公開日記

その名の通りです

18/11/23 : ヘラクレイトスと炎の周りを飛び交う蛾

蛾とは不思議な生き物だと思う。

僕はふと、夜道を歩いている最中に、自分の頭上で点滅している青白い街灯を見た。その時、街灯の周りには沢山の蛾が群がり、彼はその弱く、今にも消えそうで、不健康な光の周りを飛びまわっていた。

しかし、このなんともないように思える光景は、よく考えると、実に不思議なもののように思える。何故蛾は、月の光や、太陽の光には群がらないのだろうか。蛾は昼間を照らす太陽や、夜空に薄白いヴェールを与える月、またはその内で装飾品のように輝く星々のもとには飛んでいかない。もし蛾がただ光の周りを飛び回るのならば、今頃全ての蛾は、この地上を飛び去って宇宙への旅に向かっている事だろう。

しかし違う、蛾は人工的な光にのみ惹かれるのだ。蛾は人間の灯した炎や、または人間が人工的に生み出した電灯などの周りのみを飛び交い、ただそれら人工的な光にのみ惹かれる。してみると、蛾の登場とは、人間が火を発明してからだ、ということになる。宇宙に飛び立たない蛾は、人間が炎を生み出す魔術師となって以来、その魔法に取り憑かれるために生まれてきたのかもしれないのだ。


人々が「一般的なもの」として信じているものの根拠とは、それがその人たちの生まれる前から存在していて、「それが当たり前だ」と教え込まれてきたからである場合がほとんどである。つまり、一般的なもの、常識の多くとは、基本迷信によってしか成り立たないのだ。もとい、僕達はその迷信を前提にしなければ、生きていくことが出来ない。


火といえば、ヘラクレイトスは万物の根源を炎だと考えた、という話を聞いた事がある。とはいったものの、無論、これは比喩的な表現らしいが。ヘラクレイトスといえば、ソクラテスが登場する以前の哲学者だが、ソクラテス以前の哲学者は皆、自身の哲学を詩で表現したらしい。彼らは哲人であると同時に詩人であったのだ。

ヘラクレイトスは万物の根源を炎だと考えた。何故なら、彼は「万物は流転する」と考えたからである。この世にあるあらゆるものは変化し、うつろい続ける。それも争いを伴って移り変わるものだ。そして、それがこの世にとって普遍的な真理であるとするならば、この世において普遍的な真理とは、まさに「炎」のような存在に違いない。確か、これがヘラクレイトスの哲学観であったはずだ。炎は常に変化し続ける、それは燃え上がり、やがては消え、そして再びどこかで燃え上がる。そして、この「移ろい続けることが全てである」ということだけが、ヘラクレイトスにとっては、唯一無二の普遍的な(移ろうことのない)「真理」であった。


そして蛾は、そんなうつろい続けるものに惹かれ、やがて消え入る光の周りを飛び回り、そしてその光に焼かれて死ぬのだ。


優れた者の周りには優れていない者が集まるものだ。いや、もっと言うならば、優れた善人の周りには、優れていない悪人が集まる。それは、丁度人工的な光の周りに、蛾が集まるのと同様である。蛾は太陽や月の光には決して惹かれはしない。つまり、優れていない人間は、元々優れている人間、(言い換えるならば)生来から苦労をせずに強い力を手に入れた人間には惹かれない。そうでなくて、その人が過去に苦しみを負ったが故に強くなる人間、弱さを知っているからこそ優れた善人になろうと心がけている人間、人工的に優れた者となった人間にこそ、優れていない者は惹かれる、丁度蛾が人工的な光に惹かれるように。

人は、他人のうちに自分に共通する弱さを見出した時に、初めてその他人を近いものと感じ、好意を抱くことがある。善良であるということは、大体の場合その人の繊細さの裏返しである。そして、その人の繊細さは、その人の弱さから来る。善良であるとは弱点が多いという事でもある、と導くことが、これらの論理によって導くことも出来るだろう。


燃える炎の美しさ。僕は、幼い頃から火の燃える所を見るのが好きだった。火は、それの抱きしめたものを全て破滅させるが、その一方で、火の動くさまはどこまでも繊細で、軽やかで、眠りのように優しく、美しい。僕は幼い頃、焚き火の燃える様をずっと眺めては、それを美しいと思った。もしかするとそれは、炎がやがて消えて、移ろい変わり、再びどこかで姿を表すような、そんな弱く、繊細で、儚いものであると、知っていたからかもしれない、とするのは、あまりにも感傷的な意見だろうか?僕は小説的な人間ではない、感傷に浸るためにこんな文章を書いてはいないのだ。ただ、確かに炎は美しい。そして僕は、幼い頃から炎の燃え盛る様に魅せられている、その周りを飛び交う蛾なのかもしれない。


人工的な光の周りに集まる蛾は、やがてその光に焦がれて死ぬ。そしてその光もまた、やがて消えていくのだ。ヘラクレイトスは万物の根源を炎だと考えた。しかし、それなら彼は、太陽をどう思ったのだろうか?太陽は永遠に消えないかのように思える炎にやき尽くされながら、今も尚僕達の頭上で輝いているではないか。そこには、永遠に移ろい続けない、いかなる蛾を焼き尽くす炎と、決して焼き尽くされることのない球体が存在しているではないか。

太陽を好まないものは、暗闇を好む。そして暗闇を好むものは、暗闇にいる自分を照らす、たった一筋の脆く弱い光に惹かれるものだ。しかし、太陽もまた、大きな暗闇の内では、宇宙を照らすたった一筋の光なのかもしれない。では太陽の光の届かないところでは?果たしてそこには、より大きな光が存在するのだろうか?それは、もはや僕には何も言えないことだ。

何故蛾は人工的な光の周りに集まるのだろうか?いや、しかし、少なくとも僕は、弱さを抱えた光の周りに、弱さだけを秘めた光のない人間が惹かれる理由はわかる。それは先に書いた通り、その人の弱さに自分の弱さが共鳴しているからだ。ではそれから彼らが求めるものとは?弱く消え入りそうな光の周りを飛び交う人の、最も求めている事とはなんなのだろうか。

それは、きっと、その光に焼かれて焦がれ死ぬことなのだろう、そのやがて移ろい消える光と共に。それは丁度、やがて燃え尽きる炎の周りで、蛾が飛び回り、炎とともに消えて死に行くのと同様だ。