公開日記

その名の通りです

19/09/10-11 : 思い出すこと

 十代の後半頃、僕は精神を病んでいた。月に何度か病院に向かい、そこで処方された服用する生活を送っていた。処方された薬は主に二つで、ドグマチールジプレキサだった。ジプレキサは(知っている人はご承知の通り)非常に強い効き目を持つ薬である。当時、受験勉強に精を出したいと願っていた僕にとって、それは僕の理性の働きを濁らす、まさに悪魔のような存在だった。だから、普段はそれを殆どとらずに、ドグマチールを規定量ずつ飲んで生活をしていた。ドグマチールだけでも、多少なりとも精神的な苦痛は緩和された(薬に頼る前、僕は絶え間ない精神的な苦痛を味わっていた)。

 しかし、そんな生活が半年ほど続いた後に、一つの事件が発生した。ドグマチールが効き目を持たなくなったのである。規定量を飲んでも、それは僕の精神を和らげてくれなかった。終わらない不安に苛まれる日々が、再び始まった。しかし、ジプレキサに頼ることは出来なかった。なぜなら、もしそれに頼り始めたら、自分はこれから廃人同然に生きていくことになるからだ。当時の僕はそう憶測したが、それは決して間違っていなかったように思われる。あれはそれほどに恐ろしい効き目を持った薬だった。

 そんな僕のかかりつけの医師は、その病院の院長であった。よって、僕は院長に訴えた、ドグマチールがもう効かない、と。しかし、院長はドグマチールの代わりの薬を用意しなかった。そうでなくて、彼はジプレキサの量をさらに増やしたのだ。

 この頃から、僕は一度の通院につきの薬の代金のために一万円以上を支払うこととなった。

 このまま精神科に頼っていてはいけない。このままでは僕の人生が終わってしまう。僕はそう感じた。以来、病院と薬に頼らずに、いかにして自分の精神的な危機を乗り越えることができるか、それが僕自身の課題となった。

 精神を病んでいた頃、僕は学校を休みがちだった。当時、今よりもずっと独善的な性格をしていた僕は、自分が学校を休んでいる理由を(保健室の先生以外に)話していなかった。見た目も当時は(ワックスなどをつかって)やや派手であったため、教師の多くからは素行の悪い生徒として見られるようになった。自ずと、クラスから浮き始めた。以前は普通に話していた級友が僕の陰口をヒソヒソと話していた。

 特に、学校でも重要な行事を通院のために休んだ後の日には、他人の先生から「私はあなたを絶対に許さない」と言われた。あれはとてもショックな出来事だった。僕は次第に学校での孤立を深めていった。

 しかし、そんな状況もついに変化を迎えた。唯一、僕の事情を知る保健室の先生が、僕の担任に、僕についてのことを話したのである。通院した次の日、僕はその事を知らないまま、普段通りに登校した。僕がいつものようクラスへ入ると、途端に野球部の知り合いの何人かが気さくに僕に話しかけてきた。何事かと思い、驚いた。やがて、彼らが台風のごとく去っていった。そしてその時、僕と仲の良かった友人の一人が、静かに言った。お前、通院しているんだって?昨日、担任が授業中に話していたよ。

 僕は彼から詳しい話を聞いた。その日、僕の担任の受け持つ授業である英語が行われた時、クラスメイトの一人が、僕のことを「今日もサボっている」と言ったらしかった。その時、あの担任が僕のことをかばったというのだ?違う、あの子は病院に通っていて…。

 僕はそのことを聞いた時、とても申し訳ない気持ちになった。僕はそのような他人の優しさを前にして、何も出来ないでいる自分を見つけた。僕はこのように人から優しくされた時、どうすればいいかがわからなかった。それからも、僕は彼らの優しさをつきのけて、独りよがりな態度を取り続けた。

 当時のクラスメイトの大半は、僕のことなど忘れて生きているだろう。しかし、僕は今でもあの頃の日々を覚えている。そして、それを強く後悔している。もっと他人の優しさに応えられる人間でいたかった。どうしてあの時ああしなかったのか。何故ああすることはできなかったのか。あの頃に戻れるなら、僕はクラスメイトの何人かと、そして担任とに、謝りたい。


 高校三年生の頃の日常は、僕にとって陰鬱な印象を保ち続けている。今でも覚えている。僕は三者面談の際、父に責められて、その場で過呼吸になってしまったことがある。急いでトイレに行き、個室にこもって泣きながら、少々、嘔吐した。

 僕はといえば、他人の前で醜態をさらしたとして、今でもその時のことを恥じている。

 当時、父は何としても僕の病気を認めようとしなかった。一時期は僕が痩せたことを、僕の体の弱さのためにして、胃カメラを入れる検査をさせたりした。父との確執が深まったのはあの頃が初めてであった。


 僕は学校が嫌いだった。文化祭にだって上手く馴染めなかった。しかし、本当はそれに馴染みたかったし、楽しみたかった。ただ、どうしても手が届かなかった。少なくとも、当時の自分はそのように感じていた。

 高校の終わりごろ、僕は下校途中に、偶然、さる同学年の男子生徒と遭遇した。その生徒と僕とは、ちょっとした因縁があった。彼は以前、僕のことを「女のような見た目をしている」として、半ばいじめていた人物であった(とはいっても、そんなに酷いことはされていない)。

 僕はその日、彼と一緒に帰路につくことにした。話していくうちに、彼が気さくで、優しい、とてもいい人物であるということに気がついた。そして、僕は気がついた。どうして気がつくのがこんなにも遅かったのか、と。もし、僕が違う態度を持って、もっと誰かに対する心遣いをもって生きていれば、もっと早くそのことに気づいたかもしれなかった。

 しかし、気づくにはあまりにも遅すぎた。それから間もなくして、僕は高校を卒業した。


 学生時代の後悔として、さらに大きなものが一つある。それは中学生の頃の出来後だ。

 一人の少女が、ある日僕達の学校に転校してきた。それは大人しい、内気な女の子だった。転校してきてから少し経つ頃、僕達の学校で行事が行われた。わけあって、僕はその子と行動を共にすることとなった。その時、僕達は初めてお互いに口をきいた。彼女は思った以上によく話す子で、僕に色々なことを話してくれた。以前の学校では不登校だったとか、ここ(僕達の学校)では上手くやっていきたい、など。こうして、僕達は友達になったのである。

 しかし、その日の終わりごろになると、事態は一変した。その子と僕が一緒にいる所を、当時、僕と仲の良かった男子生徒の数人がからかいながら笑ったのである。やめろよ、と笑いながら言う僕に対して、向こうはずっと下を向いて、無表情のまま、じっとしていた。彼らが去っていくと、その子は何事も無かったかのようにさっきまで話していたことの続きを話した。さらに次の問題が起きた。そんな心を開き始めた彼女の態度を見て、他の生徒達が「調子に乗っている」と陰口を叩き始めたのだ。彼らの声は大きかった。きっとあの子も聞こえていたに違いない。

 そして次の日、彼女は学校に来なくなった。

 その時の事で、僕は当時の同級生たちを責めるつもりはない。子供だから、過ちを犯すのは仕方の無いことだ。しかし、僕は自分自身に対して次のような疑問を抱くのである。あの時、もっと別な態度が取れはなかったのか。何故、自分たちを茶化しにきた友人を止めることが出来なかったのか。何故、彼女の悪口を言う生徒を見過ごして、「やめろ」と言えなかったのか。


 僕の現在は、自分がかつて後悔したことの積み重ねだ。できる限り、誰にでも優しくありたい。そして同じように、できる限りでいいから、誰かの期待に応えられる人間でありたい。なぜなら、僕は不特定多数の誰かに対して謝りたくて仕方ないからだ。

 こんな自分が間違っていることはわかっている。なぜなら、これは過去に対する反動であるからだ。過去に「悪」だと見なしたものに対して、今、このように復讐しているに過ぎない。それは間違っている。なぜなら、復讐心とは相対的なものであり、それはいくら相手に復讐を重ねても満たされるとは限らないからだ。

 あともう少しで、僕は自分の十代の影から抜け出せるような気がする。しかし、あと一歩、ほんの少しの何かがかけている。それさえ手に入れば、僕は十代の後悔の数々を克服できる。しかし、僕にはその自分に足りないほんの少しのものがわからないのである。


 近い将来に、僕は必ず家族との縁を切る。戸籍上の名前も必ず改名する。それは、家族を憎んでいるからでは無い。ただ、これ以上はあまり関わりたくないからだ。

 僕はキリスト教の洗礼を受けている。その理由はいくつかあるが、その一つとして、家族と同じ墓に入りたくなかったというものがある。

 洗礼を受けた当時は、家族との、特に父との確執が大きかった。今は特に恨んでもいないが、当時は泣くほど父が恨めしかった。人生で初めて殺したいと願った相手が、僕の場合は父だった。

 高校生の頃、僕と父は祖父の家に居候した。祖父の家には、僕と父と祖父の他に、叔父が暮らしていた。この叔父は色々と問題のある人だったが、父はそんな叔父のことを、裏で「同じ人間だと思っていない」と言って軽蔑していた。当時、僕はそんな父のことが許せなかった。

 差別というものは、自己肯定のために行われることが多い。下に見る対象を作ることで、自ずと自分自身を上に立たせるのである。つまり、差別とは間接的な自己愛の現れなのだ。当時の僕には、それが許せなかったのだ。

 しかし、今は誰も恨んでいない。昔を思い出したくないわけでもない。ただ、純粋にあまり会いたくないのである。家族のことは嫌いではない、それは本当だ。ただ、会いたくない、それだけなのである。

 キリスト教のおかげで、今の僕には家族と縁を切る口実ができた。しかし、何もそれだけのために改宗した訳では無い。もうしばらく教会には通っていないが、僕は今でも神を信じている。

 今でも、僕は聖書を時折開いたりする。そして今でも、僕は時折神のことを考えたりする。


 ブログの総アクセス数が七万を超えた。今日まで読んでくれた人、そして僕が今日までに読んで欲しいと思った人、その全てに、改めてこの場で感謝の念を言い表したい。今日まで僕のことを見守ってくれて、本当にありがとう。