20/06/27

 ここ数年間で最も印象に残っていることといえば、やはり二年前の日々の出来事である。今日、私は友人と共に互いの過去についての話をした。その際、私の口から真っ先に出たのは、あの過ぎた日々の記憶であった。

 20/04/26の日記でも既に触れたが、あの頃、私は二人の異性の友人に恵まれていた。それで、その内の一人とは、月に一、二回ほど共に出かけていた。そんな彼女にはある不幸な過去があった。相手のプライバシーのためにも、それを詳しく書こうとは思わないが、ただ昔、彼女が性犯罪の被害に遭ったことだけは記しておく。気の弱そうな見た目をして、今にも折れそうなくらい痩せていた。中高生の頃には教師から無闇に身体をベタベタ触られたり、または見知らぬ男から後をつけられたりなど、とにかく嫌な記憶を沢山持っているらしい。

 実際、彼女の容姿は人形のように愛らしく、美しかった。しかし、その見た目とは反対に、彼女自身の性格は、(悪い意味ではなく)非常に感情の強いものであった。私はといえば、彼女のそういった強情さに、自分に似たものを見出して、時には親近感を、また時には同族嫌悪さえをも覚えていた。


 あれは確か、あの年の、二年前の夏の事だったと思われる。私達は夜の渋谷の道玄坂を歩いていた。その時、彼女は人に話しづらい自分の過去を、少しだけ私に話してくれた。気まずい空気が私達の間に流れた。こういう時、私はどういう言葉をかければいいのか知らなかった。

 自分が何を言ったかは覚えていない。ただ一つ、上手い返事が出来なかったことだけはよく覚えている。私はありきたりな慰めの言葉をかけた。無論、それは失態であった。他に見られないような不幸を抱えている人は、よくよく自分の不幸に誇りを抱くものである。強い苦悩は、自分の苦しみが容易に誰かに理解されることを拒む。ありきたりな言葉でそれを片付けられる程、益々相手を不快に思うのである。

 私はそれがわかっていた。私も同様に、自分の不幸にしがみついている人間であったから。にも関わらず、私は上手い返事が出来なかった。私達は、お互い面倒で、陰気で、口下手な性格をしていた。


 私の記憶が確かであれば、彼女には一度、高校を中退した過去があった。何かの事件の影響か、それとも例の犯罪の被害のせいかはわからないが、ある日から不登校になって、暫くすると学校を辞めたらしい。元々決して頭の悪くない高校に通っていたが、再入学した先は、地域でも特に偏差値の低い場所であった。その後、ある音大に入学するものの、それも彼女が二十歳になる頃のことである。そして入学と同じ頃、私は彼女と知り合ったのであった。

 彼女がどうして私と仲良くしてくれたのか、それはわからない。もしかすると、同じレールに外れた人間として、シンパシーを感じてくれたのかもしれない。彼女は私に何かを期待していた。それが何なのかはわからない。一時期は、彼女が私に救いを求め、また彼女によって私が救われることを求めているように見えた。しかし、それも本当かどうかはわからない。ただ一つ、確実なこととして言えるのは、彼女がいつも停滞し、消滅することを求めていたということである。彼女はいつもそうだった。いつだってぼんやり死ぬことに憧れていた。

 彼女の姿を見ていると、私はドストエフスキーの『白痴』に出てくるナスターシャというキャラクターのことをよく思い出した。ある男の慰みものにされたために、十代の青春を失ったナスターシャは、幸福になることを求めず、むしろ益々不幸になることを求めながら生きていた。飛び切り上等な花婿よりも、どこかの学生の駆け落ちして、屋根裏で餓死するのを求める。作中で、ナスターシャの性格はそう形容されている。

 実際の彼女が死にたがっていたかどうかはさておき、私はまだ死にたくなかった。私は生に執着していた。そして、それが私達の間に、何かひずみのようなものを生み出していたような気がする。

 口論をしたことはないにせよ、私達の間にはよく、無言の牽制が起こった。本心を隠し合い、お互いのために苦しみ合う。私は時々、自分達は互いに互いの足を引っ張りあっていると考えた。それぞれがそれぞれ、お互いのためによくない存在となっていた。そるはよくないことに思われた。

 それで何度か、私は彼女に本心を打ち明けようとした。少なくとも、私自身はそのつもりである。しかし彼女の小説的で、役者めいた性格は、私の前でヒロインを演じることあれど、いつまでも心の壁を取り払うことをしてくれなかった。しかしもしかすると、向こうも私に同じようなことを感じていたのかもしれないが。


 ある日の夜に、私は歩きながら、彼女にニーチェの話を、とりわけ永劫回帰の話をしたことがある(恐らく彼女はもう覚えていないだろうが)。永劫回帰には色々な解釈があるが、その内の一つが、慰めとしての永劫回帰であふ。一切は再び繰り返される。そして、もし今の人生が再び繰り返されるならば、これまでの良い事と悪い事が、再び私たちを襲うこととなる。それでも再びそれを生きたいと願えるかどうか。もとい、再び同じ人生を生きるとしても、それでも生きたいと願えるように、深い喜びを勝ち得ること……それが永劫回帰の解釈の一つだ。と、そんな事を話したように記憶している。

 無論、彼女からの反応は微妙なものであった。寂しそうな顔で、「前向きだね」とか、そんな事を言われた。そして、私達の間には再び沈黙が訪れた。


 以前には、私達は案外お似合いなのかもしれないと考えたこともあった。お互いに嫌な思い出が多くて、レールから外れた人間である。お似合い以外の何ものでもない。しかし、彼女は不幸の倦怠の中に閉じ籠り、そのまま落ちることを求めているように思われた。そして、私はこのまま不幸から抜け出せずに死んでいくなんて、絶対に嫌だった。生きたかった。生きて前に進みかった。互いに傷を舐め合うのはいいかもしれない。だが、そのまま閉じた世界に向かうのは違う気がした。無論、彼女が本当にそこまでのものを求めていたのか、それはわからないが。

 しかし、私が彼女に深く踏み込むのが恐ろしかった、というのもあるのかもしれない。なんと言っても、二人で一つ屋根の下で一晩を共にしながら、彼女に手を出さなかったのだから。そのくらい、当時の私は臆病な人間であった。

 結局、私はもう一人の、別の女性を選んだ。もとい、選んだとも言えないかもしれない。そちらとも上手くいかなかったのだから。その女性は真面目で、内気な性格をしていた。そして、当時の私には、そんな真面目な女性に酷いことをしたという罪責感があった。その意識は、ナスターシャに対して感じていた責任よりも遥かに大きかった。私はムイシュキン公爵ではない。だからナスターシャを幸せにすることは出来ない。ならばせめて、自分が幸せにできる人を幸せにしたいと思った。が、それも彼女からすれば、余計なお世話なのだろう。

 どちらにより恋愛感情を抱いていたのかとなれば、正直、それはよく分からない。ただ、この信頼出来ないものの多い世の中において、私は自分が信じ、安らぐことの出来る存在を、心の拠り所を求めていた。今だってそうだ。私は自分を支えてくれる存在を、今もなお心の何処かで求めている……女性は気難しくて、容易に人を愛さない性格をしていた。そして、それだけに彼女は潔癖で、繊細で、心の美しい人だった。出来れば、私以外に友達がいて欲しくないと、何度願ったか知らない。彼女が世に出ることで、世の汚れに染まることも恐ろしかったから、就職もしてほしくなかった。

 無論、私は一度もナスターシャとの繋がりを彼女に話さなかった。理由は簡単だ。そんな事を知ったら、彼女は悲しむだろうし、それにその反動で、何か酷いことをしてしまうのでと不安であった(以前、私の取った態度のために、自分を傷つける行いに向かった人の例を見たことがあるが故の心配であった)。

 恐らく、彼女は私のそういうところが気に食わなかったのだろう。私もナスターシャと同じで、彼女に対して、心の壁を取り払わなかったのである。自分なりに頑張ったつもりであった。しかし結局、どちらも失ってしまったのである。


 あの頃のことを思い起こすと、未だに深い後悔にとらわれる。今付き合いのある友人の数と、これまでに縁の切れた友人の数ならば、後者の方が遥かに多い。しかしそれでも、思い入れがあって、今なお忘れることの出来ない友人といえば、二年前に仲が良かった、その二人くらいである。

 あの頃、私は若かった。今もまだ若いのは事実だが、しかしそれでも尚、今とは比べ物にならないくらい若く、青かった。私達は二度とやり直せない。過ぎた日々が戻ってくることも決してありえない。それはわかっている。しかし、今なら違う。今の私なら、何かもっと違った結果を出すことが出来たはずだ。最近はよく、そう思いながら日々を過ごしている。

 一人でいる時に、または誰かといる時に、私はよく、二人のことを思い出す。どちらをよく思い出すかとなれば、真面目で、気難しくて、容易に人を愛さなかった彼女の方である。未練もあるし、心残りもある。時折、私は彼女に無性に会いたくなることがある。今日までに何度そう感じたか知らない。しかしその度に、今の私には、かけるべき言葉も見つからなければ、会わせるべき顔もないことを痛切する。あと少しで、彼女のことが忘れられる気がする。しかし、それがどうにも上手くいかない。

  無論、ナスターシャのこともよく思い出す。あれは元気にやっているだろうか。私達は恋人にはなれなかったが、良い友にはなれたのではないか。お互いにかつてのことを忘れて、再び友情を結び直すなど、無理な話であろう。もう二度と会うこともないかもしれない。そして、実際にそうなのだろう。私達はもう会わない方がいい。

 ただ、幸せになって欲しいとは、いつも心の何処かで祈っている。無責任な人間で、本当にすまない。