少しの時間で
to draw me in
僕は君の虜になる
So be mine
…だから僕のものになれよ
and your innocence
君の無垢な愛らしさを
I will consume
僕は買っているんだぜ

Dark shines
暗闇に指す光が
Bringing me down
僕を打ちのめして
Making my heart feel sore
この心を虚しさで満たす
Because it's good
それが気持ちいいんだ

Hold your hands
その両手で
up to your eyes again
また自分の目を覆わないとね
Hide from the scary scenes,
怖いものから逃れるためさ
suppress your fears
そうして君は恐れをかき消す
So be mine
…だから僕のものになれよ
and your innocence
君の無垢な美しさを
I will consume
僕は買っているんだぜ

Dark shines
暗闇に指す光が
Bringing me down
僕を打ちのめして
Making my heart feel sore
この心を虚しさで満たす
Because it's good
それが気持ちいいんだ

You're dark shines
君は暗闇に指す光
Bringing me down
僕を打ちのめす
Making my heart feel sore
僕の心を虚しさで満たす
Because it's good
それが気持ちいいから

Dark shines
暗闇に指す光が
Bringing me down
僕を打ちのめして
Making my heart feel sore
この心を虚しさで満たす
Because it's good
それが気持ちいいんだ

19/03/18

私は肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

先日、行きつけの古本屋に行った時に、新旧両方を収録した聖書が書店の店頭に置かれており、値段を見るとそれは百円であった。

私には自分のしていることがわからない。何故なら、私は自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎むことをしているからである。

発行年は一九八六年であり、日本聖書協会から出ている、少し古い方の訳である。しかし開いてみると、文章の綴られ方が僕の持っているそれよりも好みだったので、買った。

そこでこの事をしているのは、もはや私ではなく、私の内に宿っている罪である。

以来、僕はどこに行くにもそれを持ち歩いている。

私の肉の内には、善なるものが宿っていないのを、私は知っている。

今僕が断片的に抜粋しているのは、僕の聖書の中で最も好きな箇所の一つ、使徒パウロが残したさる手紙の一部分である。

私の欲している善はしないで、欲していない悪をしている。もし欲していないことをしているとすれば、それをしているのはもはや私ではなく、私のうちに宿っている罪である。

そしてその手紙の名は「ローマの信徒への手紙」である。

私はなんとみじめな人間なのだろう。誰がこの死のからだから私を救ってくれるだろうか


ここ最近、猛烈な無気力に襲われることが多い。白状してしまえば、今の僕のうちにあるのは、何をしても無駄であるという気持ちだ。

何をしても虚しいままだ、きっとどう足掻いてもこの虚しさから抜け出すことは出来ないだろう、そんな気持ちに襲われることも少なくはない。今の僕に必要なのは、自分を癒すことなのだろう。


かつてのような情熱を取り戻すということは、ここ数年の僕の目標のひとつであった。

しかし同時に、人間とは常に動き続ける存在であり、一つのところに留まることは難しい。たとえ当時と同じ環境を手に入れたとしても、当時とおなじ感情が手に入る訳では無いのである。よって、現在において、過去にないほどの情熱を手に入れるためには、それなりの工夫が必要となるだろう。

言い換えるならば、過去をやり直そうとしては決してかつての情熱は手に入らないのである。


僕は絶望しているのかもしれない、そう感じる時はある。最近は特に頭が正気を保てていないように思えることがある。

何らかの抑圧されたものを感じる人は、同じように抑圧されていたにも関わらず、その抑圧を打ち破ったものに惹かれる。ここに現代の若者の多くが狂気に憧れている理由がある。そう、これまで「虐げられた何か」を感じてきた人間は、狂人になることへ憧れるのだ。何故なら狂人は、自分のうちにあった押し付けられてきた狂気を爆発させて、狂気を虐げてきた正気を打ち破ったからである。

しかし、狂気を美化するのは大きな誤りだ。というのも、いつだって時代を導いてきたのは、自分の狂気と相克し続けた人だからである。狂人になることは死ぬことと同じだ。僕はまだ死にたくない。


多くの人が孤独を恐れるのは、孤独がとりわけ死に近いというのが考えられる。

人によっては、他人からどう認識されているのかを確認することによって、自分自身が存在していることを感じる。死とは、まさに一つの存在が消え去る事に他ならない。死への恐れとは存在消滅への恐れなのだ。

そういう意味では、孤独であることは死の擬似体験に近いことが出来ると言えるのかもしれない。

生に苦しみを覚える人にとって、死を思うことはわずかならぬ慰めとなる。感覚によって生きる人間にとって、生の苦しみとは、まさに自分が存在している故に味わう感覚の苦しみだ。それを踏まえてみると、自分が生きているということを忘れることは、人が生の苦しみから抜け出す方法の一つである。

ここにこそ孤独は有用性がある。孤独である時、人は他者との交わりから抜け出して、全くの独りぼっちで閉ざされた世界へと向かう。彼はそこで精神の自給自足をすることとなる。そして、それこそが彼に揺るぎない満足を与えるであろう。

孤独に篭もり、書物に耽り、音楽に陶酔し、美術に誘惑を受ける。非人間の世界へと沈み込むことが、人間の世界における苦しみから抜け出すことに繋がる。ここにこそ芸術の有用性がある。

芸術は人間的なものでなければないほど素晴らしい。それが個人の感情を排しており、ただ美への追及のみをしてこそ、芸術は素晴らしいのである。


僕は女性が好きだ、たまらなく好きだ。しかし同時に、女性が何よりも恐ろしい。もとい、好きだからこそ恐ろしいのである。

僕の勘違いでなければ、女性から愛された経験は、僕にも何度かある。しかしその度に僕はそれを拒んできた。それには理由がある。そして、その理由とは、彼女達があまりにも性急であるからである。

女性の感情の力はとても強い。そして、女性の感情の強さは、女性の行動をあまりにも大胆にする。それこそ女性の魅力であるが、同時に僕はそれが怖いのである。女性は僕の心の内側に勝手に入ってこようとする、しかし僕は誰かを自分の心の内側に入れたくないのである。

時間をかけてならばまだわかる、しかし女性は突然僕の心の内側に入ってこようとする。だから怖いのである。僕の心の内側に入ってこようとする人が突然目の前に現れたならば、こちらとしても身構えなければならない。この時、僕の愛すべき女性は僕の最も憎むべき敵となる。この時、女性は僕の侵略者であり、また迫害者である。そして僕は、自分の心の防壁が崩されないよう、女性と戦わなければならない。

しかし何故女性が恐ろしい侵略者に変身できるかとなれば、それは僕が女性を愛しているからだ。しかし、僕の感情の力はあまりにも強い。僕は誰かへの強い感情のゆえに自分を失いたくないのである。

僕にはやりたいことが沢山ある。しかし、僕は自分が、一つのものにのめり込むと周りが見えなくなる質であると知っている、そして僕が恐れているのはそれなのだ。そう、取り返しのつかないような失敗をしたくないのである

無論、このままではいけないことはわかっている。しかし、僕にはどうすればこれにうまい解決が与えられるのかがわからないのである。

僕は誰かが自分の内へと入ろうとしてくると、ほとんど無条件に防衛反応を示してしまう。そう簡単に僕の心の内側に入ってこようとしないで欲しい、僕は恐ろしい。

19/03/17 : Muse - Undisclosed Desires(和訳)

I know you've suffered
君の過去の苦しみを知っている
But I don't want you to hide
でも僕は君に隠れて欲しくないんだ
It's cold and loveless
冷たく、愛のないままではいけない
I won't let you be denied
君に君自身のことを好きになって欲しいんだ

Soothing
君を慰めたい
I'll make you feel pure
優しい気持ちになって欲しいから
Trust me
僕を信じて
You can be sure
きっと分かるから

I want to reconcile the violence in your heart
君の心の中にある苦しみに安らぎをもたらしたい
I want to recognise your beauty's not just a mask
君の美しさが偽りではなく本当なのだと確信したい
I want to exorcise the demons from your past
君を苦しめる過去のトラウマを取り払いたい
I want to satisfy the undisclosed desires in your heart
君が心のうちに隠している思いを満たして、君を幸せにしたいんだ

You trick your lovers
男を弄ぶのは君は
That you're wicked and divine
まるでいけない神様みたいだ
You may be a sinner
君は罪深い人なのかもしれないけれど
But your innocence is mine
僕には本当の君の美しさがわかる

Please me
僕を楽しませて
Show me how it's done
どんなふうに振る舞うのかを教えてほしい
Tease me
君のために悩みたい
You are the one
君にぞっこんなんだ

I want to reconcile the violence in your heart
君の心の中にある苦しみに安らぎをもたらしたい
I want to recognise your beauty's not just a mask
君の美しさが偽りではなく本当なのだと確信したい
I want to exorcise the demons from your past
君を苦しめる過去のトラウマを取り払いたい
I want to satisfy the undisclosed desires in your heart
君が心のうちに隠している思いを満たして、君を幸せにしたいんだ

Please me
僕を楽しませて
Show me how it's done
どんなふうに振る舞うのかを教えてほしい
Trust me
信じて欲しい
You are the one
僕には君しかいないんだ

I want to reconcile the violence in your heart
君の心の中にある苦しみに安らぎをもたらしたい
I want to recognise your beauty's not just a mask
君の美しさが偽りではなく本当なのだと確信したい
I want to exorcise the demons from your past
君を苦しめる過去のトラウマを取り払いたい
I want to satisfy the undisclosed desires in your heart
君が心のうちに隠している思いを満たして、君を幸せにしたいんだ

19/03/16 : 認識と矛盾

ある人にとっては、自分に関心を寄せて欲しい人が自分に関心を寄せてくれないということ、それがどんなに苦しい不幸よりも恐ろしいもののように思えるものだ。

そしてそういう人は、たとえその後にろくな結果にならない事がよく分かっているのにも関わらず、とにかく相手から注意を引くために、何だってするのである。

頭ではそうすることになんの意味が無いとわかっていても、そうすることがむしろより大きな不幸を呼ぶことがわかっていても、自分が今直面している耐え難い不幸、「無関心」という名の不幸から逃れるために、その人はどんな酷い行いでもしようとするだろう。

頭ではわかっていても、感情はその通りに動いてくれない。僕達の感情は、いつだって僕達自身を大きく飛び越えて躍動する。理性に限界があるのに対して、僕達の感情には限界が無いのである。


人は時に、恐れから誰かの意見を受け入れようとしない。それが正しいかどうかではなく、それが自分を傷つけるかもしれないという可能性が、その人に別の意見を採用させるのだ。人が何かを信じないのは、理由があって信じないのではなく、信じたくないから信じないことが多い。この場合、理由はいつだって後付けされる。

そして人は、自分を傷つけるような不安や恐怖、自分の現実を壊そうとする迫害者から逃れるためなら、どんな嘘や妄想だって信じ込むのである。


矛盾とは大変面白い言葉だ。

恐らく誰もが「矛盾」という言葉の語源を知っているに違いない。その内容は「どんな刃物も突き通さない頑丈な盾と、どんな頑丈なものをもつらぬく鋭い矛と、その二つを売る商人に対して、さる人が『ではその盾と矛を突き合わせてみればどうなるのか』と問うて、商人が困惑する」という物語に由来する。

人が「矛盾している」と感じる物事はこの世の至る所に存在する。しかしこの際に僕達が注目するべきなのは、「そんな矛盾はおかしい」と考えることではなく、「本当なら同時に成立しないはずのものが何故成立しているのか」と考えることである。

「矛盾」という言葉の面白い所はそこにある。決して成立しないことが明らかであるそれが、事実目の前で成立している。語源である中国の古い物語の中では、その両者は無論成立しえないだろう。しかし僕達が実際に現実で直面する出来事はどうであろう。現実とは僕達からは矛盾にしか見えない事の寄せあつめではないか。

してみると、僕達が「矛盾している」と感じているのが誤りであり、矛盾しているように見えるそれの中に、何か論理的な説明のできる余地が存在している、と考えるのが正しいのだろう。

それは丁度、中国の商人が示したものが「何をも突き通さない頑丈な盾」と「何をも突き通す鋭い矛」ではないように、僕達の目の前にある矛盾が、実は矛盾ではないと説明しきるだけの余地が、どこかにあるはずなのだ。


僕達の目の前に広がる世界、それは僕達の感覚の反映である。僕達の感覚が苦しめられれば、僕達にとって世界は不幸の塊に変わる。そして僕達の感覚が幸福であれば、僕達にとって世界は薔薇の花園となる。

そして、ここにこそ認識の難しさがある。僕達は常に自分の主観を通さなければ客観視をすることが出来ず、僕達は恣意的にしか自分の理性を働かせることが出来ない。僕達の論理の多くはどこまでも自分勝手なのである。

例えば人が何かを非難するとき、それを非難する理由を先に見つけてから、それを非難するのではなく、非難したいからこそ理由を見つけるのである。僕達が何かを嫌う時、嫌いな理由を見つけてから何かを嫌うのではなく、嫌いだからこそ理由が必要なのである。「あいつが嫌いだ」という身勝手であり理不尽な感情を正当化するために、僕達は論理的な存在に変身しようとするのだ。


人間、この劇的な矛盾の塊。怪物のようなこの人間存在は、常に相反する二者、一見すると決して混じりあわないように思える二者に突き動かされ続ける。人間においては、一方を否定すると他方も崩れてしまうが、しかし一方を重宝しすぎてしまうと、今度は他方が一方に復讐することとなる。

この知り尽くそうとしても決して知り尽くすことの出来ないほどの緻密な傑物、それこそがまさに人間である。不気味な、恐ろしい、不可解でありまた奇怪な怪物、あらゆる矛盾の集合体、人間。

そして、その矛盾の一つに論理的な説明を与えた時にこそ、僕達は再び豊かな文明の欠片を獲得することとなるのだ。目の前に来る矛盾に回答を与え、また次なる矛盾に立ち向かう。その繰り返しこそが人類の歴史なのだ。


政治思想には保守派と自由主義が存在する。そして、無論その全ての人がそうであるとは言わないが、その多くがどちらを選ぶのかは、とてもわかりやすい。

保守派の多くは自分の弱さを知っており、それを認めた上で 、それを受け入れ、それに諦めをつけている故に保守的になる。彼らのうちにあるのは弱さへの絶望であり、そして自分の弱さを悪とするが故に、自分より強き善に絶対服従したいという欲望である。

一方多くの自由主義者達は、自分の弱さを知らない、または知らないふりをしている。彼らが自由主義に走るのは、自分の弱さを認めたくないがゆえである。自分の弱さを覆い隠すために、彼らはより自由主義的な意見に惹かれる。彼らの多くは弱さから逃げるために強くあろうとするのだ。


人を不安にさせるような哲学だけを信じるべきだ。真実はいつだって重く苦しいものだ、そして全てのものは重く苦しいものである、そして重く苦しいものは皆偉大なのだ。

真実を語るべき哲学には、いつだって厳しさがなければならない。そして、厳しさはいつだって人を不安にさせる。しかしその不安の先にこそ、まさに僕達の望む真実がある。

19/03/16 : Muse - Stockholm Syndrome(和訳)

I won't stand in your way
もう君の前に立ちはだかりはしないから
Let your hatred grow
僕への憎しみを膨張させてくれないか
And she'll scream
きっと彼女は泣き叫んで
And she'll shout
きっと彼女は声をあげて
And she'll pray
きっと彼女は祈りを捧げる
And she had a name
もう彼女は自分を失ってしまった
Yeah she had a name
もう彼女は自分を失ってしまった

And I won't hold you back
もう君を引き止めはしないから
Let your anger rise
どうか僕に怒りを向けて欲しい
And we'll fly
きっと僕達は飛んで
And we'll fall
きっと僕達は墜落して
And we'll burn
きっと僕達は燃え上がって
No one will recall
もう誰も僕達を思い出さない
No one will recall
もう誰も僕達を思い出さない

This is the last time I'll abandon you
これが君への想いを捨てる最後の瞬間だ
And this is the last time I'll forget you
これが君を忘れる最後の瞬間だ
I wish I could
…本当にそうすることが出来たらいいのに

Look to the stars
頭上の星々を眺めてごらん
Let hope burn in your eyes
きっと君の瞳にも希望が宿る
And we'll love
いつかまた愛し合えるから
And we'll hate
いつかまた憎み合えるから
And we'll die
いつかまた一緒に死ねるから
All to no avail
もう全て無駄になってしまったけれど
All to no avail
もう全て無駄になってしまったけれど

This is the last time I'll abandon you
これが君への想いを捨てる最後の瞬間だ
And this is the last time I'll forget you
これが君を忘れる最後の瞬間だ
I wish I could
…本当にそうすることが出来たらいいのに

This is the last time I'll abandon you
これが君への想いを捨てる最後の瞬間だ
And this is the last time I'll forget you
これが君を忘れる最後の瞬間だ
I wish I could
…本当にそうすることが出来たらいいのに

I WISH I COULD!
そんなこと出来るわけがないだろ!