21/07/08

 ゲームには規則がある。そして規則がある以上、ゲームには正解がある。一般的な人間関係というものは、およそこのゲームの理論を把握することである。こう言った時にはああ言って、ああ言った時にはそう言う。そのようなやり取りの規則性を把握すること。あるいは相手の発した記号もしくは暗号を正確に読み取り、それに相応しい態度を取ること。この絶え間ない記号 = 暗号のやり取り。それが所謂「コミュニケーション」だと思われる。

 かつて、私はそれに気がついた。そしてそれに気づいた理由は、まさにこのゲームの規則に馴染めなかったからである。

だからこそ考えた。その結果、こういう時にはこう言えば、ああいう時にはああ事を言えば、「少なくとも気まずい思いをしなくて済む」という結論にたどり着いた。会話の中には相手から発せられている記号 = 暗号があって、こちらは上手くそれを読み解くよう求められている。よってそれに相応しい態度を与えることが、会話の中で(自分も、または他人も)嫌な思いをしなくて済むことに繋がる。

 恐らく、この憶測は正解だったと思われる。ただ、だからこそ、次のような考えがないと言ったら嘘になる。つまり、他者との交流の中で、求められているのは自分ではなくシチュエーションなのだということ。とりわけこれは異性関係において言えることだ。世の中の恋愛の大半は、相手を求めて生じたと言うよりも、相手がこちらの欲望を満たすシチュエーションを与えてくれるように思われるからこそ生じる。恋愛において、求められるのは私ではなく、私を通して得たいと願っているシチュエーションである。そしてこれは、大抵の恋愛関係が置き換え可能な関係によって成り立っていることを、そのまま証明していると思われる。

 しかし、それでは本当に人を愛すると言えるのだろうか。普段気取って文章を書いているくせにこんな事を言うのもおかしいかもしれない。しかし本心をいえば、私にはそれが耐えられないのである。なるほど相手の発する記号 = 暗号を正確に読み取り、それに基づいて相手の求めるのに相応しい(しかも安易な)シチュエーションを提供すれば、相手から友情なり愛情なりを獲得することが出来る。それで居心地のいい人間関係も手に入るかもしれない。しかし、そんなものが一体に何になるのだろう。何故わざわざ私が相手の求める役割を演じる必要があるのか。何故ゲームの規則を満たす必要があるのか。そう、そんな事をする必要はどこにもない。何故なら、もし相手が置き換え可能であるならば、わざわざ相手を愛する理由がないからだ。

 この事に気づいてから、他人の言うことに敏感になる必要が無いということに気がついた。ありきたりな言い方になるが、この世にはむしろ気が付かないでいる方が幸せなことの方が多い。同世代の人間の中でも、私は間違いなく鈍感な方だと思われる。そして、それでいいと思っている。ゲームの規則を満たしたところで嫌なものしか見えてこない。ならばゲームの舞台から降りるべきだ。

 しかし、かつて、このゲームの理論から外れているように見える人に出会ったことがある。「これこれこうすれば大抵こうなる」という確率論から見事に外れてくれる人がいた。つまりそこには、ゲームの規則の外側にいる人がいた。それは私と同じで、ゲームに馴染めない人かもしれなかった。欺瞞だらけの、空虚な、置き換え可能な大多数の繰り広げる「お決まりのセリフ」と態度が支配する、嘘つきどもの恋愛のゲームから、たった一人の、真実の、置き換え不可能な少数の存在が、希望として、あるいは可能性として、そこにいるような気がした。

 それは私と同じで、このゲームを冷めた目で眺めている人かもしれなかった。馴染もうと必死になって演技をしたが、そんな自分が馬鹿らしくて仕方ない、そんな私と似た人間が、そこにいるかもしれなかった。それは群衆の中から、行き交う人混みの中から、たったひとりの人間がスローモーションで現れてくるかのような感覚であった。他の人の輪郭は皆ぼやけて見えるが、ただひとりだけがはっきりと見分けられるような気がした。 もしあらゆる関係が置き換え可能なものであるとしたら、何故わざわざ人と関わる必要があるのだろう。もしあらゆる異性関係が置き換え可能なものであったなら、何故わざわざ関係を持つ必要があるのだろう。もしそれが置き換え不可能でないならば、何故それを愛する必要があるのか。よって、もし置き換え不可能な存在を逃したならば、私は一生誰も愛せないのではないか。

 この世に置き換え可能な人間しかいないならば、わざわざ誰かを愛する必要がない。愛する相手が置き換え可能であるならば、愛することに意味はない。そして、もし愛することに意味がないならば、わざわざこの世界と、外部と、あるいは他者との関わりを持つ理由がない。よって、私達が愛する相手とは、置き換え不可能なものでなければならないはずではないか。