20/10/18

 ……夜になれば、蛾はランプや電灯の周りを飛び回る。が、一体何故彼らがそうするのかは誰も分からない。少なくとも、蛾の登場が人類の誕生以降であるのは間違いのない事だろう。もし蛾が人工の灯り以外にも反応するのだとすれば、彼らはもうとっくの昔に月に向かって飛び立っているはずだ。

 と、高校の頃、私は当時の友人にそんな話をしたことがある。案の定、友人は「おまえは何を言っているんだ」という反応を示した。実をいえば、この話には元ネタがある。安部公房はそんなに詳しい訳ではないのだが、当時、私は初めて『砂の女』を読んだのである。で、その小説の終盤に、上の蛾の話が登場する。高校生の私には、その指摘がとても衝撃的だった。だから早速同じ話を他の人にもしたくなった、というわけだ。勿論、あたかも自分で勝手にそれに気づいたとでもいうような態度で。

 このエピソードからも分かるように、昔から、私は他よりちょっと痛々しい子供だった。恐らく、その辺りは今もあまり変わらないのかもしれないが。


 XXXTentacionというアメリカの有名なラッパーがいる。もう死んでいて、二十歳で銃殺されたのだが、その歳から考えれば信じられないほどに早熟な才能の持ち主であった。私自身、彼の音楽のファンである。私生活では色々と問題のあった人だったらしく、恋人に家庭内暴力で訴えられてもいた。しかし、彼自身は曲の中でSuicide if you ever try to let go(俺を捨てるなら自殺するからな)なんて被害者ぶった言葉を並べているから、何とも言えない。個人的にはイアン・カーティスに似たものを感じる。

 で、私自身は、自分が彼と同じだとは思わないが、正直他人事とも思えないのも事実である。今まで実際に親密になった人に暴力を奮ったことがあるとか、そういう訳ではない。そもそも私はそういった経験に乏しい、あまり異性と深い関係を築いたことがあるわけではない。ただ、今日までにその切っ掛けになりそうな出来事がまるでなかったと言ったら嘘になる。なら、何故そういった経験に乏しいのか。その理由はまあ幾つかあるが、その一つとして、上のXのようになるのが怖いから、というのがあるのは間違いない。これは間違いないのだが、相手への敬意を忘れるくらい執着したならば、私は間違いなく相手のことが許せなくなる。その自信がある。

 実際に会ったことないのにこんな事を書くのもあれだが、聞く話によると、Xは気性が激しく、繊細な性格をしていたらしい。この事は、私にSNS上でよく見かける女性達のことを想起させる。被害者意識が強いくせに、自分のパートナーを振り回している、あの連中だ。無論「あの連中」と敵意を込めて呼ぶのには理由があって、それは、個人的に近いものを感じるからこそ、軽蔑することによって身を守ろうとしているのだ。「自分は違う、大丈夫だ」と、そう思い込まなければやっていけないのである。身勝手で自意識過剰、内気で傲慢、暴力的で悲観的……そこに見出されるのは、自分の認めたくない自分の姿である。

 どうでもいい話になるが、父は以前、私の兄の腕を折った事がある。無論、兄はそんな父のことを憎んでいて、父と母が離婚して、兄が母方に引き取られて以来、兄は一度も父に会いに行ったことがない。当たり前の話だろう。しかし父は、よく私と話している時に、この兄の話をするのである。「あいつは元気でやっているのだろうか」と、そんな感じで。そして今、私はそんな当時の父のことを思い浮かべながら、自分もこうなるのではないかと、そんな不安を抱いているのである。


 二〇一八年十月十八日。記憶が正しければ、私はこの日に初めて自分の日記を人目に晒すようにした。言い換えるならば、私がこのように公開日記を書くようになってから、今日で三年が経ったということだ。

 人は他人の言葉を借りなければ自分自身について語ることが出来ない。私達は常に仮面を被らなければ自らを表現出来ない、と書いてもいいだろう。なぜなら、今現在存在しているものを語るならば、かつてこれまでに存在していたものを語ることによってしかないからだ。そして、私達の過去すら、今の私達には他人事なのである。たとえ自分自身のことであろうとも、既に起きたことに対して、人は現在の主観に基づく解釈しか与えることが出来ないのだ。

 高校生の頃の私は、安部公房の小説に出てくる話を、自分が考えたことのように語ることで、一体何を言いたかったのだろうか?単純な感心からそうしたのか、それともそんな事を言える自分に自惚れていたのか?なるほど、そのどちらも有り得そうだ。しかし、肝心なのは、当時の私が、その話に共感していたという点にある。つまり、当時の私の心情に共鳴するものが、その小説の中にはあったわけだ。

 ニーチェリルケトーマス・マンスタンダールドストエフスキーシェイクスピアトルストイウエルベッククンデラパスカルドゥルーズロマン・ロラン……など。今日までに私の関心事になった作家、今日までに私を夢中にしてくれた作家達の事を、ここで今、再び考えてみる。どれも共感の対象であると同時に、どの作家に対しても、完全に共感できなかったのは事実である。もとい、それは不可能なことなのだ。私達は皆、生まれた時間も環境も違うのだから、それぞれがそれぞれ、他人に共感されないものを持たざるを得ないのである。私はニーチェのように女嫌いではないし、リルケのようなプレイボーイでもない。ただ、この「完全に憧れの存在になることが出来ない」ということ、自分自身であることしか出来ないということ、自分と他者との間に生じる必然的な差異にこそ、恐らく私自身の独自性が、(自惚れでないならば) 今後の私の未来を紐解くヒントが隠されているように思われる。

 ここで高校生ぶりに、安部公房の『砂の女』を開いてみることにしよう。そして、あの該当する箇所、蛾とランプの話を探し出してみよう……あった!見つけたぞ。手元にあった文庫本では、それは一九六ページに書かれていた。そして私は、ページを開いて、あることに気がつく。蛾の話は、主人公がランプの上を縄張りにしている蜘蛛を見つけたところから始まるのである。そう、ランプに衝突してくる蛾を餌食にするための蜘蛛を見つけたから、彼はその話をしていたのだ。

 そして主人公は考え始める。もし本当にこの蜘蛛がランプを利用して餌を求めていたのだとすれば、この蜘蛛は人類出現以降の存在だということになる。なら蛾はどうだ?蛾は別に人工の灯りの周りを舞っていても種を保存できる訳でもない。にも関わらず、自然の光には何も反応せずに、ただ私達人間の出した光にだけ反応している。そして、この法則が全ての蛾に共通して見られるのだ。「人工の灯りによって、惹き起こされた、この盲目で、狂熱的な羽ばたき……」

 ここで主人公は思う、『法則がこんな無謀な表れ方をするなら、一体何を信じればいいのか?』と。そして、ここまで読んで、私はハッとする。これだ!私が蛾の話を今日までよく覚えていたのは、恐らくこのためなのだ。私達の生きる世界の不気味さ、人を喜ばせるよりかは不安にさせる方が多い事実の発見。そんな異常な日常を前にした時、一体人は何を信じて生きればいいのだろうか?そんな実存的不安を、当時の私は(今もかもしれないが)抱いていたのかもしれない。もしかすると、私が蛾の話をよく覚えていたのは、そのためなのではないだろうか……それともこれは、果たして考えすぎなのだろうか?


 美しい瞬間に出会うと、この世の全ての時が静止しているような気がしてくる。もとい、私はよくそういった瞬間に出会うのである。素晴らしい音楽に出会った時、散歩のさなかでふと偶然美しい景色を見かけた時、本を読んでいる時に全身が震えるような一ページに巡り会えた時……これらの瞬間に、私はまさに永遠にも似た美しさを見出す。この時、私は「ああ、生きててよかった」と思う。

 この三年間、色々なことがあった。月並みな表現だが、得たものも多いが、失ったものも多い。しかし何より、変わらないでいることの方が遥かに多いのかもしれない。ある側面から見れば、私はとても変わった。しかしまた別の側面から見れば、私は何も変わっていない、三年前の、いやもっと昔の頃から、何一つとして変わっていないのである。

 この三年間、変わらずに好きだったものの事を考えてみよう。例えばそう、小説のことだ。今日までにそれなりの数の小説を読んできたつもりだが、私には『マルテの手記』のわずかな恋愛描写を、他のどの恋愛小説のそれよりも遥かに深く愛してきた。何故かは上手く言い表せないが、当時から今に至るまで、私は何かにつけて、度々その該当するページを開くのである。慰めを求めてか、読んだ当初と同じ感動を味わいたいからか、もしくは小説の中に希望を見いだしているからか、共感したいからか。結局、人が一番よく知らないのは自分の感情についてなのである。とにかく、せっかくだから、その該当箇所をここでそのまま書き出そうと思う。

 「『結婚する人がいなかったんだもの』と、彼女は造作なく言って、急に顔が美しく輝いた。アベローネは綺麗な女なのだろうか、と僕はびっくりして考えた。やがて僕は家を離れて、貴族の子供が入る学校に入った。不愉快な、嫌な時代が始まった。ソレエの学校では、他の生徒たちから一人離れて窓際に立っていると、僕はやっとうるさい喧騒から逃れることが出来た。僕は窓の外の樹木を眺めた。そんな折や、夜じっと寝床にいる時、アベローネは美しい女だという確信が僕の胸に生まれてきた。僕は彼女に手紙を書き始めた。長い手紙、短い手紙、秘密な手紙を書いた。僕はウルスゴオルのことを書き、僕は不幸だと書いた。今から考えてみると、これらはおそらく恋文だった。やがて待ち遠しかった休暇が来た。僕達はひそかな約束でもかわしたように、人目のないところでそっと会いたいと思った。」

 素晴らしい。本当に美しいページだ。