公開日記

その名の通りです

19/04/09 : かつての音楽趣味と救済について

かつて、音楽は僕の全てだった。僕には音楽しか無かった、と言っても、それは過言でないほどだった。


中学の頃はロックに熱中して、いつかバンドを組んでロック・スターになることを本気で夢に見ていた。でも高校に入ってから、結局僕が一番好きな音楽分野はクラシック音楽なのだということに気がついた。

それでもかつて、それこそ僕が十四歳の頃は、とにかく来る日も来る日もロックばかりを聴いていた。憧れの気持ちからギターも買った。「五年後の自分に宛てた手紙」という学校側から行われた企画で、当時の僕は五年後の自分に宛てて「将来は絶対にロック・スターになれよ!」と書いた。卒業アルバムの寄せ書きの部分の最後にも、「絶対にビッグになれよ!」みたいなことを自分で書いたりしていた。当時から僕は夢見がちな性格をしていたのかもしれない。

とは言っても、中学の頃に好きだったロックバンドやミュージシャンの多くは、今ではもう殆ど聴かなくなってしまった。The BeatlesPink FloydDavid BowieThe CureOasisNirvanaPearl Jam、The Smashing PumpkinsKornMy Chemical Romanceなんかも好きだった。

(けれどもバンドは、何度か誘われたこともあったし、また実際に組んだこともあったけれど、どれも長続きはしなかったし、まともな活動だってほとんどしなかった)


それから高校の頃、つまり十代の中盤から後半の頃は、僕の音楽趣味が非常に変わった時期であった。僕はやがて上記のロックバンドの殆どをまともに聴かなくなった。先述の通り、結局僕が一番熱中できたのはクラシック音楽であった。それから自分にはピアノしかないのだと感じたのもこの頃だった。


当時の僕は、ピアノを即興で弾いている最中に、ふと目を閉じながら、次のような空想に思い馳せたりしたものである。

目の前に何か非常に大きなものが存在するのを感じる。そして、僕はこの目の前にある大きな「何か」と向き合っている。僕はこの「何か」の一部を切り取って、それをピアノで表すわけだが、このような作業が、実は全ての音楽のうちで行われているのではないだろうか。

たとえば既存の音楽理論では、ある一つの観点からこの「何か」を捉えるわけだが、別の観点から「何か」を捉えようとする理論(または方法論)が、いつか発明されたとしよう。これが新しい音楽表現として持て囃され、今日までの音楽語法に革新をもたらす存在として扱われるのではないだろうか。それが西洋音楽の歴史においてはワーグナーであったり、ドビュッシーであったり、またはシェーンベルクだったりしたのではないだろうか。

たとえば目の前に一つの音の大きな塊があるとしたら、僕達はそれをそれぞれ異なったふうに解釈しているのではないか。そしてその異なった解釈、個人的な解釈、独創的な解釈が、新しい表現方法を生み、新しい音楽語法の発明に繋がるのではないだろうか。伝統的な音楽理論からでは、一つの場所からしか解釈を与えられない。もっと別の場所から解釈を与えることは出来ないだろうか。そしてもしこの別の解釈を発明することが出来たなら、その時僕は、全く新しい、独創的な音楽語法を発明したことにはならないだろうか。当時の僕はそう考えた。


このような空想にとらわれがちだったのは、おそらく当時の僕が、先述のような作曲家、つまりドビュッシーシェーンベルクに夢中だったからかもしれない。特にドビュッシーは僕にとって特別な作曲家だった。

かつて、僕はよくよく家出未遂のようなことをしていた。それで全く知らない都会に出て、宛もなく夜の街をさまよい、どことも知らぬカプセル・ホテルで一晩を過ごしたことも少なくない。夜食を買いにカプセル・ホテルの外に出ると、知らない街の灯りが冷たく僕を照らした。知らない車が僕のそばをとおりすぎた。知らない街灯が、僕の周りで僕を除け者にしてお喋りをしていた。僕は強い孤独と寂寥感を胸の内に感じていた。このままどこか、この街の暗闇の中に消えてしまうのではないかと、本気でそのようなことを考えていた。

そんな時、僕はクリスティアン・ツィメルマンの弾いたドビュッシーの「前奏曲集」を聴いた。このアルバムはもう何度聞いたかはわからない、少なくとも百回、いや二百回は聴いている。「人生は全てのものよりも重い」という不安な気持ちを和らげてくれたのは、間違いなくドビュッシーの音楽だった。特に僕は「沈める寺」が好きだった。美しく、荘厳であり、また幻想的である音楽。音楽が終盤に向かうにつれて、僕を照らす街灯が、僕の胸のそこに沈んだ泣き出したいような気持ちを照らし出すような気持ちがした。この静かな感動は、少なからぬ慰めを僕に与えてくれた。そしてこの感動は、僕の胸から将来に対する漠然とした不安を拭い去ってくれるような気持ちがした。

ドビュッシーシェーンベルクは、双方ともに当時のクラシック音楽に大きな影響をもたらした作曲家であった。特にシェーンベルクの方は言うまでもないだろう。無調音楽はシェーンベルクに始まり、ウェーベルンでその完成を見た。ウェーベルンに関しては、もう彼の死後から半世紀以上の時が流れているが、未だに彼の音楽を超える前衛芸術は存在しないように思われる。あれは音楽の北極点だ。あれ以上に前衛的な音楽は現在の観点からでは存在することが許されず、あれは音楽の示した一つの終焉なのだ。数百年に及ぶ西洋音楽の伝統は、ウェーベルンの偉大な作品によってその終わりを迎えたと言っていい。


自分だけの和声感覚、自分だけのメロディ、自分だけの美学。あらゆる音楽家は皆独創的でなければならない。あらゆる音楽は皆独創的であると同時に美しくなければならない。音楽に必要なのは美学であり、夢であり、個人的な技法、つまり様式なのだ。


そんなわけで、僕はとにかく聴けるだけ沢山の音楽を聴くことにした。独創的で、これまでの音楽語法に革命を起こすような音楽を創りたかったからだ。

クラシック、ジャズ、ロックだけではない。ヒップホップも聴いたし、ソウルも聴いたし、レゲエも聴いた。ブルースやフォークも聴いた。テクノやエレクトロの類、つまり電子音楽も聴いた。民族音楽にも手を出した。現代音楽も聴けるだけ聴いた。

ジョン・ケージの鍵盤作品全集(CD20枚組)も買ったし、メシアンブーレーズルトスワフスキの自作自演集も買った。ミニマル・ミュージックにはあまり好感が持てなかったし、ペンデレツキやシュトックハウゼンもあまり好きになれなかった。

レゲエならBob MarleyLee Perry、Peter Toshがお気に入りだった。ソウルはMarvin GayeDonny Hathaway、Prince、D'AngeloにFrank Oceanなんかに夢中だった。

ブルースなら戦前のシンガー達が好きだった。LeadbellyやSon House、Robert Johnsonなんかがお気に入りだった。フォークシンガーならNick Drakeが大好きだった。彼の音楽は今でも聴く、今でもまだ大好きだ。特にPink Moonは本当に何度聴いたか知らない。耐えられない迄の寂寞を感じている時、夜も眠らずに過ごしている時、そろそろ朝日が訪れて、迎えたくない一日の始まりを迎えようとしている、そんな憂鬱極まりないような時に、このアルバムを再生すると、何かこのやり場のないような感情がスーッと消えていくような感じがした。Pink Moonは僕の青春の音楽である。

テクノとエレクトロに関しては、一時期非常に熱を上げていた。なんと言っても僕の好きなバンド、RadioheadNine Inch NailsDepeche Modeなんかは、それらの影響を抜きにして語ることが出来ないからだ。Kraftwerkも良かったが、同じドイツ出身ならば僕はClusterの方が好きだった。Vangelisなんかも良かった。もっと現代に近い人達ならば、Massive AttackやPorstishead、AutechreBjork、Burial、James  Blake、Tim Hecker、Oneohtrix Point Neverなど。でも当時から絶賛されていたArcaに関しては、正直あまりピンと来なかった。今でもArcaの音楽に関しては(すごいとは思うけれども)否定的である。

(けれども一部を除いて、今では聴かなくなったものが殆どだ。結局当時は無理をして音楽を聴いていたのかもしれない)


何故僕がここまで音楽にしがみついていたかと言えば、前述の通り、僕には音楽しかなかったからだ。音楽に依存していた、とすら言っていい。僕は毎日ヘッドホンをつけて音楽を聴いていた。用事のない日は、家で自室から殆ど出ずに、ずっと音楽を聴いていた。当時の名残でか、今でも一日に最低四、五時間は音楽を聴いている。多い時は十二時間。寝ている時も、食事をしている時も、移動している時も、作業をしている時も、読書をしている時も、何もしていない時も、ずっと音楽を聴いている。

音楽への依存が深まったきっかけは、僕が精神的な危機を患っていた時のことに由来する。当時、とにかく不安な焦燥感に駆られていても立っても居られなくなり、両手を合わせながら部屋中をぐるぐる歩き回ったりしていた。あの言い様もない感覚は、どうしても文章にして書き表すことが出来ない。とにかくどうしようもなかった。胸が痛いほどに苦しかった。

そんな時、ふとした思いつきで僕はドビュッシーの「海」を聴いた。指揮はピエール・ブーレーズで、クリーヴランド管弦楽団との演奏だった。すると、ふと胸の内にあった黒く燃える炎のようなものが消えるような感覚に陥った。僕は部屋の中で足を止めて、歩くのをやめた。今度は睡魔が僕を襲ってきた。そのまま僕は倒れるように眠った、ドビュッシーの「海」に耳を傾けたまま。


プルーストクンデラは、文学、つまり芸術の中に自身の救済と、人生の意味を見出していた。

元々僕達の人生に意味などない。しかし、僕達は生きる意味を見出さなければ、この人生という重荷に耐えることが出来ない。だからこそ人生の意味を見出す必要がある。

プルーストクンデラの行き着いた答えは、文学を通して意味の無い人生を意味のあるものに変え、そこに人生の苦しみに解決と解答を与えようという、そのようなものだった。僕もに似たようなものだったのかもしれない。

僕は音楽に自分の人生の意味を見いだしていた。僕には音楽しか無かった。当時の僕は、いつか音楽で成功できないなら死ぬしかないと、本気で思っていた。いや、今でも心のどこかでそのように思っているのかもしれない。音楽で成功できなかったら死ぬしかない。音楽は僕の全てだった。


かつての僕にとって一番憧れだったのは、他ならぬKeith Jarrett(以下キース)だった。グレン・グールドにも憧れていたが、やはりキースとの出会いは僕にとって非常に大きな影響を与えた。

今でもThe Koln Concertを初めて聴いた時のあの感覚は忘れられない。まるでこの世ではないどこかに、薄い桃色の空と、永遠に続く青い草原の広がる世界に連れていかれるような感覚。独創的でありながら普遍的であり、どこまでも繊細で美しい世界が綴られていくのにも関わらず、そこには驚異と驚愕が満ち溢れている。

あの時からキースは僕の永遠の憧れであり、僕は死ぬまで彼の音楽を愛し続けるだろう。

クラシック音楽なら、ドビュッシーシェーンベルクの他にもJ.S.バッハモーツァルトメンデルスゾーンシューマンブラームスワーグナーマーラーリヒャルト・シュトラウスウェーベルンサン=サーンスフォーレラヴェル、サティ、ルーセルメシアンブーレーズスクリャービンメトネルショスタコーヴィチショパンシマノフスキルトスワフスキヤナーチェクバルトークシベリウスなどが好きだった。ここ一、二年はクープランやラモー、ラフマニノフミャスコフスキープッチーニにディーリアスなんかもお気に入りだ。


かつての僕は音楽に救いを見いだした。そして、それが正しいのだと思っていた。しかし違うらしかった。きっと僕と同じように多くの人が芸術のうちに救いを見出す時代が来るだろうと、そんなことを楽観していた時期もあった。そして、やはりそれも違うらしいのだった。

たとえば、これはキェルケゴールも書いていることだが、『女性の本質は献身』にある。他者との相互的な関係を求める女性の多くは、芸術のうちに救いを見出しがたい。女性の自尊心は愛されることを求める。女性が自分の恋人を選ぶ時に、彼女たちは自分が相手を愛しているかよりも、相手が自分を愛してくれるか、ということを重視することが時折ある(無論、そうでない場合もいるが)。そして女性の多くは、相手との相互的な関係の中で、自分の愛を相手に注ぐことで、自分の存在価値を見いだし、そこに救いを見出すということもよくあるのである。

その一方で、芸術作品とは無限に孤独な存在である。孤独でなければ芸術を愛好することは出来ない。しかし女性の半分は孤独というものを拒む、いや、若者の大半は孤独を疎ましく思っているかもしれない。そう、孤独に耐えられない人は音楽や文学の中に救いを見いだせない。そして、大半の人は孤独に耐えられない。

このことに気がつくまで僕は長い時間を要することになった。そう、僕は全ての人間が孤独に耐えられると考えていたのである。しかしどうにも違うらしい。もし多くの人が孤独に耐えられないのならば、僕が音楽や文学に救済を見いだしても無意味なのである。

僕は別に誰かを救いたいなどという、そんな大それたことを言うつもりは無い。ただ「救う」という言葉は、まるで上から下に手を差し伸べるようではないか。そうではなくて、僕も救われたいのである。僕も同じ下にいるのだ。だから僕も救いを得て、上へと向かいたいのである。だから、僕は誰かを救いたいのではない。誰かと共に救われたいのである。そのためには救済への道を見いだして、その方へと歩みを進める必要がある。全ての人が救いに預かる方法が、きっとどこかにあるはずなのだ。


しかし、孤独を知ることと、誰かを愛するということ、この二つが人生において最も重要なことであると言う僕の意見は、しばらくの間は変わらないだろう。