21/09/11

スピノザがしばしば指摘するように、子供時代は無力と束縛の状態、無分別の状態である。そこで我々は極度に外的な諸原因に依存しており、また喜びよりも悲しみの方を必然的に多く抱いている。我々がこれほど自らの活動力から分離された時代は他にない。」

 眠れない夜が続く。何もせずに寝返りばかりを打っていると、どうにも余計なことばかり考えてしまう。そして頭に浮かぶのは、いつも決まって嫌な思い出である。

 人間、生きていると思い出したい事より思い出したくない事の方が増えていくものだ。かつて他人にされた嫌な思い出と、かつて自分がした嫌な思い出。どちらにしても沢山あるが、しかし不思議なもので、他人にされた悪事については、時が経つにつれて次第に忘れていってしまう。というよりかはむしろ「思い出しても昔のように苦しまなくなっていく」と書いた方が適切だろう。かつての私は、今の自分の苦しみの全ての原因が過去の不幸にあるのだと思っていた(「そうだ、俺が今こんな風に苦しんでいるのは、全部あれのせいなんだ……」)。しかし、今は違う。最近ではむしろ、かつて自分のした馬鹿な行いばかり思い出している。どれも恥を覚えずには思い出せないことばかりである。私は今日まで、酷いことを沢山してきた。本当に、本当に馬鹿げたことを沢山してしまった。

 夜、眠れない間にそれらの事を思い出しては、ひとり勝手に頭を抱える時間を過ごしている。もう幾度そんな夜を過ごしてきたか知らない。以下に続く文章は、そのような不眠に悩まされた晩に私が書いたものである。今日はここにそれを吐き出すことで、少し気持ちを落ち着けようと思う。

 あれは私が高校生の頃のことだった。ある日私は、別の高校に進学した中学時代の友人に偶然道端で出会った。そしてその場で彼と話を始めた。どうやら友人はある男を待っているらしかった。それは彼と同じ高校にいる人間で、彼を含む私と同じ中学出身の人間の多くと仲良くしているらしかった。

 やがてその男が現れた。友人は私に彼を紹介した。仮にここでは、この男をAと呼ぼうと思う。

 Aは奇妙な男だった。しかしどういう訳か、私と彼はすぐに仲良くなった。今考えると、私と彼は何処となく似ていた。しかし、この話は今はしないでおこう。それよりも、そもそもAの何がそんなに奇妙だったのかを語る必要があるだろう。Aの奇妙さには幾つかの特徴がある。しかし中でも特筆すべき点として、彼には純粋にして天才的な悪意があったと言わなければならない。そう、Aは悪意の天才だった。私がそう語るのにも理由がある。Aは私の中学時代の同級生を、高校でいじめていたのである。私はその同級生とかなり仲が良かった(仮にここではこの同級生のことをBと呼ぼう)。しかし何より奇妙なことに、Aは自分がBをいじめていることを、嬉しそうによく語ったのである。

 初めて会った時から、Aは私にその話をした。今でも覚えているが、Bがいじめられている動画を、かつてAに見せてもらったことがある。動画の中で、Bは突然どこかの部屋に閉じ込められてしまい、「やめろ、やめろよ」と叫びながら扉をガンガン叩いている。しかし撮影者側は扉を開けずに、画面の外で笑い声を上げている。勿論この撮影者側にはAが含まれていた。もとい、Aは嬉々としてBへのいじめを先導していたと言っていい。しかしAだけではない。当時の私の中学の同級生で、その高校に通った者の大半はBへのいじめに加担した。ここがまたこの話の奇妙な点の一つであり、その中にはBと仲が良かった人間も何人かいたのである。しかも、皆「自分がいじめられるのが怖いから加担した」というわけではない。その高校に通う人間で、かつての同級生に会う度に、誰もが楽しそうにBへのいじめについて話した。

 この奇妙な現象の原因が何であるかは知らない。しかし私達に対して圧倒的な影響力を誇っていたのは、やはりAであった。Aは不思議な男だった。勿論私は、ここでこのいじめの責任を全部Aに擦り付けるつもりはない。ただ、私を含むBのかつての同級生達だけでは、到底あんな事をする気にはならなかっただろう。しかし、こんな事ばかり語っていると、まるでAが悪者のように見えてしまう。実際、当時の彼は悪役を演じていたと言えるかもしれないが、しかしかつての友人として、私はここでAの弁護をしなければならない。というのも、私達は本当に仲が良かったからである。高校も違うのに、私達はよく放課後に二人だけで集まっては、レンタルショップに並ぶDVDを何時間も眺めたりしていた。その後ファミリーレストランに二人で向かい、「いつか映画が撮りたいな」なんて話をしたのもよく覚えている。あの頃、私達は本当に奇妙な友情の日々を送っていた。

 Aが何故あのような人間になったのか。他人である以上、その原因は完全に断定できないが、恐らくその一つとして彼の家庭環境が挙げられると思われる。いつだか彼の家に遊びに行った時、私は非常に驚いたのを記憶している。そこには彼の母親によって用意された「来客用の椅子」があった。背もたれのない椅子で、座る部分には新聞紙がガムテームでぐるぐる巻きに貼ってあった。A曰く、「外から来る人は皆汚いから、これに座るようお願いしている」との事だった。私は驚きながら彼を見つめたが、しかし彼自身はそれに何の疑問も持っていないようであった。他にも印象的な話を聞いたことがある。子供の頃、彼は母親からなにかの節に「汚い」とされて、寒い夜に一時間以上外に放り出された事があるらしい。恐らく私に語っていないだけで、似たような経験は他にも沢山あるのだろう。父親に関しては、時折怒って殴られたらしいが、基本的に関係は良好であるらしかった (彼はよく父に対する尊敬が垣間見える言葉を口にしたものである)。

 この母親との複雑な関係が原因なのか、それとも女性関連で別の何かがあったのか、Bは恐ろしく女性のことを嫌っていた。大抵の女性は自分より馬鹿だと思い、見下していた。「女は感情的で頭が悪い」と、彼が語るのを何度か見た事がある。また、それに関係があるかは知らないが、Aは非常に被害妄想が強く、疑り深かった。これもまた彼が以前私に語ってくれたことだが、中学を卒業後、彼とは別の高校に行った同級生が「皆自分のことを馬鹿にしていると思っていたが、実際に会ってみるとそんな事もなくて安心した」との事だった。

(余談になるが、その話を聞いた時、私は彼に対して妙に親近感を覚えたのを記憶している。私もまた、自分の中学時代の同級生が、皆自分のことを見下していると思っていたからだ。だからこそ、久しぶりにかつての旧友達と街中で会うと、結構よく驚いた。皆私に親しげに話しかけてくれるから。Aが「〇〇がお前に会いたがってたよ」なんて話をしてくれた時も、やはり同様の驚きを覚えたものである。私とAは変なところでよく似ていた。)

 話を巻き戻そう。私が先述の動画を観たのは、その高校に通うある友人の家に皆で集まっている時であった。当時、Aや私を含むグループの人間は、皆その家に集まることが習慣になっていた。Aが例の動画を見せた時、誰もが大笑いしていた。それは私にしても同じだった。今考えると実に不思議である。私はこのいじめられている少年とあんなにも仲が良かったのに、今では彼が酷い目に合っているのを見て笑っているのである。中学時代、Bと私は本当に仲が良かった。私達はよく互いにじゃれあったものである。あの頃の私は、目の前で流れている動画を、恐らくその「じゃれあい」の延長線上にあるものだと思っていたのかもしれない。今だからそれが笑い事ではないことを知っている。しかし当時の私にはそれがわからなかったのである。それくらい他人の気持ちを考えることの出来ない子供だったのだ。

 あの頃の私達は、皆どうかしていた。Aの周囲の人間は、皆口を揃えてBと再び関わることを避けていた。私にしても同じだった。この傾向は、次第に別の高校の同級生達にも伝染していった。ある時、私ともAとも違う高校に通うある友人が、Bに久しぶりに連絡を入れた。彼はBの近況を聞いて心配している振りをしているらしかった。勿論Bはそれに喜んだ。そして「頼りにしている」という内容のメッセージを彼に送った。後日、その男はBから来たそのメッセージを皆に見せて回った。そして心から面白がった。Aも私も、そして他の皆も、やはりそれを観て笑っていた。今考えれば実に不気味な光景である。

 しかし、Aと私が知り合ってから丁度一年が経つ頃に、どういう訳か不意に私達は疎遠になった。仲違いしたというわけではなく、気がついたら会わなくなっていたのである。受験について考え始める時期になっていたから、お互い勉強が忙しかったというのもあるだろう。時折メッセージのやり取りをしつつも、それから一年以上もの間、私達は一度も会わなくなってしまった。

 やがてBのいじめが終わった事を人づてに聞いた。その頃には、私も自分が馬鹿なことをしていたことにやっと気がついた。Bは私がA達と仲良くしていることに気づいていた。ある日、何故かは忘れたが、Bと二人で夜道を散歩したことがある。その時、Bが当時の私に「本当にムカついていた」ということを教えてもらった。私は謝った。許されたかどうかはさておき、その程度で済ませて貰えたのだから、それに感謝しなければならなかった。

 しかし、それでも当時のことを思い出しては、本当に馬鹿なことをしたという気持ちになることが多々ある。私自身、それより前にいじめられた事がないわけではなかった。上履きを隠されたこともあれば、バックをゴミ箱に捨てられたこともあった。上級生から一方的に殴られたこともある。にも関わらず、一体何故自分はあんな事をしてしまったのか。眠れない夜に考えることの一つは、やはりそれである。

 恐らくその理由の一つとして、独りになるのが怖かったというのが挙げれらる。別に一人で過ごすのが嫌いだったわけではない。ただ、ひとりぼっちは寂しくて、惨めで、馬鹿にされる。そう思っていたのだ。だから誰かと一緒につるむことを、誰かと一緒に笑うことを求めていた。それで他人から見下されなくて済むと、自分を惨めな奴だと考えなくて済むと思っていた。あの頃の私は、本当に、本当に愚かだった。本当に馬鹿者であった。

「[聖書における]最初の人間、アダムは人類の子供時代である。それ故、スピノザは罪を犯す以前のアダムを理性的、自由、完全な者として示すキリスト教的あるいは合理主義的な伝統に強く反対する。むしろアダムを一人の子供として、すなわち悲しく、弱く、隷属的で、無知で、偶然的な出会いに身を任せる人間として想像しなければならない。(……)弱さを解き明かすのは罪ではない。罪の神話を解き明かすのは我々の最初の弱さである。」

 子供の頃、私は自由になることを願った。そして自由になるために、早く大人になることを願った。しかし大人になった今、自分がそれ以上の者に憧れていることを知っている。ほとんどの大人は、子供時代の影から抜け出せないまま大人になる。皆、どうすれば「いい大人」になれるのかがわからないからである。無論、私もそうだ。だからこそ、大人になるほど、人は大人に失望し始める。大抵の「大人」は、上っ面だけそれっぽく振舞っているだけで、屁理屈を捏ねて現実の馬鹿馬鹿しさを誤魔化すことばかりを覚えていくものだ。それが一般に言う「大人」になるということだ。そして皆それに合わせていく。ならば今、私はそれ以上の者になることに憧れざるを得ない。

 「理性的である」とは何か。理性的な人間とは、孤立することを恐れない者を指す。世の中の大抵の愚劣な行いは、皆孤独を恐れることから始まる。それは私が身をもって体験したことであり、また世の多くの人が体験しつつあることでもあると思われる。人は孤独を恐れて馬鹿げたことをする。広い目で見れば、全体主義にしてもそうであり、また一夜限りの肉体関係にしてもそうだ。皆、孤独を逃れようとして馬鹿な行いに走るのである。ならば理性的な人間とは、孤立することを恐れない者を指すと言っていい。言い換えるならば、非理性的な人間とは、無闇やたらに誰かと繋がることを求める者のことである。孤独を恐れ、孤立を恐れて、いつも誰かと居ることを求めた子供時代は、私にとって冷たく、悲しい時代である。寂しさを恐れ、退屈を怖がり、下らないと思いながらも同じ人間関係をずるずると引きずり続ける。その結果として、実に恥ずべき現実に直面する人が、どれほどいることか。孤立を恐れる時こそ人は恥ずべき妥協を行うのである。「人間は理性によっては生きられない」などと言っても何も始まらない。問題は、いかにして思考不可能な諸力を思考可能なものに変換するかということである。そのために孤立し、孤独に陥ることになろうとも、それは大した問題ではない。


 私の故郷はとても陰湿な街だった。中学の頃、クラスの担任をしていた先生がブログをやっている事が、生徒たちに何処からともなく漏れ始めた。アバターを使い、HNを用いて、現実とは異なった言葉遣いをしているネット上での先生の姿は、当時の学生達からは気味悪がられた。結果として、先生は生徒からいじめられ始めた。男子からは無視され、女子からは「キモい」と陰口をささやかれた。怒ろうとしても皆に笑われて終わった。ある日、先生はついにそれに耐えられなくなった。帰りのHRで、先生はクラスの皆に紙を配り始めた。そして言った。 今の自分はこんなにも生徒から嫌われている。だから教師をする自信がない。君達の担任をする資格があるかわからない。だから今から配るアンケートに対して、これかは私にどうして欲しいか書いて欲しい。もし私がまだ担任をしてもいいと思ってくれる人がいるならば、その人は〇を。やはり私にして欲しくないと思うならば、その人は×を書いて欲しい。

 当時、そのクラスの生徒だった私は、流石に自分達がやりすぎていることを知っていた。そして先生の弱りきった態度を見て「悪い事をした」という気持ちになった。アンケートには〇を書いた。こんなに先生が追い詰められている以上、きっと皆も先生を許すだろうと思った。皆も〇を書くだろうと思った。

 しかし違った。投票の結果、〇は私を含め二、三人くらいしかいなかった。他の生徒は全員×と書いていた。先生は悲しそうに項垂れて、「そうか」と言った。そして次の日から、クラスのHRは学年主任が行うこととなった。先生は毎朝、それをクラスの外の廊下に立ちながら眺めていた。一連の事件が起きたのは、秋か冬の頃であったと記憶している。廊下から私達を眺める先生の悔しそうな顔を、私は今でも忘れられない。


 子供時代。自分の無力さに悩まされた、不可解で嫌な時代。勿論そこには数々の美しい思い出がある。私と仲が良かった少女達との思い出、唯一無二の親友Cとの思い出、私の愛した人達との思い出。しかしそれを覆い隠すほど、恥辱を覚えざるを得ない、いやらしい記憶が数多ある。かつて、私は不潔で不愉快なことに幾度となく手を染めた。また、不潔で不愉快な目に幾度となく遭った。故郷の人達を悪く言うつもりはない。皆、かつての私にとって大切な存在である。しかし、決して故郷で今一度暮らしたいとは思わない。あまりにも沢山の嫌な思い出がある。それに囲まれながら暮らすなんて耐えられない話だ。今日までに何度、自分の子供時代をなかった事にしたいと思ったか知らない。出来れば皆過去の私を忘れて欲しいとさえ思っている。そして出来れば、誰にも過去の自分を深追いして欲しくないとも思っている。

ライプニッツが言うように、呪われた者は永遠に呪われているのではなく、ただ「いつでも呪われうる」のであって、各々の瞬間に自分を地獄に落としている。(……)彼らは復讐の人、怨念の人であって、ニーチェが後に描くように、自らの過去の結果を被っているのではなく、あたかも現在の、現前する過去の痕跡と決別することが出来ないで、毎日、毎時、それを新たに刻みつけているかのようだ。」