19/08/08 : Radiohead - The Trickster(和訳)

Rust in the mountains,
山々の中で眠れ
rust in the brain
脳の中で眠れ
The air is sacred here
ここの空気は新鮮だ
in spite of your claim
君の主張とは裏腹に
Up on the the rooftops,
上へと登りつめ
out of reach
誰の手も届かない場所で
Trickster is meaningless,
嘘つきは虚しさに苛まれ
trickster is weak
嘘つきは弱々しく呻いている

He's talking out the world,
彼は世界を解き明かそうとしている
talking out the world
世界を解き明かそうと…

Hey, hey, hey……

this is only halfway
まだ途中経過だ

Hey, hey, hey……

this is only halfway
まだ途中経過だ

I wanted you so bad,
僕は君を駄目にしたかった
that I couldn't say
それは言えなかったことだけれど
All things fall apart
結局全ては壊れてしまった
We wanted out so bad,
僕達は駄目になりたかった
that we couldn't say
でもそんなことは言えなかった
These things fall apart
結局全ては壊れてしまった

We're talking out the world
僕らは世界を解き明かそうとした
talking out the world
世界を解き明かそうと…

Hey, hey, hey……

this is only halfway
まだ途中経過だ

Hey, hey, hey……

this is only halfway
まだ途中経過だ

Truant kids,
怠惰な子供たちは
a can of brick dust worms
レンガの壁に蔓延る虫けらのように
Who do not want to climb down from their chestnut tree
自分の登った木の上から降りようとしない
Long white gloves, police check carefully
長く白い色の手袋をして、注意深く調べる警察の手から逃れて
Escaped from the zoo,
動物園から抜け出した
the perfect child facsimile is
本物になれなかった偽物の子供は

Talking out the world,
この世界を解き明かそうとしている
talking out the world
この世界を解き明かそうとしている

Hey, hey, hey……
Hey, hey, hey……

19/08/05 : 漫画『惡の華』論考・三・常磐と春日、そして「悲劇」の肯定

 仲村と春日の心中は失敗に終わった。そして、仲村に突き放された後、春日は故郷を去ることを余儀なくされ、別れを告げることも出来ないまま、仲村の前から去るのだった。

 こうして『惡の華』の中学生編は終わる。そして、次に『惡の華』の高校生編が始まる。物語は、あれから三年後の世界、大宮の高校で、春日が高校二年生として生活をしている場面から始まる。


 漫画『惡の華』について考える時、僕達には決して忘れてはならないことがある。それは、この物語においては、最後まで何も解決されておらず、また何の救済も与えられていない、ということだ。物語の登場人物は、最後まで過去の心の傷を踏まえた上で、その後の人生を生きることとなる。

 それにも関わらず、この漫画は、他の悲劇めいた雰囲気の漫画とは、間違いなく一線を画しているように思われる。そう、それは何故なら、この漫画が、主人公が主体的になる過程を描いた物語であり、また彼が受動から能動へと移り変わるための物語であり、そして彼が「悲劇」を肯定する物語であるからだ。


 再び個人的な話になるが、僕はこの漫画『惡の華』において、中学生編と高校生編のどちらが好きかとなれば、間違いなく高校生編の方が好きなのだ。

 中学生編だけでは、この『惡の華』は名作にならず、また「漫画」という狭い枠組みで語られる以上の存在になりえなかった。『惡の華』が物語として非常に優れており、またあらゆる文化的な産物の中でもとりわけ優れたものとして僕を魅了したのは、この「高校生編」の存在があったからである。

 高校生編において、物語には佐伯、仲村と続き、第三の重要人物である女性が登場する。彼女の名は常盤である。そして、彼女こそが春日が「悲劇」を肯定するきっかけとなる存在なのだ。

 僕がここで思い出すのは、ドゥルーズが「悲劇」について語った際の言葉だ。そう、悲劇とは本来「肯定」そのものなのである。多様なものへの肯定、これが悲劇的なものの本質なのだ。


 常磐と春日が出会ったのは、同級生たちによって開かれたパーティーにおいてであった。

 彼らは楽しくカラオケボックスで歌を歌っていたが、春日はただ一人、そこに馴染めずに、ただ暗い顔つきでその場をやり過ごしていた。やがて常磐がそんな彼に話しかける。暗いよね、君。これが彼らの初めての接触であった。


 あれから、仲村に突き放されてから三年が経った。しかし、春日は未だに仲村のことが忘れられず、過去を悔やみ、後悔のうちに毎日を過ごしていた。まさに彼は幽霊だった。まるで生きた心地がしない、空っぽな人間として日々の暮らしを生きていた。

 そんな彼にとって、当初の常磐は、自分とは正反対な人間に見えたに違いない。スタイルがよく、校内の男子生徒の噂になるほどの美貌の持ち主。性格は気さくで、その態度は明るい。社交的で、他校の生徒とも交わりがある。

 しかし、そんな彼女には誰にも言えない秘密があった。それは、彼女が実は読書家であり、また小説を愛する彼女は、将来小説家になることが夢だったのだ。

 彼女はこれを自分の友達の誰にも言っていなかった、もとい、言えなかった。そんなことを言っても、誰も自分のことを理解してはくれない、そう思っていたからだ。

 彼女には恋人もいた。他校の一年上の先輩であり、彼とはバイト先で知り合ったのであった。しかし、常磐は一度も自分の恋人を部屋に呼んだことがなかった。何故ならば、彼女の部屋には沢山の本があったからだ。彼女は自分の恋人にも「本当の自分」を見せなかったのである。

 時折、常磐はそんな自分のことを自嘲をした。彼女は自分のことを馬鹿みたいだといい、そして自分は「空っぽ」だと言った。


 春日と常磐が仲良くなったきっかけは、春日が彼女を古本屋でみつけたことに由来する。そこで、常磐ボードレールの詩集『悪の華』を片手に持っていた。

 春日は必死で彼女に話しけた。なんでボードレールを?彼女はそれに答える。私の読んでいる本に登場したんだ 。君も本を読むの?うん、読んでいたよ。でも、しばらく読んでいないや。それなら貸そうか、そのボードレールの出てくる小説を…


 こうして彼らの交友は始まった。それと同時に、春日は常磐のうちに、かつての仲村の姿を見るようになる。

 なるほど、常磐の性格は社交的であり、人付き合いがよく、校内から他校まで、友達も多い。そんな彼女は、一見仲村と正反対なように思われる。しかし、そんな彼女の「表」の顔は、皆演技であり、また仮面に過ぎない。絶えず仮面を被り続け、「演技」を続ける彼女は、そんな自分自身の虚しさと、幽霊のような行き場所のなさを、いつも、いつだって感じている。

 この絶対的な孤独、そして誰にも心を開かない自閉的な性格は、仲村のそれに共通しているものがある。それもあってか、後に常磐と仲村が初めて会った時、彼女は仲村に対して「あなたを見ていると昔の私を見ているようで辛い」と語るのである。


 次第に、春日はそんな常磐に対する依存を深めていく。生きる意味を見失い、空っぽな、幽霊のように毎日を生きる春日にとって、常磐は再び自分に人生の意味を、意義を、自己存在に価値を与えてくれる存在であった。

 そして常磐も、これまでに出会ったことのないような春日に惹かれていった。周囲の人間は常磐のことを不審がった。何故彼女のような人があんなに性格の暗い人間と?

 しかし常磐は、まさに春日が自分と同じ読書家であり、また自分と同じ「弱さ」を抱えている存在だと考えたからほど、春日に心を開き始めたのであった。友達にも、恋人にもいれなかった「自分だけの空間」、つまり自分の部屋に人を呼んだのも、春日が初めてだった。


 春日が常磐の部屋に入ると、春日は彼女の部屋にある本棚に目がいった。そこには大量の本が納められていた。春日はそれに見とれながらいう。

 「すごい…」

 常磐はそれに対して頬を赤らめ、恥ずかしそうに春日の近くに立っている。

 やがて春日は、本棚の中にある一つのノートを見つける。彼女は途端にそれを取り上げる。そこには彼女の小説の原案が書かれていたのだ。春日はそれを読ませて欲しいとせがむ。

 後日、春日はそれを読むことになるのだが、春日はそれを読んだ途端に涙を流す。すごい、この小説の主人公はまるで僕だ。そして泣き笑いをしながら、彼は常磐に言う。面白い。早く書いてよ、常磐さん。そんな春日の手を、突如常磐は強く握りしめる。ありがとう、私書いてみるよ。


 しかし、その晩の帰り道、春日は一つの事件を経験する。そう、街中で偶然にも、「中学生編」のヒロインの一人、佐伯に出会ったのだ。

 それから数日後、春日は佐伯と共に出かける。その時、春日は佐伯から言われる。

 「あのコも不幸にするの?仲村さんの代わりに自分をなぐめる道具にして、めんどくさくなったら捨てるんでしょ?卑怯だね」

 その頃、既に春日は深く常磐に依存していた。佐伯から常磐のことを聞かれた時、春日は常磐についてこう語った。彼女は小説を書いている。そして、彼女の書く小説は、僕があれ以来初めて見出した、生きるためのよすがなんだ。

 しかし、佐伯は春日のその言葉が、嘘であり、また欺瞞であることに気づいていた。だから上のような言葉を彼に対して吐いたのである。そして彼女は言う。

 「がっかりした」

 こうして佐伯は春日の前から去るのである。恐らく、もう二度と彼らが会うことはないのだろう。


 クリスマスが近くなっていた。常磐に対する依存を深める一方で、春日はいつまで経っても常磐に対してどっちつかずな態度を取り続けていた。春日が常磐に対して抱いていた感情、それは間違いなく恋であった。

 しかし、春日の態度は、まるで頑なにそれを否定するかのようであった。彼はまるで恋をすることが恥ずべきことであると勘違いしているようであった。そこには仲村の影があった。

 中学生編の時、春日が佐伯に対して告白した際に言った言葉を、この時僕は思い出す。

 「わ、わたくしと…純粋にプラトニックなお付き合いをしてください!」

 この言葉の中には、春日のコンプレックスの全てが浮き彫りにされている。そしてこのコンプレックスは、仲村の影響によってさらに深くなったものであった。つまり、自分のうちにある「低劣なもの」への憎しみ。これが春日のうちにはあったのだ。

 再会した佐伯が春日に放った言葉は、春日の心に深い傷跡を残すこととなった。そして、それがさらに常磐に対して思い切った態度を取らないことへと繋がった。

 つまり、彼は自分のうちにあるものを、「自分が常磐に恋をしている」という事実を、認めたくなかったのだ。彼はそんな自分を恥じているとすら言ってよかった。彼には、そんな自分が、仲村というものがいながら、簡単に誰かを好きになってしまう自分が、誰かに依存してしまう自分が、浅ましく思えたのだ。

 だから彼は彼女の小説にしがみつき、彼女自身を見ようとしなかった。彼女の小説は、彼が彼女に依存するいい口実を与えてくれた。これを理由に、彼は自分のこの感情が恋ではないと否定することが出来た。しかし、彼が自分の感情を否定しようとすればするほど、常磐は自分から遠ざかっていった。


 クリスマス当日。彼は常磐にメールを送ろうとした。しかし、それを何度も書き直してしまい、しまいには指を止めてしまう。

 やがて彼の耳には幻聴が聴こえ始める。お前は依存する対象を求めているだけだ。何もかもお前のせいだ。お前は不幸をまきちらしながら生きているんだ。

 春日は携帯電話から目をあげる。すると、今度はそこに仲村の幻覚が見える。

 「仲村さん…」

 ここで突然、春日は再び常磐のことを考え始める。そうだ、彼女はずっと一人で悩んで、一人で生きていた。そして、僕はそんな彼女の理解者になることで、自分の生きる意味を見出そうとしていた。しかし、それは間違っているんだ。

 春日は常磐が自分と同じように、幽霊のように一人で、孤独に、空っぽに生きていたことに気がついた。そして春日はここで仲村に目をむけなおす。

 「もうあの時の仲村さんはいない、永遠に…いるのは、今…この世界のどこかにいるはずの仲村さんだけだ。でも、僕には出来ない。一生幽霊の世界で生きていくなんて」

 そう独り言を呟くと、突然春日は走り出した。春日が向かった先は、常磐のバイト先であった。そこには常磐と、常磐の恋人が働いていた。

 店につくと、店頭にいた常磐に対して、春日は言った。

 「好きだ。僕と付き合ってくれ」


 春日は常磐に対して救いを求めていた。常磐に依存し、常磐の理解者という立場を得ることによって、彼は自己存在に意味と価値を与えようとしていた。

 しかし、それは間違っているのだった。そもそも、この世界には和解も、救済も有り得ないのである。なぜならば、それらは全て、自分が「悪」だと思っているものを、自分が「善」だと思っているものによって解決する、つまり「悪」に依存した「善」の表れでしかないからだ。

 善と悪の和解というものは、皆「善」を「悪」に押し付けることによってしか成立しえない。そして、それは欺瞞でしかない。だから、「悪」に依存した「善」という構図は、そのまま善悪の価値観の不純さを表している。

 この世界を生きていく上で、僕たちには救済も、和解もありえない。以前誰かに付けられた傷は、または以前自分が誰かに付けた傷は、そう簡単には消えない。もしかすると、それはいつまでも、死ぬまで、または死んでも消えないのかもしれない。

 生の苦しみから救われることを求めれば求めるほど、僕達は益々生きることに苦しめられることとなる。そして、誰かに救いを求めてすがればすがるほど、僕達はその誰かを傷つけて、救いはさらに僕達から遠ざかるのである。

 それでは、僕達はどうすればいいのか。そう、そもそも救いを求めなければいいのだ。

 救いがないということ、そこにこそ救済があるのではないか。つまり、過去の苦しみを解決しようとするのではなく、過去の苦しみを肯定してしまうということ。これこそが僕達に残された唯一の救いの道なのではないか、ということである。

 生きていく上で、僕達に救済などありえない。過去に分裂したものはそう容易に和解することもなければ、過去に受けた傷跡がたやすく癒されることもない。かつての暗い思い出たちだってそう簡単には解決しない。これが生きるということだ。

 そうだ。全てのものは本来無意味であり、無価値なのだ。しかし僕達は、それでも何かに意味を見いだし、価値を見出す。もっというなれば、僕達は何かに意味を見いだしてしまうのだ。そして、この「解釈」の過程が、僕達人間の文明と文化に多くの発展をもたらしたのである。

 誰かに依存して、誰かに救いを求めていては、いつまでもこの苦しみからは抜け出せない。だから、僕達は進んで無意味なこれらの苦しみを「肯定」するのである。そして、僕達はその先にあるものを、つまり「喜び」を見るのだ。

 春日は過去に傷を負った人間だ。彼は仲村を不幸にして、佐伯を不幸にして、そして周囲のたくさんの人間を不幸にした。彼の罪は、もしかすると一生許されないのかもしれない。

 それでもいい。それでもいいから、僕は常盤さんと生きたい。

 だから春日は走り出す。春日は自らの「悲劇」と、救いのなさを「肯定」する。そして常磐に告白する。告白の言葉を続けるにつれて、春日は涙を流し始める。その涙には様々な意味が込められているが、その中には間違いなく、彼の罪の意識の涙が存在する。君を好きになってしまった、ごめんなさい、ごめんなさい、このような感情だ。

 この場面は、僕がこの漫画の中でとりわけ好きな箇所である。春日が常磐に対して語る言葉は、全く素晴らしいものである。

 「僕がきみの幽霊を殺す。下りよう、この線路から。きみが好きだ」


 僕がここで思い出すのは、ドゥルーズが愛について語った、次のような言葉だ。

"(…)二人がどんなふうに理解し合い、互いに補い合い、互いに相手の中に入り込んで脱人格化を遂げるのか、それを確かめ、さらに相手を刺激しながら特異化していくという体験があった。つまり愛情だね。"

 常磐も春日と同じように、空っぽで、幽霊のように毎日を生きてきた。そして、そんな常磐だからこそ春日は彼女に惹かれ、そして、そんな彼女だからこそ、彼は常磐に依存してしまった。しかし、それではいけない。彼女に対して受動的でなく、能動的になることが必要だ。そして、彼がこの苦しみから抜け出すためには、やはり彼女の愛が必要なのである。

  過去の苦しみを肯定し、過去の経験から押し付けられたコンプレックスから抜け出すために、「喜び」を強化するということ。そして、誰かから救われることを求めれるのではなく、むしろ誰かを救えるような人間であろうとすること。他人に意味を求めるのではなく、自分から自分自身と自分の外部の存在に意味を与えるということ。そして、そのような過程に、つまり救いなき人生の過程に、「悲しみ」を肯定するほどの「喜び」を見出すということ、そのために生きるということ。

 春日の常磐に対する告白の中には、このようなパラダイム・シフトが秘められている。苦しみへの依存から、苦しみへの肯定へ。この救いのなさにこそ、僕達が救われる唯一の道があるのだ。


 春日の告白を受けた常磐は、その場で働いていた店の店長に自分が辞めることを伝え、そして彼女のかつての恋人の前から去る。

 やがて春日と常磐は無言で連れ立って歩みを進める。ふと、彼らは無意識に、お互いの手を握り合う。それがぴったし同じ瞬間であったため、思わず彼らは互いに顔を見合わせる。そして、まるで次にどう動けばいいかを知っているかのように、彼らはお互いを抱きしめ合う。二人の目には涙が浮かぶ。それは悲しみの涙ではなく、喜びの、感動の、「肯定」の涙だ。

 そして最後に一言、春日は次の言葉を口にするのである。

 「…ああ…あったかい…」

19/08/04 : 漫画『惡の華』論考・二・春日と佐伯について

 春日と佐伯が初めてデートをした時のことである。二人は古本屋へと向かい、そしてそこで、春日は佐伯に自分の好きな本のことを夢中になって話し始めた。萩原朔太郎アンドレ・ブルトンロートレアモン、そしてボードレール

 人が好きこのんで何かについて語るとき、その人は、それを好きでいる自分に対して誇りを抱いている。春日が佐伯に対してボードレールへの愛を語るとき、彼はそんなボードレールを愛することの出来る自分自身の存在に意味と意義を見出しているのである。


 そして、後に佐伯はこの時のことを回想し、彼女の友人である木下にこう語った。私はあの時、春日くんを羨ましく思った、と。


 春日は元々成績も良い訳ではなく、同級生からも「根暗」だとか「平凡」だとか揶揄されることの多い、至って普通な生徒であった。

 彼は父親の影響で本を読み始めるが、しかし彼が本の世界に、そしてボードレールの世界にしがみついていたのは、彼が心底から「本」を愛していたからでは無い。そうでなくて、彼は「本」の力を借りることで、「自分は他人と違う」と思い込みたかったのである。


 春日にとって、「自分は他の人が理解できないような本を読んでいる」という事実は、自分自身を優越感に浸らせることに繋がった。恐らく中学生の頃の彼は、普通に努力しては他の人達のように「特別」になることが出来ない、そう考えたのだろう。俺はそもそもが「普通」以下の存在なんだ。そして彼は、そのような劣等感を覚えていたに違いない。

 だから彼は本を読む。俺は他人と違う。俺は普通になれないのではなく、ならないのだ。俺は他人には理解できないことが理解できる。彼が本に依存した理由がここにある。


 さて、そんな春日の恋した佐伯は、比較的に裕福な家庭で生まれ育った女子生徒である。幼い頃から習い事を多くこなし、学校での成績も優秀、容姿も美しかった彼女は、まさに地方の狭い社会においては、自分が望まなくとも「神聖」にならざるを得ない存在であった。

 そして、春日が佐伯を愛した理由がまさにここにある。そう、彼女が彼の生きていた「田舎の学校」という狭い世界の中で「神聖」な存在であったから、春日は佐伯を愛したのだ。平凡な自分を忘れる現実逃避の一環として、彼は佐伯という少女を求めたのである。


 春日が佐伯に対して抱いている彼女は、ボードレールが彼のファム・ファタールに抱いていたものよりかは、むしろ「詩聖」ダンテがベアトリーチェに抱いていた感情に近い。

 ベアトリーチェは若き日の詩人の片思いの相手であった。ダンテとベアトリーチェは九歳の頃に出会っており、それから九年後、彼らは再び再会した。

 大人になったベアトリーチェとの再会はダンテに非常な衝撃を与えた。彼はその晚、『神様がベアトリーチェを抱きかかえながら、彼ダンテの心臓を彼女に食べさせる』という夢を見た。それほどまでに熱烈な愛情を、ダンテはベアトリーチェに寄せていたのだ。彼のこのベアトリーチェに対する愛は、情欲というよりかはむしろ狂信に近かった。

 そしてその夢の衝撃に囚われて、ダンテは一遍の詩を書いた。その詩は非常に美しく、僕はよくそれを愛読しているのだが、その一節をここに引用しておこうと思う。

"(…)〈愛〉の神は燃えさかる[私の]心臓をおびえる君[ベアトリーチェ]に食べさせ、/ 君が食べ終えると、君を抱いて泣きながら去りました"

 しかし結局、ダンテとベアトリーチェは結ばれることなく一生の別離を経験することとなる。何故なら、ベアトリーチェは若くして天に召されてしまうからだ。

 その頃、ダンテは別の女性と結婚をしていた。しかし、このベアトリーチェの夭折という事件は、ダンテがベアトリーチェの「神格化」を行うきっかけとなる。周知の通り、その後、ダンテは世界文学の傑作『神曲』を書くことになるが、その中で、彼は自身の最愛の女性ベアトリーチェを登場させて、『私を捨ててあんな女(無論、彼の実際の妻である)と結婚して』などと言わせたりしているのだ。

 ダンテ。なんと未練がましい男なのだろうか。「神曲」を読んだ実際の彼の妻の反応が気になる所である。

 ちなみに、実際のベアトリーチェは、ストーカーのように偏執的なダンテの愛情にうんざりしており、生前に別の男と婚約をしている。ダンテのベアトリーチェに対する愛とは、全く実際的なもの、現実的なものではなく、むしろ独りよがりで空想的な愛なのだ。


 十代から二十代にかけての少年(または青年)の多くは、自主的に行動することよりかは、むしろ自分の服従すべき存在を求めている。不安定な自己存在を確かなものとするために、自分が聞き従い、自分が頼り求めるべき存在を、若き男性の多くは求めているのである。

 ここにダンテがベアトリーチェに依存的な愛を寄せた理由が、そして春日が佐伯に信仰とも言える愛を寄せていた理由がある。

 春日にとって、佐伯は「神聖」な存在であり、また信仰の対象であった。自分を平凡な存在だと思い込みたくなかった彼、また他人と同じように喜びを共有できなかった彼は、「普通以上」であるがゆえに佐伯に惹かれた。彼女は他人と違う、そしてそんな彼女を理解できるのは、同じく他人と違う俺だけなんだ、恐らくこれが当時の春日の心境である。

 それ故に、佐伯が「普通」な恋愛を春日に求めた時、春日は佐伯に対する愛を冷めさせていくことになる。


 ある日、佐伯はついに春日が自分の体操着を盗んだことがある、という事に気がつく。しかし、佐伯はそんな春日に対して「体操着を盗んでくれたことは嬉しい」という。これが春日を困惑させ、そしてこれを機に、春日は佐伯を捨てて仲村のもとに走ることとなる。


 春日のうちには、仲村に似通った潔癖主義とでも言うべきものがあった。春日は佐伯の体操着を盗んだことによって、罪の意識に苛まれる毎日を送っていた。そして、彼はそんな自分を佐伯に受けいれて欲しくなかった。むしろ彼は、佐伯にそんな自分を軽蔑して欲しかったのである。

 春日にとって、佐伯は神聖な存在であり、信仰の対象、つまり「正しい裁き主」なのである。彼が佐伯を愛する理由は、彼女は自分と同じように他の低劣な奴らと違う、そう思い込んでいたからだ。

 だから、彼は彼女に「正しい裁き」を行って欲しかったのだ。自分が体操着を盗んでくれたことが嬉しい、そんな言葉は聞きたくもないのである。なぜなら、それは低劣であり、恥ずべきことだからだ。そして、そんな卑劣な自分を受け入れるようなことは、佐伯の潔白さを汚し、佐伯の価値を下げる行為なのである。

 しかし違う。佐伯は神聖な存在ではない。彼女は「普通の女の子」なのだ。


 冒頭の記述に立ち戻ってみよう。佐伯は、好きな本について熱く語る春日について、「羨ましいと感じた」と、確かにそう証言した。

 彼女はそれについて次のような詳細を語っている。自分は周囲の人間の期待に応えられるように生きてきた、大人達が「好きでいて欲しいもの」を好きでいるよう努めてきた。でも、春日くんは違う。春日くんは私に、「自分の好きなもの」を語ってくれた。だから春日くんは、本当の私を見てくれた初めての人なんだ。

 そう語る佐伯に対して、友人の木下は「佐伯は恋に恋をしているだけで、本心は仲村に春日を奪われたことが悔しいのだ」と言って、佐伯の主張を否定する。それはその通りなのだが、しかし同時に、佐伯の言い分にも真実が多少なりとも含まれているのである。


 佐伯は春日に、「神聖」ではない、ただの人間である自分を見てもらいたい、そう願っていた。しかし、春日が佐伯を求めたのは、彼女がまさにただの人間ではない「神聖」な存在だと、そう考えていたからである。

 ここに彼ら二人の愛の悲劇が存在する。

 春日は頑なに「生身の人間」としての佐伯を拒む。それに対して、佐伯は言う。「見てよ…触ってよ…私は人間なの!」

 佐伯は春日を巧妙に連れ出して、彼と二人きりになる。そして、彼を脅して、彼女は彼と性行為に及ぶ。

 そのとき、佐伯は言った。私としよう、全部許すから、ずっと一緒にいよう、春日くん。しかしそのような言葉を言えば言うほど、春日は佐伯を拒むのである。何故なら、春日のうちには仲村と似通ったもの、つまり「否定的なものへの批判」があるからだ。

 行為のあと、春日ははっきりと佐伯に告げる。僕は仲村さんが好きだ。これは、まさに佐伯が彼の受け入れて欲しくないものを受け入れようとしたからだ。そして同時に、佐伯は春日の思うような「神聖」な存在ではなかった。彼女は自分の忌み嫌うものを平気で受け入れる、「ただの人間」だった。これもまた、彼が佐伯を拒んだ理由の一つである。


 その後、佐伯は春日のいる前で仲村に言う。私、さっき春日くんとしちゃったの。

 春日は必死にそれを弁明しようとする。そして、そんな二人を交互に見ながら、仲村は言う。「本当に下らないね」

 佐伯はそれに対して逆上し、中村をぶつ。そして仲村に対する憎悪をぶちまけるが、仲村は突然、そんな佐伯を抱きしめる。

 この仲村の態度もまたニーチェ風である。ニーチェは考えた、争いは同等以上の人間の間でなければ産まれない、と。そして、仲村にとって、佐伯は「格下」の人間であった。だからこそ、彼女は佐伯と言い争うのではなく、むしろ佐伯を受け入れるのである。


 後に佐伯は、「春日くんと私がセックスしたことは仲村さんにとってショックだった」と回想しているが、それは完全に正しいとは言えない。仲村が春日と佐伯のを「下らない」と一蹴りした時、彼女は本心からそう言っているのである。

 仲村がショックだったのは、佐伯と春日が性交したことではなく、むしろ春日がその程度のことで動揺したことなのだ。それと同時に、恐らく自分の内側にある、春日に対する感情が裏切られたような感覚、これがショックだったのである。

 そういう意味では、佐伯の言うことには一理ある。それから数日後に、仲村は「どこへ行っても私は消えてくれないから」と言うからだ。


 話を元に戻そう。さて、佐伯が仲村に抱きしめられると、佐伯は泣きわめき始める。そしてついに彼女はいう。悔しい、どうして私は仲村さんじゃないの?

 この発言には佐伯の欲望の全てが詰まっている。他人に押し付けられた「自分」を演じている彼女は、それに反発しているからこそ春日に惹かれた。そしてそんな春日は、彼以上に周りから孤立している仲村に惹かれた。仲村は彼女佐伯とは正反対な人間である。そして、そんな正反対な人間に春日をねとられた彼女は、今や自分の存在を全否定されたも同然なのである。

 後日、佐伯はかつての仲村と同じ髪型、同じ服装をして春日の前に現れる。そして彼女は言う。「不幸にするのは私だけにしたら?」

 そして彼女は春日に再びセックスをしないかと誘惑するのである。

 しかし春日はそれを拒む。そして同時に、彼は仲村についてを言及する。「仲村さんはいつでも遠くを見てるんだ。誰よりも必死に…孤独に…遠くだけを。佐伯さん…キミは近くしか見てない」


 春日が仲村に惚れ込んだ理由は、春日と仲村が同じタイプの人間だったからでは無い。なるほど、確かに両者には共通点があるが、しかし彼らは根本的に違う人間なのである。


 依存の対象を求める春日は、その神聖さゆえに佐伯を愛していた。しかし、佐伯と交際を始めるにつれて、春日は「生身の人間」としての佐伯を拒むこととなる。当初の春日にとって、仲村は、そんな佐伯からの逃避の対象であった。

 しかしやがて、春日はある夢を見る。その夢の内容によって、春日は次のようなことを思い始める。

 「佐伯さんはオレなんかいなくても幸せに生きていく人だ。でも仲村さんは…あのまま…一人で…どうやって生きていくんだろう?」

 ここに春日が仲村に惚れ込んだ理由がある。仲村は春日と同じ弱さを抱えた人間だった。しかし、仲村は春日以上にずっと潔癖であり、独善的なまでに神経質であった。そんな仲村は、春日にとってある種の「憧れ」となったのだ。

 つまり、佐伯とは違う形で、仲村は春日にとって「神聖」な存在となったのだ。

 おまけに、今回は佐伯の場合と違い、仲村は目に見えて現実に苛まれている。誰かが彼女を理解してやり、救ってやらなければならない。春日はそう考える。そうして、彼女を救うことによって、彼は自分自身を救いたいのである。彼女という存在に依存することによって、彼は確かな自己存在を得たいのだ。


 夢を見たその晚、春日は目が覚めるとすぐ、仲村のために作文を書き始める。そして彼は、それを彼女の前で読み上げる。

 その中には次のような一節が記されていた。

 「僕は頑張って本物の変態になる。仲村さんを一人にはしない。じゃなきゃ僕は、一生後悔しそうな気がするから」


 この頃、既に仲村は自分と春日が違う人間であると気づいていたに違いない。しかし、それでも仲村が春日を受け入れたのは、やはり自分の理解者になってくれる人が目の前に現れたの嬉しかったからだ。

 それから春日と仲村にとって、短いが、しかし何よりも幸福な日々が続く。無論、それもやがて、佐伯の復讐によって壊れてしまうのであるが。

(個人的な話になるが、僕は『惡の華』の中学生編で、この部分…正確にいうなれば五巻の前半部分…が一番好きだ。やはりこの漫画で一番感情移入をしたのは誰かとなれば、それは仲村である。仲村には幸せになって欲しかった。それは僕がこの漫画を読んでいる際に絶えず思うことである)


 仲村が自分の内側にある「真実」をそのまま直視して、それを憎んでいたのに対して、春日はそんな「真実」(つまり内面性)を美化したいと思っていた。だから春日はイデア的な恋愛に惹かれたのであり、また仲村に対して盲目な愛を燃やしたのである。というのも、彼にとって、仲村との恋愛はロマンチックで、「美化」された、詩的な現実だと思えたからだ。

 しかし、仲村はその事実に気づいていた。だから、やがて仲村と春日が心中をしようとする時、寸前で仲村は彼を突き放す。それは、仲村が春日と自分の違いを知っていたからであると同時に、仲村が春日を愛していたからである。

 君には違う人生の可能性がある。彼女はそう考えて春日を突き放す。そして、仲村が最後の最後で春日を拒んだのは、彼女なりの優しさの現れなのである。

19/08/03 : Muse - Citizen Erased (和訳)

Break me in
僕を壊して
Teach us
そして僕らに教えて欲しい
to cheat
誰かを騙すやり方を
And to lie,
誰かに嘘をつくことを
and cover up what shouldn't be shared
何を隠蔽すべきかを

And the truth's unwinding
解き明かされた真実は
Scraping away
逃れ去っていってしまう
at my mind
僕の心から
Please stop asking me
だから求めないで
to describe
僕にそれを説明することを

For one moment
一瞬でいいから
I wish you'd hold your stage
君にはその場をやり過ごして欲しいんだ
With no feelings at all
沸き上がる感情を殺してでも
Open-minded
僕にはわかっている
I'm sure I used to be so free
君もかつては自由を感じていたと


Self-expressed
自分自身を表すことは
Exhausting for all to see and to be
僕らを疲れさせてしまう
What you want and what you need
人が何を求めているかを感じ取ってしまうから

And the truth's unwinding
解き明かされた真実は
Scraping away
逃れ去っていってしまう
at my mind
僕の心から
Please stop asking me
だから求めないで
to describe
僕にそれを説明することを

For one moment
一瞬でいいから
I wish you'd hold your stage
君にはその場をやり過ごして欲しいんだ
With no feelings at all
沸き上がる感情を殺してでも
Open-minded
僕にはわかっている
I'm sure I used to be so free
君もかつては自由を感じていたと


For one moment
一瞬でいいから
I wish you'd hold your stage
君にはその場をやり過ごして欲しいんだ
With no feelings at all
沸き上がる感情を殺してでも
Open-minded
僕にはわかっている
I'm sure I used to be so free
君もかつては自由を感じていたと


Wash me away
僕を清めて
Clean your body of me
僕も君の身体を清めよう
Erase all the memories
記憶を皆消し去ってほしいんだ
They'll only bring us pain
思い出はただ僕らを苦しめるだけだ
And I've seen
僕には分かっている
all I'll ever need
これから僕が何をすべきか


※あとがき
個人的な話になりますが、Museの中でもとりわけ好きな一曲です。自室に一人でいる時にはよくこれを弾き語りをしています。

歌詞の内容としては、作詞者マシューの個人的な感情と、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』を混ぜたものだと思われます。

19/07/31 : 漫画『惡の華』論考・一 ・仲村について

 漫画『惡の華』の前半部分、いわゆる『中学生編』には、三つの主要な人物が登場する。一人は非凡に憧れる平凡な少年、二人は非凡であることを強いられた平凡な少女、そして三人目は、非凡であることしか許されなかった非凡な少女。その名前は、上から順に春日、佐伯、そして仲村である。


 さて、『惡の華』という漫画のタイトルは、主人公春日の愛読書であるボードレールの詩集『悪の華』("Les Fleurs du mal")から取られている。

 春日は詩人ボードレールの語彙から多大な影響を受けている。彼は自分の意中の相手である佐伯を、心中で「運命の女性(ファム・ファタール)」と呼び、また「詩神(ミューズ)」と呼んでいる。彼が佐伯のことをそう呼ぶのは、間違いなくボードレールの影響である。

 しかしこの時点で、読者は春日がボードレールのことを誤解していることに気がつく。フランス文学の歴史において、「ファム・ファタール("Femme fatale")」という用語は、「宿命の女」つまり「関わった男を皆破滅に導くような魔性の女」という意味合いを含んだものであるからだ。春日にとって神聖な存在である佐伯と、フランス文学における実際のファム・ファタールとの間には、超えることの出来ない隔たりが存在する。

 さて、これは「詩神(ミューズ)」という言葉にしても同じである。詩神という言葉は、よくよく詩人にとって創作意欲の根源となる存在を比喩して用いられることがある。

 では、春日の敬愛するボードレールにとって、詩神とは一体誰だったのか。そう、それは彼の恋人たちである。そして、彼の詩を読む限り、ボードレールは自分の創作意欲の根源になった女性たちに対して、愛憎の入り交じった屈折した感情を寄せているらしい。

 例えばボードレールには次のような詩がある。

"怒りもなく、憎しみもなく、屠殺者のように、また岩を打つモーセのように、僕はお前を殴るだろう。"

 一説によると、上の詩は、彼ボードレールが一時期恋仲になった女性、ジャンヌ・デュバルに宛てたものだと言われている。

 しかし、そんなボードレールの詩を愛読する春日は、一体自分の好きな女の子とどんな恋愛をしたいと望んでいたのか。そう、それはむしろボードレールの反対なのだ。彼は佐伯と、プラトニックで、イデア的な恋愛をしたいと願っていた。そして、プラトニックでイデア的な恋愛は、ボードレールファム・ファタールとする恋愛とはまるで別物である。

 こうして、春日がボードレールの詩を誤解し、またファム・ファタールがなんであるかを勘違いしている状態から、この物語は始まるのである。


 そんな春日の言い分を嘲笑い、春日のことを、そして何より、彼にとって神聖そのものである佐伯のことを、「クソムシ」と言って一蹴りする少女がいる。

 彼女がこの物語の鍵となる人物、仲村である。


 ある日、仲村は春日に言う。佐伯さんは春日くんとせっくすがしたいんだよ、と。それに対して春日は怒る。佐伯さんはそんな人じゃない。何故なら佐伯さんは、俺にとって詩神(ミューズ)であり、また運命の人(ファム・ファタール)なんだから…

 春日の人生は、今、彼の目の前にいる、この仲村という少女のために大いに狂わされることとなる。そしてこの時、未熟な春日はまだ気がついていなのだ。佐伯ではなく、仲村こそが、彼にとっての宿命の女(ファム・ファタール)なのだ、と。

 ファム・ファタール("Femme fatale")、直訳するなら「死に至らせる女」とでも言えようか。

 では、春日にとっての真のファム・ファタールである仲村とは、一体どんな少女なのか。今度はそれについてを書いていこうと思う。


 中学生編の『惡の華』を、そして何より仲村の発言を読んでいると、僕はニーチェのことを思い出す。それも、ニーチェの著作ではない。僕は仲村にニーチェ本人の姿を見出すのである。


 さて、現代フランス最高峰の作家、ミシェル・ウエルベックが、自身の小説の中で次のような名文を残している。

"ニーチェはその海千山千の娼婦のような嗅覚で真実を突いていた。キリスト教は最終的に女性的な宗教なのだ。"

 ニーチェといえば女性嫌いでも有名である。彼は自身の著作『善悪の彼岸』で、自分が女性が嫌いであるということを主張するために十ページ以上を費やしている。

 では何故ニーチェはそれほどまでに女性を嫌ったのか。僕が思うに、彼の女性嫌いは一種の同族嫌悪なのだ。上の引用文の中で、ウエルベックニーチェの洞察力(嗅覚)を「娼婦のような」と形容していることに注目してもらいたい。

 ニーチェの本質的な部分は、男性的というよりかはむしろ女性的である。色白で、体が弱く、病気がちな哲学青年。そんな若かりし日の彼を、誰も男性的だとは思うまい。彼は自著の中で、よく肉を食うだとか、女の乳房は素晴らしいだとか、そんなことをよく書いているが、実際の彼は、一時期は胃が弱すぎて穀物しか食べられなかったし、何なら彼は生涯で一度も特定の女性と恋愛関係に陥ったこともないのである。

 ニーチェの哲学とは、そんな自分自身の弱さを否定することによって始まった、ある種の自己否定なのである。

 牧師の息子であり、大学で神学を学んだ彼は、やがて反キリストを名乗り始める。幼い頃に父に先立たれ、女性だらけの家庭に育った彼は、やがて女性嫌いを公言し始める。そして最後に、彼はあらゆる純潔な理想主義を嘲笑うが、彼の思想の根底にあるものは、神経質なまでに徹底した理想主義である。

 この自己否定、または自己嫌悪の思想とでも呼ぶべき性質が、ニーチェの哲学には一貫して存在している。ニーチェの思想は、その独創性が極まり、そして彼が人間存在の本質に近づくにつれて、ますます彼自身を否定して、彼と弱さが似通った存在(つまり女性)を否定し続ける。ニーチェという人物の魅力は、僕が思うにここにある。


 ここで僕は『惡の華』の仲村という少女の話に戻りたい。そう、仲村の性格は、上に書いたニーチェの性格と、驚く程に似通っているのである。

 仲村の発言に一貫した見られる性質は、自分の内面にあるものに対する嫌悪の感情である。仲村を苛む自意識。否定したくても否定しきれない、彼女の内側にあるもの。それに対する憎悪。

 これが仲村という人間を理解する鍵である。


 仲村は自分のクラスメイトについて、「みんなせっくすがしたいだけ」だと言う。そして彼女は何もかもを軽蔑している。しかし、彼女がそれほどまでなクラスメイト達を軽蔑したの理由は、彼女のうちにもそのような性欲があったからだ。そして彼女はそれを認めたくなかった。

 それならいっそ、自分のうちにある「認めたくないもの」を徹底させてしまおう。だから彼女は「変態」であるはずの春日に親近感を抱く。彼はほかの人間と違う。春日は他の人間と違って、綺麗事で自分の内側を隠さない人間だ。これが当初の仲村の心情である。


 仲村が春日のことを他とは違う「変態」だと呼ぶのには理由がある。そう、仲村は春日が佐伯の体操着を盗む場面を目撃してしまったのだ。

 そのために仲村は春日のことを「変態」だと呼ぶ。そしてその度に、春日はそれを否定する。僕は変態なんかじゃない。しかし仲村はそれに応えて言う。お前はずぶずぶの変態だ、と。

 仲村が春日のことを「変態」と呼ぶ時、仲村は春日に「変態」であって欲しいという感情を抱いている。自分の孤独、自分だけが周りに馴染めないという孤独、仲間が欲しいが、しかしあんな低劣な奴らと同じになりたくないという自意識が、仲村を苛んでいたからである。そんな仲村にとって、春日は生まれて初めて自分の目の前に現れた、自分の理解者となってくれるかもしれない存在なのだ。


 ニーチェと仲村の間に存在する共通点は、そのままドゥルーズルクレティウスやヒューム、そしてスピノザの哲学の中に見出したものと同様である。

 それはつまり、内面性への憎悪である。


 中学生編の終盤で、ついに仲村は、春日に対して直接的な暴力を働く。これまでは暴言だけでおさまってきた彼女が、ついに春日を丸裸にして、彼の体に傷をつけ、そして最後にバッドを振りかざして彼の頭を叩きわろうとする。

 しかし、それは未遂に終わる。代わりに仲村は言う、「どこへ行っても私は消えてくれないから」と。そして仲村は涙を流す。続けて仲村は春日に願う、「今度は自分の頭をバッドで叩き割るように」と。


 突如仲村の口から放たれた、この「どこへ行っても私は消えてくれないから」という言葉。僕はこれを勝手に補筆したいような欲求に駆られることがある。これを正確に書き直すならば、「どこへ行っても、私の内側にあるものが消えてくれない」となるのではないか。


 さて、ドゥルーズルクレティウス、ヒューム、スピノザニーチェについて語るとき、彼は上の「内面性への憎悪」の他にも、別の形容が含まれていた。

 それは「否定的なものへ向けられた批判」と「権力の告発」である。


 仲村は周囲の全ての人間を憎んでいた。表面上は綺麗に取り繕うが、裏では否定的なもので満ち溢れている彼らの言動を憎んでいた。その一方で、彼女は次のことを知っていた。自分の内側にも、私の内側にも、「否定的なもの」は存在しているのだ、と。

 私は全てを都合よく済ませようとする大人たち( = 権力)が嫌いだ。しかし、私の内側にも、その面影はあるんだ。それを消したくて仕方ない。私は、私の内面にあるものが憎くて仕方ない。私は周囲の人間のことを「クソムシ」と言って罵倒する。しかし、私自身も、自分の内側にある「否定的なもの」から逃れられないクソムシなんだ。

 だから彼女は春日に対して言う、「どこへ行っても私は消えてくれないから」と。そして彼に自分を殺してもらうことを願うのである。彼女は自分の内側にある否定的なものに対する嫌悪の念から、ついに死を願うのである。


 その一方で、仲村は次のようにも語っている。「ねえ、春日くん。この道はどこへ続いている?この先で全部死んでいる。私は死にたくない」


 前述の場合では、春日に殺してもらうことを願う仲村は、ここでは「死にたくない」と言っている。

 この謎を解く鍵も、やはり仲村の「内面性への憎悪」である。

 仲村が恐れていた「死」とは、自分が低劣だと思っていた内面における「否定的なもの」を、自分が受けいれてしまうことである。そうして、自分が今日まで軽蔑していた「クソムシ」どもと、自分が同等の存在になってしまうことだ。

 この仲村の行き過ぎた潔癖主義と、傲慢で独りよがりともいうべき神経質さは、やはり僕にニーチェを思い起こさせる。

 彼女は恐ろしく汚い言葉遣いで大人たちを、そして自分以外の生徒たちを罵倒する。それでいながら、彼女の心は他の誰よりも純粋なのである。まさに理想主義者を嘲笑いながら、その実誰よりも理想主義的であったニーチェと同様だ。

 そして仲村は、自分がこの「否定的なもの」に汚染されて、これまで自分がどうしても受け入れたくなかったものを、これまで自分が耐えず憎んでいた、自分の内面に存在するものを、そんなものを受け入れてしまうくらいなら、いっそ誰かに殺して欲しい。そう願うのである。だから彼女は言う、「どこへ行っても私は消えてくれないから」と。

 仲村が春日に暴行を働く時、彼女は他ならない自分自身を傷つけている。その人が他者にとる態度には、その人の精神状態が、少なからず反映している。自分が一番心を開いた人間を傷つける仲村は、同時に自分が一番心を開いた相手に傷つけられて死んでしまいたいと願っているのである。


 やがて仲村と春日は心中することを決心する。

 しかし心中する寸前で、仲村は春日を突き放す。その理由は簡単である。仲村は途中から、春日が自分と同じものを見ていないということに気づいていたからである。

 仲村の強烈な自意識は、最後まで彼女自身を苦しめ続ける。仲村の言動が自身の内面的なものへの憎悪、ニヒリズム的な憎悪であったのに対して、春日の内にあったのは内面の美化であり、内面的なものへの愛であった。春日はプラトニックな、イデア的な恋愛を求めていたからだ。しかし、仲村からすれば、それは嘘であったり、欺瞞であり、虚偽であった。

 仲村と春日は違う人間である。そして仲村の強烈な自意識は、そんな彼と彼女の間における意識の断絶に気づかざるを得ないのだ。

 では何故物語は二人を心中の寸前にまで追い込んだのか。それは、春日が仲村に惚れてしまったからである。

19/07/08 : Gazpacho - Dream of Stone

Summer nights in windows frame
窓の外には夏の夜々が広がり
the moon on your face
月があなたの顔を照らす
And when the night confines you in a desireless embrace
夜があなたを清い抱擁のうちに閉じ込めようとするのに
Then, if you don't believe it all the magic is dead
あなたはまだこの世界に魔法があるなんて信じているの?
And what becomes of little boys
ねえ、この子共たちはどうなっていって
who're lost inside their head?
彼らからは何が失われていくのかな

Well, if you don't receive the message
あなたが私の言うことを聞いてくれないなら
Then you'll know that I have failed
私は失敗してしまうの
The answer, in all honesty, is constantly in change
どんなに誠実な時でも、人は嘘をつくことしか出来ない
The beauty in a desert dawn,
砂漠の夜明けの美しさよ
the comedy of rain
雨の愉快さよ

Your will is gone, dreams will erase
あなたの意志が死んだなら、きっとあなたの夢も消えていく
You're hanging on by your fingernails
それでもあなたは指先で、何とか夢が消えていかないようしがみついている
Will someone bring me back again
誰も私を甦らせてなんてくれない
Night never needs a reason
夜に理性は必要ないの

The arrogance of love will always know
傲慢な愛はいつだって知っている
That when you close your eyes the truth is shown and born
目を閉じた時に、人は初めて真理を知ることが出来るのだと
To fall in love is such a dream
恋に落ちるのは夢を見るよう
It flies, to where it flies no one sees
恋は誰の目にも見えない夢を漂う
The darkest stone conceals a vein of gold
今や暗闇が光のむなしさを隠している

Detest me when I'm running late
私が鈍くなり始めたら私を捨てて
It´s a kiss of endings, kiss of hate
憎しみのキスと、終わりのキスをして欲しい
So what becomes of all of those who run away from home
家を捨てた人達はこれからどうなるのかしら
Your world keeps getting bigger and you're on your own
あなたの自我は大きくなり続け、あなたは自分自身になろうとしている

Home to no one, you're nowhere
あなたはどこにも自分の帰る場所がないのを感じている
The sandman takes you there
そして睡魔があなたに居場所を与えようとする
You'll be sleeping on the pillow where night becomes her hair
あなたは枕に埋もれ、女の黒い髪が夜の闇の代わりをする中で眠る
Climbing through the button hole and falling up the stairs
夢の中で、あなたはボタンの穴をくぐり抜け、階段の上をころげおちていく…

So go on now, sweet prince
だから行きましょう、可愛い王子様
and let me lead you on
私があなたを導いて上げる
Close your eyes to blindly look at the sun
盲目に太陽の光を追うことがないよう、瞳を閉じるの
You fall below the silver screen
あなたは今、銀幕の世界から転げ落ちた
Of knowledge it's a perfect dream
もう美しい夢なんて見ることが出来ない

Rubicon's old bridges burn
小河に架かる古い橋が焼け始め
You turn, they are ablaze
あなたは振り返ってその様を見ている
The great divine getting bigger
太陽の光が強くなり始めると
Tears sting your face
あなたは悲しそうに涙を流す

You'll be sleeping on the other side
このままでは、あなたは別の世界に行ってしまう
Where a smile becomes your fear
そこであなたは笑うことなく、怯えながら生きることとなる
Ladders lean against the wall
壁には梯子が架けられている
The well water is clear
井戸の水は清いまま
Kiss it and make it better
キスをして、この場から逃げるの
Kiss it and make it better
キスをして、この場から逃げるの

19/06/22 : Gazpacho - Chequered Light Buildings(和訳)

Chequered light buildings
シマウマ模様に光る建物が
Fallen from the sky
空から落ちてきて
Sway as they climb into your eye
君の目の中に写って揺れる
They're taller now
建物はあんなにも高くなっている…
Everything has changed
今や何もかもが変わってしまった
From an empty frame
虚しく窓の外を眺めると
Stares a distant face
誰かが遠くから僕を見ている

Can he see me?
ねえ、僕が見えるの?
At night and all alone
僕は夜の中で全くひとりぼっちなんだ
When I raise my hand to wave
僕が彼に手を振ると
The face is gone
今度は彼の顔が消えてしまった
Gone
どこへ行ってしまったんだ?

In a flash I see the face is mine
光の中で、僕はあれが自分の顔だとわかった
And swinging from the mantelpiece is why
どういう訳かそれが暖炉の上が揺れている
I said I could go back to the house where all we keep is keeping on
きっと家に帰ればまたいつも通りに過ごせるはずなんだ
Where everyone pretends that they belong and long and long
きっとそこに皆がいて、ずっと僕と一緒にいてくれるはずなんだ

If I tell you what I'm seeing
もし僕が何を見ているかを君に伝えたら
Can you tell me what is true?
君は僕に真実を教えてくれるの?
In the space between our feelings
ここは僕達の感情の狭間
There's a place for me and you
この場所は君と僕のためにあるんだよ
You
ねえ

There's a place for me and you
この場所は君と僕のためにあるんだよ