架空の日記

 それは初めてバツを食べた時のことである。先日、友人との会話でそれが話題にのぼり、ついあの官能的な瞬間に思いを馳せた。自制心が強いからか、あるいは単に臆病な性格をしているからか、もしくはそのどちらもなのか。真実は常に不明瞭なものだが、それ以降手を出したことはない。ただ、老人が遠い過去の青春の日々に胸を焦がすように、あるいは若者がかつての恋人の面影に笑みを浮かべるように、思い出すだけで胸の奥から柔らかな感動が溢れ出す。事実、あれは私の人生において最も美しい体験のひとつだった。

 味は不味かった。効果が出たのは一時間以上経ってからだろう。徐々に身体が熱くなり、全身の感覚が驚くほど鋭敏になる。見るもの聞くものが、私を優しく撫でてくれるような気がする。ソファにもたれ掛かり、暗がりに輝く液晶画面をぼんやり眺める。ふとした瞬間にカーペットの感触や、近くに置かれたぬいぐるみの毛並みが鮮やかなまでに快いことに気がつく。ぬいぐるみを抱きしめる。こんなにも柔らかく、気持ちいいとは知らなかった。ただの物体でこれほど触り心地がいいのなら、一体人間の肌を (特に白く柔らかい女性の肌を) 触るとどうなるのだろう。スマホを握り、LINEで(実際に来るかはさておき)来てくれそうな人に連絡を入れようか悩む。しかし、「それ」をしてしまったら、恐らく取り返しのつかないことになるのではないか。結局、私は思う存分ぬいぐるみに性欲をぶつけることにした。

 目を閉じる。ヘッドホンからは音楽が流れてくる。マーラーの緩徐楽章だけを集めたプレイリストだ。指揮はクーベリック、演奏はバイエルン放送交響楽団である。身体の内から洪水のごとき快楽が溢れ出す。それに溺れる。押し寄せる悦楽の波は身体の外へ発散しようとしては消失する。しかし再び新しい官能の刺激が私を襲うのである。それは留まることを知らず、何処までもその強度を増していく。まるで全身が優しく撫でられ、痙攣しているかのよう。だから楽しみながらも恐ろしさを感じる。サイケデリックス(当時は合法だった1cp-LSDやアワヤスカ)の場合、使用から一定の時間が経過した後、徐々にゾーンへと入ってゆき、領土内をさまよいながらもゾーンを抜け出す。しかし、バツは違う。絶えず快楽は高まるが、それは知らぬ間に沈静しているのだ。だから終わった後にはおのずと物足りなさを感じる。場所、空気、音楽、身体の震え。感じ取れる一切がこちらを刺激するのに、今やそれが少しずつ弱まり、消尽しようとしている。なんて儚いのだろう。終わるのなら終わると言ってくれればいいのに。思わずこのつれない恋人に不満を覚える。

 今になってこの体験を思い出すと、それが自分に大きな傷跡を残したことを知る。それは使用してから間もなくは気が付かなかった。しかし、今ならわかる。ヘッセに『知と愛』という小説がある。「精神の人になるため修道院に入った主人公が、むしろそこで自分が官能の人であると気がつく」という内容だ。私は今、驚異的な快楽の体験を通して、自分が精神の人ではなく官能の人かもしれないという疑惑に苛まれているのだ。

 副作用なのか、それとも使用によって何かが目覚めたのか。バツが抜けてからもしばらくは女性の体が以前より魅力的に見えた。元々、私は審美的な意味において女体が好きであった。胸や尻だけでなく、目元や唇、ほっそりとした手つき、曲線を描く腰、柔らかそうな腿など、男性のそれより遥かに眺めていて心地いい。人間の死体が腐らないならば、ショーウィンドウに若く美しい女性の複製を並べて鑑賞したかった。勿論冗談半分で書いているが、まあそういうことを考えなくもない。人形のようにコレクションして、それを一列に並べることが出来たなら、絵画を収集する人と同じ喜びを感じるだろう。

 しかし、これではまるで女好きのような意見だ。私の知人友人に聞けば、身持ちについて悪い噂が一切出回っていないことを知ってもらえるはずだ。もとい、私は禁欲的な人間であることを自認している。男女問わず友人は多いが、どちらの性別にせよ友人を性的に眺めることは決してない。それは友達の恋人についても同じだ。信じてもらえるか分からないが、「これは友人だ(あるいは友達の恋人だ)」と認識した途端、相手の身体にある性的な魅力を意識しないようになるのである。目の前にある肉体はもはや日常の一部に過ぎず、胸をかきみだす官能の啓示ではない。同性の友人に性的な魅力を覚えたヘテロセクシュアルの男がいたとしよう。恐らく彼は「でも男同士だしな」と考え、相手から性的な要素を脱色しようとするに違いない。こうして相手はこちらの気分を乱さない日常の一部となるわけだ。

 友情とは社会的な感情であり、相手を自らの習慣の一部に変容させる作用を持つ。よってそれには技術が必要とされる。私は (技術的な意味での) 友情の名手だ。しかし、だからこそ不意に出現する官能の啓示に弱い。残酷なまでに胸を打つ美との出会いである。「友人」のテリトリーの外にいる者、元々知っているものが少ない場所から突如として現れた存在が、今日までの自己同一性を打ち壊す官能の鱗粉をばらまく。気分は『ベニスに死す』の主人公だ。保養地で出会った美少年から「自分に欠けていた官能的な美とヴィジョン」を受け取り、その「衝撃的な啓示」に胸が裂かれるのである。

『ベニスに死す』の主人公にも勝手な共感を寄せざるを得ない (ここではヴィスコンティの映画版に基づいて論を進める) 。音楽家である彼は、社会に生きるひとりの人間として「善く生きる」ことを、道徳的な人格者であることを求める。もとい、創作者として他人に影響を与える以上、自分のせいで誰かが駄目になるよりも、むしろ善き道を進んだ方が遥かに好ましい。目の前で自分のせいで誰かが不幸に様を見るなど耐えられない。しかし彼の友人はそれを嘲笑う。そして美の残酷さについて語り、「君の凡庸さが君自身を駄目にしている」と断言する。美は道徳的な善悪を超越した所にある。そしてそれをモチーフに創作する以上、芸術家とはある程度不道徳的な人間である、と。

 家族、学校、雇用関係、友人、など。どんなに孤独な人間も何らかの共同体と関係を持ち生きていくこととなる。社会とは力と力の関係である。そこでは一つの力が影響を受けると同時に他の力に影響を与える。よって、社会=共同体のなかで生きるならば、我々は自分がどう振る舞うべきかを考えなければならない。共同体を保つには秩序が必要だからだ。それはどんなに不道徳に見えるグループにも言えることだ。REAL-Tも「この道にはルールがあるんだなんせ」と歌っているように、半グレやヤクザにさえもルールが存在し、共同体を保つための秩序が要請される。官能的なものの最も恐ろしい点は、それが既存の秩序を打ち壊すことにある。

 官能を肯定するということは、自らの加害性を肯定するということだ。もし自分に知人なり友人なり、あらゆる社会的な関係が欠如していたならば、今頃品もなく鼻の下をのばして女の尻を追いかけ回していたかもしれない。だとしたら、今頃私は秩序を乱す、他人を不幸にしてばかりの能なしに成り果てていただろう。それよりかは、今の自分の方が遥かに好ましい。しかし同時に、このような自制心こそが現在の無気力を生み出している原因なのではないか。もしかすると自分は、「本来の自分」を抑圧することで何とか社会生活を送り、そのために「本当にやりたいこと」を遠ざけているのではないか。

 美は暴力的だ。官能的なものは残酷である。その二つは我々に認めたくない真実を啓示することとなる。何故、認めたくないのか。それがこちらの見たくない姿を指し示すからだ。「 <自然> と人間の感覚的で官能的な統一性は、すぐれて芸術の本質である」とは、ドゥルーズヴィスコンティ評の中で書いていたことだ。そして、暴力的な美が啓示する真実と、それを生きるべき人間の統一性が確保された時、そこに極めて深い苦痛が生じることとなる。何故なら、必ずしも自分がこうなることを望んだわけではなかったからだ。

22/05/19

 再び読書が捗らない日々を送っている。一つの本に集中しようとしても、思い浮かぶのは別のことばかりである。そして巡らせるのはいつも同じ思考だ。どうすれば過去をやり直せるのか、いかにすれば過去のあやまちを償うことが出来るのか?しかし、それは少々大袈裟な書き方かもしれない。

 私の若き日々も、そう遠くない未来に終わりを迎える。時間が我が青春の扉を叩き、残された時間の少なさを教えてくれる。その前に救いうるものを救いたい。しかし何を救うのか?他ならない、過去の自分と、無駄に費やされたあまたの時間である。「真夏日の陽/魔に憑かれて/何も出来ずに/ついに老いた」。美しい歌詞だ、まるで将来そうなるのではないかと不安を呼び起こすほどに。「凡庸な運命が/間違いを求めていた」。もしかすると、私は間違いを求める凡庸な運命なのかもしれない。

 もしかすると、一切は遅すぎるのかもしれない。自分の諦めの悪さに苦しめられる。頭を過ぎるのは、様々な憶測ばかりだ。不透明な結晶に閉じ込められたかのように、何が真実で、何が間違っているのかがわからない。確かめることもできない。ただ残された古傷が積年の後悔として痛むばかりである。

22/05/14

 本や音楽は危険だ。感動は枯渇した精神を潤すが、同時に人を死に近づける。「芸術は人を幸福にすると同時に老けさせる」とは、トーマス・マンの言葉である。刺激は麻薬だ。一つの刺激に慣れると、それ以下のものに退屈を覚え始める。胸を揺さぶる読書体験をした人は、以前には興じることのできたものを冷めた目で眺めるようになる。美しい音楽に心を奪われた人は、普段なら楽しめるはずの遊びを空虚に思うこととなる。感動はそれまでの自己同一性を喪失させるのである。

 芸術はよく逃避の手段として用いられる。愛好家たちは、麻酔に打たれるかのような官能を求めて作品に触れる。痺れる感覚、苦痛が薄れ、意識が遠のいていく。全身を小刻みに震わせながら、内から溢れる快楽の洪水に身を委ねる。それに静かに溺れる。ああ、美しい。何度ため息を漏らしながらそう呟いたか知らない。私は今でも、自分を深く感動させた作品たちとの出会いを、その際の光景を覚えている。その時の場所を、空気を、匂いを、そして眼前に広がったものを。

 しかし、陶酔を求めて芸術に触れるのは危険でもある。それは現実の問題を容認することに繋がりうるからだ。「苦しい現状から救いを求めて作品に触れる」とは、いつからかよくよく見られるようになった定型句である。事実、社会において芸術が有用だとされるのは、それが生活の息苦しさにささやかな喜びを与えてくれるからだ。しかし、本当にそれでいいのだろうか。「毒薬のごとき音楽の告白に溺れる」とはリルケの表現である。作品から溢れる快楽に溺れ、それをむさぼり、現実から逃れる。その行為自体はなんの罪も無いかもしれない。しかし、その先にあるのは間接的に現実の問題をよしとすること、それをなあなあに誤魔化すことに他ならないのではないか。確かに、時には休息や逃走も必要だ。しかし、傷ついた人は癒えるほど再び傷つくことを恐れるようになる。芸術は癒しだが、治癒されるほど現実に対して消極的になるのならば、それは害悪とも言えるのではないか。

 本来、芸術はある程度裕福な人々のものである。ある観点からすれば、芸術は常に政治に屈服してきた。西洋の作曲家たちは、元々宮廷なり教会なりに身分を保護してもらう形で生活をしていた。ベートーヴェンから作曲家の自立が始まったが、それでも彼を支持する貴族等の後ろ盾は存在した。パトロンの庇護のもと生活していたミケランジェロは、政治的な革命が起こると真っ先に体制を打ち倒そうとした。しかし反乱は鎮圧され、結局彼はみずからが打ち倒そうとした体制の庇護下で、屈辱に苛まれながらパトロンの墓を制作することとなる。芸術は、才能か資産のどちらかが恵まれた (あるいはそのどちらにも恵まれた) 人間のためのものである。そして、それは既存のものに何らかの形で服従することを強いられる。独創的なもの、斬新なものは、既存のものの仮面を被りながら生き残るしかない。ドゥルーズはそれを指摘した。そして彼は「マイノリティへの生成変化」について説いたが、それを理解するにはある程度の教養が必要とされる。実際の「マイノリティ」は教養を身につける余裕もないのではないか。これもまた一つの社会問題である。知識を形成するにはある程度の余暇と環境が必要とされるが、その二つはマジョリティにだけ恵まれたものである。旧来的な芸術を是認することは、何処かで現実の搾取に加担することと同義ではないか。

 我々は政治について考え、時に議論する。しかし、それは我々が「選ばれた人間」だからに他ならない。インテリどもは小難しい概念をこねくり回して「きたるべき政治」を説くが、それで実際の社会が変わるのは稀である。この問題についてはまた後日詳しく書きたいが、それは恐らく非常に長く複雑な話になるからだ。しかし、それを数節で要約するなら次のようになる。今日まで色んな場所に出入りしてきたつもりだ。そして気づいたのは、いくらインテリが内輪で盛り上がっても、それはただお互いを気持ちよくしているだけだということだ。彼らもまた、形は違えど知識を駄菓子のように貪り、その甘ったるさに満足を覚えているのだ。

 いかにして政治性を獲得するか。これは実に重要な問題だ。我々は政治的でなければならないからだ。作品に逃れる/溺れることは決して悪いことではない。というより、自分もそれをしているから批判できない。そして、逃れるため/溺れるための作品を生み出すことも悪いとは思わない。ただ、それはこちらの目を覆い、時に現実の問題の解決を先延ばしにする。それに後ろめたさを覚えるのは当然のことと思える。私自身の話をすれば、決して裕福な生活を送っているわけではない。高卒のワープアで、むしろ貧苦に喘いでいるとすら言えるかもしれない。しかし何故かそれを改善しようとしない。決して今の生活に満足しているわけではない。むしろ、本や音楽の与える陶酔に閉じこもるあまり、現実に働きかける積極性を失っていることだ。無感覚にして無感動、無気力な人間が誕生した。このままではいけないとわかっている。しかし、自分はあまりにも気持ちが老いてしまった気がしている。

 何故書くのか。何のために書くのか。ここでも、その問いを発さずにはいられない。誰も人を不幸にするために創作などしない。創作することにはそれ固有の喜びがある。だから、大抵の作者は喜びのために何かを生み出していると言えるはずだ。私は人を不幸にするために書くのではないし、自分を不幸に閉じ込めるために筆を執るのではない。書いたもので誰かが不幸になるよりかは、むしろ幸せになってもらいたい。そう願うのは当然のことであるはずだ。

 私は勇気のために書きたい。現実で行動し、それを生きるためには、この世界に対する信頼が必要である。信頼を持つには、勇気が必要だ。ならば勇気は何処から生まれるのか。それは他に励まされることによってである。誰が、あるいは何が励ますのか。それは自分を感動させるもの達に出会うことによってだ。こうして感動の両儀性があらわになる。感動は人を老けさせるが、しかし鼓舞するものでもあるはずだ。

 「呪われた者」の声に耳を傾けなければならない。それはドゥルーズライプニッツの言葉を借りて表現したものである。しかし、この「呪われた者」とは一体誰なのか。それは憎悪以外に明晰な表現を持たない人間のことを指す。「ユダは神を裏切ったので地獄に落ちるのではない、そうではなく、神を裏切りながら、神を憎み、神を憎みつつ死ぬからである。(……) もう少しの振幅を獲得していれば、現在において憎むことをやめていれば、魂は即座に地獄に落ちることをやめていただろう。」しかし、そこで憎悪に燃えることが、「呪われた者」にとって唯一の「理性の執着」なのである。

ライプニッツが言うように、呪われた者は永遠に呪われているのではなく、ただ「いつでも呪われうる」のであって、各々の瞬間に自分を地獄に落としている。(……)彼らを地獄に落とすのは、精神の現在における狭さであり、振幅の欠如なのだ。彼らは復讐の人、怨念の人であって、ニーチェが後に描くように、自らの過去の結果を被っているのではなく、あたかも現在の、現前する痕跡と決別することができないで、毎日、毎時、それを新たに刻みつけているかのようだ。"

 これが「呪われた者」の姿である。彼らはかつての痕跡と決別できず、幾度となくそれを自らの身体に刻みつける。だからこそ呪われているというよりも、「いつでも呪われうる」。しかしドゥルーズは、彼ら呪われた人間がいなければ「我々は最良の世界を考えることなどできない」と考える。

ライプニッツ楽天主義は、無数の呪われた者に根拠を持っているが、彼らは様々な世界のうち最良のものの基盤である。彼らは可能な進歩の無限量を解き放つ。それこそ彼らの怒りを倍増し、進歩する世界を可能にする。ベルゼブルの憎しみの叫びは、下の階を震撼させるが、この叫びを聞くことなしに、我々は最良の世界を考えることなどできない。

 私自身、この「呪われた者」とも呼ばれるに相応しい人間と何度か出会ったことがある。そして彼らの特徴は、自分が別の人間になれないということに苦しんでいる点だ。まさに「現前する痕跡と決別することができないで、毎日、毎時、それを新たに刻みつけている」のである。先日(22/05/10)言及した旧友Aも、その内の一人だった。Aと私の青春は奇妙なものであった。それは、当時の私が (あるいは当時の私達が) 自分のしている事の異常さに気づかなかったからだ。Aはよくいじめの話をした。撮った動画を私に見せ、おこなった数々の悪行を私に報告した。私はそれによく腹を抱えて笑った。しかし、テレビでいじめのニュースが流れても、それが自分に関わりがあることだとは思わなかった。Aは確かに陰湿だったが、しかし彼はあまりにも楽しそうに話すので、自分が悪いことに関わっているとは思えなかったのである(恐らくAの周囲の人間もそうだったに違いない)。「自分が馬鹿なことをしていた」と気づいたのは、後になってからのことである。

 同性だけでなく、異性にも「呪われた者」と呼ぶべき人がいた。実に嫌な女だったが、しかしこんな性格の悪い奴を愛してやれるのは自分くらいだと思い上がっていた。今考えれば恥ずかしい話だ。そして、このひととの関係に悩んでいる時、ある別の女性と偶然出会った。それは美しい、人形のような女性だった。私は彼女に一目惚れした。三年前の話だ。当時はそんなに人慣れしていなかったから、思わず女性の前で挙動不審になった。おどおどして、口ごもり、自分の不格好さに苛立った。一方で、今まさに別のことで悩んでいるのに、早速目の前の女の尻を追いかけようだなんて、自分が軽薄に思えてならなかった。結局、私は一目惚れした相手を諦めて、元のひとに戻った。しかし、その後も何度それを後悔したことか。今でも思う、「何故追いかけなかったのか」と。二〇一九年一月三十一日、俺にとってはまだ昨日のようだ。私は何度もその日を思い出し、今なおそれを反復するのである。

 ドゥルーズライプニッツ論に話を戻そう。ドゥルーズによれば、ライプニッツは「進歩の道徳」を掲げる。「その度に明晰な表現の地帯を広げようと努力すること、何らかの条件のもとで可能な最大値を表現する自由な行為を生み出すように、振幅を拡大しようとすること」、つまり感じ方を拡大すること。呪われた者が何故そう呼ばれるかとなれば、それは彼らが「憎悪」以外の感じ方を所有できないからだ。しかし、彼らのおぞましい憎しみを犠牲にしなければ、考えられない世界、知ることのできない世界がある。

 我々は呪われた者を必要とする。しかしそれは進歩のためであって、彼らは「好んで自らをのけ者にする」のである。そして「彼らにとって最悪の罰は、おそらく他人の進歩に奉仕すること」だ。彼らを罰することなどできない。救うなど以ての外だ。ただみずから憎悪に留まろうとする者は、間接的であれ自分自身の手で己を罰することとなる。それは「現前する痕跡と決別することができないで、毎日、毎時、それを新たに刻みつけている」からだ。そして我々は、彼らの屍を乗り越えた上でしか最良の世界を考えられないのである。

"……何故なら最良のものは一つの結果に過ぎないからだ。そしてまさに結果として、それは <善> の敗北から直に生じる (<善>から救いうるものを救うということ)。(……) ライプニッツ楽天主義は何と奇妙なものだろう。もう一度繰り返すが、悲惨がないわけではないが、最良のものはプラトン的な<善>の廃墟でしか開花することがない。

 芸術家は「呪われた者」ではない。確かに創作に携わる人間には病んだ者が多く、ロマン派の時代以降は「呪われた詩人」ともいうべき芸術家像が定着した。そして、そのイメージは今なお残余していると言える (カフカゴッホに対するイメージがそのいい例だ) 。しかし、プルーストが高名な画家エルスチールに与えた風貌と性格からもわかるように (彼は「背は高く、筋骨たくましい、端正な目鼻立ちの男」で、人格者として主人公に真っ当な教訓を垂れる)、偉大な芸術家がむしろある程度の良識を備えた人物である場合も多い。なるほどエルスチールにも奇抜なところはあるが(彼は孤独な生活を送り、「夢みるような眼差しでじっと虚空を見つめている」)、しかしそれは彼の一部分に過ぎないのである。

 確かに、多くの天才には何処かしら狂気的な所があるのは事実かもしれない。しかし、すべての狂人が天才であるわけがない。もしそうだとすれば、今頃あらゆる精神病院はアトリエとして大繁盛しているだろう。では、天才とは誰なのか。それは狂気から何かを持ち帰る者である。たとえ病苦に苛まれ、死の淵に引きずり込まれようとも、そこから生に帰還する者こそが天才と呼ばれる。

22/05/10

 その日、Aの口調はいつもと異なっていた。突然かかってきた電話からは、てっきりいつものような世間話が待っているのだと思っていた。しかし違った。電話越しに聞こえてくるのはあまりにも切羽詰まった声である。そして聞かされた内容は、それまでの彼からは想像もつかないような話であった。

 Aは私と同い年で、女気のない男であった。しかしどういうわけか、そんな彼がある晩、家出した女を泊めることになった。歳は二つ程下で、痩せた、肌の白い少女であった。当時、我々はまだ二十一前後であったと記憶している。それを踏まえれるならば、向こうは十九くらいであったということになる。女はBと名乗った。

 Aは潔癖な男であった。また、それは本人も自認していた。しかし、その潔癖さはいささか行き過ぎというか、奇妙なものであった。後述するように、彼自身は元々決して清らかな人間ではない。にも関わらず、どうしてあれ程までの誠実さにこだわったのか。しかし、それもまた後ほど触れることにしよう。

 Bを泊めた夜、Aは何もしなかった。そこまでならわかる。問題はここからだ。そう、彼はそれ以上のことをしたのである。「自分は何をするつもりもない、何の危害も加えない」ということを示すためだったのか。あるいは単に、「お前に興味が無い」と言いたかったのか。どちらにせよ、彼はBから絶えず距離を置いていた。そして一晩中カードゲームを弄っていたのである。当時、Aはポケモンカードにハマっていたのだ。

 電話越しにそれを聞いた私の驚きは、ここでは言い表せないほどだ。しかし話はそれで終わらなかった。むしろ、それはここから更に大きくなると言っていい。

 Bはその後、Aの家に住み着いた。自分に何もしないことに安心したのか、あるいはだからこそ彼に惹かれたのか。それはわからないが、何にせよ言えることは、Aの電話がかかってきたのは、Bが彼の家に住み始めてから既に一ヶ月近く経ってからのことであった。

 元々、親からの仕送りをあてにしていたAは、Bとの生活を始めてから労働をするようになった。コンビニの夜勤バイトである。当時、彼は大学生で、バイトと言えば塾の講師を半年未満つづけた程度であった。彼が働き始めた理由は明瞭であった。しかし、明瞭な理由も子細に語れば複雑になる。一見すれば、これはいかにも美談だと言えるが、実態は違ったのだ。

 バイトを始めた彼は「俺のお金が貯まったら、その金で家を借りて出てってくれ」と語った。そして「もしそれが嫌なら、お前はこのまま住んでいいから、俺がここを出ていく 」と。Aには彼女が信じられなかったのである。彼には何故彼女が自分に惹かれるのかがわからなかった。そして、わからないからこそ、自分でも想定のつく答えで埋め合わせをしようとした。彼は女が自分を利用しているのだと信じた。「どうせお前は俺を見下している、都合のいい男だと思っている。今はお前をこの家に住まわせてやるから、俺の金が貯まったら出てってくれ。引越し金は俺が払う。まあ、せいぜいあと一ヶ月、俺との生活に耐えるんだな……」

 これで一切の片がつく。そう考えていた。しかし現実は違った。Aの言葉を聞いて、Bは泣きはじめたのである。彼女は言った。どうして自分を突き放すのか、わたしの気持ちがわからないのか、など。そして冷酷に突き放す彼を非難した。彼は動揺し、困惑した。本当にわからなかったのである。彼女が何故泣いているのか。自分の何が間違っていたのか。あるいは理解できたとしても、心からそれに納得することができなかった。

 Aは電話越しに語った、「苦しい」と。「俺には彼女の気持ちがわからない、わからないから苦しい……」思えば、これは高校の頃の彼を考えれば想像もつかなかったことである。我々は互いに異なる高校に通っており、中学も同じではなかった。それにも関わらず仲良くなれたのは、不思議と気が合ったからである。知り合ったきっかけは、私の中学の同級生で、Aの通う高校に進学した友人が、彼を私に紹介したからであった。学校が終わると、我々は放課後を共に過した。TSUTAYAに足を運び、その帰りにガストへ寄った。話す内容は決まっていた。映画か、いじめの話である。Aは高校で同学年の生徒をいじめていたのだ。私自身は、別に自分の学校でそのような立場にいたわけではないが、しかし彼の話を聞いて笑っていた。時には学校で撮った「動画」を見せてくれることもあった。人に悪さを働く際、彼は他のいかなるときより楽しそうな顔をしていた。誰かの気持ちを踏みにじるのが気持ちよくて仕方ないらしかった。

 時々、何故Aがこんな性格になってしまったのかを考えた。安直すぎるかもしれないが、彼の実家に寄った際、その理由を憶測せざるを得なかった。同じく高校生の頃である。その日は「観せたいDVDがある」とのことで、初めて彼の実家に寄った。私が家に上がると、彼はある椅子を用意した。背もたれがなく、座る部分に新聞紙がべったり貼りつけられたもので、補強のためにガムテープがぐるぐる巻きにされていた。彼はそれを「来客用の椅子」として差し出した。「外から来た人はこれに座らないと、母親が怒る」との事だった。Aの母は極端な潔癖症で、「外のもの」をすべて不潔だと考えているらしかった。幼少の頃、Aが手を洗わずに家に帰ると 、冬の寒空の下を日が暮れるまで立たされた。理由はAが「汚い」からで、 「 反省」のためであった。父親については、その無神経だが懐の広い性格を尊敬しているらしく、時折殴られることを除いて「関係は良好」とのことだった。

 母親の影響なのかはわからないが、Aは女嫌いだった。彼にとって、Bとの関係は驚きの連続であった。実際、彼にはわからなかったのである。何故彼女が自分に惹かれたのか、何故自分が選ばれたのか。否、たとえ理解できたとしても、その事実に目を向けることができなかった。認めてしまえば、自分の内にある何かが壊れてしまうから。結果として「あの女が寄ってきたのは金のためだ」という結論を下した。そして本人の前でそれを口にした。邪険に扱い、早く出ていって欲しいふりをした。無論、本当に出ていったらまた苦しくなるに違いない。しかし、そう信じ込んでいた。そして彼の冷たい態度に対して、Bが泣くのは考えなくてもわかる話であった。しかし、彼にはそれがどうしてもわからなかったのである。あるいは、どうしても認めることができなかったのだ。

 また、Aは嫉妬深かった。もし相手が異性として自分を選んだのなら、相手が他の男のために自分を捨てる可能性もある。自分の家に来る前に、既に彼女が何度か別の男の家に泊まったことがあることを知っていた。彼女自身はその際「何も無かった」と言っているが、本当はどうかわからない。それに、何故その男ではなく自分なのか。その男が選ばれなかった理由は何なのか。もし本当に彼女が俺を選んだとしても、何故あの女は俺を捨てないのか。これらの疑問に対して、「金」が一番理解の容易い答えを与えてくれる。そうだ、あの女は俺の金が目当てなのだ。今は家出中で、帰る場所もなければ金もない。それで俺をあてにしているのだ。言い換えるならば、金があればあの女を引き止められるし、追い出すこともできるんだ。そして、もし俺が一歩引いた態度をとれば、あれは俺を捨てることも出来ないし(何故なら俺の心はそもそもあの女の所有物じゃないからだ!)、俺も尊厳を傷つけられないまま、笑い話としてこの体験を昇華することができるんだ。

 しかし、現実は彼の空想と異なっていた。涙に濡れる女を前にして、「わからない」という感情と同時に「この女は俺を愛しているのかもしれない」という想いが芽生え始めた。そもそも、バイトもしない大学生に金銭目的で近づくわけがない。余程実家が太くなければありえない話だ。自分では気づいていなかったが、彼は極端なまでに人間不信であった。親友とも言えた私にさえそうであり、ヒステリックな虚栄心の持ち主であった。友人との関係が良好に保てるのは、友情が決して越えられない一線を規定してくれるからである。しかし恋愛においては話が異なる。我々はむしろ一線を超えることを強いられる。その際、距離を置くことで暴かれずに済んだ自らの醜い側面に光が当てられることとなるだろう。

 結局、BはAの家に住み続けることになった。一体何度、彼は繰り返しただろう。何度彼女を泣かせ、何度私に「苦しい」と電話を入れたことか。彼は言った。「俺は別に幸せなど求めていない。本当はあの女と一緒にいてもいなくても、どっちでもいいんだ。ただ、この苦しみを取り除いて欲しいんだ。わかるか?俺は苦しいんだ。これじゃあ何にも手が付かない。何をしても気分が晴れない。でも、こんなはずじゃない。本心を言えば、俺はもっと平穏に暮らしたいんだ……」しかし、もし実際に相手が去ろうとすれば、嫉妬に駆られていても立ってもいられなかったろう。

 声を荒らげて苦痛を訴える様は狂人のそれであった。事実、彼は病気だった。もしかするとずっと前から病んでいたのかもしれない。しかし、それに気づかないまま今日まで過ごしてしまった。否、もしかすると今なお気づかないままでいるのかもしれない。彼は女嫌いだった。それは、彼にとって女が感情的で、理性のないものに見えたからだ (恐らくは母親の影響である)。しかし、今や彼自身がじぶんの嫌う「女」のように嫉妬に狂い、猜疑に悩まされ、ヒステリックに喚き散らしている。恋人の愛情を信じることができず、あらぬ嫌疑をかけては絶えず相手を困らせるのである。

 もしかすると、相手の涙が彼にとって唯一の慰めだったのかもしれない。泣いているBの姿を見れば、少なくとも自分に何らかの感情を抱いていることが確認できる。喧嘩 (あるいは一方的なこじつけ) の後に待っているのは、お決まりの「仲直り」だ。けれど幸せな時間も束の間である。向こうが呑気な顔をして過ごしていれば、また余計な嫌疑が頭を過ぎる。あの女は俺を都合よく利用しているだけなのではないか、俺は浮気されてるのではないか、本当は愛していないのではないか……。そうなれば再び相手を詰問せずにはいられない。お前は嘘をついているんだ、本当は俺を騙してるんだ、俺の前ではいい顔をしてるが、裏では俺を馬鹿にしてるんだ……。一つの疑惑が消えれば、また別の疑惑が浮かんでくる。そして再び「苦しい」という声が漏れる。けれども、相手が苦しむ様を見れば安心できる。去ろうとする俺を見て泣くということは、少なくともあいつが俺を愛している証拠であり、よってどれもこれも俺の勘違いなのかもしれないということになる。彼が彼女を詰問したのは、安心するためでもあったのだ。

 これはまるでプルーストのような話だ。アルベルチーヌを監禁する語り手や、オデットに監視をつけるスワンのように、彼はBを縛り付けていた。それは精神的な面だけでなく、実際的な生活の面でもそうだった。働いていないBは、金銭面でAに依存するより他ない。仕送りに加えて週四の夜勤がある彼にとって、同居人が必要最低限とするものを揃えるくらいは可能であった。そして、恐らくそれが彼の安心の種だったに違いない。少なくとも向こうが働いていない間は、自立することもできず、俺に頼って生きるしかない。そうなれば下手な外出もできないし、あれが好き勝手に生活することで不安に苛まれることもないわけだ。

 元々女性一般を軽蔑していたため、Aは他の女性には一切見向きもしなかった(そもそも話す機会もなかった)。大学の同級生の大半にも心を開かず、話し相手と言えば、旧い付き合いでまだ東京に残っている私と、その他ニ、三の人間しかいなかった 。決して友達がいないわけではなかった。ただ生来の疑り深さと陰険さが、周囲の人間に一定の距離を置くよう仕向けていたのかもしれない。また、Aは嘘を嫌っていた。あるいはBと出会って以来、嘘を恐ろしく嫌うようになった。私は不思議だった。あれほど人を馬鹿にしてきた男から、どうしてこれほど一途な感情が湧き上がってきたのか。普段から人を見下し、こけにしている者は、いざ弱みを見せる番になると、その分かつて自分がしたよう馬鹿にされるのではないかと恐れる。それが彼をいっそう嫉妬深くしたのは事実かもしれない。なるほど、見えないところで馬鹿にされていると考えるだけで気が滅入る。きっと俺のいない所で、俺の滑稽な言動を笑いの種にしてるんだ、あいつは俺を馬鹿にしてるんだ、表ではいい顔をしているが、実際は俺を利用してるんだ、そうに違いない……。

 それから彼らはどうなったのか?実を言うと、私もそれは知らないのである。もう三年近く前の話になる。色々と記憶違いや脚色があるかもしれないが、あの奇妙なカップルのことは今でも思い出す。あれから二人はどうしているのだろう?別れたのか、それとも今なお変わらずに過ごしているのか?ただ一つ言えることは、もう二度と事の顛末を知ることはないということだ。既に我々の縁は切れてしまっている。

"認知されるアルベルチーヌについてプルーストは語った。アルベルチーヌは浜辺と砕け散る波を包み込み表現する、と。「彼女が私を見たなら、何を彼女に対して表せただろう。いかなる世界の奥底から、彼女は私を見分けたのか?」愛も嫉妬も、アルベルチーヌと呼ばれる可能世界を展開し広げる試みであろう。"

22/05/06

 ドゥルーズは本を道具箱として利用することを推奨する。この発想はプルーストに由来する。本とは望遠鏡のレンズのようなもので、読者はそれを通して世界を覗く。もしピントが合わなければ、別の本を開けばいい。それが彼らの考えである。一方で、ドゥルーズプルーストも、共に生活のために芸術や哲学があることを一貫して否定していた。生活と創作は一致しない。ある程度の生活上の快楽を犠牲にしなければ、それ相応の独創性を獲得できないからだ。

 果たして彼らの意見は矛盾しているのか。恐らくそうではない。むしろ両者は、ある観点を徹底することでその外に出ることが可能になると考えているのではないか。ドゥルーズは哲学を徹底することによって哲学の外に出ることが可能になると考えた。その意味において、現代哲学が芸術や自然科学から影響を受けたように、哲学もまた芸術と科学に影響を与えることが可能である。プルーストも同様であったはずだ。一つの書物が「道具」として機能するのは、まさにそれが作品として徹底された完成度を誇る時のみだ。科学者達は、表向きには「世のため人のため」に研究を重ねたと語るかもしれない。しかし、実際は自分の興味を徹底した末、世のためになる研究成果を得られたに過ぎないはずだ。哲学や芸術も同じである。それが誰かの役に立つ、あるいは道徳的に導くことはない。しかし、作者の持つ観点を徹底したが故に、読者の眼差しをより明瞭にするレンズを発明することはできるはずだ。作品は、まさに作品の持つ固有性を徹底することで、作品の外に訴えかけることが可能となる。

 本を読む際、読者はその裏に潜む作者の顔を想像する。病的な心理を描く作家は、同じように病的な性格をしていると期待される。無理もない。話し言葉と同じで、文体はある程度の個人の特徴が反映されたものである。文筆する上で、人はたった一つの文字がその文全体の調子を狂わせてしまうことに気がつくこととなる。いかなる単語を選ぶかによっても、文章の気品は異なる。文末を「である」か「なのだ」のどちらで選ぶかによって印象も変る。

 句読点を何処に置くかも重要だ。「、」の位置は、音読する上で何処で休符を置くかに関わる。句読点の配置が特徴的ならば、その文章は音声にした際の響きが特徴的となる。また、句読点の配置は文章の整合性にも関わってくる。「正確」な配置は、それだけ文体の論理性を際立たせることになるはずだ。行替えについても似たようなことが言える。見過ごされがちだが、人により感情的に訴えかける文章は、行替えをほとんどしない文章である。塊となった文体は、それだけより直接的にこちらの心理に訴えかける。読み手は冷静にそれを読むというより、むしろ文章の「圧」に強いられるよう、つい感情的にページをめくってしまう (ドストエフスキーがいい例だ) 。

 ここまで来れば、作者に固有の文体を持つことが、それ自体作者のこだわりのあらわれとなることが、誰の目にも明らかとなる。よって、文章を書くことは「演出」の問題と切り離せない。文筆するとはある種の印象操作である。どんな書き手も、読み手にいかなる印象を与えるかを考慮せずに書くことなど出来ない。もっとも、これは文学だけの話ではない。音楽にせよ映画にせよ、演出は芸術作品と切り離せない技法である。あらゆる芸術は特定のイメージを鑑賞者に喚起させることを目的とするからだ。独創的な芸術、傑出した作品は、他が今日まで与えてくれなかった印象をこちらに与えてくれる。優れた芸術は、それまで感覚不可能だったものを感覚可能にする。

 にも関わらず、文学は他の芸術よりも演出の、あるいは演技の問題がついてまわるものだ。ある人の言葉は、彼に固有の記憶と切り離しがたいものである。我々は言語に基づかなければ思考を重ねることが出来ない。ある概念を知っているからこそ可能になる思考がある。同様にして、知らないからこそ語ることのできる事柄がある。ニーチェも指摘していた通り、我々の思考は、我々が普段用いる言語と密接な関係にある。人は何らかのイメージに基づいて思考を発展させるが、イメージはそれらを表現する言語と切り離せない。丁度ロシアの名前を聞いた際に「寒い」や「戦争」を思い浮かべるのと同じように。

 それが何故、個人の記憶に関わってくるのか?他ならない、言語が個人の思考と切り離せない以上、「書く」という行為は他の創作活動よりも遥かに個人が前に出やすいのである。音楽を創作する上でも、ピアノ独奏曲と弾き語りでは天と地ほどの差がある。言葉で表現されたものの方が遥かに親しみを持ちやすい。「演技」という言葉を聞くと、自ずと映画のことが思い浮かぶ。しかし、ある意味では映画の方が文学より遥かに演出の問題が少ない。言語を用いて「書く」とは、他のどの創造行為よりも個人のコントロールが可能となる。「書くこと」で完結する分野は、他のどの芸術よりも個人が反映されやすいのだ。その点、映画は決して独りでは製作しないため、自ずと個人が薄れていく。

 しかし、一体それの何が問題なのか。何故、こんなにも大それた言い回しをする必要があるのか。それこそ作者の誠実さを問われる点であるからだ。一体、作者は何故「書く」のか。何のために書くのか。わざわざ自己演出をしてまで、文章を書き、発表する必要があるのか。我々はこの問いを今こそ発さなければならない。

 もし書き手が誠実であることを求めるならば、彼は読み手を突き放さなければならない。自己演出をして、より他人に愛されるために物を書くことは、確かに一つの立派な動機だと言える。しかし、それで生まれた文章の大体はつまらない。既にSNSの時代が来て久しい。Twitterでは何もしないが声だけデカい人間がもてはやされる。しかし、百年後にも読み継がれる文章は、目先の承認を求めるのではなく、ただ黙々と自分の仕事に励んだ者だけが書けるものだ。

 説明を試みるのではなく、むしろ自らの内に閉じた文章の方が遥かに誠実である。語弊を恐れずに書くならば、その方が読み手を誤解させないからだ。前述の通り、「書く」という行為は個人の記憶と切り離せない。しかし、そのために人はよく次のことを忘れてしまう。つまり、作者と作品は同一ではないということだ。繊細な文体を持った作家だからといって、実際の性格も繊細だとは限らない。文学の一番の問題は、それが他の芸術よりも作者自身への注目に繋がることにある。ミケランジェロの彫刻を見てこの造形美術の天才の性格を知ろうとする人は少ないが、三島由紀夫の本を読んで彼の出自を知ろうとする者は多い。ベートーヴェン交響曲を聴いて作曲家に親近感を覚えるよりも、シンガーソングライターの歌詞から歌い手の人物像を空想する人の方が遥かに多い。文学の、もとい「言葉」の一番の問題は、他の芸術よりもそれが作者の面影を排除しづらい点にある。

 読み手に開かれた文章は、そのぶん読者を突き放す必要がある。文学はそれを「非人称」という形式によって実現した。一人称の語り手が主体となる文学は世に多く存在するが(「あの頃、私はこうだった……」といった作風)、一方で非人称の場合は絶えず読み手との間に距離が置かれる (「あの頃、彼はこうだった……」) 。語り手が一人称の場合、より直接的に作品への感情移入が可能になるかもしれないが、しかし非人称の場合、間接的であるが故の「冷たさ」が文学に導入されることとなる。あるいは一人称の語り手が主役でも、そこに実際の私とは異なる虚構の「私」を導入した場合、それが一つの冷たさとして機能する。ここには実に奇妙な構図がある。作家は読み手の胸に訴えかけることを求めながら、同時に読み手を突き放す冷たさを持たなければならないのである。

 しかし、何故ここまで「書くこと」の問題にこだわるのか。何故「冷たさ」に固執するのか。無論、その方が強度があるからだ。文学を愛しているなら、より美しい文章を生み出したいとは誰もが思うはずだ。そして、より美しい文章とは、より嘘のない、誠実な文章である。後世に残るもの、より強く人の心に訴えかけるものが、より強度のある文章だとするならば、興醒めするような大根役者を演じるのではなく、たとえ読者を突き放してでも内に閉じた文章を書くべきだ。それこそ人を感動させる、より人の心を突き動かす文章である。何故なら、そこにはその場しのぎの嘘 (程度の低い嘘) が介在しないからだ。もし誠実であることを求めるならば、我々は先ず自分自身に対して誠実でなければならない。個人的な感情、個人の記憶を乗り越えた先にこそ、作者を排除した先にこそ、彼が描くべき何かがある。

 創作は感情表現ではない。むしろ、芸術は感情を生み出す。音楽に感動した際、それまで感じたことのない思いに駆られる。芸術は感情の動きを描き、生み出すものではあれど、それを打ち明けるものではない。むしろ、より精緻な感覚の描写、新しい感情の発見をしたいならば、作者は極力個人の感情を排して冷静になる必要がある。一つの文章を読むことで、初めて言い表せるようになる感情がある。我々は自分の外部にあるものに出会わなければ、自分の感情を知ることができない。ならば文章を書くことは、誰かのために書くこと他ならない。自分の言葉を持たない者のために書くこと、それこそが「書くこと」の意味である。恐らく、それは音楽にも映画にもなし得ないことだ。個人の記憶と、思考と密接に関わっている言語の芸術だからこそ、それは可能になるのである。

 綺麗事に聞こえるかもしれないが、私はやはり「利他的な芸術」の存在を信じている。ドゥルーズは「誰かのために書くこと」の大切さを説いた。同感だ。自分のために書くなんて馬鹿らしい。どうせ人目に晒すのならば、我々は誰かのために書かなければならない。それは何も文学や音楽だけでなく、哲学や科学にしても同じはずだ。最も利他的な行為の成立とは、自分に固有のものを徹底した先にしか、自閉を徹底した先にしか生まれないのではないか。


 皮肉の面白さは万引きに似ている。良識的にはあまりにも大胆な、危険に聞こえることを言ってしまうことにこそ、皮肉の面白さがあるからだ。他人の口にした皮肉に笑うことは、禁忌を犯すことと同じ楽しさがある。だから皮肉は万引きに近い。万引きをする中学生もまた、良識的には「してはならぬこと」をするのに喜びを覚えるのだから。

 怒って仰々しいことを言う人も同じで、普段言わないことを口にできるのが楽しくて仕方ないのだ。だからよく怒る人は、実際は怒りながら大胆なことを言える自分にご満悦なわけである。

22/05/02

 現実の難しさは、そこに悪役がいない点にある。苦境に立たされると、人は裁くべき相手を、責任を負うべき何かを求めるようになる。しかし、もしそれが存在しないならば、たとえ絶叫しながらだろうと傷跡が残されるのを眺める他ない。それこそドゥルーズアルトーの言葉を借りて表現した「残酷」だと言える。

 他人の身の上話とは、余程興味を引くものでなければどうでもいいという感想しか出てこない。が、今日はなんとなくそういう話をしたい気分だ。だからここに書くこととする。中学の頃、塾の同級生に突然耳を舐められたことがある。それは自習の時間に起きた。驚いた私は、何故そんなことをしたのかを聞いてみた。すると同級生は「してみたくなったから」と返した。彼とは友人だったから、その場では笑っていたが、家に帰り就寝を待つ際、その時のことを思い出しては不愉快な印象に苛まれた (もっとも、今ではこれも笑い話として語っている。事実、酒の席で話すと結構ウケる)。

 似たような経験はその後も何度かある。ここ二、三年で言えば、大して仲良くもない同年代から胸元をいじられたことが挙げられる。仲良い友人ならふざけてするかもしれないが、その時の相手のしたり顔といい、その手つきといい、結構ムカついた。しかし、怒るような場所でもなかった。私は笑って済ませることにした。

 何故こんな話を始めたかと言えば、これらの経験は、同性との関わりよりむしろ異性との関わりにおける問題へと私を導くからだ。以前、仲の良かった女性が言っていたが、世の中には「抱かれることで相手をつなぎとめようとする女性」がいるらしい。抱かれるだけでなく、泣いたり、奇行に走ったり、あるいはプレゼントをしたりすることで、何とかして相手の注意を引こうとするわけだ。

 今日まで、自分は出来るかぎりそういうことに関与しないよう努めてきた。それは「自分を安売りしてはならない」という道徳的な説教を垂れるためではなく、その「安売り」をする側の気持ちが分かるからだ。自分が性的に搾取されているとは露ほども思わないが、一方で、その搾取される側の人の気持ちが多少なりともわかると感じている。これは勝手な思い込みかもしれない。ただ、これまで自分に変なことをした同性を憎むつもりはないが、同じ側に立ちたくないという気持ちがある。

 とは書いたものの、現実は書き言葉以上に複雑なものである。他人からすれば、こちらの主義主張の大半はどうでもいいものに過ぎない。他者の肉体を断ることで、これまで相手を泣かせたり、怒られたり、あるいは責められたり、絶縁されたりさたこともある。私としては正しいことをしたつもりでいるが、結局それもエゴにすぎないわけだ。別にエロいことが嫌いなわけじゃないのだから、すればいいという話にもなる。しかしそうなった場合、大袈裟な言い方になるが、過去の自分を裏切るような思いがする。これは倫理的な問題である。正直な話、自分が気持ちよくなれて、相手も悪い気がしないならば、素直に股間の欲求に従うのが正しい気もする。しかしそうなった場合、私には今のような綺麗事を語る資格はない。時折、思い出しては「あの時ああした方がよかったのか」と考えることもある。実際にどうかは知らないが、「向こうから誘ってそれを拒むなんて侮辱だ」という話を聞いたこともある。結局、私には「よくわからない」という感想しか出てこない。

 一方で、この問題にはもうひとつの側面があると思われる。それは自分と母親との問題だ。何でもかんでも不幸を家庭に起因させることは、正直に言って頭があまり良くないというか、考え方として単純すぎて好きではない。しかし、こればかりは考えざるを得ないものがある。私は母が嫌いだった。嫌いというよりも、「無関心であった」というのが正確かもしれない。母についてはいくつか笑える話があるが、その内の一つを書こうと思う。

 PSPに熱中していたことから察するに、それは私が中学生の頃の話である。ある日、私は母から電話をもらった。「来月の誕生日に欲しいものはあるか」とのことだった。両親が離婚して以来、私が母からプレゼントを貰うことは稀だった。恐らく、母なりに気を利かせてくれたのだろう。私は「PSP用のソフトで、面白いゲームが欲しい」とこたえた。母はそれを了承した。が、しかし今考えると、これは無茶ぶりだったかもしれない。普段ゲームをやらない母からすれば、何をあげればいいかわからないはずだ。結局、当日になっても母はプレゼントをくれなかった。

 一ヶ月後、再び母から電話が来た。内容は誕生日プレゼントについてである。「忘れているわけではない、ただ忙しくて買う暇がなかった。もう少し待って欲しい」と語る声が、電話越しに聞こえた。私はそれを了承した。しかし、結局また一ヶ月待ってもプレゼントは来なかった。

 私が誕生日プレゼントをもらったのは、最初の電話から三、四ヶ月後のことである。母は私の住む家に来て、「これ面白いらしいから」と言ってゲームを渡すと、少し世間話をした後に帰っていった。貰ったのは『空の軌跡』というRPGゲームである。ゲームは前半と後半でディスクが分かれていて、片方のソフトにはまだ中古ショップで買った際の札がついたままだった。もう片方のディスクについては、母の当時の同棲相手のお下がりであった。母は「恋多き女」だった。中学校に上がる前、母の家に遊びに行くと見知らぬ男性が黙ってゲームをしている姿が思い出された。

 と、こんな感じで書いてみたが、これが理由で母が嫌いになったわけではない。というか、この話自体は特に暗い思い出として残ってはいない。大人になってから笑い話として持ち出した際、話し相手に余計な憐憫を寄せられたことがある。その時、初めてこれが人目に「不幸な少年時代」として映ることに気がついた。以来、相手の驚く反応が面白くて時々この話をしている。実際、ゲームは面白かったし、もうストーリーも覚えていないが、当時は兄とふたりでやり込んだ記憶がある (兄は私よりもハマっていた、私のプレゼントなのに)。家に父が居ない時は、二人でよくそのゲームの話をしたものである。それに、『空の軌跡』は、私の記憶が正しければ母から貰った数少ないプレゼントの一つであった。当時は心からそれに喜んでいたし、内容を忘れたけれども、その主題歌は今でもたまに聴き返す。私にとっては「古きよき時代」の象徴である。

 母を嫌いになった原因は妹にある。どちらかと言えば、それまでは大して一緒に過ごした時間もないから無関心に近かった。しかし、文学の中ではよく主要なキャラクターと母親との思い出が美談として語られる。それに触発されて、好んで母の家を訪ねていた時期がある。二十になるかならないかの頃だ。恐らく、両親の離婚以来、あんなにも母と関わったのは初めてであった。しかし、そこにあるのは思い出によって美化された母の姿ではなく、現実の母親の姿であった。

(リルケは『マルテの手記』や『ドゥイノの悲歌』で理想化された母性について語っているが、実際の彼は母親に対してほとんど憎しみに近い愛情を寄せていたという。それを知った時は心底から安堵を覚えた。自分だけではない、自分はおかしくないと気づけたから。)

 決定的であった出来事がある。母の家に泊まった日のことだ。その晩、私は寝床として与えられた屋根裏部屋にいた。下を覗くと、リビングには酔いつぶれた母と、その隣に寝そべる「男友達」がいた (恋人ではないが、彼には「世話になっている」らしく、母に会いにいくとよくその人が隣にいた)。やがて玄関の鈴が鳴り、妹が帰宅したのがわかった。大学生であった妹は、実家から大学に通いつつ、日付けが変わるまで近所の飲食店でバイトをしていた。

 私は妹を屋根裏部屋へ呼んだ。妹は大人しく、内気な娘だった。いつも他人に気を使って、こちらに悪く思われないようヘラヘラ笑っていた。だからこそ、私とふたりで話す際に見せた顔が一層こちらの胸を締め付けた。妹はリビングに寝転がるふたりのだらしない大人を見つめた。そして静かに自分の想いを語った。今日もバイトだった、貯金のためだ、両親がこれでは頼りになるのは自分くらいだ、など。記憶違いもあるかもしれないが、大体そんな感じの内容だった。私はこれまで妹のために何も出来なかったことを後悔した。そして、この女がこんなにも独りで抱え込んでいることに気がつき、思わず抱きしめたくなった。しかし、我々はそんな仲ではないこともわかっていた。結局、「自分が家族でいちばん愛しているのはお前だ」とだけ妹に伝えた。

 翌朝、私は出発の準備をしている最中に、何故かは知らぬが母に容姿のことを褒められた。お前は可愛い、まるで女の子のように綺麗だ、など。そして、その場には妹もいた。そして妹に「不細工」だと言った。あんたは醜い、本当に不細工、など。妹は困ったように笑った。しかし私には、妹が内心傷ついているとしか思えなかった。

 その時である。私は妹がこんな風になってしまったのは、我々家族のせいであるということに気がついた。否、そうとしか思えない。控えめな態度で、いつも誰かの顔色を伺っては道化を演じている。妹の自己愛がこんなにも低いのは、我々家族がちゃんと妹を愛してやらなかったからだ。母と妹は仲が良かった。否、表面的にはそう見えていたし、自分もその日までそう信じていた。しかし、私は馬鹿だった。妹はきっと母に複雑な想いを抱いていたのだと、その時になってやっと気がついた。そして、この時ほど母を憎たらしく思ったことはない。私はこの軽薄な売女を殺してやりたいと思った。

(一方で、私はそれから母方の家族を避けただけで、それ以降母はもちろん妹にも会っていない。結局、私は逃げたのである。)

 人生はドラマではない。「恋多き者の一生」は、傍から見ればドラマチックだし、本人にとってもきっと刺激的な生活が待っているに違いない。しかし、それに振り回される人間はたまったもんじゃない。母が母なりに苦労しているのは理解している。女手ひとつで兄と妹を育てあげ(我々は四人兄妹であり、私はその三男であった)、昼職と夜職をかけ持ちしながら生活することは、並大抵の苦労ではないはずだ。母が夜職の源氏名を、兄と妹の名前から取っていることも知っている。しかし、それでも自分にはどうしても母を愛することが出来なかった。実際、他人の愛に飢え、それに振り回され続ける人生など滑稽の極みである。ある時は「これこそが真実の恋だ」とか思い、それが裏切られれば別の相手にまた同じことを考える。その都度「この人こそが運命の人だ」と語り、不幸に塗れた自分の一生を美化する。まぬけな感傷である。そのせいで同じ間違いをずっと繰り返していることがわからないのだ (確かチェーホフは「かわいい女」という短編でそれを見事な皮肉と共に描いていた)。

 母との因縁があるからか、「恋多き女」と知り合うと、惹かれるわけではないが「説得したい」という謎の欲求が湧いてくる。余計なお節介なのは承知している。ちょうど去年の三月まで、該当する女友達が一人いた。一緒に飯を食いに行っては、向こうの恋愛談を聞いて笑うということを何度かした。食事の度、相手が不幸で、最近別れたからなお一層不幸であること、そして新しい彼氏を求めていることを聞いた。その意味はわからないふりでやり過ごして、代わりに「自立した人間になること」を推奨するという、愚にもつかない、思い返せば大変恥ずかしい説教を垂れた。結局、我々は疎遠になった。それは私の「道徳的な説教」のためでもあるが、諦めきれない相手がいたからであった。私には、愛さずにいられないただひとりの人がいた。向こうはそれを知っていた。そして、向こうからすればそんな相手がいるのに他の女と遊ぶ私の方がふざけていると思えたのである。とまあ、勝手な憶測だがそう考えている。

 しかし、まるで三文芝居のようなセリフを書いてしまった。こうして考えると、自分の母への憎しみはまるで同族嫌悪のように映る。依存できる相手を求め、他人の愛に飢え、そして振り回される。自分にそんな母と似たところがないと言えば嘘になる。そして、それを思うと嫌で仕方ない。

 何より嫌なことは、もう二十中盤なのに、未だに過去の暗い影を引きずり、それに苛まれているということだ。いつになれば嫌な思い出を忘れることが出来るのか。いつになれば思い出から解放され、自由に生きることが出来るのか。自分が特別不幸だとは思わない。ただ、このように過去を掘り下げて勝手に猜疑に苦しむなど、我ながら滑稽の極みである。そもそも、二十代の若造が自分のこれまでの人生を説明付けようとしたところで、浅い考えしか出てこないはずだ。我々は自分の直面する状況に応じて意見を変える。昨日までと同じことを今日明日も考えるとは限らない。架空の人間の自伝を描くならともかく(それがジッドやプルーストが試みた小説であった)、個人的な過去をわざわざ語ることに何の意味があるのか。苦境に立たされた時、人は自分の苦しみに説明を与えようとする。しかし、実際にそれが発生した原因と理由は、当時の自分では思いもしなかった所にある場合が多い。だから時が経ってやっと物事の真意が掴めるようになる。恐らく我々に求めれらるのは、自分の身体に刻まれる傷跡に耐えると同時に、それを乗り越えた先に向かおうとすることである。

22/04/28

"アントニオーニが言うように、もし我々がエロスを病んでいるというのなら、それはエロスそれ自身が病んでいるからである。それが病んでいるのは単にその内容において老化し、消耗してしまったからではなく、既に終わった過去と出口のない未来の間で引き裂かれる、一つの時間の純粋な形態の中に囚われているからである。"

「善く生きるためには教養が必要だ」と、一般に考えられている。芸術、哲学、科学など、人間の文化的な産物は、より素晴らしい人生のための準備であり、それを知ることで人は以前より豊かに生きられる、というわけだ。無論、そんなわけがない。「豊かな一生」を送りたいなら、今すぐ本を閉じて、友達と遊び、家庭を持ち、社会貢献でも果たすべきだろう。どの分野であろうとも、傑作と呼ばれるものは、ある程度人生を犠牲にした上でしか成り立たない (よって芸術、哲学、科学は、多少なりとも生活を営む上で害のあるもの、不道徳なものだと考えていい)。『失われた時を求めて』でも、「より優れた生活のための準備 」として学術に触れる者は、しょうもない人間として揶揄される。むしろプルーストにとって、芸術こそ我々が他人に虚しく期待したものを与えてくれる存在であった。

 確かに生活上で何らかの経験を積まないと、何も生まれないかもしれない。しかし、何でもかんでも経験すればいいという話ではない。むしろ世の中には、しなくてもいい経験というのが沢山ある。少なくとも私には、思い返して「経験しなければよかった」と考えるものが幾つかある。

 それに、何かを経験したところで、それを批判的に検討できる思考がなければ、馬鹿の一つ覚えのように同じ言動を繰り返して終わりである。経験には錯覚が付き物だ。真に独創的な発想は、経験に基づきながらも、同時に経験を乗り越えた先にしか存在しないのだ。

 悲しむべきことに、私はよく実年齢より老けて見られる。良く言えば落ち着いている、しかし悪く言えば活気がないのである。だからだろう、そんなに大した経験を積んでないのに、経験豊富な人間だと誤解されることが多い。実際はそんなこともないのに。むしろ、私は他より遥かに人生経験の浅い人間だと思われる。そして、それをそんなに悪いと思っていない。一つの経験を肯定するためには、それ相応のいい想いをしなければならないから。でなければ、いつまでもその経験を恨んで終わりだろう。

 避けてきた経験とも言うべきものがある。時には後悔することもあるだろう。ただ、普段からそれを口にするわけではない。見栄が邪魔するのだ。昔から、「かっこいい人間」として扱われることに憧れがある。心と生活に余裕があって、自由にそして快活に振る舞い、人望に厚く、だが多少影のある人間。そう、『グレート・ギャツビー』や『アビエイター』など、度々レオナルド・ディカプリオが演じる野心家たちに当てはまる人物像だ。ハンサムで人当たりもいいが、いつも悪い噂に絶えないのである。もとい、今でもその手のタイプの人間に憧れがある。

 決して欲の限りを尽くしたいのではない。むしろ性欲や物欲は人より少ない方だと思われる。それでも、自分が強い人間だということを他人に知らしめたい。自分の権力を誇示したいのだ。それは決して欲深く、理性のない人間にあてはまる特性ではない。むしろある観点からすれば禁欲的で、高い知能を備えた者に見受けられる。彼らは自分が強者であることの証明のために、金銭を、異性を、豊かな物質的生活を求めるのだ。

 私自身がその手の人間なわけではない。ただ一方で、その気持ちは大いにわかる。上のような人物像に憧れる以上、自分にもやはり権力欲が備わっているから。権力欲、それは単に高い社会的地位を獲得することを目的とするのではない。人は自分の生きる環境に応じて、それぞれ異なった形で権力欲を満たそうとする。ある者は仕事に没頭し、ある者は趣味や研究に命をかけ、またある者は恋人や家族に固執し、あるいは自身の社交上の付き合いを広く持とうとする。そうして自分が他より優れていることを、他より能力や財産に恵まれていることを証明しようとするのだ (美しい恋人や優れた友人がいることは、多くの人にとって高価なブランドの服や外国製の車を持つことと同じである。自分を一途に想ってくれる者がいることは、それだけで他よりも強い力を持つことの表れとなる) 。

 とにかく、大した経験もないくせに、私は人一倍この権力欲の疼きに敏感である。結果として、今のような見栄っ張りな人間になってしまった。だから経験したふりをすることも多い。知ったかぶりだってする。 もっとも、それは会話する時に気まずいからでもある。向こうが「知ってるだろうな」という前提で語りかけるので、それを裏切り、話の鼻を折るのが申し訳ないのである。

 しかし、やはり後悔を覚えることがある。そう、丁度今のように。確かに権力欲に敏感であったために、傍からすれば多少なりとも魅力的な、優れた人間に見えることがあったかもしれない。時には経験してない経験までも空想されて、「きっとあんなことやこんなこともしてるんだろう」と語られているのだろう。無論、それも大歓迎だ。自分がより強い人間に、優れた人間に見られることは、実際嬉しいことだから。

 しかし、そのために自分が本当に欲しいものが手に入らないのであるとすれば、こんなに馬鹿らしい話はないではないか 。見栄と自尊心が築いた城壁のために、手の届かない場所があり、そのために苦しんでいるのだとすれば。垣間見た世界線の続きが知りたいのに、それが出来ずにもがいているのだとすれば。私は自分の愚かさを後悔する。しかし、こんな風に生きる以外にどうすればいいかわからなかったのである。

 あるラッパーの歌詞に「神だか何だか目に見えねぇが/死ぬほど苦しんだら幸を与えてくれ」というものがある。我々は他人の苦しみには無関心だが、自分の苦しみには異様に敏感だ。もし他人の苦しみが関心を引くとすれば、それが自分の苦しみと共鳴するからだ。すべて自業自得なのはわかっている。しかし、心の何処かでこんな自分を可哀想だとも思っている (実に情けない話だが) 。私は十分に苦しんだ。その分、報われてもいいはずだ。何も大層なものが欲しいとは思わない。幸福になりたいとも言わない。ただ、ささやかな瞬間の積み重ねが、この胸に募った後悔を晴らすきっかけが欲しいのだ。傍からすればちゃらんぽらんに見えるかもしれない。それでも、自分なりに努力して生きてきたつもりだ。それが多少なりとも報われてもいいはずだ。なのに、何故それが手に入らないのか。

"アントニオーニが偉大な色彩画家であるとすれば、彼がいつも世界の色彩を信じ、色彩を創造し、我々の頭脳的認識のすべてを革新する可能性を信じてきたからである。彼は、世界における伝達不可能性を嘆く作家ではない。ただ世界は壮麗な色彩で描かれているが、世界に住まう身体は、まだ無味乾燥で、無色なのである。世界はそこに住まう人々を待っているが、彼らはまだ神経症の中に自己を見失ったままでいる。しかし、だからこそ身体に注意を向け、その疲労神経症を観察し、そこから色調を取り出さなければならない。アントニオーニの作品の一貫性とは、身体 - 人物が、自分の倦怠や過去に直面し、頭脳 - 色彩が、未来のあらゆる潜在性に直面するという点である。しかし二つはただ一つの同じ世界、我々の世界を構成し、その希望と絶望を構成しているのである。

 人は予期せぬものとして与えられた場合にしか幸福を認知しない。ある程度頭で思い描いていたものが与えられても、想像と現実の些細な違いが気になり、それに心から満足を覚えられないだろう。どんな場合であれ、幸福とは意表を突かれる形でしか与えられないのである。

 言い換えれば、私は他人を幸福にすることは出来るが、自分を幸福にすることは出来ないのである。確かに本や音楽に触れて感動することは多い。しかし、それもやはり対象から与えられているのである。私は誰かを幸福にしたい。だから、誰かに幸福にして欲しい。矛盾しているように見えるかもしれない。何故なら、冒頭で「芸術と生活上の幸福は相容れない」と断じたからだ。しかし、欲張りでもいいではないか。私は報われたいのだ。他の人が望んでいるものを、自分だけ望んではならないなんて法はないはずだ。

 私は今日まで、喜び以外の何も求めなかった。自分が何かを求めるとすれば、それがなければ不幸になるからだ。今、私は実に不幸だ。私を幸せにして欲しい。これは、長年に渡る切な願いである。