21/04/23

古典主義時代において、西洋の人間観は「無限の中に置かれた有限」だったという。たとえば理解力。なるほど今の私の理解力は限られたものだが、その範囲を拡張しようと思えばいくらでもできる。ただ、どんな人間にも限界がある。死で終わることそれ自体、生…

【ドゥルーズ哲学紹介】

※先日行った読書会向けに用意したもの。せっかくだからここにも載せとこうと思う。 ドゥルーズはかつて「哲学者とは哲学者になるもののことだ」と述べたことがある。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-1995)の特徴は、この「何かになる」過程に注目した…

21/04/18

あまり外出しない割に、私は浅黒い肌をしている。恐らく、日々の不摂生な食生活のせいだろう。三百六十五日、ほとんど毎日カップ麺を食べている (最近のお気に入りはチキンラーメンである)。それが身体に悪いのは分かっている。そう、わかっているのだがやめ…

21/04/12

「理論的にも実践的にも嫌気がさすのは、生に対するあらゆる類の不平不満であり、悲劇的な文化全体であり……すなわち神経症なのです。」 実は今、書きたいと思っている小説が二つある。どうせ他に書くこともないので、とりあえずそれについて書いてみようと思…

21/04/08

大まかに言えば、役者とは二通りの種類に分けられるものだと思われる。一つはどの演技を通しても同じキャラクターしか演じられない役者で、もう一つはそれぞれの演技によってキャラクターの性格がまるで異なる役者だ。前者には三船敏郎やホアキン・フェニッ…

21/04/01

数年前、あるショッキングな事件が私を襲った。その日は偶然、一人の可愛い女の人と知り合う機会を得た。そして一時的にその人とカラオケで二人きりになった。実を言うと、私は異性とカラオケで二人だけになるのが初めてだった。無論、向こうはそんな事を知…

事件、心的外傷、表象 = 再現前化 (ドゥルーズ哲学に対する私的な文章)

人は心的外傷に基づいてを思考を始める。ある人の考え方を知ることは、そのままある人が受けた傷跡を知ることでもある。ラ・ロシュフコーの箴言に次のようなものがある。「哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は哲学を克服す…

21/03/20

どうでもいい話かもしれないが、私はかつて非常に神経質な性格をしていた。そしてそれがとてもコンプレックスだった。今ではそんなに神経質に見えないかもしれないが、それも自分なりに努力した結果だと言える。学生の頃、私は結構 (いや相当) 気持ち悪いや…

21/03/15

自分の中にあるものが決定的に変わり始めている。それが何なのかはまだ上手く言い表せない。ただ、最近はそれを強く感じている。そして、それに突き動かされるようにして生きている。 昔から、私の内にはある一つの傾向があった。それは、欲しいものを前にす…

21/03/09

「……だからシャトレにおいて唯一承認に耐える心理学があるとすれば、それは政治学であるだろう。何故ならわたしは絶えず「我」自身との間に人間的関係を創造し直さなければならないからである。(…… )打ち勝てない病におかされた時、重要なのは病を " 経営す…

21/03/04

「罰を受ける前には、私達は法が何を欲していたかわからず、したがって有罪であることによってしか法に従うことが出来ず、私達の有罪性によってしか法に答えることが出来ない。(……)厳密に言うなら不可知であり、法は私達の処刑される身体に最も過酷な制裁を…

21/02/27

インターネットは今や第二の現実である。それはSNS世代を生きる私達の誰もが知っている事だ。インターネットは、これまで私達の中で「見えない」とされていたものを「見える」ものに変える( = 可視化する)機能を持つ。SNSは利用する側の好みや性格、趣味趣向…

21/02/23

現実は思い出の中よりも美しくはない。それが美しく見えるのは、思い出される記憶が実際と違って静止しているからだ。いつからかは忘れたが、私はそのことに気がついた。そして自分が生きるよりも思い出すことの方が好きなのだということも。 最近よく思い出…

21/02/19

楽器、絵の具、ペン。あらゆる芸術はそれら物質を通さなければ表現されることがない。それは芸術の事実問題とも言うべきものだ。 しかし、ある演奏を録音したテープが必ずしも百年後まで残っているわけではない。むしろ百年前のテープなど、何の手入れもしな…

21/02/14

昔から、ひとつの悩みが私を苦しめている。それは「一線」の問題だ。たとえば今、私に望んでいる幸福があるとしよう。そしてそれがすぐ目の前にあるとする。あと一歩踏み出せば、それが手に入るかもしれない。しかしどうしてもその一歩が踏み出せない。まる…

21/02/09

無意味とは意味の不在よりかはむしろ意味の過剰によって生じる。あまりにも意味のあるものが多いので、どれが本当に(自分にとって)意味があるのかわからなくなるのである。 サディストは純粋理性を好む。サディズムが求めるのは他人に(そして自分にも)発明し…

21/02/04

「父と子の葛藤」はよく文学的な題材の一つとして扱われる。実際、ドストエフスキーも五大長編の中で必ず「父と子」の問題についてを取り扱っている (父と子の葛藤、または子に対する父の不在……)。だからドストエフスキーの小説にはよくオイディプスの面影が…

21/02/01

あらゆる力は別の力との関係にある。ひとつの力の大きさは、それと比較すべき他の力がなければ規定し得ない。また、力とはそれが行使された時にのみその存在を感じることが出来る。たとえば画家が自分に絵を描く才能 - 力があるのを感じるのは、彼がパレット…

21/01/27

ドゥルーズによれば、哲学には本来三つの機能が備わっている。ではその三つの機能とは何か。それについての解明は、そのまま彼の哲学の本質を理解することに繋がると言えるだろう。 先ず第一に「哲学は悲しませるのに役立つ。誰も悲しませず、誰も妨げない哲…

21/01/24

考えるということは苦しむということだ。人が思考を始めるのは、そのようにこちらに強いる苦しみに直面した時のみである。よって、思考には受難(パッション)ともいうべきものがよく付きまとう。そう、考えるとは一種の受難劇なのである。 その一方で、ニーチ…

21/01/20

ドゥルーズによれば、プルーストの考え方にはライプニッツ的なところがあるという。私達の存在はそれぞれが一つのモナド(単子)であり、互いに異なった観点からしか世界を眺めることが出来ない。そして世界を眺め、自己の学習を深めるにつれて、モナドは内側…

21/01/15

先日、宇野邦一氏によるドゥルーズ『プルーストとシーニュ』の新訳が家に届いた。で、届いたその日に早速それを開いたのだが、驚いた。それがあまりにも面白くて。凄い。本当に、本当に凄い。『ニーチェと哲学』を読んで以来の衝撃だ。で、まだ汲み取れてい…

21/01/10

一昨日、髪を染めた。銀髪と金髪が混ざったような色合いである。鏡を見る度に、見慣れない、あまりに変わった自分の姿に驚きを隠せない。思わずじっとそれを見つめてしまう。そして何度も自分の髪を触ってしまう。髪が細いから、照明に透かすと前髪が輝いて…

21/01/06

器官なき身体にはパラドックスがある。ドゥルーズ哲学を知っている人なら、誰もが一度は「器官なき身体」という単語を聞いたことがあるに違いない。しかし、ドゥルーズ自身がそれを明確に説明したことは、恐らく一度もない。宇野邦一氏に宛てた手紙によれば…

21/01/02

一年が終わり、また一年が始まった。 十二月三十一日は友人の家で過ごした。が、年を越す二時間前に安いボトルのワインを一気飲みし、おまけにサントリーウイスキーのロックをあおって、泥酔してしまった。その前にももう何杯か飲んでいたから、年を越すと間…

20/12/28

人生はよく物語にたとえられる。しかし、実際に私達が主役を演じられるのはいつもほんの一瞬である。そして大抵の時間は、むしろ舞台の外にいるか、脇役を演じることを強いられるものだ。 社会生活にはある種の軽薄さが付きまとう。社交的な人、ひと好きのい…

20/12/24-25

いい映画を観た後は、自分がその映画の主人公であるような気がしてくる。主人公への共感が行過ぎるあまり、仕草や振る舞い、その言動や表情の作り方まで、知らず知らずにその主人公を意識してしまうのである。そして今、私は暗い寒空の下を歩いている。コー…

20/12/21

「概念はふつう対になって機能し、二つの反対物を表象する。それに関して二つの対立する見方を同時にとることができず、それゆえ二つの敵対する概念を自らのうちに包摂しないような出来事などほとんどありえない。」 苦痛と快楽は相対的な関係にある。だから…

20/12/16

ニーチェは自らにまつわる一切を自らの仮面として生きた。彼の過剰な文体は、よくこちらに道化のような印象を想起させる。しかしそれが神経質なまでに繊細な心理分析を披露することも少なくない。だから道化の仮面の裏には、いつも怜悧な心理学者の顔が潜ん…

20/12/13

ノルウェーにGazpachoというバンドがいる。私のお気に入りのバンドで、ほぼ毎日のように彼らの音楽を聴いている。で、そんな彼らのアルバ厶にMissa Atroposというものがある。そのアルバムにはストーリーがあって、それは「世間との繋がりを一切たった男が、…