20/09/17

 晩夏、または秋の訪れ。夏の終わりには既に秋の始まりが含まれているのが常である。季節の変わり目にはよく体調を崩す。私は今朝体調を崩したばかりだ。で、そんな状態で、近くのコンビニへコーヒーを買いに外に出ると、ふと涼やかな風が、陰鬱に染った曇り空の下に流れているのを感じた。その時である。もう既に夏が終わりつつあり、それと同時に秋が始まりつつあるのを知ったのは。


 「もう耐えられん」とか「自分はもう駄目かもしれない」とか、一日に一度はそういった事を考える。で、毎日そんなことを考えながら、気がつけば二週間が経っている。この結果は、私を一つの推論に導いてくれる。つまり、皮肉にも、私はまだ耐えられるし、駄目でもないということだ。

 きっとこれからも、同じように毎日が過ぎていくのだろう。


 SNSを見ていると、時折恐ろしいような気持ちになる。皆が皆、各々好き勝手なことを話している。しかも、一見すると独り言に見えるそれらの言葉は、実は今同じようにSNSを見ている人を意識して発信されているのだ。ひとつの言葉も、誰かを意識せずに書かれていない。それでいて、あたかもそうでないかのように、自然な独り言として投稿されている。奇妙で、気味の悪い現象だ。

 で、何よりも恐ろしいと思うのは、自分もこの不気味なプログラムの一部として組み込まれているということだ。今や誰も仮想現実(バーチャルリアリティ)無しで生きていくことなど出来ないのである。


 「いいひと」とは何か。人が誰かを気に入るのは、それが自分にとって何か有益なものをもたらしているからだと言える。自分を楽しませてくれたり、面白い話をしてくれたり、または単純に容姿が自分の好みであるから、話すだけで気分がよくなったり、など。これらの結果が、相手に対して「この人はいいひとだ」という感情を想起させる。この事より、「いいひと」について語る時、私達は常に一つの注釈をしなければならない。つまり、それは「(自分にとって)いいひと」だということだ。とまあ、これは当たり前かもしれないが、この定義づけについて、善悪の価値観は関係ない。

 大抵の「優しい」人は、その人の内に見出された性格の弱さを、他人が勝手に優しさだと勘違いしているだけだ。というのも、人はよく優しい人と性格の弱い人を混同して考えるからだ。


 世俗は不愉快で、耐え難いものだ。しかし、厭世的であり、世俗から逃れるように生きることは、(あえて言うなれば)「哲学的」な態度ではない。というのも、哲学的なものとは、常にその時代と関係しているからだ。

 では何か。哲学とは時代に適応するために発明されるのか。否。むしろ哲学は、常に時代の病理を見抜き、それを批判することに役割がある。あらゆる哲学者とは時代の病理の発見者であり、その欺瞞の告発者である。よって、もし「哲学的」に生きるならば、私達は常に現代的であり、時代に関係し、世俗に参加(アンガジェ)するものでなければならない。しかも、それは流行に応じたものというのではなく、むしろ常にきたるべき時代のために生きるもの、すなわち反時代的なものである。

 リルケは孤独の幸福を知っている人であった。しかし彼は、孤独の幸福というものが、俗世を逃れたところでなければ存在し得ないことをも知っていた。もし世間一般に関わりながら生きていくなら、孤独は幸福なものではなく、むしろ人を追い詰めるものに変わっていく。だからこそ彼は、孤独の幸福と同時に、孤独の苦しみをも書いていたのではないか。


 孤独な思春期の日々。あの頃の私は、性格の大人しい、地味な学生であった。そして、あの頃も今と同じように長く髪を伸ばしていた。しかし、ある日何かの決心をして、私は自分の髪型を変えた。整髪剤を買って、身だしなみにも気を使うようになった。それからである。多少なりとも周囲の対応や、こちらを見る目が変わったのは。私は素直に嬉しかった。そして新学年となり、学校には沢山の新入生がやってきた。そして、信じられないかもしれないが、その中から一人、半ば私目当てで部活動に所属してきた女子生徒がいたのである。

 これまでにない経験に、私は心が踊った。それは恋愛の喜びと言うよりかは自尊心の喜びであった。私は父と兄、そして私の三人で長く暮らしていて、要するに男社会出身の人間であった。父はよく学生時代の自慢話をしたし、兄もまた自分の恋愛経験を鼻にかけながら話すことがあった。で、私にはそういった経験がまるでなかったので、よくよくプライドが傷つけられたものである。いつからか、私は男の一番の敵はおなじ男であると知った。それは、女の一番の敵がおなじ女であるのと同様であった。

 身だしなみを整え始めたのも、恋愛への欲求からというよりかは自尊心を守るためだといってよかった。男社会では、あるがままに弱くあろうとすれば舐められ、馬鹿にされ、軽蔑される。で、それを受け入れるのではなく、それに抵抗しようとして、初めて一人前として認められるのである。

 さて、馬鹿な方に話が逸れてしまった。そう、私はこれまでにないような経験に直面し、やや浮かれていた。そして、ある休日、私はついにその後輩と出かけることとなった。友人として異性と遊んだことは、それまでにも何度かあったが、最初から恋愛を意識した上で異性と出かけるのはこれが初めてであった。だから、やはり話が違った。向こうは、私の見た目から、なにか経験豊富で、遊んでいる年上のようなものを、私に期待していたように思われる。がしかし、当たり前だが、実際の私はそうではない。プリクラを誘われても恥ずかしくて拒んでしまったし、やる事といえばショッピングモールを宛てもなく歩き周り、本屋に入って自分の好きな作家の話をするくらいであった。無論、相手は反応に困っていたのを記憶している。

 要するに、何もかもが上手くいっていなかった。緊張も相まって、デートの途中から、私はへとへとに疲れていた。だから所々でベンチに座って休もうとした。こうして普段の運動不足が露呈することとなった。

 何より、荷が重かった。相手が初めから私にないものを期待しているのは目に見えていた。やはり、慣れないことをするものではなかった。

 その後、後輩と私が疎遠になったのは言うまでもない。しかも、後になって、相手には当時交際中の同級生がいたという事を知った。あと少しで、私は「乗り換え相手」にされそうであった、というわけである。この事実は、少年であった私の心に大きな衝撃を与えた。それは、相手への失恋のためというよりも、むしろ自分より年下の人間が、あんなに優しい顔をしながら、平気でこちらを騙そうとしたという事実のためにであった。「なんということだ、あんなに若いのに、平気でそんなことをしようとするなんて!」と、まあ、幼い私はそういった事を考えたものである。

 あまりにショックだったから、私は数日間寝込んだ。が、今ではそれもいい笑い話だ。


 よくよく思うのだが、私達の人生とは、十代の頃の変装曲(ヴァリエーション)ではないのだろうか。思春期の日々には、今後の人生への伏線が隠されているのではないか。


 ドゥルーズの小論『ニーチェ』の中には、次のニーチェ自身の手紙の数節が引用されている。

 「苦痛が絶え間ないのです。毎日何時間にも渡って船酔いに似た嫌な感覚が続き、なかば身体が麻痺しているせいで言葉がうまく話せません。そしてそれを忘れさせるのは、狂ったような発作だけです (この前の発作の時、私は三日三晩吐き続けました。死を渇望した程でした……)」

 私がニーチェを愛する理由が、この引用の内には含まれている。ニーチェの書物を読んでいると、私は「ひとりじゃない」という気がしてくる。ここには自分と同じように、または自分より遥かに苦しんだ人間がいる。それでいてこの人間は、私より果敢に生に向き合っているのである。どうしてその感覚に慰めを感じずにいられよう。孤独な、私的(プライベート)な思索家。ニーチェニーチェは紛うことなき私の青春であった。


 昔から、私は出来るだけ沢山の本を読もうとした。それは半ば好奇心からであったが、もう半ばは虚栄心からであった。多くの本を読んだという事実が、何か一つの自己存在の証明に繋がるように思われたのである。そして、これは読書に限った話ではなかった。出来る限り沢山の教養を身につけるということが、かつての私には、自分が何者かであるために必要なことのように思われたのである。だから、出来る限り沢山の本を読んだし、出来る限り沢山の音楽を聴いた。この努力が無駄であったとは思わない。ただ、かつての私が間違っていたのは知っている。

 自己というものは、本来不確定なものである。自分の一つの場所に固定したものにしようとすることは、流動的であり、変化を本質とする人間存在と矛盾する。むしろ、私達の存在の可能性とは、常に今の自我には回収されていない所にあるのではないか。人は、何かであるものではなく、何かになる存在なのだから。

 ドゥルーズが好んでよく書くことだが、彼にとって、理論とは道具箱だという。たとえば人は、書くことによって、何か一つの世界をその書物の中で展開する。言い換えるならば、この世界を覗くためのひとつのレンズがそれぞれの書物の中には存在するわけだが、この世界をいかに捉えるか、自分が知りたいものを知り、語りたいことを語るためには、何が必要か、どれが役立つのか。それはその選んだ書物次第である。つまり私達は、自分の目に合うレンズを選ぶために、またそのレンズからこの世界を覗くことで、何かを得て、何かを掴むために、そのために本を読むのではないだろうか。


 「自分が嫌いだから自分を好きになる人間も嫌いだ」という意見を、以前はよく見かけた気がする。が、かねてから私はそれに違和感を覚えていた。実際、実に馬鹿らしい理論である。何であれ、人は自分を愛することしか出来ない。ただ、愛し方が人によって違うから、それに気がつくことが出来ないのである。

 ある人は、ありのままの自分を愛している。しかしまたある人は、自分を愛しているが、理想の自分と現実の自分の差異から苦しめられている。とりわけ、自分自身が平凡であるという事実に苦しめられる人は実に多い。だから病的な振りをして、少しでも現実の自分から逃れようとする人もいる。「自分が嫌い」という自己否定には、常にそのような趣味がある。多かれ少なかれ、自己否定とは一種のナルシズムなのである。


 最近は夜が明けるのが遅くなったと思われる。夕暮れと夜明け前は、一日で最も世界が美しく彩られる時間帯だ。同時に、人が最も物思いに耽る時刻でもある。それらは私に、相反する二つのものが入り交じり、相克しながらも調和しているような印象を与える。昼と夜、生と死、愛と憎しみ。


 先日、二年以上会わずにいたある友人二人と久しぶりの再会を果たした。その内の一人がかつて私の住んでいたマンションの住人であって、彼とは偶然仲良くなったのだが、やがて彼経由でもう一人の友人とも知り合う機会を得たのである。再会した日の前日に連絡を頂いて、その次の日に会うことになった。まさか私のことを未だに覚えていてくださるとは思っていなかったので、とても嬉しい出来事であった。

 最近は、このように、かつて親交を結んだ事のある人と縁があることが多いように思われる。以前微力ながらに公演の手伝いをした作演出家の友人にも、約一年半ぶりに会った。それと、ここ一、二ヶ月の間で仲良くなった人の親友が、私が以前一度遊んだことのある人と同一人物であると知って、驚いたこともある (あの時、私達はカラオケに出向いた) 。訳あって疎遠になった過去の様々な出来事が、めぐり巡って再び私のもとに訪れる。ありがたい話だ。気分はまるでドラマの主人公である (問題は、向こうが私のことを覚えてくれているかどうかという事なのだが) 。

 自分で言うのもなんだが、私は自分を表すのが下手くそな人間だ。人付き合いもあまり良くないし、いつも自分のことで精一杯で、他が見えていない。要するに、私は自分勝手な人間なのである。しかし断言したい事が一つある。つまり、自分は記憶力のいい方の人間だと。

 これまでに少しでも友情を勝ち得たことのある、または勝ち得たいと思ったことのある人のことは、今日まで、一度たりとも忘れたことはない。本当はもっと仲良くしたいのに、私の精神的な困窮や、その他様々な要因のために、疎遠になってしまった人、友情を育む機会が奪われた人もいる。私は本当に人付き合いが下手くそで、いつもその辺りが上手くいっていない。それでも、覚えていて欲しい。今日までに友達になれた人の事を、私は決して忘れたことはないと。どれだけ人と関わるのが億劫になり、獣のように自らの内にこもる時でも、私は他者から受けた愛と友情を、または他者に贈りたかった愛と友情の熱意を、忘れたくはない。その想いを表明することが、今の私の示せる精一杯の誠実さのように思われる。