日記

20/08/04

「大抵の人にとっての知性とは、反応が鈍くて陰鬱な、油切れして操縦のしづらい機械だ。彼らは、この機械を働かせてよく考えようとすると、『真面目に考える』という言い方をする。そう、よく考えることが、彼らにとっては苦痛なのだ。愛すべき動物たる人間…

20/08/03

現代、それはSNSの時代である。私達の世代にとって、インターネットとは第二の現実だと言えよう。しかし、それがとても恐ろしい事のように思えることがある。 たとえば朝起きて、ふと自分の枕の横を眺めると、そこには私のスマートフォンがある。画面の上に…

20/07/31

今の私は、はっきり言えばちゃらんぽらんな人間だ。社会的な身分もないし、未来も不安定である。何かを成したいとか、このままではいけないと焦る理由には、私の名誉心の問題や、このまま腐ることへの恐れもあるが、何より他人に誇れる社会的な身分が欲しい…

20/07/27

ベルクソンは哲学的な方法の一つとして、直観に重きを置いた。が、初めてその考えに触れた時、(恐らく多くの読者がそうであったように)流石に「直観」を手段とするのはあまりにも漠然としているというか、曖昧すぎはしないかという気持ちを抱いた。しかし、…

20/07/24-25

私達はそれぞれがそれぞれ、自分の生きるべき場所を探している。若い内は特にそうだ。自分の生き場所を探し、時には既にそれを見つけているかのように振る舞う。しかし、本当に自分の行き場を見出している人間は極小数で、大抵はそうであるかのように見せか…

20/07/21-22

暗い部屋。鍵のかかった個室。狭く、誰もいなければ、窓もない。殆ど完全に外界から切り離された場所。最近のネットカフェは、そんな環境を私達に提供してくれる。そして、それは私が今、この文章を書いている場所のことでもある。 時折、意味もないのに、ネ…

20/07/18-19

私達には始まりもなければ終わりもない。それは丁度、生まれた意味がはじめから与えられたものではなく、むしろ後から見出されるのと同様である。私達の「始まり」は、私達が生きていく過程で、後から見出される。見出されるもの、それは発明されたものでも…

20/07/16

気流と気流がぶつかり合うことで、また新しい風の流れが生じる。このように、この世界の根底にあるのは、力と力とのぶつかり合いであり、力の、力との関係である。 あらゆる力は、他の力との比較、差異の中にしか存在しない。よって、一つの力とは、常に自己…

20/07/11

過去を振り返るには二つのやり方がある。一つは過去を過去形(過去そのもの)として振り返ることで、もう一つは過去を現在形で(現在の出来事として)考えることだ。 私達の人生には、説明のつくことよりも、説明のつかないことの方が遥かに多い。しかし、それで…

20/07/08-09

歳の若い人間として当たり前なことではあるが、私には経験していないことが沢山ある。中には、敢えて避けてきた経験もある。それは私が真面目だからなのか、それとも単に臆病だからなのか。恐らく、後者が真実なのだろう。私は人一倍臆病な性格をしているか…

20/07/05

先日、友人達と集まって話している時のことである。その内の一人が、願い事がよく叶う神社が近くにある、との話をしてくれた。彼自身も時折そこに願掛けをしに行くらしかった。そして、普段は微塵も興味がないにも関わらず、思わずその場に向かいたい気持ち…

20/06/30

苦悩すると、人はその苦悩の責任と原因となるべき存在を求めようとする。そして、このように苦悩に満ちた人生はあやまちであり、間違ったものであり、救済され、償われるべきものであると考えるようになる。人によっては、苦悩を深め、益々苦しむことで、自…

20/06/27

ここ数年間で最も印象に残っていることといえば、やはり二年前の日々の出来事である。今日、私は友人と共に互いの過去についての話をした。その際、私の口から真っ先に出たのは、あの過ぎた日々の記憶であった。 20/04/26の日記でも既に触れたが、あの頃、私…

20/06/23

思弁的なレベルで言えば、あらゆる問題は提起すれば必ず答えを出るようになっている。というのも、答えを想定して問題は設定されるからだ。では、同じ問題を堂々巡りして、いつまでも解決が見えないという現象は、何故よく見られるのか。それは、そもそも問…

20/06/21

私はいつも、ある一つの避けがたい欲求に駆られている。それは、常に他者に対して不可解な印象を与えたい、という欲求である。 得体の知れないものに、思い切りよく手を突っ込む人などいない。まさに暗闇で手を泳がせるように、私達は謎の多いものに対して、…

20/06/17

死にたくない……この一、二ヶ月、どういう訳か過去の思い出が、特に家族との思い出が頭にちらつく。その度に、私は自分が何故こうなったのかを思い出す。最近は家を出ていった時のことをよく考えている。そう、昨日の日記にも書いたが、私が家を出ていったの…

20/06/16

文化とは一つの影である。文化は理想を掲げ、その実現を追い求める。しかし、それはいつも成功しない。何故なら、理想とは常に悲しみの反動から生じるのであり、一つの影であるから。影を追いかけても捕まえられないように、どれだけ努力しても、理想が実現…

20/06/13-14

哲学とは一つの誘惑する力である。真実は時に、産まれたての赤ん坊のように醜い印象を与えることがある。悲しみは喜びよりもいっそう真実に近い。もし哲学的な探求を一つの真実の解明であるとするならば、哲学とは、元々私達が暮らしていた世界の安逸を破壊…

20/06/09

人は皆、何かしらのマイノリティに変化する可能性を持ったものとして生きている。何故なら誰しも必ずどこかしら病んでいるから。そういう意味では、この社会は大きな病院だと言えないこともない。ただ、大抵の人は自分の何処が病んでいるのかを知らないので…

20/06/04-05

昨年の初め頃、私はさる友人と、約二年ぶりに会う約束をしていた。しかし、待ち合わせの前日、彼は突然、あと二人、私の知らない人を呼んでもいいかという聞いてきた。私としては、特に断る理由もなかったので、それを承諾した。 当日、先ずは私と彼が合流す…

20/06/03

全ての幸福は永遠を望む……幸福とは繰り返すことへの憧れである。現状に幸福を覚えたならば、人はその場に留まることを求める。 しかし、だからこそ人間は決して幸福になれない。幸福を覚えることは出来ても、幸福に暮らし続けることなど出来やしない。人は過…

20/05/30-31

予てから考えている事だが、人間には弱さへの趣味があると思う。ある人の善良さとは、ある人の弱さの裏返しである事が少なくない。優しい人とは気の弱い人のことである。そして、傷つけられた者、悲しみの人間は、自分を傷つける可能性のあるものに復讐する…

20/05/28

時間、それは連続するものだ。 日々の流れの中で、一日一日を生きるというよりかは、連続する無際限な時間を生きる、といった感じを覚えることがある。今日は昨日の続きである。私達は昨日を念頭に置きながら今日を生きる。言い換えるならば、私達は昨日を取…

20/05/25-26

これからの生活のことについてを考えて、私は今、途方に暮れている。 関西に引っ越そうかと考えている。向こうにツテがないわけでもない。そこで半年から一年にかけて、落ち着いて自分の取り組みたいことに取り組むのも悪くないかもしれない、というわけだ。…

20/05/21

何処か遠くへ行きたい……初めてそのような意識を強く持ったのは、確か十代の半ばを過ぎた頃くらいであった。 当時、何故かわからないが、私はこれまでの自分の人生に強い恥を感じていた。そして、自分自身への不満というものは、自分の今いる環境への不満の反…

20/05/17-18

自然界にある生物は、各々が各々、自分だけの流儀で成長し、常に自らの課題に取り組んでいる。蟻には蟻の生き方があるし、ダニにはダニの生き方がある。そして、(当たり前であるが) 蟻はダニになれないし、ダニもまた蟻にはなれない。 しかし、人間にはそう…

20/05/15

私達は皆、存在しない青春を追い求めている。失われたかつての世界への悲哀を、あったかもしれない人生への可能性を、まるで帰るべき故郷のように空想し、恋焦がれている。理想というものは時に、過去から現在に至るまでの悲しみを償うために見出される。感…

20/05/11

音楽はやさしい毒だ。それは麻酔のようにこちら痺れさせ、麻薬のようにこちらを溺れさせる。心地よい静穏と物憂げな陶酔。心が落ち着き、神経が静まり、満たされるような感覚が、じわじわと全身に広がってゆく。この快楽を知ってしまっだら最後、もう以前の…

20/05/08-09

一昨日、とても悲しい夢を見た。それは映画のように長く、物語のある夢であった。夢の最後で、私は泣いた。そして、泣きながら謝っていた。 そして私は目を覚ました。 その物悲しい夢は、しかし同時に(何故かはわからないが)とても幸福な気持ちをも私に与え…

20/05/06

少年時代のある放課後のことである。私は初めて母や妹達の暮らす家に顔を出した。それは父と母が離婚してから、既に数年が経つ頃のことであった。その頃には、私も物事のわかる年になっていた。そして、私と母が会うのは不定期であり、最低でも半年に一度、…