21/12/09

 最近、小説を書いている。二部構成を予定していて、そこにエピローグも加えようと思っている(場合によっては、このエピローグが短いながらに第三部となるかもしれない)。先日、第一部を書き終わり、今は第二部の途中を書いている。タイトルは『表現と結晶』である。

 名前の通り、表現の問題と結晶の問題にまつわる物語を書いている。わかる人にはわかると思うが、この二つのテーマは、ドゥルーズ哲学における力の問題、時間の問題を意図している (ドゥルーズ哲学において、「表現」は力の問題に関わり、「結晶」は時間の問題に関わっている)。『漫画でわかるマルクス資本論』みたいな感じで、小説でわかるドゥルーズ哲学入門、そんな風に読まれたら嬉しいと思っている。

 勿論、他にも意図は含まれている。ある意味では、これは大いなるパロディ小説である。私の好きな作品からの影響をモロに採り入れているから。また別の意味では、これは壮大なるギャグか、あるいはコメディである。どれくらいの人が読んでくれるかは知らないが、みんな私の小説を読みながら笑って欲しいと思っている。

 他にも色々語りたいことはあるが、この辺でやめておこうと思う。作品を説明する必要などない。作品が語るべきことは、全て作品が語っている。本来、作者から言うべきことなど何一つとしてないはずだ。どうして人は、作品に意味や説明を与えたがるのだろう?どんな解釈を与えようがひとの勝手である。個人とは作品が生まれるための媒体であり、影に過ぎないのだから。

 本当は書き終えるまでブログを更新しないつもりでいたが、近状報告も含め書くことにした。

 しかし、書く前は言いたいことが沢山あったのだが、いざ書き始めると、一体何を言えばいいのかわからなくなる。思えばいつもそうだった。色々なことを話すつもりだったのに、いざ本人を前にすると何も言えなくなる。そんなことを今日までに何度か経験してきた。

 それでもただ一つ、あえて書こうと思ったことがある。それは幻影の問題だ。

 今日までの人生を振り返ると、自分がいつも幻影に突き動かされてきたことに気がつく。不意に見えた別の世界線が忘れられないのである。あと少しでそれに手が届きそうで、やっと掴んだと思えばその場からいなくなっている。だからまたそれに手を伸ばそうとする。が、やはりあと少しのところでそれは離れていく。だから再び幻影を追いかける。しかし、いつまで経っても欲しいものは手に入らない。そして気がつけば、あまりにも多くの時間が無駄に費やされている。振り返ってみると、何年間もの空白がそこに広がっている。

 人は印象的なものと真実的なものを混同して考えてしまうものである。一瞬のうちに見た、あまりにも印象的なものが忘れられない。それが真実に思えてならない。比べると、他の全てがあまりにも凡庸に、退屈に見えてしまう。だから追いかけざるを得ない、再び、あの時の輝きを。こうして麻薬常用者のように、自分の穴に落ちていく。実際、私はそのように堕落していく人を今日までに何度か見たことがある。そして何より、私自身もまたそのうちの一人かもしれないのだ。

 今日まで、幸福の幻影を追い求め生きてきた。ふとした瞬間に見てしまった、別世界線の自分を追い求めてきた。実を言うと、高校生の頃は銀行員になるのが夢だった。本とか音楽とか映画とか、色々好きではあるけれども、最終的にはいい大学に行き、そこを卒業し、銀行みたいな無難なところに就職し、家庭を持ち、幸福に暮らすのだと思っていた。大変ありきたりな表現になるが、私は「ふつうのしあわせ」に憧れていた。

 結局、大学には行かなかったのだから、私の夢は断念されたと言っていい。しかしそれでも、心のどこかで自分の憧れていたものが手に入るような気がしてならなかった。まさに幻影を追い求めていたのである。私は幸福の幻影を見てしまったのだ。あと少しで、自分がずっと求めていた「皆と同じ幸せ」が手に入るかもしれない。そう考えると、いてもたってもいられなかった。だからもがいた。そしてもがいた結果として、ただ無駄に時間が過ぎたことだけが明らかになった。

 しかし、今でもなお幸福の幻影を見ることがある。もしあのとき別の選択をしていれば、もしあのときあんな事をしなかったら、もしあのとき、自分が間違っていたことに気づけたら、もっと別の生き方ができることに気づいていれば、私の生きる世界はもっと違っていたかもしれない。もしかしたら私は、ずっと追い求めていたものが手に入ったのかもしれない。幸福になることが出来たのかもしれない。そう思うと、やるせない気持ちでいっぱいになった。そうだ、もしそれが手に入るなら、私は今日まで積上げてきたものすべてを投げ捨てるだろう。そしてその方へかけ出すだろう。もし私の求めてきた「たった一言」が手に入るなら、全てを打ち捨ててしまうだろう。

 しかし、自分のこのような情熱が馬鹿らしいもので、向こう‪見ずで、ろくな結果をもたらさない事も知っている。それは今日まで散々経験してきたことだ。

 最近になって、やっと自分が幻影を追い求めていたことに気がついた。そして結局、自分には文学や音楽くらいしかやることがないのだということにも気がついた。だからやっとやる気になった、そのはずなのだが、そう思った矢先に、また見てしまったのである。幸福の幻影を、別世界の自分を。そうだ、もっと私が利口に生きて、もっと他人の気持ちを考えることが出来たならば、もっと違った未来を獲得することができたかもしれない。焦燥感に身が焼かれ、胸が張り裂けそうなくらいに苦しくなる。出来ることなら、今すぐにでも走り出したい。そして再び手を伸ばしたい。まだ手遅れではないのかもしれない。しかし、ここで諦めをつけなければ、私はいつまでも同じ過ちを繰り返して終わりな気がしてならないのである。

 あと書きたかった内容としては、政治と個人の倫理についての問題と、音楽と身体性についての問題がある。しかし、今はちょっめんどくさくて気分が乗らない。とりあえずその辺は今度書くことにして、ひとまず今日はここでやめようと思う。