《イノセント》三

 大抵の場合、連続あるいは無差別殺人の最初に犠牲者になるのは女性か子供である。それは単に腕力の問題だけではない。殺害者側が男性の場合、同性よりも異性の方が、大人よりも子供の方がずっと誘惑しやすいからだ。よって殺害者が女性である場合、自ずと最初の犠牲者は男性となる。しかし、だからと言って「同性は殺されない」と結論づけることは難しい。恐らく同性を殺すのは、ある程度犯行に慣れてからだろう。腕力に加え、誘惑も効かないとなれば、殺すには多少なりとも繊細な技術が必要となる。もはや力業で誤魔化すのは不可能だ。

 ここで、以下のような反論が予測される。防犯技術の発達した現代では、女性と子供を殺すにもそれなりの技術が必要ではないか?なるほど、それはその通りだ。おぞましい数多の報道のため、子供は保護者によって、女性は自分自身によって、自らの身を守る必要性を噛み締めている。ニュースには二つの役割がある。一つは事件に飢えた人々の退屈心を満足させること、もう一つは事件に怯える人々により一層恐怖を与えること。人はそそられるか怯えるかによってしか警戒心を持つことが出来ないから、これは仕方のないことだと言える。

 通り魔程度なら捕まらずに実行することは可能だろう、それも確実に。しかし、それで相手が殺害できるかは不確実である。ならば、更に次のように問う必要がある。この国において、今最も殺しやすいタイプの人間とは誰か?

 それは老人である。田舎に暮らし、社会に取り残された老人、生きることに慣れすぎたあまり警戒心を持ち暮らすことを忘れた老人だ。

 一時期、田舎の祖父の家で暮らしていたことがある。短い間だったが、その記憶が役立つかもしれない。一緒に暮らしていた割に、祖父は俺の顔も名前も覚えてくれなかったが、それは単にボケていたからかもしれない。あれはよく家に鍵もかけずに出かけることがあった。結果として、何度か空き巣に入られたこともある。若者はぼんやり死ぬことを空想するが、老年に至れば生きることが習慣になる。それはチャップリンの台詞だが、だからだろうか、老いるにつれて、人は様々なことにズボラになっていく。実際、俺も学校をサボった時、祖父にバレずに家に帰ることが容易に出来た。ちょうど空き巣のように、何度も家に侵入したものだ。

 この例が可能になったのは、俺の祖父が特殊だったのもあるだろう。しかしとにかく、老人というものは生活に危機感を抱くことが中々難しい。それは事実だと思われる。人は老いと共に肌感覚で死が近づくのを知る。衰える身体、劣化する知性、固定されていく想像力。老後とは延期された自殺だ。「太陽も死も、どちらもじっと見つめることは出来ない」とは、ラ・ロシュフコーの言葉である。実際、彼は正しかったのかもしれない。死に直面し続けた人は、そうでない人とは決定的に何かが異なっている。それに、老人は孤独である。男女問わず、若者は老人を誘惑しやすい。

 以上のことを考慮に入れ、計画は三ヶ月という長い時間をかけて実行することにした。そして奇妙なことに、またしても俺の犯行は『罪と罰』と被ることになった。


 この手記は時間の合間合間に書いている。今はバイトの休憩中だ。この一年に既に二回辞めていて、今のバイトは始めてまだ二ヶ月程度だ。職場はコンビニである。何だかんだ、コンビニで働くのはこれが初めてだ。白状すると、接客業はそんなに得意じゃない。本当は深夜帯に働きたかったのだが、研修もかねて今は昼の時間に働いている。青白い照明と、窓から入り込む陽の光が交差している。仕事中、いつも自分がここにいないような気がしている。ここに自分が存在せず、自分の居場所はここでないような錯覚だ。働きたくないのが本心だが、しかし働かないと生きていけない。

 休憩中はよく音楽を聴いている。J.コールの"4 Your Eyez Only"は、ヒップホップ史上、最も美しいアルバムの一つだと断言して間違いない。思えばこの一年間、ずっとJ.コールを聴いている気がする。高校時代から好きだったが、どういう訳か、最近は高校時代と同じくらいに熱中して聴いている。殺人を決意した晩も、決行した日の帰り道も、"4 Your Eyez Only"が耳元で流れていた。

 しかし、休憩中の愉しみは突如として中断された。店長に話しかけられたのである。

「ねえ、ちょっといい?」

「え、あ、はい」

「前から思ってたけど、もうちょっと人の目見て話そうか。お客様の目」

「ああ、はい……」

「声も小さいし、もっとハキハキ話さなきゃダメだよ」

「申し訳ありません……」

「まあ、まだ入ったばかりだし、覚えることも多くて大変だろうけど、しっかりしようか。社会人なんだから」

 店長は去っていった。外していたイヤホンを耳にかけ、中断された音楽を再生した。楽曲は今まさに反復を迎えるところであった。

 I know you desperate for a change, let the pen glide
 But the only real change come from inside
 変化を求めてペン先でもがいているのはわかっている
 しかし、本当の変化は内側からしかやって来ない

 J.コールの言っていることは多分正しかった。こんなものを書いて、時々何になるんだと思う。しかし、書かずにはいられないものがある。だから書くのだ。


 明後日には大事な予定がある。しかし、明日の予定は特にない。手記を書き始めてから既に三日が経過した。明後日が来るまでに、俺は書けるところまでこれを書かなければならない。

 では、早速本題に移ろう。


 緻密な計画を練り、下準備をこしらえるためには三ヶ月程の時間が必要だと思われた。実際、俺は計画を思いついた約三ヶ月後に実行した。とはいえ、犯行は全く計画通りに実行されなかった。今になって思えば、あんなに考え込んでいた自分が馬鹿らしい気がする。しかし、なんといっても殺人だ。考えすぎて悪いことはないような気がしたのだ。

 必要な道具の大体はネットで揃えることにした。購入歴から怪しまれることを恐れて、時間を置いて、異なるサイトごと、不定期で買い揃えた。購入したものは以下の通りである。手袋、かつら、かつら用のネット、伊達メガネ、そして縄。殺害方法については、刃物で刺すか鈍器で殴る方が確実だと考えたが、返り血が怖かった。よって絞殺にした。それに、どうせなら縄で首を絞める最中に顔色が変化していくさまを見たかった。念の為、古着屋でスカジャンも一着買った。裏表で模様が異なるもので、どちらでも着れるように出来ていた。目撃情報をくらませるのに役立つだろう。それとニット帽。かつらの上に被ることで、なるべく髪の毛の違和感を消すためだ。ニット帽に関しては、百均の安いものを買った。結局、何処でも手に入るものが一番特定され難いのである。

 さて、俺の住んでる街は都内にあるが、都心からはやや離れている。なので、一時間前後電車を走らせれば、ほとんど地方の田舎と変わらない土地に来ることができる。それを考慮に入れて、犯行現場は、自分の最寄り駅からなるべく遠い、しかし遠すぎない場所を選ぶことにした。候補地は沢山あった。そのうち一つ一つを練り歩き、街を散策することで、ここが計画の実行にふさわしいかを確認したいところだが、中々そこまで気力が湧くかわからない。それに、街を歩いて計画に相応しいか否かを判断するなど、些か浅慮すぎる気がした。

 異なる街を散策するようになって既に三回目の時であった。人気のない道端で、ひとつの民家を見つけた。窓際には老婆が座り、日向ぼっこをしていた。秋が暮れていた頃であった。黄ばんだ柔らかな日差しは、午後の傾きと共に、家の庭の時間を止めていた。白髪のよく似合う、丸く太った老婆は、同じく丸い眼鏡をかけていた。昔の家によくあるように、家は一階建てであった。

 老婆と目が合った。否、おそらくそうだと思われた。細い目は開いていないようにも見えたが、 一応頭を下げてみると、会釈を返してくれた。やはり目が合っていたようだ。

 突然、普段なら絶対にしないことをしたくなった。「いい天気ですね」と言って、俺は老婆に笑いかけた。

「ええ、そうですねえ」

 可能な限り最小限の動きで、口からカサカサとした声が漏れてきた。

「いつもこうして日向ぼっこをしてるんですか」

「ええ、今日みたいにいい天気はねえ。家でこもってるよりも、こうやってお外の空気を吸ってる方が気持ちよくて」

「たしかに、そうですねえ」

「あなた、この辺に住んでらっしゃるの?」

「ええ、まあ。でも、最近越してきたばっかりで。だからこうやって、外を歩いて街を知ろうとしてるんです」

「へえ、そうなの」

「ええ、そうなんです」

 俺と老婆は長く話した。自分でも、こんなにスラスラ嘘が出てくるのにビックリした。やがて「立ち話もなんだから」といって隣に座らせてくれた。お茶を出してくれもした。みかんも食べた。美味しかった。俺達は話の続きをした。

「じゃあ、もうずっと長くここに住んでるんですね」

「ええ、そうだねえ」

 そう言うと、老婆は悲しそうな目をして遠くを見た。少し涙ぐんでいるようにも見えた。目元は夕暮れに照らされて、輝いていた。

「昔は息子たちもよく顔を出してくれたけど、年々顔を出さなくなってねえ。今じゃめっきりなんだよ。まあ、離婚もせず十数年暮らしてるんだから、それだけで今どき有難いと思った方がいいのかもしれないけどね。孫たちだって、年に一回会えればいい方で、お友達も皆遠くへ行っちゃってね。最近じゃご近所づきあいなんてないから、誰もあたしに挨拶してくれないの。本当に、あなたくらいの若い人と話したのなんていつぶりでしょうね」

「へえ、そうなんですか」

「本当よ。お爺さんだってもう五年くらい前に亡くなっちゃたから、今じゃあたし独りで何もかもしなくちゃいけないんだけど、身体も悪いから、あんまり遠くに行けなくてね。本当は息子や孫に会いたいけど、これじゃ会いに行けないの。かといってこっちから連絡を入れるのも、なんだか悪い気がしてね……」

「じゃあ」

 俺は話を遮った。

「孤独なんですね」

「うん。そうなの。孤独なの、あたし」

「なら僕と一緒だ」

「ええ、お兄さんも孤独なの?そんなあ、まさか」

「いえいえ、僕も孤独ですよ。僕、地元から離れてこっち来たんですけど、まだ友達とか全然いなくて。本当はもっと会社の近くで暮らしたいんですけど、今の自分の給料で暮らしながら、不自由なく生活するとしたら、都会に近いけど実質片田舎なここくらいしかなかったんです。だから、そう、本当に友達がいないんです。会社に勤めて半年以上になりますが、まだあんまり同僚と馴染めた気がしないし、飲み会だって、本当は楽しくないけど嫌々参加してるんです。だから僕も、こうやって人と心から話せるのが久しぶりなんです」

「……そう」

 老婆は俺を見つめながら話を聞いていた。その顔はどことなくしんみりとしていた。

「時々、ここにまたこうやって話に来ていいですか」

 少しの間を置いて、言った。それはあまりにも感傷的な沈黙の後であった。

「勿論。勿論ですよ。ご飯だって食べに来ていいんですよ」

「え、本当?やったあ!」

 それからまた少し談笑した後、俺はこの家を去った。老婆はスズキミチコと名乗った。俺はコバヤシノリオと名乗った。無論、偽名である。去り際に、「仕事が忙しくて、今日みたいにゆっくり話せる日は稀かもしれませんが、ゆるしてください」と伝えた。老婆は「いいんですよ、気にしなくて」と言った。その顔は笑っていた。

「こうして誰かがあたしのことを想ってくれて、そして会いに来てくれる。その事実だけで、もう本当に嬉しいんですからね」

 家を出ると、辺りは暗く、地平線に映る炎も闇に沈もうとしていた。俺はと言えば、自分の知られざる才能を発見したことに深い満足を覚えていた。感動はあまりにも深かったので、興奮を通り越してある種の武者震いに達していた。こんなにも饒舌に、適当な話をしたのは初めてだった。俺は天才だ。天才的な嘘をつく能力があるんだ!それは官能的なまでの自己陶酔だった。

「てか、コバヤシノリオって一体誰だよ」

 計画のターゲットは定まった。あとは実行するだけである。