公開日記

その名の通りです

18/09/16 : 感情の浮き沈み

時々、何もかもが嫌になって、僕は全てを投げ出したくなる。もう何も見たくないのに、これからも僕は目を開きながら生きなければならないのか。僕は時々、早く消えてしまいたいと願う。ただ存在しているという事それだけで、僕は苦しくて仕方ない。

僕には、自分が何のためにこんなにも頑張って、必死で生きているのかがわからなくなる時がある。何のために?自分の誇りのために、他人のために、そして自分と他人の将来のために。そうだ、それはわかっている。でも、こんな事が本当にそれらのために繋がるのだろうか?誇りを持つことは良いことだ、見返りを求めない良心はただ誇り高きものにのみ宿る。人は、道徳的であるために、何らかの形で強い誇りを持つに必要があるのだ。他人のために何かをすることも、やはりいい事だ。それが一番、自分の心を満たす行いだから。そして将来のために、これが一番大切だ。未来は現在よりも遥かに偉大な存在だからだ。自分の今背負っている苦しみや、過去の全ての、忘れたくて、思い出すだけで泣き出したくなるような全ての苦しみを、みんなひと思いに笑えるようになる瞬間が、未来に存在すると、僕達は信じる必要がある。なぜなら僕は知っているからだ、人生にはこんな苦しみよりも、ずっといい側面があるのだと。なぜならこの目でそれを見て、この手でそれを触ってきたから。もし現在のような苦しみがこの人生の全体に一貫して現れているならば、そもそも僕は現在を「苦しい」とも感じないはずだ。あるものは、他のものと比較される事によってその意味合いが定義される。もし現在の苦しみが永続的に僕の人生を支配していたならば、僕はそもそも現在を「苦しい」とも感じない。その状態が、自分にとっての常識となっているからだ。平常時がずっと現在のようならば、僕はそれを「苦しい」ではなく「当たり前」と捉えるだろう。しかし違う、僕はこれが1時的なもので、時にはもっと素晴らしい喜びを味わう瞬間もあることを知っている。 トルストイの『アンナ・カレーニナ』の中で、青年貴族ヴロンスキーが恋人アンナのもとに馬を走らせて向かっている場面は、僕のそういった時の心境に非常に共感できるものがある。それを少しここに引用しよう。

 

《素晴らしい、実に素晴らしい!》彼はそう呟いた。彼は今までにもよく自分の肉体に対して喜ばしい気持ちを味わったことがあるが、しかし、今ほど我が身を、我が肉体を愛おしく思ったことはかつてなかった。[以前負った怪我によって]たくましい足に軽い痛みを覚えることも快かったし、呼吸する度に胸の筋肉が動く感覚も気持ちよかった。[恋人の]アンナにはあれほど絶望的な感じを与えた[事もある]、からりと晴れた、ひんやりとした八月の日差しは、彼にとって身を引き締めてくれるように新鮮なものと感じられ、冷水を浴びる時のように火照った顔や首筋を快く冷やしてくれるものだった。彼の口ひげから発散するポマードの匂いは、この新鮮な空気の中で、とりわけ快く感じられた。馬車の窓に見える全てのもの、この冷たい清澄な空気に包まれ、日没の青白い光を受けた全てのものが、彼自身と同じように、さわやかで、たのしげで、力強く見えた。落日の陽光に輝いている家々の屋根も、塀や建物の角のはっきりとした輪郭も、まれに行き会う人や馬車の姿も、草木のじっと動かぬ緑も、きちんとあぜ[畑の仕切りのようなもの]を切ったじゃがいも畑も、消えや、木や、藪や、じゃがいも畑のあぜの落としている斜めの影も、何もかも全てのものが、たった今描き終わって、ニスを塗られたばかりの、素晴らしい風景画のように美しかった。

(…)

《僕は何も、他の何もいらないよ、この幸福さえあれば…》彼は窓と窓の間にあるベルのボタンを眺め、最後に[恋人]アンナの姿を見た時の事を思い描きながら、こう考えた。《時が経つにつれて、益々彼女のことが愛おしくなっていく。おや、あれはもうヴレーデの国有の別荘[アンナの居る場所]の庭じゃないか。一体、あの人はどこにいるんだろう?(…)》

 

僕にはこの時のヴロンスキーの気持ちがよくわかる。何らかの明確な目的をもって現在に取り組んでいる時、そしてその行いが全く文句のないものである場合、僕達は皆このような気持ちに陥らないだろうか。つまり、全身に力や喜びのみなぎるような感じがして、目に映る全てのものが美しく、また愛おしく感じるのだ。たとえば電車の中で、僕は長くそれに揺られながら、本を読んでいるとする。お気に入りの音楽を聴きながら。そうして読書の世界に熱中していると、ふと思いたって、車両の窓の外に映る世界が見たくなるのだ。おお、そこに広がるのは広大な、遥かな偉大さをたたえた山々。純白と少量の影の混じった切れ切れの雲たち、そしてそれら全てを多い包む麗しの蒼穹!僕は思う、『この世界はなんて素晴らしく、また美しいのだろう』と。こんなに素晴らしい瞬間に恵まれながら、僕は自分の取り組みたい事に取り組むことが出来ているのだ!これは一体なんという幸福だろう?そして僕は、今目的地に向かいつつあるのだ…おお!人生!お前はあまりにも豊かだ!僕はお前を手放す気になれない…お前の苦しい側面など、この素晴らしさに比べれば何とちっぽけなものだろう!その時、僕には全てが、何もかもが、全く可能な事のように思えてくるのだ。人間には不可能な事などなく、こうして絶え間ない意志と努力を積み重ね、我が道を行くならば、やがて運命は僕の想いに答えてくれるような気がしてくるのだ。全てが、全てが素晴らしいような気がしてくる。今日までの僕の積み重ねた苦しみも、またこれから僕が積み重ねなければならない苦しみも、このように素晴らしい瞬間、いやもしかすると将来に用意されているだろうこれよりもずっと素晴らしい瞬間、その瞬間に出会えるのならば、僕は何度だってこの人生を生きたいような気がしてくるのだ。そして、もしかすると、これよりも偉大な瞬間が、僕の、いや、僕達の将来に待っているのかもしれないなんて!信じられるだろうか?それだけで、たったそれだけで、この人生は生きるに値するものではないのだろうか?お前に出会うために、我が喜びよ、お前に出会うために、僕は何度でも苦しみを乗り越えてみせたい、そう思えるのだ。

しかし、苦悩に襲われた瞬間に、僕はもはやそんな事も考えることが出来なくなる。たとえば僕は、他の人たちが楽しそうに笑っている中で、突然自分は何のためにこんな所にいるのだろうと感じることがある。何のために?この心は空っぽだ。僕は、僕は空っぽな人間だ!苦しい、何故こんな風に苦しみながら生きていかなければならないんだ?こんな苦しみにも意味があるとでも言うのだろうか。なんの意味が?おかしいじゃないか、僕はこんなに沢山の人に囲まれているのに、まるで生きた心地がしないのだ。どうして?どうしてこんなふうに苦しいのに、僕は外出したりするのだろうか?何のために?他人のため?誇りのため?将来のため?こんな事がそれの役に立つというのだろうか。苦しい、消えてしまいたい。早く死んでしまいたい。そんな思いばかりが頭に思い浮かぶ。何のために、僕はなんのために生きているのだろう。こんな惨めな思いをしながら、果たして生きる意味なんてあるのだろうか?僕は虚しい、何故この苦しみを推し進める必要がある?その先に待つ未来が偉大だからだろうか?それでも僕は、たとえ未来が偉大だとしても、こんな苦しみがずっと続くなら、こんな生きた心地のしない毎日がずっと続くなら、それでも僕は生きる意味や、僕が生きる必要は、果たして存在するのだろうか?愚劣じゃないか。こんな拷問のような毎日がずっと続くなら、それこそ死んだ方がマシだ。ああ、何もかも愚劣だ!馬鹿げている。苦しい。もういやだ。しかし違う、それでも僕は、意志を捨てずに生きなければならない。そうだ、僕は試されているのだ。いつかこの苦しみに耐えられるようになる日が来る。その時まで、僕はこの苦しみを押し進めればいい、そうだろう?でも、こんな風に生きて何になるのだろう。朝目を覚ます度に、僕は虚しさを胸におぼえている。ずっとこんなふうに、生きているのか死んでいるのかもわからないような心地を味あわなければならないのだろうか。まるで生きた心地がしない。心に空洞が空いたような気分だ。僕は以前からこの空洞の存在に気づいていた。しかしその大きさは日に日に広がるばかりだ。僕にはもう何もわからない。ただただ胸が苦しい、それだけだ…

 

それでも僕は前に進まなければならない。僕は知っているからだ、いつか必ず全てを笑い飛ばせるような日が来ると。未来はそのように辛抱強く信頼出来るもののもとにのみ来る。そして僕は、その未来のために現在を生贄として祭壇に捧げる祭祀なのだ。

 

あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。(…)では、(私に忠言をお許しに下さったのですから)私からあなたにお願いしましょう、そんな事は一切おやめなさい。あなたは外部へ眼を向けていらっしゃる。しかし、今何よりもあなたがしてはいけないことがそれなのです。誰もあなたに忠告したり、あなたを助ける事なんて出来ません。誰も。そこにはただ一つの手段があるのみです。自らの内側にこもりなさい。(…)あなたが[詩を]書くことをやめられたら、あなたは死ななければならないかどうかを、自らに告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最も静かな時に、自己の内へと深く掘り下げてください。そしてもしこの[「詩を書かなければ死んでしまうか」の問いの]答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」の返答をもって、あの真剣な[「詩を書かなければ死んでしまうか」の]問いに答えることが出来るならば、その時あなたの生涯を、この必然に従って打ち立ててください。あなたの生涯は、どんなに無関係で無意味に思える一瞬の寸秒に至るまで、全てがこの胸に突き上げてくる思いの現れとなり、また証明とならなければなりません。
(1903年2月18日、ライナー・マリア・リルケが詩人を志す青年フランツ・カプスに宛てた手紙からの抜粋)