公開日記

その名の通りです

あとがきに代えて (小説『神様の話』について)

 もう冬である。私は今、去年の冬のことを思い出している。それは私にとって、とても苦しい時期であった。

 あの頃、私は一つの願望を抱いていた。しかし、その願いは叶わなかった。今年に入ると、私はその願望の実現を今年の目標とした。当時の私は、ちょうど今頃には目標が叶えられていて、私はきっと幸せな毎日を送っているだろうと空想していた。

 しかし、全ての夢は裏切られるために存在している。いつものように、私の夢は叶えられなかった。こうして今、私は今年の冬を迎えている。

 今年に入ってから、私の生活環境は大きな変化に直面した。振り返ってみると、そのために得られたものも大きいのかもしれない。傍から見れば、私は上手くいっている、毎日を楽しそうに生きている人間に見えることもありうるだろう。

 しかし、私自身には、決してそうは思われない。私は何も手に入れていない。ただ喪失感だけがつきまとう。今では全てが他人事のように通り過ぎていく。

 私は過去を懐かしむ事を好まない。ただ、今と比較すると、やはり私にも楽しかったと思える時期がある。特に去年の初夏から夏にかけてのこと、あの五月六月から八月かけてのこと。あの頃は良かった。私の人生の中で最も楽しい時期だったと言っていいかもしれない。無論、嫌な事も沢山あった。しかし、私の毎日は喜びに満ち溢れていた。私は沢山の出来事を経験し、素晴らしい出会いにも恵まれた。出来ることなら、あの頃に戻りたい。

 かつては近かったものが、今でははるか遠くにあるように思われる。かつては全てがすぐ側にあったのに、今では全てが隔たりだ。皆変わってゆき、遠くに行ってしまう。

 私を取り囲む環境は目まぐるしく変化していった。しかし、何よりも最も変わったのは、他ならぬ私自身なのかもしれない。私のかつてからの知人たちは、きっと私を、遠くに離れてしまったと感じているのだろう。私は変わってしまった。そして、私はかつてから、遠くに行ってしまったのである。その感覚がとても、とても寂しい。

 私は今年、様々なことに試行錯誤した。自分が手に入れたいものを手に入れるために、様々なことを努力した。しかし次第に、私はその全てが無駄であり、無意味であったのではないかと思い始めた。それは少しずつ、徐々にではあるが、私を蝕んでいった。とても苦しい感覚であった。

 そして、私にそのような考えを強め、私の悩みを明確にし、それを深めるきっかけをとなった事件がある。私はそれをあまり言いふらすべきことではないと考え、普段はあまり口にせず、日記の中でも書かなかった。しかし、それは私にとって大変ショッキングな出来事であった。

 実を言うと先日、私はストーカー被害にあった。相手は友人の女性である。詳細は書かないが、相手は私の家の前に何時間か立ち、玄関の扉を蹴ったり、ポストから手を突っ込んだりした。

 しかし、その事については、別に何とも思っていない。何故私がその事に悩んでいるのかとなれば、それは、私の些細な言動が、相手がそのような行動をとるまでに追い詰めてしまったのではないか、という疑惑のためである。

 経緯について、簡単に書いておこう。相手の女性は私に好意を寄せてくれた。しかし私にはその気がなく、相手の気持ちには、はじめから答えることが出来なかった。しかし、私は必要最低限の礼儀として、相手の女性に優しく接しようと努めた。その結果として、私は相手を誤解させて、このような事件が起きてしまった。

 他人に善くあろうとすることは良い事だと思っていた私にとって、この事件はとてもショックであった。最終的に、事件は私が警察を呼ぶことで収束を得た。しかし私は、警察を呼ぼうと思うまでの数時間、きっと全ては無事に収まり、平和な和解が得られると信じていた。しかし、それは不可能であった。私は警察を呼ばざるを得ないことを知り、自分の考えが甘いことを思い知らされた。

 今回の件に際して、私はもっと別の結末があったのではないかと思った。はじめからもっと違った態度をとっていれば、このような事件も引き起こされなかったのである。全ては私の性格の弱さと、私の気の弱さに由来するものであった。あれ以来、私は非常に大きな自責の念に駆られている。何故あんなことになってしまったのか。防ぐことや、避けることは出来なかったのか。本当に、本当に後悔している。

 そして何より、こういう言い方はあまりしたくないが、私は、自分が本当に欲しかったはずのものを手に入れることが出来ず、全く望まなかった結果を手に入れたのである。今年、手に入れたものがこれである。こんなものは欲しくなかった。この事実は、私に大きな無力感を与えた。

 上の事件について、私は幾人かの知人にそのことを話した。そして、その内の二、三の者は、私がストーカー被害をあったことを羨んだ。確かに女性から愛されることは、男性として名誉のある事である。もしかすると、私の悩みは贅沢なものなのかもしれない。しかし、私としては、こんなはずではなかった、という気持ちの方がずっと強く存在している。そうだ、こんなはずではなかった。最悪だ。他人に嫌な思いをさせるくらいなら、むしろ忘れられた方がましである。このようなことは、私にとって、あまりにも不本意な出来事であった。もう二度と経験したくない。悲しく、辛い出来事であった。

 今、私には根本的な疑問が生じている。私は男女間に友情が存在することを心から信じていた。人間は、同性が同姓に寄せるような友情を、異性に対しても寄せることが可能である。私は今でもそう信じている。しかし、それにもやはり限界があるのではないかと思うようになってきた。

 たとえばであるが、男女が仲良くしているからと言って、それを皆恋愛的なものに結びつけるのは愚劣である。私はそのような話を聞くと、内心少し不愉快になる。しかし、街中で男女が二人きりで歩いているところを見れば、誰もが恋愛的なものをはじめに想像する。私がそのような事実から目を背けてきたことも確かであった。

 (これは私の性別に纏わる問題も関わっているのかもしれない。私自身は自分のことを男性だと思っている。しかし、私は見た目も名前も、あまり男性的ではない。自分の性格に女性的な側面が強く存在しているのは事実である。私の恋愛対象は女性であるが、女性と関わる際に、はじめから恋愛的な目で見られ、求められることは、私にとってとても苦痛である。私は先に友人として仲良くすることを求める。相手の女性が同じ女性に接するように私に接してくれれば、私自身としては、相手に恋愛感情を抱きやすい。しかし、そんな事はどうでもいい。話す必要も無い事だ)

 ここまでの文章を要約すると、私には一つことが言える。つまり、私はここ最近を通して、非常に強い精神的な危機を迎えていた、ということだ。

 今回私が小説を書こうと思ったのはその為である。

 私は小説を書いた。そしてそれを自分のブログに投稿した。それをこのように語ることは、私にとって生き恥を晒すことに他ならない。私にはそれほどの成果もなければ実力もないからだ。私には、自分のした事を偉そうに語る資格がない。

 しかし、誰かに読まれたい、誰かの胸に届いて欲しい、そのように願う気持ちは強く存在している。何人の人が読んでくれたのか、それはわからない。ただ、胸に届いてくれる人がいてくれたらと思っている。そして、自分が読んで欲しいと思っているような人に読んでもらえれば、幸いである。

 では小説の内容について、少し触れようと思う。

 設定はライトノベルを意識した。舞台が高校であるのはそのためである。以前から、私はアニメや漫画を意識したような小説を書くことに憧れていた。だから私は、この小説のタイトルを、そもそも『ライトノベル』というものにしようと考えていたほどだ。

 しかし結局、タイトルはそれでなく『神様の話』というものになった。リルケに同名の短編集があるが、それとはあまり関係ない。そして、タイトルの意味についても、あまり深い意味を持たない。ただこれを書く前から、私はこの小説を『ライトノベル』か『神様の話』と呼ぶように決めていた。

 話の筋書きについては、作家ジッドと詩人リルケの生涯を下敷きにしている。ジッドには、幼い頃から死ぬまで、愛していながらも一度も肉体を交えたことのない妻マドレーヌがいた。マドレーヌは幼い頃、自分の母の不貞を目撃しており、その事に非常なショックを受けたらしい。そして、そのようなマドレーヌを前にして、幼き日のジッドは彼女のために生きようと決意した。これが小説のストーリーの題材になっている。

 リルケの件については、主人公「私」の幼少期の思い出に反映されている。リルケは幼い頃に女の子として育てられた経験を持つ。だからこそ、彼は作家としての活動初期に、手紙でよく母に対する殆ど憎しみとも言うべき愛情を書き表していた。ちなみに、リルケの母は彼が少年の頃に亡くなっている。その設定も小説に反映されている。

 小説の他の主要なキャラクター、まゆりとりえ先生についても、それぞれモデルとなった人物がいる。特にまゆりには、マドレーヌ以外にもモデルとなった人がいる。それは現時点でも生きている女性で、わかる人にはひと目でわかるよう、私自身、意識して書いた。小説の冒頭で気づいている人もいるかもしれない。りえ先生にもモデルがいるが、こちらは実物とはあまりにもかけ離れている。

 最後に、この小説に出てきたような出来事を、実際にそのまま私が経験したわけではない。私の高校生活はこんなものではなかった。ただ、この小説は、私がここ二、三ヶ月を通して経験した精神的な苦痛の産物である。それは間違いのないことだ。書いている最中、私はとても苦しかった。誰よりも先に、私自身がこれを書くことを求めた。もしこれが誰かの慰めになってくれれば、私は幸いである。