日記

20/10/22

喜びにも幾つか側面があるだろうが、その内の一つとして、自分の持てるものを満たすことの喜びがあるのは間違いないことだろう。たとえば散歩。私は歩くのが好きで、よく深夜に宛もなく街を徘徊したりするのだが、この時に私が感じている喜びは、自分の身体…

20/10/18

……夜になれば、蛾はランプや電灯の周りを飛び回る。が、一体何故彼らがそうするのかは誰も分からない。少なくとも、蛾の登場が人類の誕生以降であるのは間違いのない事だろう。もし蛾が人工の灯り以外にも反応するのだとすれば、彼らはもうとっくの昔に月に…

20/10/15

「長い間太陽の運動について思い違いをしてきたように、人々は今なお、来るべきものの運動について思い違いをしています。未来はじっとして動かないのです、カプス君。しかし私達こそ無限の空間を動いているのです。」 クローン羊のドリーを覚えているだろう…

20/10/12

「ニーチェの内では、至福感と抑うつ状態が代わる代わるに現れるのだが、その間隔は次第にますます短くなり、目まぐるしくなってくる。ある時には一切がこの上なく優秀に思われる。彼の仕立て屋も、彼が食べるものも、人々が彼を迎えてくれるさまも、店内に…

20/10/08

「……しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することが出来ねばならぬだろう」 プルーストの『失われた時を求めて』の冒頭において、語り手が紅茶にひたしたマドレーヌを口にすることによっ…

20/10/05

私にはいつか、ある特殊な自伝を書いてみたいという気持ちがある。つまり、私の体験した出来事とか、自分と誰かとの過去の思い出とかを書くのではなく、私が今日までに出会った作品、または私が今日までに愛したことのある作品についての自伝を書きたいので…

20/10/01

ベルクソンに由来する哲学の特徴として、差異の肯定というものがある。つまり、違ったものであることは喜ばしいことであり、差異は常にある種の新しさをもって現実に提示されるものだ、という主張である。では、この主張の新しさは、一体どこにあったのか。…

20/09/29

自分自身であることの苦しみ。街ゆく人々を眺めていると、私には、皆がそのような苦しみを負っているよう思われる。では、それが苦しいのは何故か。恐らく、それはどんな人でも自分自身からは逃れられないという、まさにその点にあるのだろう。 時折、自分自…

20/09/24

男は男で固まって、「女にろくな奴なんていない」と言う。女も女で集まって、「男にろくな奴なんていない」と言う。双方ともに大きな誤解をしている。男にも女にもろくな奴なんてそうそういない。ただ、どんな人にも必ず愛すべきところがあり、そしてだから…

20/09/21

人は過去の奴隷なのか。時折、そんな疑問が頭に浮かぶような場面に直面する。なるほど、それはそうかもしれない。しかし恐らく、過去のくびきから逃れる方法が、ただ一つだけ存在しているのではないか。 それはつまり、過去を内省するということである。過去…

20/09/17

晩夏、または秋の訪れ。夏の終わりには既に秋の始まりが含まれているのが常である。季節の変わり目にはよく体調を崩す。私は今朝体調を崩したばかりだ。で、そんな状態で、近くのコンビニへコーヒーを買いに外に出ると、ふと涼やかな風が、陰鬱に染った曇り…

20/09/15

物語の終わり、それは常に物語の中盤に内在している。しかし、私達を魅せる物語とは、いつだってその終わりを予測させないものである。 それは感動の作用というものが、いつも不意に訪れ、後ろから突き刺すようにこちらを襲うものだからでもある。たとえばあ…

20/09/09

食事を摂るのは何故こんなにも面倒なのか。毎朝、目が覚める度にそう思う。 私は基本料理をしない。誰かといる時ならするかもしれないが、一人でいる時は絶対にしない。普段の食事は買って済ませている。菓子パン、コンビニのおにぎり、カップ麺。この四年間…

20/08/07

先日、久しぶりに映画館に向かった。本当に久しぶりのことである。記憶が正しければ、最後に行ったのは『ハウルの動く城』で、だとすれば約十五年ぶりとなる。父と兄と私の三人で見にいったのを覚えている。昔から、映画が好きにも関わらず、何故か映画館で…

20/09/03

小学生の頃の話である。学年がいつかは忘れたが、ある日の昼食後、私はその日の給食を、トイレの小便器に吐き出したことがある。無論、小便器では嘔吐物は流れない。だから、やがてその吐き出された給食の発見者が現れてきた。下校前になれば、クラスのホー…

20/08/28

先日のことである。深夜に何故か、突然セブンイレブンのカツ丼が食べたくなった。で、住んでいる街にあるセブンイレブンを三件ほど渡り歩いた挙句、最後の一件でようやく目的の代物が手に入った。が、しかし食べ始めてみると、期待してた程にそれが美味しく…

20/08/25

ふと思うことだが、何やかんや言いつつも、私は家族を愛しているらしい。先日、偶然にも自分の兄についてを話す機会に恵まれた。その時、私は自分の心が多少なりとも高揚していることに気がつき、それに驚いたのである(入社一年目にして全国新人成績二位など…

20/08/18

人と映画を観ることが、最近私の趣味になりつつある。映画はいい。映画を観ると、人は自ずと(たとえ他の誰かと観ていても)映画と二人きりになる瞬間を一度は持つこととなる。それは、一時的であれ孤独に向き合う瞬間にもなるということだ。孤独になれば、人…

20/08/17

『ヴェニスに死す』は概して美と道徳の相克を描いた小説だと言える。芸術的な美は、常に一般常識の皮をひん剥いた所にしか存在しない。作中に現れる青白い肌をした美青年タジオは、そのような芸術的な美の象徴とも言える存在である。対して、主人公のアッシ…

20/08/14

「スピノザは希望も、勇気さえも信じていなかった。彼は喜びしか、洞察する視力しか信じなかった。他の人々が彼の生き方に構わないでいてくれれば、彼は他の人々の生き方に構わなかった。ただ霊感を与え、目を覚まさせ、物が視えるようにさせてくれること、…

20/08/10-11

子供の頃、私はヒーローに憧れていた。ウルトラマンとか、少年漫画の主人公とか、そういう存在に。十代になれば、ロックスターとか、カナダの奇抜なピアニストにも憧れた。ただ、憧れがいつだってそのままなりたいものであるとは限らない。ヒーローに憧れつ…

20/08/07

「哲学は、絵画や音楽と同じように、創造的芸術だと、私には思われる……」 全てのものはただ一つの実態( = 自然)の延長にあり、この世のあらゆる存在は、その唯一なる実態が無限に変化し、変容し、多様化した末に発生したものである。これがスピノザの有名な…

20/08/04

「大抵の人にとっての知性とは、反応が鈍くて陰鬱な、油切れして操縦のしづらい機械だ。彼らは、この機械を働かせてよく考えようとすると、『真面目に考える』という言い方をする。そう、よく考えることが、彼らにとっては苦痛なのだ。愛すべき動物たる人間…

20/08/03

現代、それはSNSの時代である。私達の世代にとって、インターネットとは第二の現実だと言えよう。しかし、それがとても恐ろしい事のように思えることがある。 たとえば朝起きて、ふと自分の枕の横を眺めると、そこには私のスマートフォンがある。画面の上に…

20/07/31

今の私は、はっきり言えばちゃらんぽらんな人間だ。社会的な身分もないし、未来も不安定である。何かを成したいとか、このままではいけないと焦る理由には、私の名誉心の問題や、このまま腐ることへの恐れもあるが、何より他人に誇れる社会的な身分が欲しい…

20/07/27

ベルクソンは哲学的な方法の一つとして、直観に重きを置いた。が、初めてその考えに触れた時、(恐らく多くの読者がそうであったように)流石に「直観」を手段とするのはあまりにも漠然としているというか、曖昧すぎはしないかという気持ちを抱いた。しかし、…

20/07/24-25

私達はそれぞれがそれぞれ、自分の生きるべき場所を探している。若い内は特にそうだ。自分の生き場所を探し、時には既にそれを見つけているかのように振る舞う。しかし、本当に自分の行き場を見出している人間は極小数で、大抵はそうであるかのように見せか…

20/07/21-22

暗い部屋。鍵のかかった個室。狭く、誰もいなければ、窓もない。殆ど完全に外界から切り離された場所。最近のネットカフェは、そんな環境を私達に提供してくれる。そして、それは私が今、この文章を書いている場所のことでもある。 時折、意味もないのに、ネ…

20/07/18-19

私達には始まりもなければ終わりもない。それは丁度、生まれた意味がはじめから与えられたものではなく、むしろ後から見出されるのと同様である。私達の「始まり」は、私達が生きていく過程で、後から見出される。見出されるもの、それは発明されたものでも…

20/07/16

気流と気流がぶつかり合うことで、また新しい風の流れが生じる。このように、この世界の根底にあるのは、力と力とのぶつかり合いであり、力の、力との関係である。 あらゆる力は、他の力との比較、差異の中にしか存在しない。よって、一つの力とは、常に自己…