公開日記

その名の通りです

19/04/25 : ナショナリズムと狂気

孤独は悪ではない。孤独のうちに見出されることのある苦しみが悪なのだ。

時に、孤独は人を病的にすることがある。"Life is very long, when you're lonely(君が孤独なら人生は長い)"


ナショナリズムというものには二つの側面があって、一つは自己認識の一環としてのナショナリズムであり、もう一つはコンプレックスとルサンチマンの表れとしてのナショナリズムである。

ナショナリズムが悪だと見なされるようになったのは、実はここ最近のことで、恐らくその歴史は百年にも満たないであろう。

十九世紀においてはナショナリズムは正義であり、ヨーロッパ各地でナショナリズムの運動が起こっていた。もしかすると百年後には再びナショナリズムが正義になっている可能性だって大いにある。目の前の出来事に惑わされてはならない、全体を見ようとしなければ、ことの真相というものは見えてこないものである。

しかしナショナリズムが悪に陥りやすいというのは、ナショナリズムの持つ二つ目の側面からも明らかである。というのも、自分自身の持つコンプレックスと、他者から受けた苦しみによって生まれた復讐心から、人は他者に対して排他的になり、差別的になることが多いからだ。


天才とは一種の病気だ。しかし、勘違いしてはならない。病気に自らを全く委ねしてまうような人は、恐らく決して天才になることは出来ない。病気と争い、そして時に、病気に歩み寄る。そうして自らのうちに潜む病気と相克する者だけが、天才の道を辿るだろう。

人間の狂気のうちには、未だくみ尽くされないでいるものが多く眠っている。逆に言えば、人間の狂気の内には未だ多くの可能性が眠っている、という事でもある。

しかし、狂気のみに着目し、それのみを取り扱うということは間違いだ。狂気や悪といった、人間の負の側面だけに着目することは、既存の人間性に対する復讐に他ならない。そして、とりわけかつて人間に傷つけられたことのある人ほど、人間の醜さというものを過度に強調しようとする。それこそまさにルサンチマンの現れだ。

そうでなくて、狂気を知ることによって、狂気を克服しようとすること、それこそが大切なのだ。だからこそ狂気の内には多くの可能性が眠っている。人間の狂気を知り、人間の病を知ることによって、それを克服した新しい人間像を見出そうとすること。そのためにも、僕達はより人間の病的な側面に、人間の狂気に、触れようとしなければならない。


ロマン派音楽の代表的な作曲家であるフランツ・リストは、ある種独特なナショナリストである。というのも、彼の音楽から感じるのは強烈な民族意識と言うよりかは、むしろ国際性の強い普遍的な美しさだからである。彼の音楽の内にはフランス的な軽やかさと、ドイツ的な劇的な響き、そして眠りのように美しく柔らかな旋律、イタリア的な歌謡性が共存している。

ラザール・ベルマンの弾いたリストの「巡礼の年」を初めて聴いた時に覚えたあの感動は、僕の音楽的体験の中でも最も美しい出会いの一つに数えられるに違いない。しかし、どういう訳かここ一年近く、僕はリストの音楽を遠ざけていた。そして最近になって、久しぶりにリストの音楽を聴くようになった。やはりここには僕の理想とするものが確かにあるということが分かった。

憂いに充ちた響きと共に始まる音楽は、次第に無限に散る花びらに彩られた道を進むかのよう、鮮やかな色彩感覚をもって進行していく。そこに潜むのは青春の輝きであり、胸を締め付けるような美しい思い出たちである。愛と喜びへと焦がれるような想いと、憂愁な音色の面影を同時にのぞかせるフランツ・リストの音楽。彼の音楽の内には、ドビュッシーラヴェルをはじめとするフランス音楽にも通じる神秘的な叙情性と、その全てを打ち壊し、ただ暗闇だけが広がるような悪魔的なものが、確かに同居している。

そんなリストの音楽は、ロマン派のピアノ音楽の巨匠達の中では、ガブリエル・フォーレピアノ曲達と並んで、僕の音楽的な理想の一つである。

(無論、ロマン派以外となれば話は別となるが)


アメリカのヒップホップ・カルチャーを少しでも知っている人なら分かるであろうが、アフリカ系アメリカ人、いわゆる黒人のヒップホップ・ミュージシャン達は、お互いのことを"Nigga"と呼ぶ。これは元々黒人に対して使われていた蔑称であり、つまり彼らはお互いのことを白人による差別用語で呼んでいるのである。

多くのヒップホップ・ミュージックの根底にあるのは、マルコムXをはじめとするブラック・ナショナリズムを名乗る人々と同じ感情であり、それは自身が黒人であることに対するコンプレックスとルサンチマン、自己嫌悪、そしてそれらを全て含んだ憎悪的な自己愛と誇りである。

Kendrick Lamarの"The Blacker The Berry"という曲にそれを象徴する歌詞が含まれている。"My hair is nappy, my dick is big, my nose is round and wide / You hate me don't you? / You hate my people, your plan is to terminate my culture (俺の髪は縮れているし、俺のペニスはでかい、俺の鼻は潰れて横に広がっている / お前[白人]はそんな俺が憎いだろ? / お前は俺たち黒人が憎くて、俺たち黒人の文化を滅ぼそうとしているんだ) "


一方で、ナショナリズムそれ自体が悪であるということは決してない。むしろ、ナショナリズムは時に素晴らしい文化の萌芽へと繋がる。問題はナショナリズムの抱える二つの側面のうちの一つの方を昇華するということだ。


日本の個性というものは、それが無個性であるという点にある。日本という国は、よく言えば国際的であり、悪くいえば自分がないのである。

科学技術の進歩や文明の発展によって僕達人間の将来に幸福が訪れる、そんな事は決して有り得ない。夏目漱石は、ほとんど全ての日本国民が自らの国と将来を楽観視している最中で、日本の将来の破滅を予見していた数少ない人間の一人であった。そして、今や破滅は世界的な規模で見られようとしている。

このまま進歩と発展を重ねた先に僕達の世界が向かうのは、決して幸福な未来などではない。それは破滅だ。