20/03/04

「罰を受ける前には、私達は法が何を欲していたかわからず、したがって有罪であることによってしか法に従うことが出来ず、私達の有罪性によってしか法に答えることが出来ない。(……)厳密に言うなら不可知であり、法は私達の処刑される身体に最も過酷な制裁を科す時にだけ、認知されるのである。」

 私には母と過ごした記憶があまりない。否、あるにはあるのだが、あまり大切な思い出でもない。気づけば母は私の住む家から居なくなっていた。今の時代では離婚などよくある話だから、別段それが不幸な話だとも思わない。が、だからだろうか。同性の語る母性への憧れというものが、あまりわからなかったりする。

 母との思い出の代わりに私の記憶の多くを占めているのは、幼い頃を共にすごした友人達との記憶である。かつて私の住んでいた家の近くには二人の女の子が暮らしていた。私はその二人とよく遊んだのを覚えている。おままごとをしたり、また近くには草むらがあったからそこで花を摘んだりして過ごした。小学校に上がると、間もなく私は放課後を学童で過ごすこととなった。そして一人の年上の女子生徒と仲良くなった。彼女ともよく遊んだ。背が高く、内気な性格をしていた。しかし気がつけば三人とも私から疎遠になっていった。もう誰も私とのおままごとに付き合いきれなくなったのだろう。

 母のことを思い出すと、真っ先に思い浮かぶ記憶がある。それは私が小学校に上がって間もない頃、恐らくは母と父が離婚する寸前だと推測される頃のことだ。私が家に帰ると、リビングの奥の方で母がひとり、部屋のあかりもつけずに佇んでいるのが見えた。リビングのドアが動くのと同時に、母はこちらに目を向けた。そして「おかえりなさい」と私に言った。あたかも部屋に入るまで(玄関の開く音にも気づかずに)私が帰ってきたことを知らなかったかのように。当時、父と母は共働きであった。だから家に帰れば必ずしも母がいる訳ではなかった。だからだろうか、この時のことを今でも鮮明に覚えているのは。そして記憶のイメージはそのままそこから動いていない。ほの暗いリビングの奥にいる母をじっと見つめたまま、映像は停止している。

 夜に帰宅する時には、母は私の頬によくキスしてくれた。私はそれが恥ずかしかった。それでもやはり喜んでいたと思う。ただ、母にまつわることで思い出されるのはこの二つくらいだ(否、これだけあれば十分なのかもしれないが)。

 強いて言うなら、父と母がよく夜に喧嘩していたことを覚えている。両親の喧嘩はリビングで行われることが多かった。私の寝室はリビングのすぐ近くにあった。だから隣から聞こえる二人の怒鳴り声を耳にしてよく泣いていた。自分の涙で枕がぐっしょり濡れているのが今でも頭に思い浮かぶ。そして時には二人の喧嘩を止めに入った。その時、父と母がどんな顔をしていたのかは知らない。涙で歪んで、視界も見えなかった。ただ私は、泣き喚きながら「やめてよお」とせがんでいた。

 ベルイマンの『ペルソナ』に次のようなセリフがある。「夫婦とは臆病な子供が互いに寄り添い合うようなものだ。」まだ結婚もしたこともないが、実に美しい言葉だと思う。


 思うに、人には本来一つの選択肢しか与えられてないのであろう。しかし何かをなした時、一つの事実が別の世界の可能性を、「あったかもしれない」世界線を垣間見させる。だから自分が数多くある選択肢から今のものを選んだのだと錯覚してしまう。そしてかつての自分の選択が間違っていたのではないかと不安になるのである。


「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。恨みを抱かない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。」

 かつて、私の内には友情に対する神話とも言うべきものがあった。上に引用したコリント書に記された使徒パウロの言葉は、よく結婚式で引用される。しかし、実際の世界における愛はそんなに綺麗ではない。そこには必ず嫉妬や執着の問題が付きまとっている。ラ・ロシュフコーも書き残している通り、恋愛は友情というよりかはむしろ憎悪に属するものだ。恋愛は真実よりもむしろ嘘の側にある。だから恋愛においては駆け引きの問題が、嫉妬と執着の問題が先ず前提としてあると言える。

 しかし、もし本当にそうなのだとしたら、私は恋愛など真っ平だ。嫉妬し、執着するということは(または嫉妬され、執着されるということは) 相手だけでなく自らをも苦しめることだ。何故わざわざ苦しみたいと願う思う人がいるだろうか。少なくとも、私は苦しみたくない。また誰かを苦しめるのも嫌だ。もし自分から悪人となり、こちらから相手に悪事を働いたとするならば、相手はこちらを罪ある人間として責めるだろう。それによって再び私は苦しむことになるだろう。そして、私は苦しみたくないのである。

 かつて友情とは、自分にとって、そういったものの対極に位置するもののように考えられていた。何故なら友情を尊敬と信頼のもとに成り立つものだと信じていたから。今日までの人生において、私は友情を(誰かを信じ敬うことを)大切にしてきた。少なくともそのつもりでいた。しかし、ある日突然、自分の考えている純粋な友情などこの世に存在しないことに気がついた。どんな友情にも、そこには必ず嫉妬や執着が混じっている。そして、それを覆い隠して(なかったことにして)いる以上、友情とは偽のコミュニケーションでしかない。

 理屈ではそれをわかっているつもりでいた。しかし知性とはいつも遅れてやってくるものだ。だからある日、直観的に純粋な友情が存在しないことを、自分の内にある友情への神話が虚構でしかないことを悟った。そして深い絶望に襲われた。人と関わるのが途端に億劫になった。しかし何より悲しかったのは、過去の思い出に対する悲哀であった。私は思い出の内に、上に書いたような純粋な友情が存在するのだと信じていた。しかしもしかすると、それはこちらの思い込みに過ぎないのかもしれなかった。もしそうだとするなら、私は最早自分が何を信じればいいのかがわからなかった。

 と、ここまで書くと、少し大袈裟すぎるかもしれない。

 自分はひとより鈍感な人間だと思う。だから過去を振り返ってみて、やっと真実に気付くということが多い。傍から見れば明白だが、本人にはそれがよくわからない。もしくはそもそもそれに気づいていない。そんな事は実に多いに違いない。しかしそれでも、自分の中で不可解な事として残り続けているものがある。やがていつもと同じように、知性がそれを回収しに来る。後から、遅れてことの真相に気づき始める。そしてこう思うのである。ああ、あの時のあれはそういうことだったのか。これはこういう意味だったのか。

 その時、可能世界の問題がこちらを苦しめ始める。「もしああしていれば、自分はあのような喪失を回避出来たのでははないか。」こうして後悔が私を苛み始める。いつもそうだ。いつもあったかもしれない過去の可能性がこちらを苦しめる。存在しない青春の面影が私を悩ます。こうして可能世界への焦燥が募っていく。


「これらの思想家達は押し並べて脆弱な体質の持ち主でありながらも、乗り越え難い生に貫かれている。彼らは積極的な力能と肯定という仕方によってのみ事を進める。彼らには生に対する一種の崇拝がある……」

 ドゥルーズはかつてこう語った、「その人固有の狂気がその人を魅力的にする」と。それはその通りかもしれない。私達は皆、何らかの形で病人だ。どんな人にも何処かしら必ず病的なところがある。無論、私にもそういった所があるのだろう。ただ、マルローはかつてこう語ったという、「芸術とは死に抵抗する唯一の手段である」と。未熟ながらに芸術を愛する人間として、私も上の言葉の正しさを信じている。

 生きるということにはよく死の印象が付きまとう。リルケの詩にも書いてあるように、人は「しばしば悲しみからよき進みへと踏み入れる」ものだ。しかしそれは、言い換えるならば「人は不幸の反動でしか何かを求めることが出来ない」ということでもある。悲しみ、苦しみ、絶望。これら死の印象がつきまとうもの達には、私達に何らかの運動を強制させるだけの力がある。思考は暴力を振るわれた時に初めて機能するし、感性は不幸を通さなければ研ぎ澄まされることもない。よって、生には強制運動を強いる死の印象が付きまとうこととなる。

 人は目的に向かうにつれて、そもそも目的がなんであったのかをよく忘れてしまう。『インヒアレント・ヴァイス』という映画を例にとってみよう。私立探偵である主人公は、ある日からかつての恋人が巻き込まれた事件の調査をするようになる。そして事件を調査するに当たって、彼自身もが事件に巻き込まれていく。やがて映画の中盤で、事件はあっけなく解決する。主人公は元々かつての恋人への未練からこの事件に顔を突っ込んでいた。だからもう何もすることがなくなったとも言える。しかし違った。彼には一つの心残りがあった。事件の調査を進めるにつれて、主人公はある男と知り合った。それは事件の関係者であり、また事件のために家族との縁を切ったのである。このまま事件が回収されてしまったなら、彼の苦しみが報われない。

 この時、主人公の心境にはある一つの明確な変化が訪れる。元々ある目的を持って事件を調査していたのに、彼はやがてその目的を忘れてしまう。そしてかつての恋人のためでなく、自分が感情移入をしてしまう人の孤独のために動き始めるのである。この時、反動的(異性への未練のため)であった主人公の行動、悲しみの印象 - 死の印象が付きまとっていた彼の行動は、能動的なものへと変化する。そう、事件と彼の間で一つの生成変化が起こっているのである。

 反動から能動へ。悲しみの受難から喜びの積極性へ。死の印象から生の肯定へ。そのような軽やかな飛躍があることを、私は心のどこかで信じている。

 不幸のナルシズムともいうべきものがある。不思議なもので、人は自分の不幸を嘆いている時ほど自分のことを愛しているものである。悲劇的なもの、不幸を連想させるもの、病的なものには、何か非常に誘惑的な力が潜んでいる。死はこちらを誘惑し、私達がもっと不幸になるよう誘い出す。グロテスクなものには特殊な優しさがある。不気味なものは恐怖させると同時にこちらを惹き付ける。自分が不幸だと考える時、人はそんな自分を心のどこかで誇りに思っている。自分が罪ある人間だと感じている時、人はひそかにそんな自分を魅力的だと思い、もっと罪深くなることを求めている。

 思うにこの不幸のナルシズムの現実が、私達の生が軽やかに飛躍するのを妨げている。しかし (共感してもらえないかもしれないが) 私達はそれに対抗しなければならない。死に対抗し、このナルシズムに打ち勝たなければならない。何故なら、生の積極的な肯定の先にこそ、私達本来の力が発揮される瞬間があるからだ。今はまだ綺麗事かもしれない。しかしいつか必ず私の言っていることが正しいと証明される日が来ると信じている。


 人が最も幸福を感じる時。それは恐らく、自分が夢中になったものの中で自分を失う時なのだろう。何かを理解するとは、その何かに感覚を奪われに行くことである。対象に熱中し、没頭することは、その対象の中で自らを失うことを意味する。私にも身に覚えのある事だ。ある特異なひらめきが脳裏をよぎる。その時、まるで自分が別の人間になっていくかのような感覚に支配される。自らから溢れ出るもののために、今ある自分が滑り落ちて、別の自分がやってくる。そうして夢中になって何かに取り組む。読書であったり考え事であったり、また時には音楽であったり。自分を不意に襲ったあの感覚、雷にでも打たれたかのようなあの恐るべき感覚に追いつくために、そして言葉にならないこれが一体なんであるかを理解するために、必死になってなにかに取り組む。

 自分の知る限り、私が最も幸せを感じるのはまさにこの時である。何かを理解し、何かを得ようとして、作業に熱中し、没頭する。今ある自分が滑り落ちて、別の人間が現れる。そしてそれが自分の中に居座っているような気がする。息が切れ、頬が紅潮しているのがわかる。行為の中で我を忘れていく。そして自分がじっと見つめるものの先には、ある異様な輝きを帯びたものが存在している。

 音楽のいい点は、楽曲のなかで自分を忘れるという点に尽きる。二十分、三十分、四十分。一曲(または一楽章)が長い音楽を聴いていると、その中で自分を失い、あたかも自分が自分であるのを忘れるような錯覚にとらわれる。忘却とは癒しである。私はこの忘我の陶酔が欲しいからこそ、いつも音楽を求めているのであった。あたかも音の濁流に飲み込まれ、そのまま遠い彼方へと連れ去られていくかのように。

「友よ、このような響きではなくて!」ベートーヴェンは有名な第九の合唱の前にそう歌わせている。「もっと心地よい、喜びに満ちた歌を歌おうではないか!」美しく、力強い言葉だ。まさにその通りである。


 見た目が見た目だから、よくV系のバンドマンに間違われる。髪の色のせいもあるだろうが、染める前から時折誤解されていた。先日知り合った人から「バンドはやられてるんですか?チェキとか撮るんですか?」と聞かれた時、「ああ、そういえば俺はよくその手の人に間違えられるんだったな」ということを思い出した。まあ、悪くは思われていないのだろうから、悲しむべきことではないのだろう。ただ、私は別にV系が好きなわけではない。見た目がそれっぽいのは、恐らく無意識的に中学の頃好きだったバンドの真似をしているからだ。マリリン・マンソンマイ・ケミカル・ロマンスなど、昔はゴシック風な見た目をした海外のバンドにとても傾倒していた。もっとも、今ではどちらも殆ど聴いていないのだが。でも本当に、V系が好きだったことは生涯で一度もない。なのにV系の人として(またはV系が好きな人として)勘違いされる。昔はそれが嫌だった。自分が不当に誤解されているような気がしたから。がしかし、別に今ではもう何とも思っていない。実際、私は中学の頃は上の二つのバンドに並んでラルクも凄く好きだった。だから間違われても仕方ないのかもしれない。