日記

大体四日に一度の頻度で更新してる

22/06/19

 暗い感情にはそれ固有の優しさがある。時に人は、自らをいざなう甘い憂鬱に酔うこともあるだろう。絵の具がこぼれ、次第に空を染める紅色のよう、胸の内からは悲しみにも似た喜びが溢れ出る。じんわりと、じんわりと。今、心臓は夕闇に沈む。海に溺れながらも、なんの息苦しさも感じないかのように。憂鬱は人を安心させるのである。私は暗い音楽が好きだが、その理由の一つとして「安心したい」というのがあるに違いない。血は凍ってゆき、鼓動は落ちていく。目は座りながら、顔から表情が消えてゆく。その時、死の安息にも似た心地良さを覚える。優しい憂鬱を求め、何度音楽を再生したか。それは「今日までに食べたパンの数を覚えていない」のと同じである。

 血の騒ぎを鎮めた時、癒しを知ることができる。傍から見れば、それは現実逃避を求めているように思えるかもしれない。しかし、丁度疲れた人が眠りを求めるように、私はただ眠らずに見る夢を求めているにすぎない。実際、音楽を聴きながらボーッとしている時ほど癒しを感じる瞬間はない。確かに読書の際にも似たような印象に襲われることはある。たとえば次の描写に出会った時だ。「あの時、グランドホテルのボーイたちはテーブルの食器セットを並べながら夕陽の光に眩しそうにしていたし、すべて開け放たれたガラス窓を通して、夕べのほのかな微風が、散歩する最後の人たちが残る浜辺から、夕食をとる最初の客がまだ席についていない広いダイニングルームへと自由に流れていた……」

 実生活でこのような癒しを得ようとすると中々難しい。我々は何らかの意味において反動的であり、自らをルサンチマンと切り離すことができないからだ。こちらの感じているものが向こうにないと知った時、それだけで不満を覚えることがある。対象の不在に悩んだ後、そのものが到着したからといって苦悩が解決するわけではない。むしろ苦悩は解消されても後を引くことに特徴がある。たとえ望んだものが得られたとしても、苦悩の残り香はむしろ相手を困らせたいと願うだろう。結果として望んだはずのものが絶えず先延ばしになり、また悩み苦しむ時間が増えることとなる。同じことの繰り返しだ。

 嫉妬に燃え、執着心から互いを陥れ合う物語は、読む分には面白く、刺激的に思える。私もそういう小説は好きだ。しかし、その舞台に立ちたいとはあまり思えない。いつまでもツンツンして、互いにギスギスしていたら、得たいものも得られない。どんな関係であれ、時には猜疑心から「苦しみを注ぎ込む」こともあるだろう。しかし、常にそれでは疲れてしまう。ヘトヘトになり、何を望んでいたかすら忘れるであろう。それでは本末転倒だ。むしろ、我々に必要なのは穏やかな癒し、死のごとき優しさを含んだ安息なのではないか。やや宗教的な言い方になるが、私にはそういった、より深い愛が存在すると信じている。

22/06/15

 人は現在の都合によって過去の解釈を変化させる。大抵の場合、何かが好きだと公言することは、それによって自己を保とうとすることの表れである。ついこの間まで恋人への愛を声高らかに語っていた女性も、もっと感じのいい男が目の前に現れればそちらに気を取られてしまう。その男性と結ばれたら、途端に「彼氏」だった者の悪口を語り出すだろう。自分をいかに偽っていたかに気づき、次こそ「真実の愛」に目覚めたと信じて疑わない。しかし、そのせいで似たような愚行を繰り返すとは露ほども思わないのである。そう遠くない未来に、彼女はまた同じことを語るだろう。「自分は間違っていた、ついに真実に目覚めた」と。

 決してそれに該当する人々を責めるつもりはない。私にしても同程度の「しょうもなさ」を抱えているから。もとい、我々はそれぞれ (程度は違えど) 異なった「しょうもなさ」を抱えていると言っていいだろう。しかし、普段はそのことに気づかないのである。実際、どうすれば当たり前と思っていることの異常さに気づけるだろう?自分の欠点には目を瞑るが、他人のそれには異様に厳しい。あたかも自分が同じ「しょうもなさ」を抱えていないかのよう。しかし、それに怒れるほど立派な人間ではないということがどういうわけかわからない。我々の大半はそんなものである。

 同様のことは「不幸の演出」にも言える。他人の注意を引くために悲劇的な振る舞いをするが、いざ誰かが似たような不幸の演出をする様を見ると、それに引いて顔を背ける場合がある。誰かが勝手に設定した舞台に酔っている様を見ると、不愉快で仕方ない。自分は楽しくない時間をこれほど多く過ごしたのに、同じような苦痛を通らずヘラヘラしている人間が許せないのだ。よって、可能であれば相手を困らせたいと願う。それは今日までの苦しみのツケを支払わせるためであるが、いくら困らせてもそれが足りないように思えてしまうのは何故だろう。不思議なもので、意地悪な態度というのは、すればするほど益々したくなる。自分が感じたと思う「楽しくない時間」は、それほど多くの代償を求めるのだ。

 情熱に燃えたり、感傷に酔っている様は、ともすれば間抜けに見えがちである。それは我々が冷笑的なものをより頭脳的だと見なしやすいからだ。気の利いた皮肉の言える人、意表を突く冗談を口にする者は、それだけ頭がいいとしてもてはやされる (我々は話が上手い相手をそれだけ頭がいいと思いがちである)。実際、自分は冷めていて、陰鬱な感情に苦しめられているのに、目の前で不可解なほどドラマチックな振る舞いをし、身勝手にも自分を相手の舞台のヒロインなり王子様なりに仕立て上げる様子を見たら、誰しも相手を馬鹿だと思わざるを得ない。何故こんな間抜けに付き合わなければならないのかと辟易するだろう。

 しかし、そうやって他人を見下しがちな者が、同じような「しょうもなさ」を抱えていないと言ったら嘘になる。得てして我々には自分が演じたい役柄があり、それを実現してくれる舞台を切望しがちである。他人の不幸に愛着を覚えることがあるが、それは相手が「可哀想」なおかげで自分の欠点をゆるされるような気がするからだ。筋肉質で快活そうな者よりも、痩せ細い病弱そうな方に惹かれる人が多いのはそのためである。我々は弱そうな相手にほど心を許しやすいと思う。物憂い恋物語から感傷を汲み取るように、自分が美化される不幸の内に居場所を見出そうとするのである。

 社会とは力と力の関係である。そして、それは友情や恋愛のような密度の高い関係にも同じことが言える。自分の思惑通りするため、不機嫌になったり、怒ったり、あるいはその逆に媚びをへつらったり、愛想良くしたりする人が、一体どれほどいるだろう?もし実際に主導権が握れたとしても、そのために相手に優しくすることなど決してなく、むしろある程度「たかが知れた」からこそ、より傲慢な要求をするようになるだろう。

 これらは総じて「人間のしょうもなさ」として断ずることができる。しかし、一体誰がこれを責められよう。果たして少しでもこれに当てはまらない人がいるだろうか。それこそイエスの語った有名な言葉、「罪を犯したことのない者だけが石を投げろ」である。我々の有罪性は避けがたいものだ。贖罪を求めればいいというのではない。むしろ絶対的な「正しさ」を求めるほど、益々他人を裁き、自分さえも裁くようになるだろう。彼らの行く先にある願望はただ一つ、消尽すること、それだけである。

 我々に求められているのは、自らの有罪性を乗り越えることだ。しかし、それは償いによっては生まれない。穢らわしい世の中から少しでもマシなものが生まれるためには、むしろ自分の「しょうもなさ」を一旦認めて、他人の凡庸さを受け入れていく必要がある。そうして互いに受け入れあい、赦しあうことで、初めて立つことの出来るスタートラインがあるのではないか。確かにそれは傍からすれば傷の舐め合いに見えるかもしれない。しかし、今よりマシなものが過去か未来にしかないのだとしたら、先ずは自他の「しょうもなさ」を受け入れるしかないのではないか。

22/06/11

"Cause if we knew where we belong
 There'd be no doubt where we're from
 But as it stands, we don't have a clue
 Especially me and probably you"

 知的であろうとすれば、人は何かしらの形でスノビズムに陥らざるを得ない。知らないものについて語ろうとすることにこそ、知性の発展があるからだ。しかし、それで何も生み出せなければ「知ったかぶり」か「気取り」で終わることになる。ならば、こう言い換えてもいいだろう。スノッブであるとは知性に固有の罪であると。実際、誰がスノビズムから逃れられよう。恐らくは農夫のように素朴で、余計なことを考える必要のない人達のみがそれに当てはまるかもしれない。知的であるとは余計なことを考えること、暇を持つことに他ならないのだから。

 気取り、見栄、知識のひけらかし、あるいは知ったかぶり。これらはスノビズムの特徴だが、何故スノッブな人達はそのように振る舞うのか?理由は二つ考えられる。一つはただの人間であることに耐えがたさを感じるからだ。相手にそのつもりがなくとも、こちらには自慢話に聞こえる体験がある。他人の恋愛話を聞いていると、向こうにその気がなくとも勝手にこっちが僻んでしまう場合がある。それと同じで、相手が知らない本について話をしたら、自分にその気がなくとも向こうに「マウントを取っている」と思わせてしまうことがある (だから社交の場では知識にまつわる話がご法度とされる)。あるいは、相手が嬉々として話している事柄を自分が知らなかった場合、相手の話の鼻を折りたくないから、ついつい自分も知っている態で頷いてしまう。何にせよ、自分にない知識や体験を相手が所有していた場合、人はそれに劣等感を覚えやすいのである。特に自分の知らない喜びを味わっている者に対して、我々は嫉妬を覚え、それを禁止したい欲求を持つ (これらルサンチマンの発作から解放される唯一の方法は、何らかの形で相手が自分と同じくらい欠陥を抱えていると知ることである)。

 スノビズムが発生するもう一つの理由は、最初に書いた通りである。つまり、知性は自分の知らないことについて語りたがるのだ。それこそ知性に固有の情動だと言える。一つの本を読んだ影響で、それまで語らなかったことを口にしたり、決してしなかった行動に走ったりすることがある。たった十ページしか読んでない哲学書に影響されて、適当な言葉を口走る若者が、一体どれほどいるだろう (哲学書が不道徳であるのは、それを読むと本人もよくわかっていない言葉を大声で語りたくなるからだ)。小説や漫画においても同じような例は沢山ある。エマ・ボヴァリーは自分自身を覗くようにして小説を読む。本で読んたような恋愛を実人生でも求めるが、その先にあるのは夢と現実の乖離、理想と実際の違い、それがもたらす幻滅である。フィクションの美しさがあまりに印象的であったために、それを真実だと思い込んでしまう。現実で物語と同じように振る舞い始めるが、結局どれも空回りに終わる。そしてひとり勝手に破滅していくのである。このような人間が一体どれほどいるだろう。

 しかし、本が与えるこれら「情動的影響」とも呼ぶべきものは、決して悪いことばかりではない。知らないことを語ろうとするからこそ生まれる発見が、この世にはあまた存在するからだ。「自分が知らないこと、あるいは適切に知っていないことについて書くのでないとしたら、一体どのようにして書けばいいのだろう。まさに知らないことにおいてこそ、必ずや言うべきことがあると思える」とは、まさにその通りである。知的であろうとすることは、知らないことに顔を突っ込むことに他ならない。実際、自分自身の深淵を覗く以外に、いかなる読書が可能であるだろう?たとえ十ページしか読んでなくとも、そこには大きな発見があるかもしれないし、フィクションのおかげで可能になる現実生活もまた存在するに違いない。思考のフロンティアを開拓するためには、多かれ少なかれいい加減なことを口走らなければならないのである。それこそ知性の実験的な側面だと言える。

 スノッブ(気取り)、キッチュ(俗悪)、ルサンチマン(怨恨)は、我々にとって避けがたい性質として現前される。我々はそれに抗わなければならないが、同時にある程度受け入れなければならない。「個人の狂気は稀だが、大多数は常に狂っている」とはニーチェの言葉だが、彼は事実を語っていた。いつの世にも時代の批判者というべきものが存在するが、それはいつの時代も世の中の大半の人間が馬鹿だからだ。無論、それは私にも当てはまる。時には自分の間抜けっぷりに死にたくなることもあるが、この愚かさを援用しなければ開拓し得ない世界もあるのかもしれない。


 もっと創作活動に力を入れたいと思っているが、どうすればいいかがわからず懊悩する日々が続いている。私も二十五だ。ベートーヴェンによれば「男のすべてが決まる年齢」になる。彼の予言が実際に当たっているかはわからないが、それに焦りを感じないと言ったら嘘になる。

 創作活動に熱を入れたいと思う理由がもう一つある。それは、現実に飽きてきたということだ。まだ二十半ばの若造がこう語るのもおかしいかもしれないが、結構色んなことに飽きてきた。それに比べると、音楽や文学はすごいなと思う。歴史が長いだけあって、いくら触れても飽きない。まともに働いて生きていく将来も見えないし、自分にはこれしかないと思うが、どう翼を広げればいいのかがわからない。たとえ翼があったとしても、使わなければ広げ方を忘れてしまう。再び飛べるようになるまで、何度も地に落ちることになるかもしれぬ。考えるだけで気の遠くなる話だ。

 この「現実への飽き」は、別に最近になって感じ始めたものではない。ここ数年来、度々私を襲ってきたものである。しかしその都度「人生、やはり捨てたもんじゃないな」と思い直す機会を得た(もとい、そう思い込もうとしただけかもしれない)。それも結局、自分自身の倦怠から目を逸らし、ずるずると習慣を引き摺っていただけなのかもしれない。結果として今のようなくすぶりが持続しているならば、かつて何度も襲ったこの「飽き」の感覚は間違っていなかったのではないか。私は生きることに飽きてしまった。もうずっと前から飽きているのかもしれない。エルスチールのように、保養地にアトリエを持ち、そこで隠居するように妻と暮らし、時折通りすがる子供たちにちょっかいを出す生き方が理想的だ。しかし、実際の私はそれから遠く離れている。

22/06/07

 父と最後に会ったのは二年前である。時期はちょうど今と同じ頃だったと記憶している。それ自体、数年ぶりの再会であった。食事中、父は驚くべきことを言った。曰く「最近マッチングアプリを始めたんだが、会った相手にむちゃくちゃ金をせびられた」というのだ。かつてはあれほど武勇伝を語った父も、今や老いて、頭皮は薄くなり、やつれた顔をしている。「そうか、そりゃ大変だったね」と、私は思わず返した。

 驚きに駆られた反面、さほどショックを受けなかったのは、「そういう話」に慣れていたからだろう。小学生の頃、よく「再婚するかもしれない女性」が家にやってきた。学校から帰ると見知らぬ女性がいて、その連れ子と思われる少年が二人いる。私は子供二人と遊ぶことにして、父をその女性とふたりきりにした (我ながら気が利く子供である) 。かと言って、連れてくる女性がいつも同じであったわけではない。父は「婚活サイト」に登録していたのである。複数の見知らぬ女性が家を訪ねきたが、誰も父と同じ離婚経験のある方ばかりだった。時には運営する会社のオフィスに赴くこともあった。その際、何故か私も父に同行した。そして二人で、会社から「婚活」についての説明を聞いた。

 結局、父は再婚しなかった。ある日、いつものように連れてきた女性が帰ると、父が言った。「どうだ。お前らも、家族は多い方が嬉しいだろ。」それに対して、私と兄は返した。「いや、別に。そんなこともない。」「そう?」「うん、どっちかっていうといらないかも。」「そうか……」

 以来、父は「女性たち」を連れてこなくなった。私と同様、人の気持ちを考えるのが苦手な父は、再婚して相手の連れ子が兄弟になった方が我々が喜ぶと本気で考えていたのである。

 父と母が離婚したのは、私が小学生に上がる前後の頃だった。両親が別れた理由は二つある。一つは父の暴力だ。ボクシング経験があり、また元自衛官であった父は、時間に厳しく、怒ると手をあげることも少なくなかった。物を投げることもあった。私も数回ぶたれて鼻血を出したことがあるが、まだ可愛い方である。もっと酷かったのは私の兄二人だ (私は四人兄妹の三男であった)。特に長男坊のMは、予定があるにも関わらず時間通りに起床しなかったということで、父から蹴りを入れられた。結果として、兄Mは腕を骨折した。当時は高校生で、野球部に所属していた。しかし長い間、骨折のため野球ができない身体になった。だからだろうか。離婚して母方に引き取られて以来、兄Mは一度も父と会っていない。もっとも、私もこのMとは十年以上会っていない。言わば「生き別れの兄」である。我ながらドラマチックな話だ。

 離婚したもう一つの理由は、父が母の浮気を疑っていたからだ。離婚してからまだ間もない頃、母は当時の恋人と同棲を始めた。相手は私が幼稚園児だった頃の同級生の父親である。裁判の時、父は長男と次男の親権を獲得しようと必死になっていた。それは私と妹が自分の子供ではないと疑っていたからではないか?結局、父は私と次男坊のKを、母は妹と長男坊のMを引き取ることとなった。

 しかし、何故これらの内情を知っているのか?他でもない、父自身が教えてくれたのである。兄Kが大学のため家を離れて以来、私は父と二人きりで食事をする機会が増えた。父はよく、酔ったついでに「打ち明け話」をしたものである。上に書いた母の浮気への疑いの他に、少年時代に祖父から受けた暴行や、父が高校でいじめていた生徒の話を聞いたりした。仕事の愚痴、自衛官時代の思い出、「若い頃に女を引っ掛けた話」も聞かされた。正直、父のモテ自慢については「本当の話か?」と思わざるを得ないものが多かった。まるで漫画やドラマのような話が多かったからだ。しかし、その筋の通った鷲鼻や、外国人のように大きな二重まぶたから察するに、もし父が若ければ確かに異性から愛されそうな容姿だとも思った。

「お前が家を出たら、俺は毎日違う女の子とデートするんだ。」これもまた、酔った父がよく話す内容であった。「毎日違う女を抱く」とまで言わなかったのは、当時まだ高校生だった私を気遣ったからかもしれない。「月曜はあの子、火曜はこの子、と言った感じでな……」しかし、水道局で働く父に、そんな余裕と当てがあるとは思えなかった。

 時には暗い顔を見せることもあった。父には悲劇の主人公を演じて、自らの十字架の重さに酔いしれる癖があった。「俺は地獄行きだ。」突然、晩飯の最中に重苦しい顔つきで語り始めた。あたかも今日までの愚行を後悔するかのように。「今日まで最低なことを沢山してきた……」しかし次の日には、「馬鹿でもチョンでもできることだ」とか「同性愛は病気だ」とか、いつも通りの発言を繰り返すのである。

 私は多くの子供が当然のように抱く愛情と尊敬を父に寄せていた。そうすべき理由も勿論あった。母と離婚してまもない頃、父はそれを我々に悟らせようとしなかったのである。朝食の時間には、かつて母が作ったのと同じ料理を用意した。我々に母の不在を感じさせないためである。ただ、父の味付けは濃くて、おまけに子供にはとても食いきれない量だった。おかげで、私は何度もそれを吐き出すこととなった。

 明らかに、父は「善良な人間」になろうと努めていた。手をあげるのをやめて、怒ることも少なくなった。再婚相手を探したのも、無論父がそれを欲したのもあるだろうが、我々兄弟を気遣った面もあるに違いない。仕事の影響で、夜になっても家に帰らない日も少なくなかった。冷蔵庫を開ければ、昨晩から買い置きしてある晩御飯が用意されていた。一人でそれを食べていたのを記憶している。リビングは暗く、六人用のテーブルは子供ひとりには大きすぎるくらいだった。父なりに、我々に寂しい思いをさせない方法を探していたのである。

 成長するにつれて、私の父に対する尊敬は薄れていった。しかし、かつての罪を償おうとして、一個の人間として正しくあろうとする父の姿は、幼い私の目には立派に見えた。今ではむしろ、尊敬よりも憐憫を多く抱いている。父は明らかに結婚に向いた人間ではなかった。

 ひとりタバコをふかしながら、父はよく別れた母の名前を歌っていた。「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん……」そして、もう五年近く前になるだろうか、久しぶりに会った母の口から、驚くべき話を聞いた。なんと、父が母に再婚を申し込んでいたのである。それも突然の話だったという。理由は「家の管理をする人が欲しいからだ」と語ったらしい。当時、父は祖父の家に叔父と三人で暮らしていたが、その家は三人が暮らすにはあまりにも広かった上、祖父は呆け気味で介護する者が必要であった。しかし、そこには間違いなく語られざる理由も含まれていたに違いない。そして無論、母はそれを断った。

(しかし、もし父が母に多少なりとも未練を抱いていたとしたら、それは何故なのだろう?母は決して醜くなかったが、少なくとも私の目には美人にも見えなかった。しかし、若い頃の自慢話が本当だとすれば、別れたからこそ母に執着していたのかもしれない。手が届く時には何も思わないが、それが禁止された途端に欲しくなるという現象がある。世のプレイボーイ達は、関係性が不安定なものにこそ惹かれ、ひたすら相手の尻を追いかけ回すが、相思相愛になった途端に熱が冷めて、また別の女性を口説き始める。これと同様の話は女性もありうる。自分を口説く時には気取った態度を取るが、離れ始めた途端に相手に寄り添おうとする女性が、果たしてどれほどいるだろう?世の多くの恋愛は、不確実な関係がもたらす刺激を楽しむものであり、お互いを支え合う関係を得るためのものではないのだろう。)

 祖父の家を離れた今、父は2LDKの賃貸でひとり暮らしている。子供達からは嫌われ、親戚付き合いもなく、友人も尋ねてこない。孤独な老後が彼を待ち受けているだろう。因果応報と言うべきか、それとも同情すべき末路なのか。私にはわからない。それに、将来の自分がこうならないと、どうして言い切れるだろうか。父の子供である私もまた、彼と同じ呪われた血を引いているのではないか?事実、たとえ家庭を持ったとしても、充分に妻と子供を愛せる自信などないのである。

22/06/03

 生きるとは凡庸さを受け入れるということだ。ならば、何故こうも多くの人は非凡であることに憧れ、また凡人であることを蔑視するのか?なるほど、非凡なものが特別に見えるからというのもあるだろう (だからこそ人は病的に、あるいは不幸になろうとする)。しかしそれ以上に、自らの凡庸さに悩まされながらも、他の人達が生きる世界の「普通さ」に馴染めないと感じる。だからこそ非凡さを求める人も多いのではないか。そしてその最たる例は、恐らく「呪われた者達」と呼ばれるに相応しい類の人間である。彼らの罪は、憎悪から逃れられないこと、他人を許せないことにある。

 「天才とは病気である」とは、確かトーマス・マンの言葉である。天才であること病気であることを同一視するあまり、現代では才能や技術を磨くよりも先に病人の振りをする者が増えてしまった。しかし、あらゆる天才に病的な所があるのもまた事実かもしれない。病んだ人間は他が求めないものを、とりわけ超越的なものを求める傾向にある。その指摘はニーチェおよびドゥルーズ哲学の内にも見受けられる。「真正な人は結局、生を裁くこと以外のことは望まず、より優れた価値や善を打ち立て、そうしたものの名において裁くことができる。真正な人は裁くことに飢えており、人生の内に悪を、贖うべきあやまちを見て取る。それこそ真理という観念の道徳的な起源である。」

 プラトニックな理想、宗教的かつ禁欲的な世界観は、生を裁くために発明されたものだ。実生活に病んだ者は、それを憎悪するあまり、それが示すものの反対にあるもの、現実を超越した「善」を求め、健康的なものを「悪」と見なす。よって、真正な人、誠実な人、真実を求める人は、自ずと他者を排除していくこととなる。

 それはプルーストの描く嫉妬深い恋人に似ている。アルベルチーヌの真実を把握するために、『失われた時を求めて』の語り手は彼女を幽閉する。「事物や人々を閉じ込めること、これはプルーストがよく行ったことである。それは事物や人々の色彩を把握するためだ、と彼は言っていた (茶碗の中に出現するコンブレー、部屋の中に監禁されたアルベルチーヌ) 。」真理の探求者であることの第一条件は、嫉妬深くあること、復讐心に燃えていることである。周知の通り、自分を軽蔑している人は、自分と同じかそれ以上に他人をも軽蔑している。病的な人間は、他人の凡庸さに馴染めないという凡庸さを抱えているからこそ、他人と、そして自分をも裁くこととなる。

 一方で、イデアを求める傾向にあるからこそ、幻惑されやすいのも事実である。興味深いのは、禁欲的な人と依存体質の人には、どちらも似たような傾向にあるということだ。対極に見えて、彼らはどちらも幻影に惑わされやすい。恋愛依存の女性たちには、機知に富んで、もし自分と同じくらい文才があれば、自分では決して描けないような傑作を生み出すに違いないと思わせる人々がいる。しかし彼女たちはそれをしない。そもそも教養がなく、文学に興味が無いというのもあるが、それ以上にもっと直接的な快楽を求めているからでもある。この場合、「快楽」とは通常の意味と少々異なる。ドゥルーズプルースト論で指摘していたが、エロスとは共振の作用である。自分と共振するものと出会った時にこそ、我々は深い官能を感じることとなる。

(友情を蔑ろにして恋愛に走る人が一定数いる。それは、友情が社会的な感情であり、秩序に服することを求めるからだ。ラ・ロシュフコーの指摘に次のようなものがある。「大部分の女が友情にほとんど心を動かされないわけは、恋を知ったあとでは友情は味気ないからである。」三人以上の人間が集団を形成するためには、お互いの差異よりも全体の調和が必要とされる。互いに異なる点よりも納得し合える点を重視し、共通項を築き上げる (でっちあげる) ことで居心地の良さを醸し出すという点で、友情には社会的な性質がある。ならば恋愛は、互いの差異をむき出しすることにその特徴がある。それを踏まえるならば、官能を求めるとは、全体の調和を崩してでも自と他の差異を追求することである。よって、官能的なものにはそれ固有の反社会性、暴力性が備わることとなる。)

 たとえ作品を生み出したとしても、「知的で頭脳的すぎる」が故に、どうしても傑作とならない場合がある。ある人の美しさは、当人がそれに気づいていないからこそ一層深い輝きを持つ。一つの作品の魅力は、その作者自身にはわからないものだ。しかし呪われた者には、その真実を求める性格故に、自らの作品を徹底して理論武装しようと試みる場合がある。一字一句に至るまで自己と作品を正当化しようとするわけだが、彼らにはそのこだわりが作品を駄目にしているということがわからない。あらゆる芸術作品が身体的なもの 、感覚に直接訴えかけるもの、官能的なものであるということに気が付かないのだ。

 なるほど理論武装する者の誰もが傑作を生み出せないというわけではない。しかし時には、理屈も捏ねず、純粋に優れた作品を生み出す人がいるのも確かだ。しかしその内罰的な性格ゆえに、呪われた者はみずからを罰してやまないのである (病的な人間は、自分を裁くか、さもなければ他人を裁くか、そのどちらかに精を出さずにはいられない)。そして自分を軽蔑しているからこそ、自分を褒める人間が馬鹿に思えてならないのだ。ご存知の通り、我々が予測する他人の感情は、どれも我々自身のものの反映である。

 果たして誰が今ある個性を望んで授けられることだろう。自分の意志でこの世に生まれた者など何処にもいない。天才であれ凡人であれ、病的な人間にはそれ固有の特徴があるが、それを自分で喜べる人間はごく僅かである。むしろ大抵の病人は、自分の馴染めない「他者の世界」を憎み、あるいはそれに馴染めない自分自身を嫌悪することとなる。よって、彼らは一つの事しか望まない。消尽すること、ただそれだけだ。たとえ自殺しなくとも、自分を忘れさせるものに依存したり、それに耽溺したりすることで、他者なき世界に到達しようとするのである。

 一体どれほどの人が、自分で作った迷路から抜け出せず、絶えず同じ所に頭をぶつけていることだろう。人によっては、それを死ぬまで繰り返すかもしれない。その間も、彼らは自他を責めることをやめない。しかし、何故自分の間違いに気づけないのか。呪われていることに、罪深いことに気づけないのか。それは、自分を心底から悪い人間だと思えないからだ。後悔することができないからだ。呪われた人間の最大の特徴、それは罪悪感を覚えることが出来ないことにある。そして、だからこそ一層深く自分を責めることになる。他人が負い目を感じることに何も思わないことは、それゆえ益々劣等感と疎外感を刺激するものだ。そして益々自分と異なるものへの憎悪を深めていく。

 しかし、誰がそれを責められよう。そもそも、このように「呪われている」としか言いようがない人々について語る私自身、彼らと同じように罪深く、呪われた人間ではないと、どうして言い切れるだろうか。実際、呪われた者とそうでない者を区別する基準など無に等しいのではないか。ディレッタントの多くは、他人が喜びを覚えるものに馴染めなかったからこそ、逃避するがごとく芸術一般を愛するようになったに過ぎない。もし「皆」 の仲間入りができるならば、今すぐ本を閉じ、楽譜を破いて社会の一員になるだろう。一方で、研究なり創作なりというものは、ある程度人生に飽きた者でなければ没頭できないのも事実である。ただ現実に飽きた人間だけが、それを革新する能力を身につけることができる。

"……神経質な人の場合、いわゆる「感受性」が強い人のほどその利己主義も増大する。そんな人達は、自分自身の不快感がますます気になる最中に、他人の不快感を見せつけられるのが我慢できないのだ。"

 

22/05/30

 死別して以来、昔飼っていた猫の夢を度々見る。名はララという。ララとは十年以上の時を共にすごした。習慣が事実に靄をかけているのだろうか、今でも彼女が死んだことを不思議におもう。死に際に立ち会ったにも関わらず、玄関を開ければ、今でも迷子になった彼女が帰ってくるような気がしている。

 死が近づくにつれて、ララは次第に目が見えなくなった。歩き出せば何処かにぶつかり、声をあげては近くに誰かいないかを確認した。身体はやせ細り、その白く美しい毛並みも老いた筋骨を隠しきれなかった。宝石のように輝く翠色の眼差しは、閉ざされ、目元にはめやにが溜まった。排泄も決まった場所で出来なくなり、眠る時は狭い物置に閉じ込められた。すると、今にも喉が潰れるのではないかと思うほど大きく、不安そうな声で鳴くのであった。それは寂しさに耐えられず、何処までも続く暗がりに自分以外の存在を探しているかのような声であった。私には耐えられなかった。抱き上げると、ララは健やかに眠り始めた。静かに、私の腕に埋もれながら、安らかな顔をして。

 我々の内で最も深く、また最も病的でもある愛情は、自分より深く相手のことを大事に考えてしまう性質をしている。思い出されるのは、『失われた時を求めて』の語り手が祖母と初めて電話越しに話した際の描写だ。「その時の胸を締めつけられる激しい不安は、遥か遠い昔のある日のこと、幼い子供だった私が人混みの中で祖母とはぐれた時に感じた不安と同じもので、それは祖母が見つからない不安であるより、むしろ祖母の方が私を探していると感じる不安であり、あの子はきっと自分を探しているに違いないと心配しているのを感じる不安である。私がこれからそっくりの不安を感じることになるのは、もはや二度と答えることのかなわぬ相手に、せめて生前に言いそびれたことを残らず聞いてもらいたい、こちらが病気でないと知らせて安心してもらいたいと願って語りかける、そんな日がやってきた時であろう。」

 無際限に広がりながらも、自分を閉じ込めてやまない暗がり。それに対して彼女は叫ぶ。悲痛な声を絞り出せば、誰かが自分を救いにやってくるのではないかと期待するように。永遠の別離が近づくにつれて、私は一層深く彼女を愛するようになった。それは私がララを愛していたからでもあるが、それ以上にララが私を必要としていたからであった。人の気配がないと、彼女はほとんど声をあげなかった。ただこちらが帰宅し、扉を開けた途端に、彼女は鳴き始めた。自分はここにいる、見つけてくれ、ここから出してくれ、そばに居ると言ってくれ。あたかもそう訴えかけるように、不安に枯れた喉からこぼれた。その頃、私は病んでいた。日に日に弱っていく彼女を前にして、時には煩わしいと思うことすらあった。大学受験を考えなければならぬ年齢でもあったから。しかし、もしここで突如ララと離れて暮らすことを強いられたならば、私は自分の将来を犠牲にしてでもそれを阻止しようとしただろう。

 愛情は主観性の病だ。我々がより深く愛するのは、それだけこちらの想像力を刺激してくれる相手である。そして健康的な愛情は、自らの利己心を満たすために他人を求める。よって、この時私の抱いていた愛情は非常に不健全なものであった。それは、ララが不安に苦しんでいると考えるからこそ覚える愛情だったから。しかし同時に、生涯でこれほど美しい愛情を覚えたこともなかった。自分以上に誰かを大事に想うなど、これが初めてであった。

(このように、病的なものにはそれ固有の美しさがある。そして時に、人はそのために病的なものに惹かれることとなるだろう。)

 彼女の死に際については、今もよく記憶している。その日は普段なら覚えないような胸騒ぎに駆られつつ帰宅した。何故かは知らなかった。しかし、何かある気がしてならなかった。玄関を開けると、真っ先に自室に向かい、普段ララが過ごしている物置を開けた。そこには、力なく横たわった彼女の姿があった。苦しそうな吐息を漏らし、微かに身体を震わせている。ああ、ララ。私は大きな声をあげた。しかし、次の瞬間には自分でも驚くような行動をとっていた。彼女を抱き上げると、寝床に向かい、私の傍に横たえたのである。昔はこうして、彼女を腕に抱きながら寝たものである。在りし日のように背中を撫でると、私は愛おしそうに我が腕に眠る恋人を見つめた。そして、気がつけば眠りに落ちていた。しかし眠りは短かった。十分足らずの微睡みから起き上がると、ララは既に息絶えていた。その日、私は初めて過呼吸になった。

22/05/26

 キリスト教徒であった頃、私は比較的熱心な信仰の持ち主であった。墓場のように暗いメソジストの教会は、私を含め、人生に打ちのめされたような顔をした人が多く集まった。夜の帳が下りる頃、日曜の礼拝堂で神にお祈りを捧げた。無論それは昼にも行われたし、参加者は昼の方が多かった (そもそも教会によっては昼しか礼拝を行わない)。けれども、私は夜の教会が好きだった。その静謐さと、暗がりに光る大きな十字架は、闇夜にともる唯一のあかりのように思えた。

 教会の牧師は優れた人格者であった。教会に集う信徒は皆、この牧師を慕い集っていたと言ってよかった。牧師は誰をも拒まなかった。悩める者には耳を傾け、ホームレスには金と食事を与えた。そして誰をも傷つけなかった。だからだろうか、牧師の顔には、いつも仮面のような微笑が張り付いていた。彼の優美な物腰に反して、そこには冷たい、氷のごとき印象が漂っていた。それは知的なものに固有の冷たさであり、硬質さと言い換えても構わなかった。牧師の思慮深そうな額と、眉間に刻まれた険しいしわは、一層強くそれを感じさせた。

 新約聖書で最も好きな箇所は、ローマの信徒への手紙第七章である。教会に通わなくなったのは、今から約四年前のことだ。それから少しづつ信仰心は薄れてゆき、今では立派な無神論者、あるいは唯物論者だ。しかし、その箇所だけは今なおよく思い出す。

 欲望は何かを知ることから始まる。「むさぼるな」と命令されなければ、私はむさぼることを知らずに生きられたであろう。それは使徒パウロが指摘する「内在する罪の問題」である。我々は正しさを知らなければその反対を望むことがない。泣かなければ笑うことを知らず、真実がなければ嘘もない。だから私は、善を知るほど悪を知ることとなる。「私は望む善を行わず、望まない悪を行っている」、パウロはそう語る。そして「もし望まないことをしているとすれば、それはもはや私ではなく、私の内に住む罪なのである」。

"私には自分のしていることがわからない。望むことを行わず、かえって憎んでいることにしているからだ。(……)私の内に、つまり私の肉には善が住んでいないことを知っている。善をなそうとする意志はあるが、それを実行できないからだ。……そこで、善をなそうとする自分には、いつも悪がつきまとっていることに気がつく。「内なる人」としては神の律法を喜んでいる、しかし私の肢体には別の法則があり、心のものと戦い、私を肢体に潜む罪の法則の虜にしている。私はなんと惨めな人間だろう。死せるこの肉体から、一体誰が私を救ってくれるだろう。

 時折、思うことがある。今の自分の退廃した生活は、かつて敬虔な信徒であった頃の反動なのだろうか。それとも自分は、元々このように退廃した人間だったのだろうか。しかし、「退廃」を語るにはあまりにも潔癖がいきすぎている気がする。様々な享楽を前にしながら、自分が不思議なまでに節度を保てていることに驚く時がある。それにしても信仰に厚かった頃の名残なのか、あるいは生来から臆病な性格をしているだけなのか、私にはわからない。

 望む善を行わず望まない悪を行っている。この問題に苛まれたパウロは、へりくだり、誇りを捨てて、神から与えられる慈悲を乞い願う。私は自力で正しくなることなど出来ない。正しさとは、ただ主イエス・キリストから与えられることによって可能になるものだ。私は救い主の存在を信じなければならない。人は信仰によってのみ義とされるが、それは信じる者が救われるからではない。むしろ救われるからこそ信じるのだ。正しさを求め、善を求めるほど、その反対のものに、罪と悪に苛まれる。ならば個人の努力とは無関係に、ただひたすら神の憐れみにすがるしかないのである。

 信仰を捨てた今、信じないから救われないでいると書くことも出来るかもしれない。しかし不思議なもので、習慣は頭で考えていることと正反対の態度を示すことがある。心痛に直面する時、教会生活の名残りなのか、私は思わず「ああ、神様」と口にする。そしてまるで、スミスの歌詞のような言葉を口にしてしまうのである。"So for once in my life / Let me get what I want / Lord knows, it would be the first time……"今日までに何度、似たようなことを口にしてしまったことか。