《イノセント》六

 夜の八時であった。暗がりを歩いていた。青白い街灯の下を通る度に、辺りには俺達以外の誰もいないように思えた。互いに雰囲気が昔と違っていた。制服を着ていないから当たり前かもしれなかった。しかし、何かが決定的に異なっているのであった。それでも変わらず残り続けているものもあった。歩幅を合わせて歩く度、一歩ずつ昔の記憶がよみがえった。

「二年?いやもう三年が経つかな。私達が卒業して」

「うん、そうだね。もう三年前だ。今大学生?」

「いや、今年社会人一年目。でも次の四月から二年目になる」

「ああ、そう」

「専門だったからさ、行ったの。君は?」

「俺?」

「うん。なにしてるのかなって」

「ああ、俺はフリーターだよ」

 笑いながら言うと、意外そうな顔でこちらを見た。

「辞めちゃったの?大学」

「いや、そもそも行かなかったんだよね」

「え、どうして?成績よかったじゃん」

「うん。俺は天才だったからな」

「ならなんで?」

「それは……」

 言うのを躊躇った。が、今更隠すことでもないと思った。

「おじさんとおばさんに迷惑をかけるのが嫌だったんだ」

「どういうこと?お父さんとお母さんは?」

「あれ、言ってなかったっけ?俺両親いないんだよ」

「えっそうなの?」

「言ってなかったか」

「うん」

「そう。昔っから両親がいなくて、親戚の家を転々としてたんだ。小中は結構色んなとこ引っ越してたけど、高校くらいから安定し始めて……」

 彼女を見た。何だか、深刻そうな顔をしていた。しかし、そんな顔を見るために君と話をしているのではなかった。せっかく会えたのだから、この辺で話を切りあげるべきだと考えた。

「……今のおじさんおばさんには、本当に世話になった。だからこれ以上迷惑をかけたくなかったんだ。あとは、早くに自由に暮らしたかったってのもあるな」

 それと、もうこれ以上他人に借りを作りたくなかったというのもある。しかし、そんな事を言えば空気が気まずくなるのは、今日までの経験でよくわかっていた。

「……そう」

 彼女は俺に同情していた。正直に言うと、それがかなり不愉快だった。他人から弱く、可哀想な人間として扱われることほど苛立つことはない。自分を強く、才能のある人間だと自覚してる者ほどそれを感じるはずだ。ただ事実を述べただけで「弱者」扱いされて、垢のついた手でベタベタと触られなければならない。人を一体なんだと思っているんだという話である。思えば、君には昔から感傷癖とも言うべきものがあった。しかし、君が同情で気持ちよくなるために、俺は存在しているわけではないのだ。

 話を変えることにした。せっかくの再会なのに、こんなつまらない時間を過ごし方をしたくないと思った。

「最近、何か映画は観てる?」

「ああー、そうだな、『パラノイド・パーク』とか観たよ。面白かった」

「知らないな。誰の映画?」

ガス・ヴァン・サントの。ほら、『グッド・ウィル・ハンティング』の人」

「ああ、あの人か」

「それに『ベニーズ・ビデオ』もよかった。ハネケが『セブンス・コンチネント』の次に撮ったやつ」

「やっぱ渋い趣味してるね、君」

「そう?」

「うん、渋いよ」

「てか、それ褒めてる?」

「褒めてるよ。高校時代も、ずっと凄いって思っていた。君は僕の先を行ってる」

 彼女は映画に詳しかった。知り合ったきっかけもそれであった。ただ本は読まないみたいであった。だからここまで読んでくれるか、それも疑問である。

 今度は彼女が質問する番であった。

「そういえば、J.コールが去年出したアルバム聴いた?」

「"The Off Season"でしょ?超よかったね」

「だよね。でさ、今回の歌詞はどうなの?ネットで色々と読んでみてはいるけれど」

「ああ、そうだな。今回はね……」

 懐かしい気持ちになっていた。彼女に張り合う形で、俺はよく音楽の話をしたのだった。時には無理やり聞かせて、拙いながらに訳したJ.コールの歌詞を読ませたりした。今から考えれば、相当痛々しい奴だった。

 俺達は暫く笑いあった。そして話して、お互いにお互いのオススメを口にしあった。俺は『パラノイド・パーク』を観る約束をした。DVDを持っているらしかったから、それを借りることにした。そして、次に会うまでに、"The Off Season"の歌詞のいくつかを訳してくることにした。

「ああ、こうして話していると、なんだか昔みたいだな」

「そうだねえ」

「この三年間、美玲さんはどう過ごしてた?」

「どうって、そりゃ……」

「そりゃ?」

「普通よ。普通の過ごし方。学校行って、彼氏作って、別れて、就職して……で、今に至る。みたいな?」

「ふーん」

「君の方こそどうなの?」

「俺?俺は……どうなんだろうな」

 笑いながら口ごもると、彼女は笑った。

「何それ」

「いや、わからないんだよ。それが」

「え?」

「この三年間、自分が何をしてたかがよくわからないんだ。まるで夢を見ているみたいなんだ。そして夢から目が覚めた後のように、振り返ってみると、それが空っぽなんだ」

 ブランコに揺られながら、夜空を見つめていた。立ち話もなんだから、公園に入ることにしたのである。暫く、無言だった。しかし、不意に彼女が俺に顔を向けた。

「ねえ」

「なに?」

「どうして私のこと、追いかけなかったの?」

 ギクリとした。思わず目を逸らしたが、彼女は俺の事を見つめたままだった。何も言えなかった。それに追い打ちをかけるように、彼女は話を続けた。

「君はいつも会話を避けていたね」

「そうかな?あんなにいっぱい話したじゃないか」

「でも家族のこととか、今日初めて知ったよ」

 再び、沈黙が訪れる。

「私達、いつも趣味の話ばっかりして、肝心のことは何も話さなかった。君はいつも笑っていたけれど、真剣になろうとするといつも私を避けていた。ちがう?」

 無論、何も言えなかった。

「ねえ、どうしていつも私を避けるの?私のこと嫌い?」

「そんなわけ……」

「じゃあどうして?」

 何を言うべきかを考えた。結果として、思ったことをそのまま言うことにした。

「俺はさ」

「うん」

「下らない話をして過ごすのが好きなんだ。それ以上は何も求めていない。ずっとふざけて、何も大事なことは話さない。それだけでも結構幸せなんじゃないだろうか。正直に言うと、俺にはわからない。なんで皆がそれ以上を求めるのか。」

 二人とも、しばらく黙っていた。俺は何かを言わなければならないと思った。それは、このままいけばまた会えなくなると本能的に感じたからだ。しかし、何を言えばいいかわからなかった。だから、また思ったままを言うことにした。

「なあ、俺は怖いよ」

「なにが?」

「いや、わからない。何が怖いのかわからないから、なお一層怖いんだ。本当を言えば、何もわからないんだ。学校でもよく思ってたし、今でもよく考えることだ。皆が何を求めて生きているのかがわからない。頭の中では理解出来ても、心が追いつかないんだ。共感できないんだよ。おまけに自分の気持ちもよくわからない。何を求めてるのか、何のために生きているのか。あんなに勉強頑張ったのに、俺にはわからないことだらけだ」

 俯いていた顔をあげて、彼女に向ける。そして言葉を続けた。

「ただ一つわかっていることは、このまま行けば、多分君はもう会ってくれないということだ。そんな気がしている。もしかしたらそれが怖いのかもしれない。けれど、せっかく会えたのに、これ以上君と仲良くできないことを考えると、とても胸が苦しくなる。だから今はこうしてお願いすることしか出来ない。今月、何処かでまた俺と会って欲しい」

 返事が来るまで、少し間があった

「君はずるい奴だね」

「確かに、ずるいかもしれない」

 彼女は俺の目をじっとみた。それに迫られるように口を開く。

「あの頃はいえなかったけど、俺、君をモデルにいつか映画を撮りたいんだ。映画の技術はまだよくわかんないから、脚本でもいい。とにかく、君を題材に物語をつくりたいんだ。もしかすると、俺は君のことをよく知らないし、君も俺のことをよく知らないかもしれない。けれども、君は美しい人だ。とても美しい人だ。そのことだけはよくわかっている。君の美しさに気づかない奴がいるとすれば、それは大馬鹿者だ。そうとも、俺が一番君の美しさを理解している。だから、君をモデルにしたストーリーを作って、君を主演にして、映画を撮りたいんだ。変かもしれないけど、これが俺の本心だ。ずっと黙っていた本心だ」

 彼女は黙っていた。俺も黙っていた。数分後、やがて向こうが口を開いた。

「今日のところはここまでにしましょう。もう遅いし。また後で連絡するね」

「うん」

「おやすみ」

「おやすみ」


 以降、俺達は月に一、二回の頻度で出かけるようになった。その習慣は今も変わっていない。そう、明日は彼女に会う約束をしている。今日の休みを使って、書けるところまで書いてしまおう。そう思ったら、結局一日中部屋にこもることになってしまった。しかし、まだ書き終えていない。このまま体力が尽きるまで書いてしまおうと思う。

"4 Your Eyez Only"が発売されたのは高校一年生の冬で、"KOD"が発売されたのは高校三年生の夏頃だった。今思い返しても優しい気持ちで満たされる。あの頃、俺は幸せだった。君も同じ気持ちを抱いてくれたら嬉しい。久しぶりに会った君は、昔と雰囲気が違っていた。昔より綺麗になった。けれども、昔の君もそれはそれでとても綺麗だった。

 君に再会した晩、俺は君の夢を見た。そして、ベッドから二度ほど転げ落ちた。目が覚めると、あの頃の君の顔が鮮明に思い浮かぶので驚いた。そして、今の君の顔の至る所に、あの頃の君の面影が潜んでいることに気がついた。


 あの会話をしたのはいつだったろうか。三年ぶりの再会を果たしてから、もう何度目かであった。その時、俺達は少し汚い喫茶店でお茶を飲んでいた。君は俺の話に笑い、俺はそれに嬉しくなって笑った。君は言った。

「本当に、変な人だね」

「そうかな」

「うん。変だよ」

 そして大して美味しくない紅茶を飲むと、次の言葉を口にした。

「君は本当に変な人で、私はそういうところが好きだけど、いつかその変なところのせいで、君のことを嫌いになってしまいそう」

 俺は少し考え込んだ。それは決して彼女の言葉がショックだったからではないが、彼女は心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

「どうしたの?」

「いや、似たようなセリフが、確か『異邦人』にもあった気がして。ほら、カミュの、有名な」

「えー、そうなの?」

「うん」

「でも私読んだことないから偶然だよ、多分」

「ハハハ」

 俺達はまた笑いこんだ。多分、彼女は俺に合わせてくれているのであった。その事を考えた途端、なにか無性に変なことを言ってみたくなった。

「『異邦人』の主人公は太陽が眩しかったからという理由で人を殺すんだ」

「へー、そうなんだ」

「で、実は俺も人を殺したことがある、って言ったらどうする?」

「えー、何それ」

「まあいいから考えてよ、どうする?」

「そもそも誰を殺すの?」

「知らない人かな、気まぐれで選んだ相手をさ」

「『ハウス・ジャック・ビルト』みたい。でも、何でそんなことを?」

「さあ、特別になりたかったからかな」

「あはは、何それ」

「他には出来ないことをしてみかったんだ。自分が特別で、優れているということを証明したかったんだ。そこらの底辺の人間とは違うってことを、誰でもない自分自身に言い聞かせたかったんだ」

「じゃあ、別に人を殺さなくてもいいでしょ。小説とか、脚本とか書けばいいじゃない。せっかく沢山本読んでるんだし。ちがう?」

「確かに。そうかもしれない。でも、その時はそれに気づかなかったんだ。映画も小説も、全部退屈に見えたんだ。全部に飽きてしまったんだ。そんな気がしたんだ」

「ふーん」

 少し真面目そうな顔をしたが、次の瞬間には吹き出していた。

「ほんと、おかしな人。君が本や映画に飽きるなんて、考えられない話でしょ」

 彼女が笑っているから、俺も笑うことにした。

「ハハハ、確かにそうだね」


 あの夢たちを見るようになったのは、その日以来だった。だから、これは三ヶ月前の出来事だということになる。最初にあの夢のひとつを見たのは、三ヶ月前だったからだ。