日記

21/07/24

年に幾度か、不眠に悩まされる夜々を過ごす。早ければ一週間で終わるが、長ければ一ヶ月以上それが続く。そして今、まさにその時期である。今日も眠れず夜を明かしてしまった。しかし、決してそれを悲観する必要はない。「打ち勝ちえぬ病に冒された時、重要…

21/07/18

関係性の内で消費される社会。恐らく私達が生きる世界とは、その一言で表現することが可能であろう。力、それは別の力に対する関係によって成り立つ。これはかつてニーチェが打ち立てた哲学的なテーマの一つでもある。一つの力の大きさは、別の力との関係の…

21/07/08

ゲームには規則がある。そして規則がある以上、ゲームには正解がある。一般的な人間関係というものは、およそこのゲームの理論を把握することである。こう言った時にはああ言って、ああ言った時にはそう言う。そのようなやり取りの規則性を把握すること。あ…

21/07/04

雨が降る。さながら感情の嵐のように、大地を鞭打つ豪雨が降る。かつて黒澤明は、雨を激情の表現として用いた。恐らくベルイマンはそれから影響を受けて、『野いちご』におけるある美しい場面を考案した。土砂降りの雨の中、二人の男女が佇んでいる。女は男…

21/06/29

「病気が私をゆっくりと解放してくれた。病気のおかげで私は、仲違いをしなくても済むようになったし、波風の立つ、厄介な奔走に苦しまなくてもよくなった……。病気は私に、自分の習慣を根本的に変える権利を授けてくれた。」 上の言葉は、ドゥルーズの小論『…

21/06/25

「反復とはかけがえのないものへの行動である」とは、確かドゥルーズが『差異と反復』の序論で書いていたことだ。しかし、何故反復すること(繰り返すこと)が「かけがえのないものへの行動」に繋がるのか。それは、人が置き換え不可能なものしか繰り返される…

21/06/19

顔というのは不思議なもので、それは言葉が語る以上のものをこちらに想起させる作用を持つ。今目の前にスクリーンがあって、そこに一つの映画が流れていたとしよう。カメラは突如登場人物の顔をクローズアップし、キャラクターはそこで僅かに口を開く。そし…

21/06/12

上手く言い表せないのだが、ここ二、三ヶ月の内に、ある劇的な心境の変化が生じている。何故かはわからない。ただ、かつて執着のあったものへの執着が殆ど失われつつある。たとえば家庭。私はかつて、自分の子供時代に苦しめられていた。そして子供時代に関…

21/06/08

「私は秘密を信じている、つまり<偽なるものの力能>を信じている。だから正確さと真実への嘆かわしい信仰がしみついた物語は私に似合わない」と、かつてドゥルーズはある批評家への手紙の中で書いていた。 ドゥルーズ哲学の内には、その最初期から一貫して…

21/06/04

かつて、私には過去にいくつかの後悔があった。最近ではそれに苛まれることが少なくなったが、しかしそれでも、時折ある一つの思いが頭をよぎることがある。 ベルイマンの『鏡の中にあるが如く』には次のようなセリフが登場する。「人は皆、自分の周りに円を…

21/05/29

この世の中には、やたらと自分の活動 - 作品に意味を持たせようとする人がいる。「自分はこれこれこういう理由と目的をもって制作をして、このような意図を持って活動している」というわけだ。白状すると、私にはそういった人が皆傲慢に思えてならないのであ…

21/05/24

夏が近づいている。私は今、暮れる一日を背景にしながら、薄暗い部屋でひとり (僅かな明かりを頼りにして) こうして文章を書いている。夏を思わせる匂いを感じ取る度に、およそ五年前の日々を思い出さずにはいられない。あの頃、私はほとんど他者と関わりを…

21/05/19

月日は流れる。ついこの間まで冬だと思っていたのに、気がつけばもう五月の下旬である。じめじめとした、湿っぽい天気が続いている。私は額の汗を拭う。もう初夏が始まろうとしているようだ。最近、時の流れのはやさに驚く。一体こんなにも歳月というものは…

21/05/10

晩年のニーチェにはある有名な逸話がある。その日、イタリアのトリノに訪れていたニーチェは、自分の泊まったホテルの近くで、ある一匹の馬がいじめられているのを見る。馬は鞭で打たれ、苦しそうに鳴き声をあげていた。やがてニーチェはその馬に近づいた。…

21/05/07

もはやニヒリズムの時代は終わった。誰かがそう言ったとしても言い過ぎではないだろう。今から百年以上も昔に、ニーチェは「神は死んだ」と語った。しかしその時、彼は決して「神の死」を問題にしてはいなかったのである。 ニーチェによれば、西洋においてキ…

21/05/03

孤独であることと自由であること同じ意味を持つ。暗がりでひとり本を開く時、私は自分が天体を動かす神になった気分になる。 先日の日記で、私は「ドゥルーズを理解した」と書いた。無論完全に理解したというわけではないのだが、ただ何かを「掴んだ」気がし…

21/04/28

私は人付き合いが苦手かもしれない。そう言うと少し語弊があるかもしれないが、最近ふとその事に気がついた。なるほど、自分で言うのもなんだが、社会的な関係(愛想笑いや社交辞令が主となる関係)やその場しのぎの関係、または初対面の相手に対してなら饒舌…

21/04/24

不意になにか、今日までの悩みが皆馬鹿馬鹿しく思えるような瞬間が訪れた。私はいつまで過去を引きずっているのだろう。私は変わった。そして変わるとは失うということだ。もしかつての自分が既に失われているならば、私が心のどこかで執着しているかつての…

21/04/23

古典主義時代において、西洋の人間観は「無限の中に置かれた有限」だったという。たとえば理解力。なるほど今の私の理解力は限られたものだが、その範囲を拡張しようと思えばいくらでもできる。ただ、どんな人間にも限界がある。死で終わることそれ自体、生…

21/04/18

あまり外出しない割に、私は浅黒い肌をしている。恐らく、日々の不摂生な食生活のせいだろう。三百六十五日、ほとんど毎日カップ麺を食べている (最近のお気に入りはチキンラーメンである)。それが身体に悪いのは分かっている。そう、わかっているのだがやめ…

21/04/12

「理論的にも実践的にも嫌気がさすのは、生に対するあらゆる類の不平不満であり、悲劇的な文化全体であり……すなわち神経症なのです。」 実は今、書きたいと思っている小説が二つある。どうせ他に書くこともないので、とりあえずそれについて書いてみようと思…

21/04/08

大まかに言えば、役者とは二通りの種類に分けられるものだと思われる。一つはどの演技を通しても同じキャラクターしか演じられない役者で、もう一つはそれぞれの演技によってキャラクターの性格がまるで異なる役者だ。前者には三船敏郎やホアキン・フェニッ…

21/04/01

数年前、あるショッキングな事件が私を襲った。その日は偶然、一人の可愛い女の人と知り合う機会を得た。そして一時的にその人とカラオケで二人きりになった。実を言うと、私は異性とカラオケで二人だけになるのが初めてだった。無論、向こうはそんな事を知…

21/03/20

どうでもいい話かもしれないが、私はかつて非常に神経質な性格をしていた。そしてそれがとてもコンプレックスだった。今ではそんなに神経質に見えないかもしれないが、それも自分なりに努力した結果だと言える。学生の頃、私は結構 (いや相当) 気持ち悪いや…

21/03/15

自分の中にあるものが決定的に変わり始めている。それが何なのかはまだ上手く言い表せない。ただ、最近はそれを強く感じている。そして、それに突き動かされるようにして生きている。 昔から、私の内にはある一つの傾向があった。それは、欲しいものを前にす…

21/03/09

「……だからシャトレにおいて唯一承認に耐える心理学があるとすれば、それは政治学であるだろう。何故ならわたしは絶えず「我」自身との間に人間的関係を創造し直さなければならないからである。(…… )打ち勝てない病におかされた時、重要なのは病を " 経営す…

21/03/04

「罰を受ける前には、私達は法が何を欲していたかわからず、したがって有罪であることによってしか法に従うことが出来ず、私達の有罪性によってしか法に答えることが出来ない。(……)厳密に言うなら不可知であり、法は私達の処刑される身体に最も過酷な制裁を…

21/02/27

インターネットは今や第二の現実である。それはSNS世代を生きる私達の誰もが知っている事だ。インターネットは、これまで私達の中で「見えない」とされていたものを「見える」ものに変える( = 可視化する)機能を持つ。SNSは利用する側の好みや性格、趣味趣向…

21/02/23

現実は思い出の中よりも美しくはない。それが美しく見えるのは、思い出される記憶が実際と違って静止しているからだ。いつからかは忘れたが、私はそのことに気がついた。そして自分が生きるよりも思い出すことの方が好きなのだということも。 最近よく思い出…

21/02/19

楽器、絵の具、ペン。あらゆる芸術はそれら物質を通さなければ表現されることがない。それは芸術の事実問題とも言うべきものだ。 しかし、ある演奏を録音したテープが必ずしも百年後まで残っているわけではない。むしろ百年前のテープなど、何の手入れもしな…