20/01/12

 目を閉じると、そこには暗闇が広がっている。

 暗闇とは永遠である。それは際限なく広がり、常に変わらずにあり続けている。そして、常に変わらずにあり続けるもの、それは虚無なのだ。

 目を閉じると、そこには永遠が広がっている。永遠を感じたければ、目を閉じるがよい。


 日常から雑音を取り除くこと。騒音から離れて生きるということ。


 最近は『ジャン・クリストフ』をよく手に取って読んでいる。ロマン・ロランの本は、これまで何となしに避けていたのだが、しかし一度読み始めてみると、もう止まらない。久しぶりにこれほどまで夢中になれる小説に出会えたかもしれない。

 理想主義的な情熱の高揚を、私は心のどこかで遠ざけていた。しかしそれは、恐らく私自身が本来理想主義的な性格をした人間だからに違いない。自分の本性に近いものほど、人は深く共感を覚える。しかし、自分の認めたくないものも、同様にその本性から由来するものなのだ。

 しかし、最近は読むペースもやや失速している。私は困っている。もっと素早く読み進めて、今すぐにでも物語の終わりまで駆け抜けたい気持ちをそわそわしながら、最近は毎日を過ごしている。

 ここ数年、私は読書を、純粋に書を読む楽しみというよりかは、むしろ新しい知の獲得のためにしてきた。『ジャン・クリストフ』にしても、私はそれを夢中になって読み耽る一方で、いち早くそれを読み終えて、多くの知を獲得し、すぐにでも違う本を読むことに専念したいという気持ちを覚えている。いつからか、私の読書は、純粋な喜びになるものというよりかは、むしろ知への欲求と自尊心を満たすための行いになっていたのだ。

 私はそれを反省している。そして私は今日、それに気がついたのだ。今も私は、クリストフのことを、物語の続きをいち早く読むことを考えている。この気持ちを誰にも邪魔されたくない。この愛を、私は大切にしたく思っている。最近は、寝ても醒めても、いつも『‪ジャン・クリストフ』の続きを読むことばかりを考えている。いち早くそれを読み終えて、それを私のものにすることを。

 そして私は、このように自分の愛を公言することを、少々恥ずかしく思い、憚りを感じている。私は書物と二人きりでいたい。無闇なことに頭を悩まし、無駄な時間を過ごしたくない。私は私の愛する書物に耽ることで、我を忘れる喜びに身を浸したい。誰にも私の愛を邪魔されたくない。そして何より、この本を途中で投げ出し、諦めを付けることなど、決してしたくない。一日でも早く、この本を読み終えたいのである。


 人生は人が幸福になるために存在しているのではない。人生とは、まさに人生それ自体のために存在している。


 人の感覚とは相対的にできている。より多くの苦しみを知れば、人はより多くの喜びを知ることとなる。光が深まれば、影はまた一層深くなる。幸福とは留まることの出来ない夢の形である。幸福を覚えたならば、人はそれと同じくらい不幸を覚えることとなる。

 よって私達は、より多くの光を獲得すればするほど、より多くの影に襲われることとなる。私達は、成長するにつれて、より多くのことを知る。そして、人は知ることが多くなるにつれ、幼い頃の情熱を失っていくのである。

 常に幸福であろうとすることは、同じ場所に留まろうとすること、停滞しようとすること、つまりは変化を誤魔化して、盲目であろうとする、欺瞞である。人は幸福であろうとするのではなく、生きようとしなければならない。何故なら、人は幸福であり続けることが出来ず、幸福であると同時に不幸でなければならないからだ。それは、人が生き続けるならば、必ず死なねばならぬのと同じである。

 生きるということ、それは私達を襲う影との闘いなのだ。光を知れば知るほど、私達は影をも知ることとなる。友情を知れば、人は誰かと敵対することを知ることとなる。自由を得れば、人は孤独を覚えるようになる。美しいものに感動すれば、それだけ醜さに耐えられなくなる。夢を追えば、人の汚れた欲望に直面することとなる。知識が増せば、それだけ悲観主義に陥りやすくなる。私達は、得るものが多ければ多いほど、それだけ多く私達を苦しめるものに出会うのである。

 だからこそ、私達は闘わなければならない。そう、生きるとは闘いである。それは私達を苦しめ、苛むものたちとの闘いなのだ。私達を欺き、卑しめ、下劣で、下賎なものにして、滅ぼそうとするものとの闘いなのだ。私達は、愛を燃やし、情熱を燃やし、闘志を燃やさねばならない。不屈の精神を持って、私達自身の影と闘うのである。

 "苦しめ。死ね。しかし汝のなるべきものになれ……一個の人間に。"