21/08/09

 それにしても、子供時代とは一体何だったのか?

 少年の日を思い描いた後、今の自分を鏡越しに眺めてみる。すると、そこに映る自分が、幼い日の彼と同一人物だとどうしても思えないのである。幼少の日の記憶と、今現在の自分との間には、明らかな、深い断絶が存在する。その溝があまりにも深いので、こちらがいくら暗がりを覗き込んでも、何の答えも出てこないのである。だから益々こう自問せざるをえない。「それにしても、子供時代とは一体何だったのか?」と。あの頃の私と、今の私は、果たして本当に同じ人間なのだろうか。

 あの不気味な、記憶と傷跡の他に何も残さなかった日々。あれは一体何だったのか?生活のさなかで、ふとした時に子供の頃の記憶を思い起こされる。そして、それがあまりにも突然なので、喜びよりも困惑を覚えてしまう。私は再び自問する。「それにしても、子供時代とは一体何だったのか?」私にはわからない。まるで一切が夢か幻であったかのようだ。そして、それが美しい夢だったのか、それとも悪夢だったのか。それすらもわからないのである。

 大人になった今、子供時代の全てが不可解に思えているように、きっと子供の頃の私も、今の私を見て不可解に思っているだろう。時折、幼い子供であった頃の私が、今の私を眺めているように感じることがある。たとえばそう、それは電車の中で起こる。ある日、私は帰りの電車に揺られていた。既に窓の外は暗く、光の反映がガラスの上に私の姿を描き出していた。そしてその姿を眺め、そして驚いた。これが自分なのかと。まるで知らない人と向かい合わせになって、その人を眺めているような気分になった。少なくとも、これがあれと同一人物だとはどうしても思えなかった。私はガラスの世界を生きる、見知らぬ彼を見つめ続けた。

 それにしても、子供時代とは一体何だったのか?それは恐らく、リルケの創作のモチーフの一つでもある。彼には子供時代に纏わる美しい散文、詩が多く残されている。

「おお、幼年時代。おお、滑り去っていくイメージよ。何処へ、何処へ、それはいったのか?」

 かつて、リルケは私の全てだった。彼が私の全てを歌ってくれた。リルケがいなければ、私はニーチェを読み続けることも、ドゥルーズを理解することも出来なかった。リルケが、私の内で矛盾しているように見えた様々なものを融和させてくれた。彼の本に出会ったことは、私の人生において一つの美しい偶然だった。


 コロナにかかった。最初に症状が出たのは八月一日のことである。朝目が覚めると、身体が鉛のように重く、吐き気が酷かった。実際、私はその日の内に幾度か吐いた。ただ、自分としては体調を崩すのはよくあることであった。だから「いつものこと」だと思い、病院にも行かなかった。寝れば治ると思ったのである。

 異変に気づき始めたのは八月四日からである。いくら寝ても体調がよくならず、目が覚める度に顔色が死人のようであった。よって、流石の私もおかしいと思い始めた。その日から、仕事を休み、安静にし始めた。やがて病院でpcr検査を受けると、コロナであることが判明した。八月七日のことであった。

 そして今日、保健所から連絡があった。いくつかの質問に応えた後、このまま悪化することがなければ後二日で自由に外出することが可能になると伝えられた。案外、呆気なく終わるものである。しかし、確かに症状が出始めた八月一日と八月八日は本当に苦しかった。まるで全身が異物を排除しようと努めているかのようであった。汗がどっと溢れ出て、何も食べていないのに嘔吐が止まらなかった。しかし、その二つの峠を越えた今、比較的体調の安定した生活を送っている。

 恥ずかしい話だが、病気になると気が弱くなる。この夜が永遠に続いていて、自分はどこまで歩いてもこの無人街から抜け出せないのだ。病床に伏すと、そのような孤独感に襲われる。それはまるで砂漠のようだ。そう、砂漠が心象風景に広がっているのだ。病気になると、人は心細くなる。

 不幸を蹴散らし、悲しみを炸裂させる。ベートーヴェンのハンマークラヴィーアを聴いていると、思わずそんな言葉が頭に浮かぶ。かつてニーチェは次のように書いた。「悲劇の英雄は快活である」と。ハンマークラヴィーアは、先ず初めに激しく鍵盤を打ち叩く音から始まる。あたかもハンマーがふるい落とされたかのように和音が鳴り響く。豪快な、哄笑にも似た響きである。それは英雄が不幸をあざ笑い、悲しみを笑い飛ばす姿にも似ている。そして私は、そこに理想化された自分の姿を見出すのである。力強く、快活な英雄。陽気な英雄。英雄は全て悲劇を鼻で笑う。彼は自らの不幸を蹴散らして、喜びに至るため、全ての悲しみを炸裂させるのである。

 時には深い内省に沈むことあるだろう。絶望が辺りを支配して、目を開いても暗闇だけが広がっている。砂漠だ。誰も、何もない砂漠が何処までも広がっているのだ。孤独、永遠の孤独だ。彼はその時、目が見えなくなって、ただ癒しを求めさまようパウロのように、祈ることしか出来ない。ハンマークラヴィーアの第三楽章は、まさにこのような祈祷者の長い彷徨である。しかし彼は彷徨の末についに光を見出す。それは一陣の息吹のように、または暗闇を引き裂く雷のように、全てを切り裂き、また全てを奪い去る。そして私達に新しく生まれ変わることを教えるのである。それは丁度、パウロが再び目が見えるようになると同じように。新しい人間となってよみがえるの同じように。

 やがて第四楽章がやってくる。フーガの連続、踊ることの喜び、ハンマークラヴィーアの第四楽章。ああ、しかしこうして音楽を聴いていると(私の大好きな音楽を聴いていると)、やはり音楽がやりたいという気持ちが強くなってくる。全ての芸術は音楽に憧れる。それは文学にしても同様である。


 若くして死ぬことに憧れている人間は、美しい状態で死ぬこと(または美しい死に方をすること)に憧れているのであって、死それ自体に憧れているのではない。

 今目の前に早死したいと願っている若者がいたとしよう。しかし恐らく、彼が願っているのはロマンチックな死に方 (あるいはドラマチックな死に方) である。間違っても交通事故にあって苦しみながら死ぬことや、全身の毛が抜け落ちて、皮膚が醜く爛れていくような死に方は望まないだろう。だから、もし今この瞬間に交通事故に遭いそうになったら、彼は死を恐れるだろうし、死にたくないと願うだろう。腸がとび出て、情けなく口をひらき、魚のように目を大きくして、痛い痛いと泣きわめきながら死んでいく。実に惨めな死に様である。美しさの欠片もない。そして、誰もそんな死に方など望まないわけだ。しかし、大抵の人の死に方が、そのように醜く、惨めなのも事実ではないか。

 だからこそ、若くして死にたい、あるいは好ましい死に方があるというのは、ある意味とても生に執着した人間の在り方である。また、それを踏まえるならば、誰も死ぬことなど望んでいないと言えるだろう。

 少なくとも、私は死にたくない。死とは醜いものだ。全身の筋肉が衰え、声は枯れ、肌はしわくちゃになり、歯茎は黄ばみ、息が臭くなり、苦痛だけが生の真実になる。私は今日まで、ただ死ぬことだけを恐れて生きてきた。


 ニーチェにおいて、神の死は変奏する。「神は死んだ」という彼の有名な言葉は、しかしその語られる箇所によって内容が異なってくる。ある時には、神々は笑い死にする。またある時には、「神を殺したのは我々だ」という気狂いめいた男の叫びが響き渡る。しかし、私の心を最も惹くのは『ツァラトゥストラ』の第四部に出てくる〈最も醜い人間〉の話である。ツァラトゥストラによれば、この男こそが「神の殺害者」なのだという。

 最も醜い人間は語る、「人々は私を迫害する」と。しかし、彼は決して見た目が醜いから迫害されたのではない。むしろ本文を読めば、彼の容姿が醜いとはどこにも書かれていないことがわかる。そもそも、彼は「迫害された」と語るが「人々が彼を憎み攻撃した」ともやはり書いていない。では、何が彼を「迫害」したのか。それは他ならない、人々からの「同情」である。彼は他人に同情されるのが許せなかったのだ。そして、だからこそ最も醜い人間は神を殺害するのである。

「彼[神]の同情は、少しの羞恥も知らなかった。彼は私の最も汚らわしい隅々までもぐりこんだ。この最も好奇心の強い者、あまりにも厚かましい者、あまりにも同情深い者は死ななければならなかったのだ。/彼は絶えず私を見た。そのような目撃者に私は復讐したいと思った、───さもなければ、こちらが生きた心地がしなかった。」

 ツァラトゥストラが最も醜い人間を見かけた時、彼は「見てはならないものを見た」と思い、「醜い人間」から目を背け、一刻も早くその場から立ち去ろうとした。そして、それは最も醜い人間にとって好ましい態度であった。何故なら、その方が自分の自尊心が傷つかないからだ。ツァラトゥストラは、彼の醜さに敬意を払ったが故に、彼の存在を無視しようとしたのである。やがてツァラトゥストラは、最も醜い人間について次のように語り出す。「今の醜い人間も、自己を愛していた。自己を軽蔑しながら愛していた。───彼は大いに愛する者であって、大いに軽蔑する者なのだ。」

 これが、最も醜い人間が「醜い」と形容されるかの理由である。彼が「醜い」とされるのは、自己を軽蔑しながらも、他から低く扱われるのが許せないからである。なるほど彼は自分を嫌っている。しかし、それ以上に他人から同情される、施しを受ける、救われるのが許せないのである。それは自分が下に見られることの象徴であり、そうされるほど益々自分の醜さを感じ、惨めになるからだ。だから自分に同情する者が許せないのである。ならばいっそ、自分を遠ざけてくれた方が好ましいのである。この感情故に、最も醜い人間は「醜い」と称される。彼は大いに自己を軽蔑するが、しかし同時に、そんな自分を心から愛しているのである。

 ツァラトゥストラは、そのような「醜い人間」に対して、「あれもまた高みだ」と一目を置く。ツァラトゥストラは「醜い人間」に呼び止められ、彼から話を聞く。その後、ツァラトゥストラは彼に「自分の道を歩むこと」を勧める。そしてツァラトゥストラの道とは、何よりも先ず「動物と語り合うこと」なのである。動物に満たされた者になること、動物への生成変化を体験すること。それこそが「最も醜い人間」が自らから抜け出すための第一の手段なのだと、ツァラトゥストラは教えるのだ。「見よ、あれを登って行けばツァラトゥストラの洞窟がある。(……)そして洞窟のすぐ側には、這ったり、飛んだり、はねたりする動物どもが潜むおびただしい穴や抜け道がある。」


 断言してもいい。人が「理性を捨てて欲に負ける」などありえない。誰しも自分に利益があると思った選択のみを行うからだ。意識的であれ無意識的であれ、私達の行動の裏には必ずこの「利益への配慮」が働いている。この場合、利益とは何も実際的な利益だけではない。たとえば街中で困っている人を助ける男がいたとしよう。そして彼が人助けをする理由は、他人に感謝されたいからというよりも、目の前に自分を不安にさせる存在がいることが許せないからだとする(他人の困った顔が、彼を酷く不安にさせるのだ)。この場合、彼は自らの不安を解消するために人助けをすることとなる。そしてこれもやはり、自分に利益があると思ったからこそなされた選択なのである。

 だからこそ、「欲に負ける」ような瞬間に出くわす時、実は非常に理性的な判断が行われていることとなる。欲に負けた方が利益があると思うからこそ、その選択をするわけだ。よってそれは、非常によく計算された理性的な判断である。どんな場合であろうとも、人が理性を捨てるなどありえないのである。

 ならば、非理性的な状態とは一体何を指すのか。それは「選択できない」という困惑が襲う瞬間である。選択を迫られる状況において、何をすればいいのかがわからない。何が正しいのかがわからない。思考を迫られる状況下で、自分にはわからない、理解できない、思考できない「何か」に直面する。その時、人は驚き、戸惑い、不安を覚え、困惑に駆られる。そしてただただ呟く。「わからない、何もわからない」と。

 それこそまさに人が非理性に直面する瞬間である。魂のトラブル、あるいは「選択できない」という苦しみ。理性の行使を求められる状況下で、理性が行使できないという絶望。