21/09/15

 小学生の頃、私の学年にはDという男子生徒がいた。体格が大きくて、いつも汗をかいていた。肌が白くて、顔についた沢山のそばかすが印象的な少年だった。確か小学五年生の終わり頃まで私達の学校にいた。しかし卒業まであと一年という時に、Dは突然転校してしまった。転校する前、既に彼は学校に通うのをやめていた。

 未だ眠れぬ夜が続いている。先日の日記でした思い出話の名残が、どうやらまだ後を引いているらしい。今日はこのDという少年の話をしよう。以下に続く文章は、私が眠れぬ時に書き溜めたものである。

 小学三年生の頃まで、Dは私達と変わらない一般的な生徒であった。つまり、皆と校庭で遊び、よくよくはしゃいでいた。私は学童に通っていたから、あまり彼と遊んだ記憶がない。しかし低学年の頃は彼と親しく話したことはよく覚えている。快活で、よく笑う少年だったが、しかしその大きな身体に似つかないくらい繊細な心の持ち主でもあった。当時のアルバムには、何かの行事で笑顔を見せる彼の写真が収められていた。今はもう手元にないが、それは彼が他の子供たちと仲良く生活していたことを記録していた。

 しかし、子供の世界というものは春の嵐のように気まぐれに出来ている。ある時、私達の間でも、特にやんちゃで、他の子供にも強い影響力を持っていたある少年が、「Dの体が汗臭い」とよく言うようになった。事実、Dは代謝がよかった。私達よりも身体が一回り以上大きかったから、その分沢山の汗をかいていた。しかし、それからまるで伝染病のようにDへの悪評が広がり始めた。気がつけば誰もがDを避けるようになっていた。近づけば「くさい」「菌がうつる」といって煙たがられた。しかし遠くにいれば陰口を言われていた。休み時間には、Dを利用した遊びが提案された。勝負に負けた子供は、罰ゲームとしてDの身体に触りに行くことになっていた。そして負けた子供は心からそれを嫌がっていた。仲間外れにされたくないのか、それとも彼なりの意地だったのか、時にDは自分からその「ゲーム」に参加することがあった。いじめられるようになってから、Dは悪戯をするように誰かに飛びついたりした。そして愛想よく笑っていた。Dの笑顔は印象的で、私は彼の困った顔より笑った顔の方をよく覚えている。それは人によく気が利く子供に特有の笑い方だった。

 Dのいじめは学年で大きな問題となった。そして何度もDをいじめてはならないよう先生から指導が入った。その度に学年では集会が開かれた。先生達の誰もがこの問題に頭を悩ませていた。しかし、いじめは中々なくならなかった。むしろ生徒達は、自分達の方がDにいじめられているような顔をした。「Dに触られた」と言って泣き出す子供まで現れた。その扱いはまるで動く汚物だった。泣きたいのはDの方に違いなかった。

 しかし、ある時からふいにいじめが沈静化したように記憶している。否、「沈静化した」というよりかは「以前ほど酷くなくなった」と表現した方が適切かもしれない。恐らく、先生からの度重なる注意が効果を出したのだろう。それは私達が小学五年生になる頃の事だった。私とDはその時、同じクラスだった。かつては学年の全員から避けられていたが、今ではクラスの人間の何人かとは普通に話をするようになっていた。勿論私もDと話した。あの頃、私達は、短い間であるが以前よりは平和な日々を送ることが出来ていたと言えた。

 しかしそれもまた呆気なく終わることとなる。そして、その友情の日々を終わらせたのは他ならない私なのであった。

 それはある日の休み時間のことである。既に時刻は午後を迎えていた。学校がもうそろそろ終わる頃で、陽は少しずつ傾き始めていた。私はDと窓際にある本棚の近くで話をしていた。そして、何故かは忘れたが、Dが私のことを「チビ」と言っていじり始めた。当時から体格の小さかった私は、別にそのことを気にしていたわけではないが、やり返しとして、Dに向かって「うるせえ、そばかす」と言った。それに対して、Dはまた私に「チビ」と言った。ここから、私達の「チビ」「そばかす」という罵りあいが始まった。子供達の間でよく見られる光景である。しかしこの「じゃれあい」は突然終わった。Dは自分のそばかすを気にしていたのである。今考えれば、それも当然の事だった。Dの体臭が指摘されるようになってから、彼のそばかすもよく笑いの種にされたのである。先程まで笑っていたDは、突然泣きじゃくって、私の首元に飛びかかってきた。そうして私を押し倒して、私の首を絞め始めたのである。

 周囲にいる人間が止めに入った。突然の出来事に、私は苦しさよりも驚きを感じていた。自分が置かれた現状がよくわからなかった。そして自分を助けたクラスメイト達が心配していることがよくわかった。私は彼らを安心させたいと思った。しかしあまりの困惑から、その場で泣き出してしまった。でも周りには自分が大丈夫だと伝えたかった。だから突然笑い出したりもしてみた。こうして泣いたり笑ったりを繰り返している内に、私はただの大泣きしている子供になってしまった。

 ここから先の記憶はもうない。だからその時Dがどんな顔をしていたのか、今の私にはわからない。

 次の日から、Dは学校に来なくなった。Dが不登校になってから一ヶ月が経つ頃、彼が他の小学校に転校したことが、担任の先生の口から語られた。学年中の子供がその知らせを聞いて喜んだ。誰も悲しんでいなかったし、誰も良心の呵責など覚えていなかった。少なくとも私の目にはそう見えた。Dとの間で起きた件については、誰も私のことを責めなかった。むしろ皆がDの悪口を言っていた。中には「あんな奴に触られて可哀想だ」と同情を寄せる同級生もいた。そしていなくなったDについては、ただ悪口だけが寄せられていた。

 Dの名前を久しぶりに聞くことになったのは、それから時を経て、私が中学二年生になる頃である。当時、私の通っていた塾のクラスには、それぞれ別の中学に通っているが、仲のいい友人が何人かいた。その内の一人が、ある日私にこう聞いてきた。「ねえ、Dって知ってる?」

 私は「知っている」と答えた。すると、彼女は自分の学校でDが虐められていることを話し始めた。理由は私達の小学校と同じ、体臭であった。Dの席の周りには空白ができていて、誰もがDを避けているとの事だった。女子生徒の友人は話を続けた。「それでね、私可哀想になっちゃって、今日Dに話しかけたんだ。そしたらすっごく喜んでたよ!」

 その日、彼女はDに話しかけたことをきっかけに、彼と仲良くなったらしかった。そして彼から沢山の話を聞いたらしかった。中でも印象に残ったのは、Dが毎日一時間以上もお風呂に入っているということだった。その話を聞いて、私はDに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして「またDの話を聞かせて欲しい」とお願いした。彼女は快くそれを承諾してくれた。

 次の日も、私達は塾に集まっていた。そして私と顔を合わせた途端に、例の友達は語り始めた。「昨日話したDのことなんだけどさあ。昨日私が優しくしたからって、いっつも学校で私の周りをうろちょろするんだよね。ずっとつきまとってきて。正直、ウザくてさあ。それに、やっぱりくさいんだよね。で、ついつい言っちゃったんだよね。『くさいから話しかけるな』って。」

 私は絶望した。目の前の友人を責めるつもりはなかったが、しかしやるせない気持ちでいっぱいだった。勿論、私には彼女を責める権利などなかった。しかし、怒りを覚えた。ただ、それを何処に向けていいのかわからなかった。自分には何も出来ないことを知った。それは少年の日の思い出の中で、私が最も自分の無力さを感じた瞬間の一つだった。

 Dは今、何をしているのだろう?Dの家庭環境がどんなものであったのかは知らないが、しかし彼の父親はとても厳しい人だった。ある日、登下校中にDが彼の弟と問題を起こした。それは子供にはよくあるような、些細な出来事であった。しかしDの父親は激怒して、平日の学校に殴り込み、生徒たちの見ている前でDを殴打し始めた。Dは鼻血を流していた。それを見た先生は止めに入った。学年中が騒然としていた。その恐ろしい形相から、「Dの父親は元ヤクザだ」なんて噂がどこからともなく流れ始めた。それの真偽はさておき、今の私が思うのはただ次のことだけである。あの頃のDには、家庭にも居場所がなく、学校にも居場所がない。何故こんな事が起こりうるのか。何故、何の罪もない子供がこんな風に苦しまなければならないのか。そして何故私はそれに加担してしまったのか。

 時々、思うことがある。Dはあれから決して自分の少年時代の影から抜け出すことが出来ず、そして今も尚それに苦しんでいるのではないかと。 そして自分をこんな風にした当時の同級生達を恨んでいるのではないかと。勿論、恨んでいるだろう。恨んで当然である。だから、私はよく考えるのである。ある日突然、私の目の前にDが現れて、「お前が俺の人生を台無しにした」「俺が今こんな風に苦しんでいるのは全部お前のせいだ」なんて責め始めるんじゃないかと。哲学的な綺麗事を並べる私に対して、「昔あんな酷いことをしたのに、よくそんな善人面ができるな」なんて語り始めるんじゃないかと。「俺がこんなに苦しい思いをしてるのに、お前は楽しそうに生きているな」と言うんじゃないかと。勿論、Dにはそう語る権利がある。彼には今の私に復讐する権利がある。そうされても仕方ないことを、かつての私達はしたからだ。しかしそうはわかっていても、やはり何かに罰されるのを恐れて生きるのは、とても苦しいものである。毎日、私は自分を裁くものの存在に怯ええながら暮らしているのである。決して罪悪感に苛まれているのではない。ただ恥に苦しみ、自分を罰するかもしれないものを恐れているだけだ。


 人生のある時期まで、私は深くキリスト教に傾倒していた。聖書をよく読み、自主的に教会に通い、上京する前には洗礼を受けた。「人間は罪に堕ちた存在であって自力で罪を償うことはできない。償うことが出来るのは神である。しかし償いを必要としているのは人間である。ここに人間が救われるならば、神が、神であると同時に人間であるキリスト・イエスになって、人間に代わって贖罪の死をとげなければならない理由があるとする。」この「人類の罪を償うために十字架にかけられた神の子キリスト」という考えに、かつての私は強く感銘を受けたのである。

 しかし、結局信仰生活は長く続かなかった。二、三年ほど前から教会に通わなくなり、今ではほとんど信仰を捨てたと言っていいだろう。では、何故棄教したのか。その理由を端的に述べるならば、宗教というものはどうしても人間の思考を腐らせるものであるからだ。これは決して言い過ぎではない。宗教の本質はファシズムとそう大差ないのである。

 その理由を述べる前に、先ず宗教(というよりかキリスト教)のいい所を述べようと思う。『ヨハネによる福音書』にはある有名な言葉がある。「神が御子[キリスト]を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく世を救うためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。」これはどういう事なのか。つまり、信じない者は既にこの世で裁きに合っているという事だ。そしてこの世で裁きを受けている以上、どんな悪人も天国に行って救われるのが当然となる(万人救済説)。では、そもそも神の子キリストを信じるとはどういう事なのか。実を言えば、『ヨハネ伝』の中で、キリストはたった一つの掟しか信徒達に与えていないのである。キリストの唯一の教え、それは「互いに愛し合え」ということだ。「互いに愛し合いなさい。それが私の命令である。」そしてそれを守る以上、人はキリストの友であり(「あなた方は私の友である」)、また神に救われることとなる。

 実際、ここまで聞けば聞こえはいいが、しかし問題は次の点にある。キリスト教の考え方には、「神が今現在もこちらの生活に介入しており、そこには私達が知らないだけで神のご計画がある」というものがある。だからこそ現実で苦難にあっても、それには神から与えられた意味があるのであって、決して無意味ではない。そしてたとえ現実で報われないままだとしても、神様がそれを見ていてくださる。自分が無惨に死んだとしても、神様が天国で私を受け入れてくれる。

 では、この考えの何が問題なのか。それは、人々が現実の問題に対して抵抗するのを辞めてしまう点にある。自分の今現在の行いも、直面してる苦難も、神の御計画の内にある。だから教徒たちは目の前の現実に対して、行動するよりも先ず解釈することが求められる。あたかも目の前で起こる現象になにか意味があるかのように。しかし実際は違う。現実で起きる出来事に意味などない。そして神の意志に相応しい意味を見出そうとする以上、解釈はどうしても恣意的なものになる。結果として、目の前に起こる悲惨に対して無抵抗で、ただただやられるがままになる善良な人々が量産されることとなる。

 これだけならまだいい。問題は更に次の点にもある。つまり、キリスト教徒である以上、人は聖書に書かれた言葉をそのまま神のお告げとして信じなければならないのである。私が教会にいて最も肌に合わないと感じたのこの点である。聖書は疑うべからざる聖典である以上、先ず聖書の内容を信じることが信仰生活へと繋がってくる。だからこそ、信仰とは先ず信じることから始まるのであり、思考から信仰へ至ることは決してない。聖書に書かれた内容をその言葉通りに受け入れられなくなった時、信仰生活は破綻するというわけだ。

 宗教とファシズムが似ている理由はまさにここにある。無条件に信じるものを踏まえなければ成り立たない以上、宗教は思考する必要のない (あるいは思考してはならない) 前提を必要とする。そして、この前提を受け入れることから信仰生活が始まると言っていい。だから教徒達はその「考える必要のない前提」が絶対に正しいことを、先ず信じなければならない。そういう意味では、宗教を信じることはほとんど洗脳されることに等しい。宗教が常に権威的なものに利用されてきた要因も、恐らくそこにあるに違いない。一定数の人間が疑う必要のない前提の上でしか成り立たない以上、宗教は人々を統制することに適用しやすい。だからこそ、宗教が大多数の人間に普及するほど、それだけ宗教は権力によって利用されることとなる。言い換えるならば、教会の教え通りに信仰を守るならば、私達はどうしても自分の思考を腐らせることになってしまうのである。

 こうして私は信仰を捨てた。在り来りな言い方をするならば、救いを求めたが、結局救われなかったわけである。しかし、今ではそれでよかったと思っている。私は哲学者ではないが、ドゥルーズはよく「哲学の本質は無神論的な所にある」と述べることがある。既存の思考を支配するイメージから抜け出そうとするからこそ、人は新しい思考のイメージを獲得することが出来る。その時、そこには新しい世界の見え方が生まれ、かつてよりも自由で、創造的な実存が可能になる。哲学の本質は反宗教、無神論にある。ドゥルーズは確かに真実を語っていた。

「迷信はすべて我々をその活動力から切り離したままにしてしまい、活動力を減退させることをやめない。迷信の源泉も悲しみの諸感情の連鎖、恐怖、そしてそれに結びつく希望であり、我々を幻想へと引き渡す不安である。」

 しかし、ではもう全く神を信じていないのかと聞かれれば、そんな事もないのが本心である。神秘的に聞こえるかもしれないが、教会生活を捨てた今なお、私は心のどこかで神の存在を信じている。もっとも、単に習慣でそれを信じているだけなのかもしれないが。ただ、何か現実で苦難に直面した時や、または悩み苦しむような時に、「ああ、神様」なんて独り言を口にすることも少なくない。

 しかし、もし本当に神様がいるとすれば、それは私達の想像の及ぶような存在ではないだろう。神がいるかどうか、それは死ねばわかる事だ。生きている間は、この世のことに専念すればいい。地上の問題はやはり地上で解決するしかないのである。


ヨハネ伝』と並んで新約聖書の中で好きな箇所がある。それは『ローマの信徒への手紙』、パウロの書いたとされる書簡集の中で最も有名なものだ。その第七章で語られている内容は、今でもよく思い出すことがある。

 パウロによれば、人は掟を知らなければ正しさを知ることが出来ないが、掟を知らなければ罪を知ることもないという。例えば律法が「貪るな」と命じなければ、人は「貪る」ことを知りえないだろう。よって、掟を知れば知るほど、または掟を守れば守るほど、人は罪への欲求を増やしていくこととなる。こうしてパウロは、心では正しいことを行いたいと思いながら、肉体においてはむしろ罪を欲している自分の姿を発見する。私は望む善を行わず、望まない悪を行っている。だからこそパウロは次のように語る。「もし望まないことをしているとすれば、それをしているのは最早私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。」

 パウロの先見性、その極めて優れた知性には驚嘆せざるを得ない。人は正しさを知らなければ「罪」の存在を知ることがない。言い換えるならば、罪への欲求は常に正しさを知ることから生じる。そして正しさに抑圧されればされるほど、人はその正反対のもの、つまり罪への欲求を増していく。あるいは、正しさに固執するほど、人は僅かでもそれからズレている自分が許せなくなるのである。絶対的な正しさを求める人は、裁くことに飢えており、自分の内に、そして他人の内に、裁かれるべき罪を見出している。真実への意志の裏にあるのはルサンチマンなのである。

 だからこそ、パウロは自分が「望む善を行わず、望まない悪を行っている」という現実に直面することとなる。そして自分一人の力では完全に正しい人間になれないことを知り、神への信仰、イエス・キリストへの信仰を通して自らを救おうとするのだ。ニーチェ =ドゥルーズの哲学の面白さは、まさにこれを反転させるところにある。ただ、その点については語るのが面倒だから、またその内書くことにしようと思う。

「結局あの「原罪の痕跡を消すこと」、それこそがボードレールによれば唯一の進歩なのです。」