公開日記

その名の通りです

19/05/18 : 孤独にまつわる小話

生きるということはリスクを犯すということだ。


多くの人は孤独というものを勘違いしている。人はみな孤独だ、それは避けがたい事実である。しかし、そんなことがどうでも良くなるほど、人と人との交わりは素晴らしいのである。

僕達はみないつか死ぬ。今日まで積み上げてきた全てはやがて消えてなくなる。そして僕達は皆塵となって忘れ去られる。

それがなんであろう。そんなものを凌駕するほどに、生きるということは素晴らしいのである。

それと同じで、僕達はみな死ぬまで孤独だ。しかし、孤独は人が自己を形成するための重要な要素だ。孤独だからこそ、人は芸術に熱中し、勉学に精を出し、自己研磨に勤しむことが出来る。孤独であるということは、何も悲観すべきことではない。

そして何より、孤独であるということを凌駕するほどに、誰かと紡ぐ愛情や友情は素晴らしいのである。孤独の苦しみを凌駕するほどに、誰かとの交わりは美しく、また喜びに充ちているのだ。

そういう意味では、孤独を悲観している人間は全員孤独を誤解している。孤独を悲観しない人間だけが、ただ孤独の最良の友であることが出来る。

そして、もし孤独に耐えがたさを感じる人がいたとすれば、どうか思い返してみて欲しい、ここにも同じ孤独を背負った人間がいるということを。そう、僕も孤独である。しかし、僕は孤独であることが悪い事だとは思わない。

確かに、孤独は担い難いものだ。それも大人になるにつれて益々担い難くなる。大人になるにつれて、人は子供の頃に信頼していた世界を失っていくからだ。幼年時代の自分が、少しずつ壊れていく、これが大人になるということだ。そして、この崩壊と共に、人は孤独に耐えがたさを見出していく。

しかし、人は自分と同じ苦しみに喘いでいる誰かを見いだした時、その人に親近感を覚え、そして自分の心の苦しみが少しだけ和らぐのを感じるものである。

だから、僕も孤独の中にいるということを、どうか思い出して欲しい。僕達は孤独だ、しかし、一人ではない。孤独であるが、寂しくはない。肉体は離れていても、心はいつだって誰かのそばにあるのである。孤独だけれど、ひとりぼっちでは決してない。孤独が苦しい時は、どうかその事を思い起こして欲しい。


大切なものはいつだって普通の言葉では言い表し難く、また目にも見えにくいものだ。そして、そんな大切なものの存在を信じること、今の僕たちに必要なものはそれなのだ。


物理的にはたくさんの人と繋がっており、今も尚周りにはたくさんの人がいるのにも関わらず、心から「繋がり」を信じられる誰かが何処にもいないということ。これが現代人の孤独に苦しむ要因の一つである。

繋がりを信じられる人間が何処にもおらず、その事で今あなたが苦しんでいるのならば、僕とあなたは「孤独である」という意味で繋がっている、そうは思えないだろうか。そしてその事を、つまり僕とあなたが孤独において繋がっているということを、どうか信じていただきたい。