20/04/23

 中学三年生の頃、私達の学校に一人の転校生がやって来た。それは内気で、髪の長く伸びた、大人しい少女であった。眼鏡と前髪に隠れた顔の頬はいつも赤く染っていて、にきびが幾つかついていた。

 私と彼女が話すきっかけを得たのは、彼女が転校してきてから数ヶ月後の、ある学校の行事の時のことである。

 私達の学校には奇妙な習慣があり、学校の生徒達は、それぞれ個別に調べ物をして、ある時期にそれを発表するのである。その日は、丸一日授業が各々の課題のために用いられることとなっていた。そして偶然、私と彼女の調べる対象が一致していた。他には誰もいなかった。私達は二人で外へ出て、調べ物をすることとなった。二人とも大人しい生徒であったからか、教師の付き添いもなかった。

 覚えているのは、学校の敷地の外へ出た時に広がった道路と、私達が歩いたアスファルトの道と、その隣に茂る緑、そしてそれを照らす美しい夏の日差しである。私達は木陰を歩いていた。学校の廊下で見かけることはあったし、その存在も知ってはいたけれど、私達は殆ど初対面と言ってよかった。私は気まずかった。何を言えばいいのかわからなかったし、相手を見ることも出来なかった。しかし、話し出さなければ、恐らくはずっとこの重い沈黙が続くのだろうと感じていた。

 しかし、物事はいつも私の予想外の方に働くものだ。そう、彼女の方から話しかけてくれたのである。思ったよりも、明るい声をしていた。いつも無口で、下を向いている印象があったからこそ、彼女がこんなに気さくに話してくれるとは思ってもみなかった。今だから考えが及ぶが、もしかすると、彼女なりに勇気を出してくれたのかもしれない。

 彼女のおかげで、私達は何事もなく、目的地までの間の道のりを、楽しく過ごすことが出来た。帰り道も、やはり同じであった。

 私達は色々なことを話した。私が彼女のことを「勉強が出来そうだ」と言うと、彼女は「全然そんなことない」と言った。そして「前の学校では、ずっと不登校だったから、学校の勉強にまるでついて行けてないんだ」と続けた。私は驚いた。少し考えていたことではあったが、それになんと返せばいいかわからなかった。すると、彼女は笑いながら言った。「引きこもりになるとびっくりするんだよ、本当にこれでもかっていうくらい肌が青白くなるの」

 「今の学校はちゃんと通いたい」彼女はそう言った。もしくは私が、「じゃあ今度はちゃんと通わなきゃね」と言ったのかもしれない。彼女は石の段の上に乗って、踊るような足つきで、軽快に歩いていた。とても楽しそうだった。あんな風に笑うとは、思いもよらなかった。

 やがて学校に着いた。校内の敷地に入っても、私達はそれまで通りにおしゃべりを続けていた。そんな私達の姿を、私の悪友二人が見つけて、騒ぎだした。二人とも、無邪気な悪意で人をいじめるような子供であった。

 「やめろよ」と言いながら、私は彼らを追い払おうとした。やがて彼らは去った。しかし、その後の彼女の態度を、私は恐らく、終生忘れることが出来ない。

 悪友二人が私達を茶化している時、彼女はずっと下を向いていたのである。その場から身動きのひとつも取らなかった。まるで死んでいるかのように静止していた。私はそんな彼女の姿を、不安げに見守っていた。悪友達が去ると、彼女に「ごめんね、大丈夫?」と話しかけた。すると、彼女は何事もなかったかのように、邪魔が入る前の話の続きをし出した。私が困惑した態度で彼女を見つめていると、「どうしたの?」と問うてきた。「いや、でも……」と、先程の二人のことについて言おうとすると、彼女は私の言葉を遮り、話の続きをしようとした。

 その時、私は何かを悟った。そして、彼女の望む通り、邪魔が入る前の、話の続きをした。この時、私は初めて、人の心の深淵にある触れてはいけないものに触れたような気がした。

 しかし、その後の彼女の態度は穏やかなものであった。その日、校内でも私達は何度か楽しく話した。彼女は人に対して積極的になりつつあった。普段は話しかけないような人にも話しかけていた。お互いに、何かが変わるような気がしていた。全ては良い方向に向かっているはずであった。

 しかし、誰かがそんな彼女の姿を見て、「調子に乗っている」と話し始めた。しかも、恐らくは彼女に聞こえるよう、わざと大きな声で陰口を叩いていた。私は彼女の姿を見守っていた。彼女は間違いなくそれを聞いていた。表情が曇り始めるのがわかった。それに対して、私は何も言えなかった。ただずっと黙っていた。

 そして、再び口をきくこともないまま、その日の学校は終わった。

 結局、あれから私達が再び言葉を交わす日は来なかった。互いに違うクラスであったからというのもあるが、その程度のこと、何とかしようとすれば出来たことであった。ひそひそ話と陰口で、誰かの幸福の足を引っ張り、他人の不幸をニヤニヤと笑う、学校の人間達の卑劣さが許せなかった。しかし何より、それに対して何も出来ない自分自身が、一番許せなかった。実際、私は気弱で、他人に流されやすい、卑怯な子供であった。

 やがて彼女は学校に来なくなった。そして、再び会うこともないまま、私達は卒業を迎えた。

 これらの思い出について、それを後悔していないと言えば嘘になる。こうしてあの時のことをありありと思い浮かべると、怒りとも悲しみとも似つかない、何か根深い感情が、胸の奥底から湧き上がってくる。恐らく、それは屈辱や悔しさの入り交じった、「許せない」という感情なのであろう。

 かつて、私がニーチェの思想に共感を覚えたのは、彼が既存の価値観の限界を示し、人間に新しい価値観が必要であると指摘したからであった。当時の私には、「どうしてこの世界にはこんな事が起こるんだ」とか、「この世界は間違ってる」とか、そんな風な考えを抱かせる出来事があまりにも多いように思われた。そして実際、ニュースは毎日、この世界の限界を私達のもとに伝えていた。この世界は変わらなければならない。現代人の腐敗した道徳的な価値観を叩き直し、私達はもっと別な、新しい倫理に生きるべきなのではないか。少年であった私の心にそのような考えが芽生え始めた。

 彼女との出来事は、恐らく私に「どうしてこんな事が起こるんだ」という気持ちを、初めて抱かせた出来事であった。それが無思慮な少年の行き過ぎた憎しみであることはわかっている。この世界の光が深いならば、その影もまた一層色濃くなる。上のような出来事は、今も世界中で起きている、些細な出来事なのだろう。ただ、もっと人間には、別の生き方が出来るのではないか。

 人生とは、過去の自分を救済するための旅路である。もし、彼女がその事に気づいていれば、彼女はきっと今頃救われているだろう。そして、このように彼女の身を案ずるのも、やはり私自身が安心したいからに過ぎない。よって、この妄想も、私自身の身勝手な自己愛の現れである。それでも、人間にはもっと救われた在り方が、軽やかな美しさが必要なのではないか。現在の幸福は、過去の不幸の償いをするのである。

 彼女は今、何処で何をしているのだろうか。元気にしているだろうか。元気にしていればいいが。しかし、もう二度と会うことはないであろう。こんな事を書いていながら、私は彼女の顔さえ上手く思い出せないのだ。


 私が少年時代を共に過ごした家族、父と次男の兄には、それぞれ違った、しかし複雑な思い出がある。

 兄は正義感が強く、優しい性格をしていた。そして、正義感のある人間の常として、兄には少し押し付けがましいところがあった。私は、そんな兄を愛しながらも、同時にいつも苦手に思っていた。

 兄はまた、美しい顔をしていた。運動が出来て、勉強も比較的よく出来る方であった。気配りができて、料理がうまかった。これらの事から容易に推測できるように、兄は女性にとてもよく愛されていた。私の同級生の間でも、兄はよく「かっこいい」と噂されていた。何より、兄は社交的であった。内気で、気難しく、何よりも性格が弱かった私は、いつも兄に憧れながら、同時に兄に強いコンプレックスを抱いていた。私の異性に対するコンプレックスも、兄の自慢話をよく聞いていたことが原因の一つなのかもしれない。

 恐らく、兄には幼い頃から「しっかりしないと」という気持ちがあったのだと思われる。彼が小学生の頃に私達の両親は離婚し、おまけに離婚する前の父の酷さを、兄はよく目の当たりにしていたのだから。恐らく兄は、父のことをを憎んでいた。私が父に愛情を示すと、裏で「あんなやつ、信頼しない方がいい」と言ったりしていた。兄は昔から、私の父であり、母であろうとしていたのかもしれない。

 そんな兄についてを語る上で、どうしても忘れられないことは、やはり私が小学六年生の時のことである。

 ある時から、何故か私は、学校に行くのが非常に辛く、苦しくなった。学校には友達がいた。いつも話す相手や、放課後に遊ぶ仲間もいた。しかし私は、性格の弱い人間の常として、孤独を恐れて人付き合いをしていたのである。そしてそのために、益々自分の孤独を痛感したのだった。次第に、学校でも口数が減ってゆき、放課後も、友達と遊ばずに真っ直ぐに帰るようになった。そして、自宅に辿り着くと、何をすると言うでもなく、日が暮れて暗くなりつつある部屋で、明かりもつけずに、枕に顔をうずめて寝そべっていた。

 そんな私が出会ったのは、アニメであった。

 当時、私はアニメに熱中していた。『涼宮ハルヒ』のライトノベルを買って読んだりもした。古臭い言い方をするなれば、所謂「美少女系」のアニメ(当時はまだその呼び方が通用したはずである)にハマり始めたのである。私は好きなアニメのグッズを買ったり、ゲームを買ったりした。無論、どれも家族には内緒で。

 また、同時期から私は日記を付ける習慣ができた。毎日、ノートの一ページに取り留めもないことを書いた。そして、それを一人で読み返すのが楽しかった。

 しかしある日、私のそれらの秘密の持ち物を、兄が見つけた。そして、兄は私に厳しい「しつけ」をした。丁度、当時は加藤智大が秋葉原で無差別殺傷事件を起こしたニュースが目新しい時期であった。兄は私が「犯罪者予備軍」になることを恐れたのである。兄は泣きながら私を殴った。「お前に気持ち悪い人間になって欲しくない」と言っていた。今考えると、兄の愛情は少し歪んでいた。兄につられて、私も泣いた。手加減はしていたらしいが、後で鏡を見ると、私の顔にはあざがあった。

 兄のために、少しばかり弁明をしよう。恐らく、兄には父と同じ、「一般性から外れることへの恐怖」があった。幼い頃の私は気づかないでいたが、もしかすると、兄は私よりも早く、私達の家庭があまり普通ではないということに気づいていたのかもしれない(しかし、大抵の家庭は何処か異常なところがあり、大抵の親は親になる準備も出来ないまま親になるものである)。

 何より、兄自身が語るところによると、「自分も昔は内気で、運動も下手くそだった」とのことだった。しかし、彼は努力した。そして、努力して周りから認められるようになった。だからこそ、周り( = 一般的なもの)から認められなかった頃の自分が、コンプレックスだったのかもしれない。

 兄からの「しつけ」の後、落ち着くために、私はシャワーを浴びた。そして、浴室を出ると、兄は普段通りに、気さくな態度で話しかけてくれた。以後、私達は今まで通りの、仲の良い兄弟に戻った。兄は私を愛し、私もまた兄を愛していた。

 しかし、何かきっかけがあると、再び厳しい「しつけ」が私を待っていた。

 小学生の頃、私は絵を描くのが好きだった。当時は、友達の影響で、一人こっそりと漫画を書いたりもした(しかし友達には恥ずかしくて読ませられなかった)。しかし、やがてはその事も忘れていった。ただ、漫画を書いたノートは、私の机の引き出しの奥深くに、確かに閉まっていた。

 それさえも忘れていた中学生の頃のある日、兄が再び私を呼び出して、「しつけ」をした。理由は簡単で、私がもう既に忘れていた、漫画の書かれたノートを、兄が引き出しの奥から見つけたからであった。そう、兄は、私が不在の際に、私の部屋の荷物をチェックしていたのである。

 私が高校に上がると同時に、兄は大学へ進学した。兄は家を出て、一人暮らしを始めた。それから初めて、私は自由であることの喜びを知った。自分の趣味を閲覧され、管理されることのない喜び。無論、まだ家には父がいたが、しかし父は仕事で帰るのが遅くなることも少なくなかった。誰にも束縛されないことの喜び、自由であることの喜び、一人でいることの喜び、孤独の喜び。こうして考えると、私が自由を愛し、独立を愛し、執拗に他者からの束縛を嫌うのは、もしかすると兄の影響なのかもしれない。

 しかし、兄のために、もう少しだけ弁明する必要がある気がする。

 小学生の頃、私は兄の財布からこっそりお金を抜いたりした事がある(後にばれて、これもやはり「しつけ」られた)。また、中学生の頃は、兄の部屋にある成人向け雑誌を 、兄が不在の時に読みに行ったりした(これはばれなかった、またはばれていたが、兄は自負心からその事を私に追求しなかった)。

 考えの足りない子供の頃に、何かあやまちを犯すのは当然の事だと思われる。以前は強く兄を憎んだこともある。今でも苦手であるのには変わりないが、意識的にはもう何とも思っていない。

 ただ、兄の「しつけ」が良い影響を与えたことも考慮しなければならない。結局、私はその後、アニメを始めとするとオタクカルチャーにトラウマを持って、(いくつかの例外はあるが)あまりそれに触れないで過ごした。絵を描くのも好きであったが、気が進まなかった(何より、私が美術部に入れば、兄はまた嫌な顔をするだろう)。

 結果として、私は読書にたどり着いた。文学に対してなら、兄も何も言わない。私が読書家になったきっかけは、恐らくここにある。