22/03/12

 今から約四年前のことだ。その日、私はYと小田原で遊ぶ約束をしていた。前日に静岡で用事があって、その帰りに小田原を通るのだが、以前どこかで彼女が小田原付近に住んでいると聞いたことがある気がした。だから小田原で集まらないかと、私が提案したのである。しかし実際に集まってみると、それが記憶違いであることが判明した。彼女はそんなに小田原に詳しくなかった。ひとまず、我々は腹を空かせていた。後のことを考えるよりも、食事を済ませることにした。私とYが集まると、いつも決まってガストに行く流れがあった。しかし、小田原駅の近くにはガストがなかった。だから代わりに (同じすかいらーくグループの) 夢庵に入ることにした。

 店を出ると、我々はあてもなく歩き始めた。季節は夏であった。そして、夏は既に夜に染まっていた。熱っぽい空気が漂い、それを撫でるようにやや涼しげな風がふいた。我々は小田原城に向かうことにした。しかし、夜には既に入城できないということが着いたと同時にわかった。近くで見る城は大きかった。我々はその周辺を散策することにした。水面に沢山の睡蓮が浮かぶ池があった。とても綺麗だった。

 歩きながら、我々は色々なことを話した。しかし不思議なもので、会話の内容はほとんど覚えていない。我々が話す内容はいつもだいたい同じだった。彼女はヘッセが好きで、当時読んでいた『春の嵐』に痛く感動していた。音楽についてならシューベルトモーツァルトの話をよくした(彼女は声楽科の生徒だった)。クラシック以外なら松任谷由美が好きらしかった。そして、他人が聴かない音楽を愛する人に特有の選民意識を持っていた。ひとには語られたくない過去があり、不幸な過去を持つ人に固有の自己愛もあった。要するに、我々は似ていた。似すぎているくらいだった。時々、私はYの中に自分の見たくない姿を見出すような気がして、少し嫌な気分になったことがある。

 不意をつくように、頭上で大きな音がした。建物の影に隠れてうまく見えなかったが、近くで花火大会が行われているらしかった。このまま歩いていればお祭りに出くわすかもしれなかった。我々は歩いた。しかし、いくら歩いてもそれらしいものには出会わなかった。そして、気がつけば花火の打ち上げは終わっていた。けれども、花火がより明瞭に見える場所にたどり着くことは出来た。綺麗だった。思えば、あんな風に人と花火を見たのは初めてかもしれなかった。幸福だった。静かな、しかしはっきりとした気持ちの高揚を覚えていた。

 時間は遅くなりつつあった。我々は帰ることにした。途中まで電車が一緒だったので、我々は隣合って座った。Yは酔っていた。あるいは、酔ったふりをしていただけかもしれない。彼女は私の肩に身体を預け、何を言わずに頭を置いた。私もまた、身を委ねるように彼女によりかかった。何を話していたかは覚えていない。あるいは何も話さなかったのかもしれない。正直に言うと、当時の私はこんな時どう振る舞うのが正しいのかよくわからなかった。だから戸惑っていた。焦っているというよりかは思考が停止していた。嵐の中にいながら、自分に何が起きているかを自問している感じだった。Yは綺麗な女性だった。私より一、二歳ほど若く、あどけない顔立ちをしていたが、ある観点から見ればずっと大人びていた。知り合い初めは緊張して、目を合わすことも難しかったが、会う回数が増えるにつれてそれも和らいでいった。ここで再び緊張を強いられるとは思っていなかった。

 やがて最寄り駅に着いた。その日は何事もなくわかれた。電車を降りて、駅のホームを歩きながら、ひとりその日の余韻に浸っていた。この事を思い出したのは、私が先日、再び夜の小田原駅に降り立ったからだ。友人が小田原に引っ越したので、彼の家に顔を出したのである(私は小田急線沿いに住んでいる)。友人宅に向かう途中、ある日の記憶が鮮明によみがえった。かつてYと通った道に足を運んだ。胸を刺す寂しさを感じた。自分が情けなくなった。結局あの後、私はYを避けてしまったからだ。その日以降も何度も会った。決断を迫られる場面に直面したこともあった。しかし、どういうわけか、当時の私は人と向き合う勇気がなかった。否、今もそうなのかもしれないが。

(感傷は危険だ。感傷的な気分には、人を内側に閉じ込め、そして人を内側に沈ませる作用がある。寂しさに酔うと、人は益々寂しさを感じたいと思うようになるものだ。思い出されるのは、ロマン・ロランの次の言葉である。「あまりに苦しんだために、終いには苦しむことが趣味のようになり、苦いよろこびをそこに見出した。」)

 何故、Yを避けてしまったのか (実際の彼女の名前のイニシャルはMだが、先日の日記に書いた同級生と被るので、ここではYと呼ぶ)。正直に言うと、それは私自身よくわからないのである。ただ、当時の自分を思い出すと、あまりにも愚かで、馬鹿で、恥ずかしくて仕方ない。私は本当に間抜けな若者だった。つまらないことに悩み、何度も同じところに頭をぶつけた。自分ではどうすることも出来ないことに嘆いていた。優柔不断で、気の多い人間だった。気まぐれ、思いつきでしたことが、思いもよらぬ結果になり、途方に暮れることもあった。しかしこれ以上のことは、話すとちょっと都合が悪くなるので控えようと思う。とにかく、私は本当に大馬鹿者であった。

 後悔していることがあるとすれば、「もっとYと向き合えばよかった」ということだ。あの頃、私は色々な問題を抱えていた。彼女に言わないでいたことがいくつかあった。 しかし恐らく、彼女はそれに気づいていた。もしかすると、こちらから言うのを待っていたのかもしれない。しかし、私は危険を恐れる獣であった。警戒がとけず、打ち明けることが出来なかった。もっと相手に対して素直になればよかった。今ではそう思っている。何故向き合えなかったのか。あるいは何故、あんなにも本心から他人と向き合うことを恐れたのか。思うに、友情と恋愛感情の間には明確な違いがある。友情の特徴は、決して相手を深く求めなくてもいいということだ。感覚的に波長が合い、一緒に騒いだり、暴れたりするのが楽しい。それこそ友情に固有の居心地良さである。ならば恋愛感情の特徴は、相手を深く求めること、相手の傷跡をなぞり、こちらの傷跡に触れさせようとすることだ。友情が苦痛を逃れ、享楽を賛美するものだとすれば、恋愛感情はむしろ、誰かと苦しむことを好んで求める点に特徴があると思われる。

(これは度々思うことだが、恋愛においては例外状態が頻繁に適応される。一般的に見て「おかしい」とされることが、恋愛関係ではむしろ好んで求められる。たしかに友情においてもそれはある。差別発言、破壊行為、集団犯罪、など。しかし、恋愛においてはより深い例外状態が求められる。友人関係における例外状態が友人以外への攻撃に向かうのに対して、恋愛関係における例外状態は、むしろ恋人に向けられるからだ。ある人は暴力をふるわれ、ある人は暴言を吐かれ、しかも好んでそれを受け入れる。関係が非人間的なものになるほど、益々それは好ましくなる。人は恋愛を通して人権を放棄したいと願っている、そう書いていいくらいだ。ドストエフスキーも書いていたが、どれだけ社会環境が整えられても、他人に服従して生きることを望む人間が一定数いる。契約関係に入り、自分を満たしてくれると同時に支配してくれるものを求める人間が、世の中には一定数いるのだ。)

 先日赴いた友人宅は海の近くに位置している。窓の外には地平線が拡がっていた。翌朝、私は眠る友人を横目に、ひとり海辺で日の出を観た。燃える球体が浮かび上がり、次第に光を散乱させていく。その様子がとても美しかった。あの時、こんなにも海が近くにあることを知っていれば、私はYを海に連れていったかもしれない。ふとそんなことを思った。今、あれはどこで何をしているのだろう。元気にしていれば嬉しいが。

 官能的なものには恐怖が付きまとう。他者関係の問題を思い起こしていると、知らず知らずの内にドゥルーズヴィスコンティ評をも思い出してしまう。官能的なものが、何か強迫的にこちらに迫り来る。それはある種の啓示である。恐るべきものの啓示だ。私はそれを避けたいが、しかし中々頭から離れない。だから考えざるを得ない。今日まで、できる限り官能的なものから逃れてきた。向き合うことで自分の見たくないものを見ることになるからだ。実際、「自分に向き合う」という言葉ほど厄介で胡散臭いものはない。しかし、どうやらそれをしなければならないらしい。

 いかにして自分に向き合えばいいのか?どうすれば苦痛を受け入れられるのか?どうすれば他人の傷跡を触り、自分の傷跡を許す勇気が持てるのか。それはまだ、今の私にはわからない。

"……それは何ものかがあまりに遅く到来するという観念、あるいはむしろ啓示なのである。然るべき時に捉えられたなら、それは結晶イメージの自然的崩壊と歴史的風化を避けることができただろう。しかし、それを然るべき時に到来できないようにするのは、〈歴史〉と〈自然〉自体であり、結晶の構造なのだ。(……) 遅すぎる時に到来するこの何ものかは、常に〈自然〉と〈人間〉の統一性の感覚的で官能的な啓示なのである。したがって、それは単なる欠如ではなく、時間自体の一次元なのだ。それは時間自体の次元として結晶を貫きながら、[時間の]結晶の内部に重々しく生き残っているような過去の静的な次元に対立する。それは、不透明なものに対立する崇高な光明だが、遅すぎる時にダイナミックに到来するということが、その性質なのである。感覚的啓示と同様、「遅すぎる」は世界ないし媒質として、自然と人間の統一性に関わっている。けれども、官能的啓示と共に、統一性は個人的なものとなる。"

『基礎づけるとは何か』と題された講義録には、ドゥルーズキルケゴールについて論じた箇所がいくつか含まれている。彼に対するキルケゴールの影響はもっと注目されていいものではないか。あくまで講義録に基づくならば、若き日のドゥルーズによるキルケゴール読解はかなり後年の超越論的経験論を彷彿とさせる。キルケゴールが罪や不安について取り扱った内容を、そのまま『プルーストシーニュ』や『差異と反復』でもとり上げているのである。

"罪は陥罪性 (罪を犯してしまうという人間の本性上の特性 [人間本性の不完全性] ) からは生み出されえないとキルケゴールは考える。(……) 罪とは新たな質の不意をつく出現なのだ。そうであるからこそ、罪を考えなくてはならず、また罪を不安と関連付けなくてはならない。ここで不安とは、絶対的に異なるものとの意識との関係のことだ。思考のカテゴリーの一つである不安の概念は、ここに由来するのであり、キルケゴールはこの概念が人間本性の不完全性という古い概念に取って代わることを望んでいるのである。"

"心理状態としての不安はその全体が、心理学には還元できない何かへと向けられている。(……)不安は心的意識に還元できない対象に向けられた心的意識である。不安は確かに思考であるが、それは思考が自らの対象との間にある還元不可能な差異を把握する場合に限っての事である。"

 ここからキリスト教色を脱いたのが、ドゥルーズが『差異と反復』で示した理論である。人は思考に暴力が振るわれた時にしか思考を発展させない。プルーストにおいては、嫉妬が一つの思考のカテゴリーとして機能している。理性が命令を下し、それに服従する形で物事を考えるのではなく、むしろ不安や嫉妬など、感覚せざるを得ないものに迫られて、半ば強制的に物事を考える。それが思考の機能形態だとドゥルーズは考える。

 哲学の敵は良識である。時に人は、理性に抗う形で思考しなければならない。思考の機能をよりクリアにするためには、その二つと戦う必要がある。あるいは「理性」という言葉に含まれる、従来の道徳的な意味を脱色しなければならない。それは『ペリクレスヴェルディ』で示された「プロセスとしての理性化(恐らくは盟友シャトレが考案した概念)」である。

"あれこれの素材=物質、あれこれの集合、あれこれの混合の中に人間的関係性を打ち立てようとするその都度、我々は理性化のプロセスを規定し発明しなおす。現実態そのものが関係性であり、したがって理性は常にポリティックである。"

"「純粋理性」など存在せず、特権的なる理性などといったものも存在しない。あるのはただ、領域や時代や集団や個人によって様々に異なり、様々に混成的な理性化のプロセスだけであろう。だから理性化のプロセスは袋小路の中で絶えず流産し滑りながら進むしかないのだろうが、しかしそれは、新たな方策、新たなリズム、新たな速度を伴って別の場所で再開されもするのだ。"

 ドゥルーズの文章には詩的な表現も多く含まれる。しかし、そこで描かれる論理展開は極めて明瞭で、ため息がでるほど美しい。思わずうっとりしてしまうほどだ。現実の物事も、こんな感じで理屈で説明出来たら楽なのだが、中々そうもいかないことが多い。