22/03/07

 眠れない夜。幾度となく寝返りを打ちながら、過去の出来事を思い起こし過ごすときがある。あたかも『千夜一夜物語』のように、隣に聴き手がいる前提で。しかし暗い部屋の寝床には自分以外の誰もいない。だから必然的に、私は自分に対してのみそれを語ることとなる。「ああ、あの頃はこんなことがあってな」といったふうに。帰るべき場所が過去にあるとは思わない。それでも私には、甘酸っぱいというか、思い出すと優しい気持ちになる記憶がいくつかある。中でも今回思い出すのは、先日、ある友人宅で偶然思い出した話だ。

 中学時代の私は内弁慶で、近い人物ほどぶっきらぼうに振る舞う節があった。学年の女子は基本「さん付け」か、あるいは名字を呼び捨てにしていたが、唯一仲のいいMに対してだけ名前を呼び捨てにしていた。そして、よくよくちょっかいを出したりした。Mはアイドルが好きだった。彼女が授業中、学校に持ち込んだ雑誌を開きながら、柏木由紀の写真を指さして「可愛くない?」と言ったのを覚えている。私は「馬鹿だなあ。ブスじゃんか、こんなん」と言った。彼女は「ブスじゃないよお」と返した。しかし今になって思うと、彼女の何が「馬鹿」なのかは、自分でもよくわからなかった。

 我々の学校では、理科の授業は常に理科室で行われた。そして先生の意向で、その年の最初にグループ分けがされることになっていた。男子二人、女子二人で形成され、その学年が終わるまで、我々はグループのメンバーを変えることが出来なかった。

 私とMが仲良くなったきっかけはそれであった。中学校最後の年、退屈な授業を無視して、二人でひそひそ話をするのは楽しかった。お互いの文房具を交換したりもした。当時の私はサカナクションが好きで (特に彼らの長尺な曲 ── ナイトフィッシングイズグッド、アムスフィッシュ、目が明く藍色など ── が好きだった)、彼女に好きなサカナクションの曲を聴かせたことがあった。しかしその際、向こうから返ってきた応えは「ダサくない?これ」であった。正直、結構ヘコんだ。それ以降あまり音楽の話をしなくなった気がする。

 今になって思うと、一体何故あんなにも仲良くなったのか、自分でもよくわからない。Mは私をあだ名で呼んだ。放課後になると、時々彼女が私の家に遊びに来た。父親は仕事で、兄は部活か勉強で家を空けていたから、私以外の誰もいなかった。基本リビングで過ごしていたが、時々彼女は、悪戯するように二階にあがり、私の部屋に侵入しようとした。私は無論、それを防ごうとした。恥ずかしいから当たり前だ。しかし、最後には降参してしまった。部屋を見ると、Mは「汚いねえ」と言って笑った。私も彼女の家に遊びに行ったことがある。というか、下校中の便意が限界に達して、Mの家のトイレを借りたのである。その時、彼女の母親にも会った。Mは母親と仲がいいらしく、二人でプリクラをよく撮るらしかった。母親と娘はよく似た顔をしていた。

 これらの思い出を人に語ると、自ずと人はそこに恋愛的な意味を見出すものだと思われる。しかし、当時の私には、これが恋愛だと思わなかった。あるいは「これが恋愛だとはわからなかった」と書いた方が正確なのだろうか。少なくとも、他人に指摘されるまで自分達の関係が変だということに気が付かなかった。きっかけは塾の友達に相談したことであった。「学校で仲良くしてる友達にプレゼントをもらったから、お返しに何かをあげたいが、何をすればいいのかわからない」と、休み時間に聞いたのである。それに対して、友人三人は黄色い声をあげた (友人は女子二人と男子一人であった)。その時、初めて我々二人が傍から見れば「そういうふう」なのに気がついた。

(この「言われて初めて気がつく」という現象は、当時から今に至るまで、私に共通して見られる現象である。私はいつも、肝心なことに気がつき難い人間であった。) 

 しかしながら、次第に私とMの間柄にはぎこちなさが増していくこととなった。それが何故かはわからない。もしかすると、彼女が私に友情以上のものを求めていたからかもしれない。勿論、私にだって性欲はあった。しかし、意図的にそれを避けていた気がする。彼女のことは好きだったが、緊張したり、苦しくなったりするのは好きじゃなかった。時々、二人で遊んでる際に、Mがじっとこちらを見つめてくることがあった。その間、彼女は無言であった。私にはそれが、何かとても恐ろしいというか、そこに逃げたくなるものがあるように思えてならなかった。今になって思うと、当時の私は相当なヘタレだったのだろう。否、今もそうなのかもしれないが。

 しかし、私にはわからなかった。このままでも十分楽しいのに、何故それ以上を求めようとするのか。私はてっきり、Mも今の自分との関係に満足しているのだと思っていた。しかし、どうやらそうではないらしかった。ただ笑って、じゃれ合って過ごすのでなく、何かそれ以上のものを、ドラマチックなものを求めているように見えた。Mが無言で私をみつめる時、何故か彼女に責められているように思うことがあった。無論、それは思い込みかもしれなかった。しかし、彼女の眼差しに対して、私は何を言えばいいかわからなかった。

 実際、私は彼女との関係が、恋愛的な(あるいは性愛的な)ものになるのを恐れていた。それも強く恐れていた。ならば何故、そんなにも「それ」を恐れていたのか?精神分析は好きではないが、あえてそれらしく書くことも出来るかもしれない。母が去る前、私は両親が仲良くしている様子を一度も見たことがない。あるいは「それを思い出せない」と書いた方がいいかもしれない。今も同じだ。両親について考えると、最初に浮かんでくるのは、二人が喧嘩をしている場面である。深夜のリビング、僅かな灯りだけが照らす台所で、父と母が大声で罵りあっている。何を言っているのかはわからない。私は隣の部屋で横になっていて、毎晩その声を耳にして泣いていた。枕がぐっしょり濡れていたのをよく覚えている。そして時には起き上がって、「もうやめてよお」と言いながら、二人のそばに寄った。やがて母は、私と兄以外の兄妹を連れて去っていった。母は恋多き女性だったから、私の幼稚園時代の同級生の父親と同棲を始めるらしかった。

 確かにあまりいい思い出ではない。しかし、これが原因だとは思わない。これで説明づけることは可能かもしれないが、何だかこじつけのように思われてならない。先程書いたように、私は精神分析が好きではないのだ。人生は長いのに、幼少期のたった数年でそう沢山のことが決められるのもおかしな話だと思う。言い換えるならば、意志を持って生きることのできる時間が数十年もあるのだから、無意志的で、人生の隷属状態とも言える幼少期の数年を克服することは可能であるはずだ。

 それに、私はMと恋愛的にならなくてよかったと思っている。もしこれ以上仲が良くなっていたら、嫉妬や束縛など、思い出しても嫌な気持ちになるものばかりを経験していたに違いない。愛憎のブラックホールにのまれても、多分苦しい思い出しか残らないはずだ。私が彼女のことを苦しまずに思い出せるのは、我々が決して一線を越えなかったからだ。

 なら何故なのか?何故私は、あれ程までに「一線」を超えることを避けたのか。正直に言うと、それは今でもわからない。ただ一つ言えるのは、私はあのままでも結構幸せだったということだ。くだらない話で笑って、時々お互いの家に行き、馬鹿みたいに過ごして、そんなずっと日々が続く。それでもきっと楽しかったはずだ。だから、私にはもう一つわからないことがある。彼女は一体何が不満だったのか?何故彼女は、あんなにも「一線」を超えることを求めたのか?

 結局、最後までMの気持ちがわからなかった。しかし、この「わからない」という表現には語弊が含まれるかもしれない。確かにMが何かを求めていたことには薄々勘づいていた。しかし、それに対して何をすればいいのかわからなかった。Mの前では、私はいつもヘラヘラして過ごしていた。もしかすると、向こうは私の暗い顔でも見たかったのかもしれない。しかし、ならば尚更こう思う。どうしてせっかく心を許せる人と一緒にいるのに、わざわざ重苦しい態度を取らなければいけないのか。ずっと楽しく笑っているだけでは駄目なのか。このように、客観的に「ああ、あれは多分そういうのを求めていたんだろうな」と考えることが出来たとしても、主観的にそれに納得することが出来ないのであった。

 形は違えど、今日までに、何度かこれと似たような構図を繰り返してきた。仲良くなったが、何か「緊張したもの」が迫り来て、そのために相手を避けてしまう。あるいは、私が相手を避けるがために、相手が私から去ろうとして、そのために関係を持つ。再び幼少期の話をするならば、私は母と過ごした記憶よりも、近所の幼なじみの女の子や、妹、あるいは学童に通う女子生徒と過ごした記憶の方が強く残っている。私はよくおままごとをして遊んだ。そして、一番嫌だったのは、多分遊び相手が去って、「楽しいおままごと」が中断されることであった。しかし、どういうわけか「おままごと」はいつも中断された。そして、Mの時と同様で、相手の気持ちが理解できないまま、気がつけば私の愛した友情の時代が終わっているのである。

 悲しいのは、中学時代からもう十年が経過するのに、未だにMの気持ちが理解できないということだ。そして、自分の気持ちもよくわからないのである。何が相手は不満だったのか、何故自分は避けてしまったのか、どちらもよくわからない。失われた過去を悲しんでいるのではない。ただ、いくら考えても他人の気持ちを理解できない自分が、なんだか滑稽に思えてならないのである。

 しかし、さすがの私も十年目にしてやっと気づいたことがある。それは、Mは多分私に合わせてくれていたのだということだ。『ニンフォマニアック』という映画に、主人公の女性が「子供の頃、植物学者の父親の話を聞くのが好きだった」と語るシーンがある。父親は熱心に植物について語る時の顔が好きで、彼女は何度も父親の話を知らないふり、あるいは忘れたふりをするのである。そうすると、父親はまた植物の話を楽しそうに語り出す。もしかすると、Mと私の関係もそれに近かったのかもしれない。私は知らず知らずのうちに、向こうに「おままごと」に付き合うよう強いていたのだろう。

 Mにとって、私がどうであったかはしらない。ただ中学三年の時点では、彼女は私にとって一番仲のいい友人だった。親友と呼んでよかった。もし向こうが愛想を尽かさなければ、中学卒業後も、きっと二人で遊んだに違いない。この歳になると、あんな風に単純に異性と仲良くするのが難しい。これもまた、この思い出が美しく見える理由の一つかもしれない。

 しかし、あれを「単純な友情」だと思っていたのは、もしかすると私だけなのかもしれない。Mは私より成績が悪かった。だからよく「馬鹿め」と言ってからかったものである。しかし恐らく、彼女は私よりも多くのことに気づいていたのかもしれない。

 まあ結局、いくら考えても答えは出ないのだが。

 最近、ラース・フォン・トリアーの映画をよく観ている。『ニンフォマニアック』もそうだし、昨晩だって『ハウス・ジャック・ビルト』を観返したところだ。この映画を観る度に、私はその終盤で大いに感動してしまう。あたかも『タイタニック』を観た後のように。死後の世界を歩く主人公が、ウェルギリウスに導かれて、窓越しに広がる楽園の様子を覗き込む。しかし、そこに広がっていたのは、彼が幼少期に愛した風景であった。夕焼けに照らされ、黄金に照り輝く草原は、今まさに農夫たちの刈り入れによって揺れていた。彼は涙を流した。幼少期の自分と、それまで自分が殺してきた女性たちの顔が、交互にフラッシュバックした。生前の連続殺人のため、彼は地獄に向かう最中であった。しかし、それまで彼は決して自分の犯罪を悔いたことがなかった。 そんな彼の頬を、今まさに後悔の涙がつたうのである。

 Mとの記憶を思い出す度に、悲しい気持ちになる理由がもう一つある。それは、自分の何が間違っていたのか、いくら考えてもわからないからだ。今でもそうだ。彼女は去っていったが、白状すれば、自分の何がいけなかったのかよくわからないのである。客観的に「こういう所が駄目だったのだろう」と考えることは出来る。しかし、心の底から後悔したり、反省したりすることがどうしても出来ない。今日までに、私は知らず知らずのうちに、他人の気持ちを振り回したりしたのだろう。多分、私には何かが欠けているのである。しかし、それが何なのかがわからない。十年か、あるいはそれ以上長い間、自分に何が欠けているのか、自分の何が間違っているのかに気づけないまま、ただ時間だけが過ぎていった。そしてそのために、他人と幸福になることが妨げられているかもしれないのである。

 昔の友人のことを思い出すことは多いが、不思議なもので、再び会いたいと思うことは殆どない。Mにしても同じだ。多分、向こうはもう昔と同じではないだろう。だから会ったとしても、私だけ上手く歳を取れていないことが痛切されるに違いない。しかしいつか、『ハウス・ジャック・ビルト』の主人公のように、自分の何が間違っていたのかに気がつけたら嬉しい。けれども、それはまだ先の話になるかもしれない。