21/10/01

 クリスチャンだった頃、私には主に通っていた教会が二つある。一つは地元にある教会で、もう一つは上京後に出会った教会である。どちらの教会にも大変世話になったが、特に後者の教会の牧師には、非常に大きな影響を受けた。それは思想的な意味だけではなく、人間的な意味においてもそうである。牧師は大変な人格者であった。彼の周りにはいつも沢山の人がいて、皆が彼の事を慕い、敬っていた。実際、牧師は尊敬に値する人物だった。聡明な頭脳の持ち主で、当時は某大学での講師を兼任していた。また、性格も柔和であり、自分を慕い求めてくる教徒の一人一人に誠実に接しようと努めていた。

 ただ、彼が信徒に対する時の態度は非常に印象的であった。特にその表情には注目に値すべきものがあった。なるほど信徒に接する時、牧師の口元は必ず笑っていた。目元も細めていた。しかし、目の奥は決して笑っていなかった。眉間にはいつも皺がよっていた。それは口元の優しさとは似ても似つかない、厳しく、冷たい印象をもたらした。まるで仮面の笑顔がそこに張り付いているかのようだった。

 しかし、私はそんな牧師のことを心から尊敬していた。そして、自分の将来なるべき姿をそこに見出していた。彼こそは、かつての私の憧れた「立派な人間」そのものであった。そして、この牧師の教える道こそが自分の人生を正しく導いてくれるのだと信じて止まなかった。

 次に、もう一つの教会、私が地元にいた頃に通っていた教会についての話をしよう。そこの牧師との間には、ある忘れられない思い出がある。彼女(その牧師は女性だった)はとても特殊な人だった。後に聞いた話によると、夫を亡くした後にキリスト教信仰に目覚めたらしく、牧師になる頃には既に齢六十を超えていたらしかった。だから私が出会う頃には、既にそれなりにお年を召していた。

 日本のキリスト教徒の数は決して多くない。都会ならともかく、田舎となると教会に通う人間の数はごく僅かしない。また、いても老人ばかりである。それは私の地元にしても同じであった。私の通う教会の日曜礼拝には主に昼の部と夜の部があった。当時の私が参加していたの主に夜であった。そして、昼間はともかく、夜になると本当に人がいなかった。薄暗い礼拝堂には、ただ私と牧師以外の誰もいなかった。だから私達は二人きりで神様にお祈りを捧げていた。そして礼拝後は談話室に向かい、互いに言葉を交えた。そんな夜が殆ど毎週であった。この習慣は、私が上京するまで続いたものであった。

 そんなある晩のことである。その日の礼拝後、私は牧師にある特技を披露することになった。なんて事ない、実につまらない特技である。だからその詳細は省くことにしようと思うが、ただ、牧師はそれを見て大変感動したらしかった。「特技」を披露し終えると、彼女は拍手した。そして、立ち上がって、大体次のようなことを言った。「凄い!神様は私には何にも与えてくれなかったのに、与える人には沢山のものを与えるのね!」

 恐らく、悪気はなかったのだと思われる。ただ、少し動揺した。私を責めるつもりはなかったのだろうが、それから牧師はよく「神様は私には何も与えてくれなかった」と語るようになった。勿論、それに加えて「その分、不思議な出会いに恵まれた」とも語ってくれた。ただ、この話をしてると、まるで私があまりに恵まれた人間のように見えてしまう。実際はそんな事もないと思う。だからこの話はあまりしたくない。しかし、それでも語らざるを得ないのは、この時のことが本当に印象に残っているからだ。この牧師には本当に、本当に世話になった。だから責めるつもりは更々ないが、しかし当時は、何か突き放されたような気分になったのをよく覚えている。「ショックだった」とは言いたくないのだが、しかし悲しくないわけがなかった。ただ、それでも私は教会に通うのをやめなかった。それは神のことを心から信じていたからでも、牧師のことが好きだったからでもない。当時の私には、唯一付き合いのある親友の他に、その牧師くらいしか話し相手がいなかったのである。そして私の親友は、私以外の友人にも心を開いていた。だから友達にべったりすることも出来なかった。

 少年の頃、私は変に余計な気を遣う子供で、容易に人に心を開かない偏屈者だった。否、それは今もあまり変わっていないかもしれないが、しかし今はそんな事はどうだっていい。とにかく私は、いつも一定の距離を置いて牧師に接していた。だから牧師にしても、あの偏屈な少年とどう接すればいいかわからなかったのだろう。以前、帰郷した際にこの地元の教会に顔を出したことがある。勿論牧師は私を笑顔で歓迎してくれた。そして「ここがあなたの帰る家です」とも語ってくれた。実に感動的な話である。そう、そのはずなのだ。しかし私は、どうしても牧師の笑顔を心の底から信じることが出来ないのである。これ程の恩恵を受けておきながら、このように語るのは、きっとよくないことなのかもしれない。しかしそれでも、私はどうしても牧師のことを疑わざるを得ないのだ。恐らく、彼女は私のことがあまり好きではないだろう。考えすぎかもしれないが、恨んでさえいるのではないか。実際、私はそう思われても仕方ないような人間だ。私達の間には、決して越えることの出来ない心の壁があった。それは私から築いたものかもしれないし、私のせいで築かれたものかもしれなかった。何にせよ、牧師は何も悪くなかった。何も悪いことはしていなかった。彼女は師として充分すぎるくらいの務めを私に果たしてくれた。しかしどうしても、私は心からそれに感謝することが出来ないのである。恐らく、私達は二度と顔を合わせることがないだろう。それに、向こうも別に私と会いたいとは思っていないだろう。今はただ、この場を借りて彼女への感謝を述べることで、少しでも自分の恩知らずさの償いをしようと思う。

 上京後に出会ったもう一人の牧師も、私に非常によくしてくれた。前述の通り、彼からは人としても、キリスト者としても、大変強い影響を受けた。ただ、それも今では心の底から肯定出来ない事柄である。さて、私が彼の教会に通っていたのは十九から二十一の頃である。私はそんな、若くて貴重な時間を、キリスト教という馬鹿げたもののために無駄にしてしまったのである。勿論、今でも習慣で「キリスト教徒である」と語ることがある。それに実際、私は洗礼を受けているのだから、そう語る資格があると言える。ただ、今ではそれすらも後悔を覚えることがある。勿論、私が学び切れていない事で、面白いことがキリスト教には沢山あるのだろう。そして、もしかすると後になってそれを学ぶ時期が来るのかもしれない。しかし、決してそれは今ではない。私は本当に、馬鹿なことに時間を費やしてしまった。悩む必要のないことに、いつも頭を抱えていた。もっと肝心な問題が他にあるのに、もっと取り組むべきことが別にあるのに、それに目を向けなかった。キリスト教徒をやめた今、私は初めて自分の誤りに気づいた。そしてそれに気づいた今、既に私の若き日々は相当失われていた。


 恐怖と迷信は似ている。それはどちらも、何かが存在するからではなく、むしろ存在しない何かのために生じる。大抵の人が何かを恐れるのは、それが得体の知れないものだからだ。もし今目の前に虫を恐れる人がいるとするならば、その人は虫の不規則な動きと、いつこちらに飛んでくるかもわからないその突拍子のなさに恐れを抱いているのである。幽霊が怖い人もこれと同様である。人は「幽霊」という実在するはずのないものが実在するかもしれないからこそ恐怖を抱く。言い換えるならば、恐怖というものは常に可能性から生じるのである。人は「目の前にいるはずのないものがいる」という可能世界のために苦しめられているのだ。

 恐怖と迷信が似ている理由がここにある。そして、迷信はまさにそれを利用して更に自らを大きくしようとするのだ。

 この場合、迷信とは必ず宗教的な意味のみを含むのではない。偏見や思い込みなども、やはり「迷信」と呼ばれるべきものだろう。何故なら、偏見にしても思い込みにしても、どちらもこちらが恐怖すべきものを見出さなければ生じえないからだ。そしてじっさい、どんな恐怖も悲しみがなければ生まれないのである。人が何かを恐怖しているのは、それによって自分が悲しみに暮れる可能性があるからだ。いるはずのない幽霊に出会った時、人はこれまで信じてきた「幽霊のいない世界」が信じられなくなるだろう。ある人間の嘘に出会った時、私はその嘘のために相手の他の言葉も疑うようになるだろう。そしてそれを避けたいと願うならば、私達は恐怖を覚えざるを得ない。だからこそ、あらゆる恐怖は、悲しみが再来することへの恐怖でもある。こちらを悲しませる可能性のあるものに再び出会うかもしれないからこそ、その可能性を排除しようとするのだ。

 悲しみは人を内省的にさせる。そして迷信はそれを利用して、内省に耽ける人の心にあるはずのない因果性を植え付けるのである。「今の俺の苦しみはあの時の罪のせいだ」「今この国が悪いのはあの国のせいだ」「あの時私がああなったのは皆あの人のせいなんだ」など。人はよく原因があって結果があると考えたがる。しかし、それは間違いである。実際、人は結果に直面した時にしか原因についてを考えようとしない。だからどんな因果性も、結果に依存しなければ見出されない。それを踏まえるならば、悲しみから帰結された答えはどれも迷信だと言える。何故ならば、悲しみにくれる人は理解するよりも先に自分を悲しませるものに復讐したいと願うからだ。なるほど人は悲しみによって真実に直視するものかもしれない。しかし真実を直視できても真実を理解できる人間は稀である。

 過去の記憶は、目の前にある物質と同様で、解釈しなければ何の意味も見出されないものである。言い換えるならば、どんな過去の記憶も、自分の現在にそのまま属するわけではない。だからこそ、私達は過去の記憶を目の前にある物質と同じように考えなければならない。それはこちらに影響を与えることは出来ても、こちらを構成することは出来ない。

 記憶と物質が同一のものであるならば、逆の場合も考えられるだろう。つまり、目の前にある物との出会いが、こちらに忘れていた過去を甦らせるのである。例えば今、この瞬間に誰かと出会うことで、私は今日まで積み上げてきたもの全てを投げ捨ててしまうかもしれない。それは第二次世界大戦によってそれまで西洋が築き上げてきた理性への信頼がいとも容易く崩れ去るのと同様である。だからこそ、今日まで私に隷属状態を強いてきたトラウマが、ある日突然、何かのきっかけに解決されることも有り得る。だからこそ、物質には無限の可能性が潜んでいるとも言える。自分とは別の物質、自分とは異なる身体には、まだ見ぬ「私」の記憶が埋もれている。そこには賭けを行うべき勝機が潜んでいる。そして私達はこの勝機を信じなければならない。

「自由への愛が希望、恐怖そして安らぎに優っていなければならない。」