20/06/16

 文化とは一つの影である。文化は理想を掲げ、その実現を追い求める。しかし、それはいつも成功しない。何故なら、理想とは常に悲しみの反動から生じるのであり、一つの影であるから。影を追いかけても捕まえられないように、どれだけ努力しても、理想が実現する日は来ない。文化の本質はその悲しさにある。


 私にはまともな学歴がない。好んで学術的な本は読むものの、正当な教育は受けていない。そこが一つのコンプレックスでもある。哲学書もよく読むが、私の哲学趣味は、あくまでもプライベートなものというか、自分のパーソナルな問題に直面して以来、そうせざるを得ないものとして読み、考えてきた節がある。そして、このパーソナルな問題とは、私が大学を出ていないことと、多少なりとも関係がある。

 十七の頃は、私は心の病院に通っていた。処方されていた薬はジプレキサというもので、主に統合失調症躁うつ病の患者が飲むものであった。それを毎回沢山出された。だから、通院費は毎回一万を超えていた。特定の病名が診断されたことはなかったが、貰っている薬の名前を調べて、自分がそうだと疑われている病気を憶測したりもした。そして、そのためによく将来に不安を覚えたりもした。漠然とした恐怖が、暗闇にいる私をよく襲った。とにかく、思い出すのも嫌な、不愉快な時代である。

 精神を病む前から、私には読書の趣味があったが、以来それは一層深まった。が、そもそも本が読めない時も多かった。特に、ジプレキサを飲むと、世界の全てが灰色になるというか、自分の感情の動きがまるで平坦になる。喜びもなければ悲しみもない。気がつけば一日が始まり、気がつけば一日が終わっている。薬を飲む前、私は病気の影響で、体重が四十八キロ位にまで減っていた(元々五十五キロくらいであったが)。しかし、ジプレキサを飲んでいると、そもそも食べても味がせず、かと言って満腹になった気もしない。だからいくら食べても美味しくなかったが、その分いくらでも食べられた。結果として、私の体重は六十二キロにまで太った。

 このままではまずいと思った。当時は受験を控えていたから、尚更そう感じた。しかし、(以前書いたと思ったが)私の通っていた病院の主治医は、その病院の院長で、それなりに有名な人であるらしかった。権威的なものに弱い父は、院長のことをすっかり信用していた。そして、そんな院長に薬への不満を訴えても、同じ薬を増やすか減らすかのどちらかしかなかった。私は自分の周囲に頼れる人間が誰一人としていないことを知った。それで、病院に通っているふりをしながら、薬に頼らずに、何とかして精神を保とうとする努力が始められた。しかし、結局それも上手くいかなかったのだが。断薬をすると、私の体重は五十二キロにまで落ちた。

 あの頃、私と父は祖父の家に居候していた。そこには叔父も住んでいた。この叔父は、ある特殊な経歴を持っていた。彼は若い頃にボクシングのアマチュアの世界大会に出場し、メダルを取った経験があった。しかし、それが彼の人生の絶頂であった。それからは酒に身を崩し、職を転々としていた。介護の仕事をしたり、コーチの仕事をしたりしたが、どれも長く続かないでいた。

 叔父はよく一人でリビングにいた。そして、真っ暗な部屋の中、テレビをつけて、それをぼんやり眺めていた。そして手元にある酒をいつまでも飲んでいた。そのままその場で寝落ちすることも少なくなかった。酔っ払って全裸になって横たわっていたり、トイレに行くのが面倒なのか、リビングの窓から小便をしたり、または寝ながらその場で小便を漏らしていたりすることも少なくなかった。そんな叔父を見て、父はよく不愉快そうな顔をしていた。彼は私に、軽蔑の交じった声で、叔父を「同じ人間だと思っていない」と語ったことがある。

 叔父は気の弱い人であった。そして、他のあらゆる気の弱い人と同様に、優しい性格をしていた。涙脆く、感傷的であった。夜中に勉強をしている時、休憩がてらに自室を出て、リビングの前を通ると、時折叔父から話しかけられる事があった。それで、彼の過去の話や、最近悩んでいることなどを、私に話した。私からの返答は特に聞いてこなかった。ただ話を聞いて欲しかったのだと思われる。それでも別に良かった。私は叔父のこのような点を、彼の人間臭さの表れとして愛していた。

 ある日、私が彼の話を聞いていると、彼がふと私に言った。「お前も悩みがあるなら俺に話してみろよ」それから叔父は私に優しい文句を沢山並べた。俺達は家族だ。家族に遠慮はいらない。お前は真面目で、いつも思い悩んでいる。そんなお前を放っておくなんて家族のすることではない。俺に少し話してみろよ……

 そんな叔父の言葉を聞いて、私は初めて自分に理解者が出来たような気がした。自分に寄り添ってくれる人間がいる、自分を受け入れてくれる人間がいる。不覚にも、その時、私は泣きそうになった。そうして思いの丈を全て吐き出した。学校のこと、父のこと、勉強のこと、将来への不安のこと。叔父は黙ってそれらを聞いてくれた。そして大丈夫だと私を慰めてくれた。私は嬉しかった。その日は朝の四時くらいまで叔父と話し合ったが、決してその事を後悔してはいなかった。

 次の日の夜、私は同じようにリビングに顔を出し、叔父と話し合った。その時、私は驚いた。叔父は昨晩私が話したことの内容を、すっかり忘れていたのである。それだけではない。私と今日までに何度か話したことさえも忘れていた。記憶障害があったのだろうか?しかし、彼は当時交際していた自分の恋人との出来事は明確に覚えていた。つまり、酒に酔った勢いで私に大きな態度を取っていただけなのである。そして何より、私の話は、毎度忘れられるくらいには大したことのない事なのだ。

 私は悲しくなった。裏切られたような気がした。しかし何よりも悲しかったのは、こんな馬鹿な人を信じた自分の愚かさであった。自室に戻ると、私は涙を流した。それは悔し涙であった。しかしそれでも、私は叔父の優しさを知っていた。だから、憎み切ることも出来なかった。

 それでも日々は続いていった。私は病気に苛まれながら、何とかして自分を保とうとした。それも途中までは上手くいった。しかし途中からはもう限界が来てしまった。成績は目に見えるように落ちていった。頭が上手く働かず、一日中部屋にこもっている日も少なくなかった。焦燥感に駆られて、部屋中を歩き回ったり、頭を抱えて過ごしたりした。何かしたい、何かしたいと願いながら、それでいて何も出来ない日々が続いた。

 そんなある日のことである。その日は休日で、家族が皆家にいた。しかし、それぞれがそれぞれ、違う部屋で、別のことをしていた。突然、父の怒鳴る声が聞こえてきた。聞こえてくる言葉から察するに、叔父が酒に酔った状態で、便器の外に排便をしたらしかった。こうして父と叔父の怒鳴り合いが始まった。しかし、叔父は父の言葉に押し負けているらしかった。何とか父を言い任そうとして、突如叔父は、私のことを言い始めた。あいつを見ろ。あいつはあんなにも苦しんでいる。お前があいつを苦しめている。あいつが病んでいるのはお前のせいだ。お前があいつの人生をめちゃくちゃにしている。

 それを聞いて、父はこれまでに聞いたことがないような声を出して、叔父を罵倒し始めた。私はもう耐えられなかった。私は二人のいる所へと向かって、言った。もうやめてくれ。もう放っておいてくれ。うんざりなんだ。父さんのせいじゃない、これは僕の問題だ。お願いだから僕を放っておいてくれ……

 あの日、私はこれまでにないくらい大きな声を出した。部屋に戻った後も、暫く何にも手がつかなかった。怒りや悔しさの混じった感情が私の全身をとらえた。一刻も早く家を出ていきたかった。しかし、私には大学に行けるだけの精神的な余裕がなかった。

 受験は失敗した。しかし、何処へ行っても、自分にはまともな未来が残されていないような気がした。それならいっそ、可能性のある未来へと賭けたいような気がした。家にいれば、私の将来は真っ暗であった。私は家を出ることにした。そうするしかなかった。勉強なら、自分ひとりで出来るという自惚れもあった。私は東京に出て、働きながら一人暮らしを始めた。

 無論、人に自分の経歴を聞かれた時、わざわざこんな長い前置きを話すことはない。大抵はいつも誤魔化して伝えている。何故か。理由は二つある。一つは、そもそも話すのが面倒だからで、もう一つは、話す必要もないからだ。

 私は哲学書を好んで読む。しかし、哲学者を名乗るにはあまりにも知識の正確さに欠ける。何より、私は哲学趣味はあまりにもプライベートな性格をしている。もし自分に何らかの思想が恵まれているとすれば、それは学術的な関心からというよりも、むしろ自分のパーソナルな問題のために、そう考えざるを得なかったために生まれたものだ。そう、つまりは実存への問いから生まれたのである。

 何も、時代遅れな実存主義者の肩を持つわけではない(そもそも、私は大して実存主義者の本を読まない)。ただ、あらゆる哲学的な問いは、突き詰めていけば皆、実存への問いに帰結する。それは間違いのない事だ。意味は始めから与えられているものではなく、やがて見出されるものである。私達の実存の意味は、生まれた時から失われている。だからそれは未来において見出されるのではないか。


 映画『ゴッド・ファーザー』の終盤部分で、マイケルは他のマフィアのボス五人と、自分の妹であるコニーの夫カルロを殺したとして、妹のコニーに泣きながら罵られる。その場には、マイケルの妻であるケイが居た。元々、マイケルはマフィアの仕事に関わらないつもりでいたのである。

 コニーが居なくなると、ケイはマイケルに問い詰めるような眼差しを向けた。そしてコニーの言葉が本当かどうかを聞いた。それに対してマイケルは、少しの間を置いてから、答えた。「していない」と。ケイは安堵して微笑んだ。しかしこの時、このマイケルの答えは、既にケイによって用意されていたものなのだ。

 ケイはマイケルが本当に人を殺したのかを聞いた。しかし、それは「していないで欲しい」という願望から、確かめるように聞いたのである。マイケルにはケイを引き止めたいという願望もあったろうが、何より、ここで真実を語ったら、ケイを悲しませるであろうことを知っていた。だから彼は「していない」と嘘をつくのである。もし本当にケイがマイケルのことを疑っていたならば、彼女はその言葉を聞いても安心しなかっただろうし、そもそもそう聞くことすらしないであろう。ケイはマイケルを信じていたのではなく、信じたかったのである。だからこそ、この「人を殺したのか」という問いは、疑問ではなく、「殺していない」という安心を得るための確かめとして発せられたのである。


 夕暮れ時の空を眺めていると、その美しさに驚くことがある。薄い白さの交じった水色の向こう側で、金色に揺れる夕焼けが燃えている。漂う雲は、それに照らされて深い影を帯び、彫刻のような奥行きを醸し出しだしていた。過去の偉人たちが、かの名画達を生み出したのも、きっとこんな瞬間なのだろう。

 思えば、小学生の頃にも、私は似たような感覚に囚われたことがあった。ある日、いつものように、家の近くにある空き地で遊んでいると、ふと見た空の景色が、まるで絵画の世界のように美しく輝いていたのである。私は驚いた。そして、暫くそれに見入っていた。まるで天国のようだと思った。あの時の空の美しさが、私は今でも忘れられない。