20/05/01

 十八になるまでに、私は三つの家を点々としていた。

 一つ目の家のことは、もうあまり覚えていない。ただ一つ記憶の内にあるのは、薄暗く、人を孤独にさせるような小部屋の中で、ピンク色の洗濯機が不気味に揺れている、ある真夜中のひと時のことである。あの頃、私達家族はアパート(またはマンション)の一室を借りて暮らしていた。そして、父と母はまだ離婚していなかったが、いつまでそこで暮らしていたのか、または何処にそのかつての家があるのか、それはもう覚えていない。恐らく、今後二度と訪れることのない場所である。

 それからやがて、私達は二階建ての家を持つこととなる。家の前には階段があり、階段をあがると庭があり、庭を進むと玄関があった。外装の美しい家であった。そして、ここで暮らしてから数年後に、母は妹と長男の兄を連れて家を出ていった。その時のことは、もう覚えていない。母達は気がついたら居なくなっていた。ただそれだけの話である。

 二番目の家は、私にとって最も長く時間を過ごした場所であった。しかし、そこもやがては出ていくこととなる。出ていくと同時に、父はその家を売りに出した。以来、私達は祖父の家の離れで暮らし始めた。

 祖父の家は比較的古い建物ではあったが、廊下を伝うと(アパートの一室のように)水道とトイレの完備された部屋が置かれており、私はそこで暮らしていた。家の出入りも、部屋の窓からしていたことが多かったから、途中からは殆ど一人暮らしのような状態であると言ってよかった。

 この三つの家の中で、私が最も思い入れを持っていたのは、二つ目の家であった。

 家を売りに出す際、私はこっそり一階のトイレの窓の鍵を開けておいた。家の立地上、その窓は人目につかない所にあり、また当時から細身であったため、何かの節にその家の前を通ると、私はよく、体を縮めて、盗人が侵入するかのように、空き家となったかつての家へ、窓から忍び込んだ。そして二階へと向かい、かつて私の部屋だった場所に入り、何もない部屋で、虚しいまでに白い壁に背をもたれかけ、日が暮れるまで本を読んだ。ふと窓の外を眺めると、ベランダ越しに広がる夕暮れの空が見えた。その燃える様は美しかった。それにじっと見入った後、私は再び目線を戻し、自分の作業に戻るのであった。

 あらゆる思い出は、終わりがあるから思い出に変わるものだ。ある日、いつものようにかつての家に向かうと、それは既に別の建物へと変化していた。庭の模様も異なり、家の塗装もまるで違っていた。そして数日後、再び家の様子を伺いに行くと、そこにはもう、私の知らない、別の家族が住み、暮らし、生活している家があった。

 以来、私はその家の様子を見に行ったことがない。


 出会った数と別れた数が同じであるならば、喜びの数と悲しみの数も同じであると考えることは出来ないだろうか。しかし、それでも人が、悲しみと別ればかりに気を取られるのは、きっと喜びと出会いには耐えられても、悲しみと別れには耐えられないことが多いからである。喜びはいつも一瞬であり、ただ悲しみだけが長い息を吐く。

 以前、あるリルケの詩集の解説の部分に、彼の生涯が「はてしなき逃走」の連続であったと記してあるのを見て、はっとしたのを覚えている。彼は故郷から逃れ、ドイツの文壇から逃れ、妻と家庭から逃れた。リルケは何かに追われるように、常に今いる場所から脱出し続けた。それが何故であったのかは、きっとリルケ本人にしかわからないが、私はそれを、彼が自分の現状に限界を感じ、その限界から抜け出すための手段であったと考えている。

 人の現在が他の存在の影響によって形作られているとしたら、現在の原因は、過去の与えた不可抗力な影響にあると言っていい。過去は現在の原因である。しかし、もしそうだとするならば、過去に影響を与えたものそれ自体も、そうせざるを得ないとしてそうしたのだと考えるべきであろう。過去の出来事はある程度は必然であり、運命とはじっとして動かないもののことである。そして、それらを前にして、ただ我々の存在だけが無限の運動を空間において繰り返しているのである。

 一つの環境に身を置くということは、その環境から影響を受け、その環境に制約されるということである。人が与えられるものとは、かつて人に与えられたものだけである。他からの影響によって自己を作り、自己は他へと働きかける。そして、この連鎖から抜け出すためには、今自分のいる現状を認識し、いかに生きるべきかを選択することが必要である。生きるとは思考し、選択するということなのだ。

 かつて、アダムは神の楽園で幸福に暮らしていた。しかし、善悪の木の実を食べることで、アダムは知性を獲得し、楽園を追い出された。人によっては、それが人間の初めて犯した罪なのだとしている。しかし、スピノザが(そしてドゥルーズが)指摘しているように、それは間違いである。もし認識の能力がアダムに与えられなければ、アダムは獣のように一喜一憂し、彼を不幸が襲った際、何故自分にこんな事が起きたのかを誤解するに違いない。意識は無意識の反動であるが、思慮のない人は意識の表面だけを捉えて、それを真実だと思いたがる。知恵の足りないアダムは、自分に不幸が起きた原因を深く考えず、物事の表面だけの捉えて、益々深く物事を誤解し、困惑の内に生きることとなるだろう。

 あらゆる幸福は、あらかじめ失われることを前提として存在している。アダムとイブの幸福な楽園での生活は、遅かれ早かれ、終わることを前提としていたと考えるのが当然である。もとい、もしそれが終わらなければ、むしろそれは不幸なことであったのだ。何かを知るということは、知る前の自分を失うということである。そして、人が生きる上で、何かを知ることは必然なのだ。

 ならば、それを前提とした上で生きた方が、どれだけよいか知れない。生きる上で、我々に殆ど必然的に押し寄せる原因達を前にして、どのようにして生きるかを考え、思慮し、思考するということ。そしてその先を選択するということ。選択は別の原因を作り、受動的に形作られた原因の連鎖に風穴を空け、別の流れを生み出すことにつながる。

 リルケは絶えず今いる現状から逃れ続けた。それは、そうする事で、自分が必然的に環境によって強いられるものから逃れ、自分の人生に別の展望を与えるためであった。一つの苦しみから逃れたとしても、その先には別の苦しみが待っている。問題は、その苦しみを苦しみたいと思えるかどうかということだ。もし、それを苦しみたいと思えるならば、既に人生とは担うべき苦しい重荷ではなく、軽やかな可能性への飛躍である。何故なら、苦しみの先にある勝利と幸福への確信がないならば、人はそれを苦しみたいと思えないからだ。


 日中、何か不穏な感情の発作に駆られ、「早くこの生活から抜け出したい」と願うことがある。しかし、これまでの人生を思い返してみると、私はいつも見えない何かに怯えながら生きて来たのではないか。幼い頃、私は家族の存在に怯え、その監視に怯え、与えられる罰に怯えていた。学校では、知人達のひそひそ話に怯え、その眼差しに怯え、全体の雰囲気に怯えていた。きっと私の人生から、私を不安にさせるものや、私を恐怖させるものは消えないのである。

 ヘーゲルが時に批判される原因の一つとして、彼の弁証法における「否定的なものの労働」が挙げられる。簡単に言えば、弁証法とは矛盾と矛盾の解消を動力とするものだ。疎外されたものを、定義された自己(決めつけられた自己同一性)へと結び付け、否定的なものを回収しようとすること。しかし、もし自己同一性という考え方それ自体が、不安定な自己への反動として生まれたとするなら、どうだろう。人は、自分を不安にさせるものを否定すれば否定するほど、鬱屈とした生へと追い詰められてゆく。

 何より、否定的なものの解決へと向かおうとすればするほど、それにばかり囚われて、生が萎縮されていくのではないか。つまり、それ自体が一つの否定的なものへの反動ではないのか。一つの悲しみをなかったことにしようとすれば、人はその悲しみに囚われて、その悲しみのためにこの世界への価値観を転換する。後悔と憎悪は物事への見方を変えると同時に歪める。こうしてまた別の否定が現れてくる。そしてそれが連続し、弁証法が展開してゆけば、自ずと生は一つの、狭い隅っこへと追い詰められ、苦しめられる。

 悲しみを見たのならば、喜びもまた見なければならない。そして、人間という存在が、常に帰属するべき場所と、帰るべき居場所を失われた存在であるということを、認識しなければならない。私の人生から、私を不安にさせるものは消えない。私を恐怖させるものは消えない。ならば、それとどう向き合って生きていくかが大事となる。

 ニーチェが書いていた。「人は身体が何をなしうるのかを知らない」と。私達は自分自身を知らない。だから自分自身を憶測する。そして、憶測の上で物事を考え、不安になり、恐怖したりする。しかし、自分を知らないならば、人は世界をも知らないのである。世界は自分を通さなければ把握され得ないから。人が変化を恐れるのは、変化が常に何かを失うことを人に強いるからだ。しかし、人は変化する自分自身をよく知らないのである。よって、良くも悪くも、私達の憶測は、必ず幾らか外れるようになっている。私達が不安を覚え、恐怖していることは一つとして起こらない。ならば、どれだけ変化に向き合って生きた方がよいか知れない。そして、思慮は生の内にあるが、生は思慮によってしか把握されることがない。変化に向き合うということは、思慮し続けるということでもある。


 私の帰るべき場所は、既に始めから失われている。全てのものは訪れ、立ち去る。ただ思い出だけが私のそばに残り続けてくれる。私の帰るべき場所は、いつも私の思い出の内に存在する。

 今日までの人生を、まるで逃げるように生きてきた気がする。恐らく、これからもそうなのだろう。「幸福とは間近に迫りつつある損失の性急な前触れに過ぎない」と、リルケは書いていた。私には彼の気持ちが分かる気がする。あらゆる幸福は過ぎ去る。そして、もし幸福をその場に留めたいと願うならば、私達は幸福の中で死のうとしなければならない。人生とは、恐らくただ生きるためだけに存在するのであり、幸福のためには存在しないのだ。

 今日まで、様々な美しい友情の思い出が、私の人生を彩ってくれた。しかし、人生の中で、思い出したいことと思い出したくないことならば、思い出したくないことの方が遥かに多い気がする。特に私の少年時代は、後悔と失敗の連続で、不愉快な、嫌な時代であった。その怨念をここでは語りたくない。それはきりがないだろうから。

 ただ、私が今日まで勝ち得てきた友情は皆、いつも何かの形で終わりを迎えて来た。向こうが私から離れたこともあるが、私が向こうから離れたことも多いのだろう。死を含め、あらゆる別離は避けがたいものだ。そして、一つの場所に停滞し続けることは、変化を本質とする人間存在にとって、不健全で、その本性に反することなのである。

 しかしそれでも、生涯変わらない友情というものが、この世にはあるに違いない。それは、変わり続ける生の奔流の中で、絶えず変わらずにあり続ける一つの性質に、互いに惹かれ続けた時にのみ成立し得るのであろう。


 先日、中学生の頃に深く愛していたライトノベルのアニメ版を、その放送から長い年月を置いた今、初めて観た。観るにつれて、忘れていたかつての記憶がよみがえり、その空虚な内容にも関わらず、私は夢中になってそれを観たのであった。

 私はその物語というよりも、そこに出てくる、一人の女性キャラクターに惹かれていた。殆ど恋をしていたと言ってもいいほどであった。彼女の性格と私自身の性格を照らし合わせ、その中に私自身の反映を見いだし、存在しない彼女の言動に深い共感を覚えていた(あらゆる恋愛の原理は、相手に自分と共通する弱さがあることを期待し、そのために相手に深い共感を覚えることにある)。私にとって、そのライトノベルは、それが示す凡庸な、時に不愉快ですらある物語の進行よりも、彼女の言動が全てであった。彼女は私であり、故に私は彼女を愛していたのだ。

 それと同時に、当時の私の記憶もよみがえった。中学生の頃、私はかつての「しつけ」の影響で、アニメや漫画を故意に避けていた。そんな私が、何故あのライトノベルを手に取ったのか、それは覚えていない。ただ、それが何人かの私の友人の間で流行っていたのを覚えている。その殆どは同性であったが、一人だけ、何故か異性の友人に読者がいた。彼女は他のヒロインが好きだと言っていたが、私からすれば、彼女は何も分かっていなかった。もとい、他の大半の友人も他のヒロインが好きだと言っていた。ただ私だけが彼女(私の愛するヒロイン)を理解できると、私は思っていた。

 しかし、それ以外のことはとても大変だった。家族にバレないように、私はそのライトノベルを、いつも学校の机やロッカーの中、またはカバンの中に入れていた。自室の引き出しの中に入れていれば、また見つかって何か言われるかもしれなかったから。しかし、それも含めて、いい思い出である。


 四月二十八日の日記で、過去への回想は終えようかと思った。しかし、思い出していくうちに、まだ書いていないことが、書かなければならないことが沢山あるような気がしてきた。もう少しだけ、私自身の記憶への旅路を続けようと思う。