21/04/01

 数年前、あるショッキングな事件が私を襲った。その日は偶然、一人の可愛い女の人と知り合う機会を得た。そして一時的にその人とカラオケで二人きりになった。実を言うと、私は異性とカラオケで二人だけになるのが初めてだった。無論、向こうはそんな事を知りもしないだろう。だから彼女からすれば、私はただの挙動不審なキモい奴だったに違いない。

 しかしあれは、本当に美しい女性だった。まるで人形のようだった。私は緊張した。緊張のあまりずっとスクリーンの方ばかりを眺めていた。向こうの顔を直視することが出来なかった。うまく口を開くこともできなかった。私はそんな自分を情けないと思い、また恥じた。そして自分が変わることを願った。

 そして今。あの頃に比べれば、私は変わった。性別を問わず友人は少なくないし、あの頃の自分に復讐するように今日までの人生を歩んできた。その結果として、私は次のような人間になった。つまり、社交的で人付き合いのいい、言い換えるならば 上っ面のいい人間である。

 他者との会話でストレスを感じずに、居心地よく過ごすためには、その場しのぎでいいから耳障りのいい言葉を口にする必要がある。どうでもいいものから敵意を向けられたり、またはそのものに気まずさを覚えたりするのは耐えられない。私は多少なりとも悩みやすい性格をしている。そして無闇に悩みを増やしたくない。だから人との関わりが増えるなかで、社交的になる上で、当たり障りのない態度をとる、上っ面のいい人間になるのは必然だと言える。

 自分が別にモテる人間だとは思わない。ただ、複数人のグループに属した時、他者から何らかの好意を寄せられる(ように感じられる)ことがある。無論、確証がないからそれは思い込みかもしれない。ただ、自分はいつもその「確証がない」を逆手にとって生きてきたと言える。一方的であれ両想いであれ、恋愛というものには、その内にある者にしか分からない「かま掛け合い」が機能している。しかし、この暗号読解とも言うべき作業には、物的証拠も伴わなければ明確な事実も存在しない。ただそこには憶測と解釈のみが真実の代わりとして機能している。それを踏まえるならば、だから相手の意味深な言動も全て「思い込み」で済ませることが出来る。グループの内の誰かがこちらに好意を寄せている(そのように思われる)。しかし、それを立証できる「証拠」はない。よって「いやいや、全然気づかなかったよ」と知らんぷりをすることが出来る。要するに、人との関わりが増える中で、私は気づいたことを気づかぬ振りで済ませるのを学んだのである。

 人によっては、それは「最低だ」と断罪される行為かもしれない。しかし待って欲しい。私の立場も考えてみてくれ。相手から好意を寄せられた以上、それ相応の敬意を払うのが礼儀である。しかしそれ以上に応えられるものがない。ならば何も出来ないのもまた現実である。かと言って「正直お前のことなどどうでもいい」と言うことも出来ない。それはグループの空気を乱すことに繋がるし、何より相手に対して失礼だ。だからはじめから見て見ぬふりをするしかないのである。私は今日まで、自分なりの最善を尽くして生きてきたつもりである。そして知った事がひとつある。つまり、日常を保つためには嘘と気付かないふりが必要不可欠なのだと。

 自分にはこうするしかなかった。白状するなれば、自分が悪いことをしたとは微塵も思っていない。肉体的に誰かを弄んだこともないし、何よりある文脈で解釈 - 憶測できる言動を何人かの人間がとっただけなのである。だからそれはこちらの「考えすぎ」なのかもしれないし、事実そうだった場合もあるだろう。よって、明確な事実もなければ物的証拠もないのだから、裁判になっても「いや、自分は何も知らなかった」と言い張ることが出来る。それで無罪も確定するだろう。私は裁きを逃れ、平穏に生きることが許される。

 しかし、こうして書いてみると、確かに私は最低な人間なのかもしれない。私はただ、グループの日常を保ちたかっただけなのだが。

 前述の通り、私にはこうするしかなかった。そのつもりで生きてきた。しかし最近、それを否定するような出来事に直面している。今まさに、私は過去のツケを払わなければならない現実に直面していると言える。

 しかし、話の本筋に至るまでに、あまりにもどうでもいい前置きを書いてしまった気がする。そろそろ本題に戻ろう。

 愛想のいい態度とは、ある程度相手に無関心だからこそ出来る。どうでもいいからこそ思ってもいないことが平気で言える。言い換えるならば、どうでもよくない相手に対しては、上手く口を開くことが出来ない。話したいことは沢山あるが、だからこそ何を言えばいいか分からないのである。

 冒頭の話に戻ろう。数年前、私は緊張して何も言えなくなった自分を恥じた。そしてそれに復讐するように今日までを生きてきた。今の自分には、人並みのコミュニケーション能力もあるし、友人も少なくないと思う。だからいつか過去を償う時が来たとしても、もう口ごもったりしない。堂々と相手の目を見て話せる。そのはずだった。しかし実際は違う。私は糞ほどどうでもいい人間に対しては饒舌に話すくせに、本当に仲良くしたいと思っているひとには、まるで、何も話すことが出来ないのである。

 そう、どうでもいい。今の私の本心を明確に言葉があるとすればそれだ。彼女以外の存在は全部どうだっていい。そのはずなのに、何故いつもこうも上手くいかないのだろう。今日まで、自分なりに努力してきたつもりだ。人並み程度のコミュニケーション能力も身についたし、身だしなみだって見れないほど酷いものではない。時に、日常会話とは暗号のやり取りである。私達が会話で求められるのは、相手に本心を語ることよりも、いかに感情のゲームを読み解き、暗号を満たすかということだ。しかし今、私はどの暗号を満たせば正解にたどり着くのかが分からない。もとい、そう言い切ると嘘をつくことになるかもしれない。もしかすると、自分が何をするべきかを知っているのかもしれない。ただ怖くてそれが出来ないのである。当時から、あの頃から、私は何も変わってない。ずっとあの頃と同じだ。

 こういった内容を書き始めてから、ブログの閲覧回数が目に見えるレベルで減っている。恐らく、この手の話題を書くことで一定数の読者が離れるのだろう。それがどの層に当てはまるのかは知らない。そもそもそんなに沢山の人間が読んでるわけでもないのだろう。しかし、それもどうだっていい話だ。そう、全部どうでもいい。そもそもこんな糞みたいなブログなど、だいぶ前から辞めるつもりだった。なのに惰性で今日までずるずると続けてきた。ただそれだけの話なのだ。いつ終わらせてもいい。やがて誰も読まなくなったって構わない。今の私には、彼女以外の全ての存在がどうだっていいからだ。

 一番悔しいのは、自分の内にこんなにも強い愛の衝動があるのに、それを一言も口にできないということだ。いつも口ごもって、息切れがして、何も言えなくなってしまう。神経がたかぶり、胸が苦しい。文章の上ではこんなにも威張れるのに、実生活では微塵もでかい態度が取れない。俺は一体なんてダサい人間なんだろう。最近観たマグノリアという映画に次のようなセリフがある。「恋をしているから気分が悪い。」ああ、まさにその通りだ。最近、毎日気分が悪い。不愉快でイライラする。こんなにも一人の女性のことを愛しているのに、恋をしているのに、彼女に対して何も出来ないし、何も上手くいっていないからだ。本心をいえば、彼女のこと以外全部どうだっていい。なのに人前に出ると、いつもの上っ面のいい、社交的な自分に元通りになってしまう。ひとりでいる時にはこんなにも(気持ち悪いくらいに)彼女のことを考えているのに、家の外に出た途端にいつもの仮面的な笑顔がつきまとってしまう。俺は一体何をしているんだろう。何故こんなにも馬鹿なんだ。彼女以外の存在は皆どうだっていい。彼女だけが私の気にかける全てなのだ。本当は毎日、当事者の前でそう言うことを願っているのに、一度だって、微塵もそれらしい言葉を口に出来たことがない。ただこうやって文面で(ひとりだけの世界で)威張ることしか出来ない。俺はなんて滑稽な男だろう。本当に馬鹿だと思う。

 ダサい。今の自分を見つめている時に真っ先に思い浮かぶ言葉がそれだ。そう、ダサいしキモイ。昔から、あの頃から何も変わっていない。何もかもあの頃のままだ。そのくせ一丁前にいい格好をしようとする。だから益々滑稽になる。最悪だ。何故だ。何故なにも上手くいかないのか。俺に一体何が足りないのか。

 彼女は私のことをどう思っているのだろう。それは、わからない。否、「こうなのではないか」という憶測はある。しかし結局それは憶測の域を出ないし、もしかしたら私の希望や期待が多く含まれているのかもしれない。だから(何事においてもそうだが)決して断言はできない。もしくは、これも私の臆病さの現れなのだろうか。実生活での出来事は、断言出来ること以外語らない。それが自分の主義信条だ。自分の経験を語るにしても、基本的にいつも過ぎたことばかりを語るようにしている。現在進行形の出来事を語るには、いつもこちらの憶測が付きまとう。そしてその憶測には、必ずこちらの期待や希望が含まれる。言い換えるならば、そこには必ず誤解と偏見が付きまとっている。馬鹿なことを言って痛い目を見ないためには、過ぎたことを語る(完結したものを語る)のが一番なのである。ああ、わかっている。やはり私は臆病だ。

 しかし、それすらもどうでもいい。全部、皆どうでもいい。白状しよう、私は彼女が好きだ。彼女も同じでいてくれたら嬉しいなと思っている。ただ、私にはわからない(俺は一体何を書いているんだ)。もしかしたら、彼女がこのブログを読んでくれているかもしれない。これも結局憶測の域を超えたものではないのだが、しかし、仮に読んでいたとしよう。もしそうだとするならば、ぼくのいとしいひと、これが私の気持ちである。私は君の恋人になりたい。君は私の全てだ。今の私には、君の以外の全てがどうでもいい。近いうちに必ず、この想いを君に伝える。上手く言えるかはわからない。しかしその時は、どうか私の愛を受け止めて欲しい。こんな告白の仕方ですまない。これが今の私に出来る全てだ。いつの日か、君の目を見てこれが言えるようになることを願って、今日の記述は終わりとする。