日記

大体四日に一度の頻度で更新してる

22/04/17

 不思議なもので、病んだ人は癒えるのを恐れる。病人にとって、健康になることは今の自分が失われることと同じである。消え去ることは死ぬことよりも恐ろしい。だから好んで病的な状態に留まることとなる。

 人が何かを愛するのは、対象が想起させてくれるものへの期待と切り離せない。これは決して恋愛的な意味だけではなく、本や映画についても言える。まだ開いたことない本に惹かれるのは、それが今の自分にないものを与えてくれるかもしれないと、想像力を刺激するからだ。容姿端麗な男性に惹かれる女性は、ただ相手の容姿のためだけに愛するのではなく、それが想起させるもののために愛する。退屈な現実から抜けだす手段や、今までにない刺激を与えてくれる。そのような期待をこちらに抱かせるのである。プルースト風に書くならば「相手だけでなく、相手が内包する風景をも愛している」わけだ。『失われた時を求めて』のスワンは、恋人オデットの顔にボッティチェリの絵画との関連性を見いだす。それと同様で、相手の仕草や佇まいが、自分の好きな物語を想起させるために惹かれる人も多いだろう。

 周知の通り、他者を所有したいという欲望は他者への不安から生じる。こちらの期待していたものが相手にないかもしれないという不安、自分のいる地位が他と置き換えられるかもしれないという不安が、対象への執着に転じる。嫉妬あるいは疑惑が、それ自体ひとを刺激するものとして機能するのだ。よって、ある一定の人達は「相手が悪い人かもしれない」と思い悩みながら、そのためにむしろ相手を愛することとなる。時に人は、不安のために求愛するのだ。

 大抵の期待は裏切られても修復可能である。好きな監督の新作が上映されるので、胸を躍らせながら映画館に向かう。監督に対する信頼と期待は、既に観る前からこの作品を愛するように仕向けている。しかし鑑賞中、それが思ったほど面白くないということに気がつく。この時、こちらの期待は裏切られたと言える。しかし不思議なもので、人は裏切られた期待をみずから補おうとするのである。何とかして画面に目を凝らし、美点を見出すことで、それを愛する、あるいはそれを愛していると思い込むのだ。期待していたものが存在しないという事実に傷つくよりも、むしろその美点をでっち上げることを求めるのである。

 こうして映画館を出る頃には、入る時と変わらず上機嫌なままである。そして自分自身にこう語る、「いや、やはり素晴らしい映画だった」と。

 これらの事実は、言い換えるならば、期待が出来なくなれば何も愛せなくなるということを示している。愛したいならば、期待しなければならない。そのためにはこの世界に信頼を置く必要がある。傍から見れば、それは滑稽な姿である。無根拠だし、思い込みかもしれないから。ならば我々は、滑稽になり、恥を晒してでも何かを信じなければならないのである。でなければ生きるのを辞めてしまうだろう。


"……確かに『ベニスに死す』は音楽家を登場させているが、まさにその作品は知的で頭脳的すぎるのだ。これはまた単なる芸術愛好者の世界でもない。むしろ彼らは芸術に取り囲まれており、芸術を作品としても生としても深く「知っている」のだが、『家族の肖像』の教授の場合のように、この知識が彼らを生からも創造からも引き離してしまう。"

 音楽は身体性と密接な関係にある。他の芸術より直接感覚に訴えかける以上、音楽はあらゆる芸術の中でも特権的な地位にあると言える。たとえ音楽家本人が望まなくとも、それは他の芸術よりも身体的、もっと言えば官能的な作用を持つのだ。

 かつてメシアンは美と暴力の関連性を指摘した。そして、彼は正しかった。美しい音楽は一種の暴力である。そして、官能的なものは皆暴力的である。美はこちらの身体に直接訴えかけ、理性を奪い、自己同一性を喪失させる。美しい音楽が暴力的であるのは、それが半ば強制的にこちらが抱かなかった感情を呼び起こすからだ。よって、音楽に苦手意識を持つ芸術家や学者がいるのは当然のこととなる。音楽は他のどの芸術よりも危険なのである。

"君のことをよく考えます。興味深いことに私達の生存は(私達二人の生存のことです)、芸術の中にあるいっそう暴力的なものに、いっそう恐ろしいものに拠り所を見出すことで、慢性的な危機的状態から身を守っています……。"

 言い換えるならば、身体的でない音楽は美しくない。もとい、作り手がたとえ意識しなくとも、美しい音楽は官能的にならざるを得ない。スロウコアの抑えられた音数は、洪水のごとき過剰な快楽の反対に位置するように見えるが、むしろ抑制されるからこそ可能になる快楽が世にはある。そして、あらゆる快楽、あらゆる官能は、それに伴う暴力的な美の啓示から逃れがたいものである。非身体的な音楽は、それ自体駄作であることの証明なのである。

"最近、あまり具合がよくありません。そんな状態で私は書いています。君のことをずっと考えています。君は苦痛を、それがまるで思考との計り知れない関係であるかのように生きていますね。こうした思考の出来事を、どうやって歓びに変えるか。"