日記

大体四日に一度の頻度で更新してる

22/05/02

 現実の難しさは、そこに悪役がいない点にある。苦境に立たされると、人は裁くべき相手を、責任を負うべき何かを求めるようになる。しかし、もしそれが存在しないならば、たとえ絶叫しながらだろうと傷跡が残されるのを眺める他ない。それこそドゥルーズアルトーの言葉を借りて表現した「残酷」だと言える。

 他人の身の上話とは、余程興味を引くものでなければどうでもいいという感想しか出てこない。が、今日はなんとなくそういう話をしたい気分だ。だからここに書くこととする。中学の頃、塾の同級生に突然耳を舐められたことがある。それは自習の時間に起きた。驚いた私は、何故そんなことをしたのかを聞いてみた。すると同級生は「してみたくなったから」と返した。彼とは友人だったから、その場では笑っていたが、家に帰り就寝を待つ際、その時のことを思い出しては不愉快な印象に苛まれた (もっとも、今ではこれも笑い話として語っている。事実、酒の席で話すと結構ウケる)。

 似たような経験はその後も何度かある。ここ二、三年で言えば、大して仲良くもない同年代から胸元をいじられたことが挙げられる。仲良い友人ならふざけてするかもしれないが、その時の相手のしたり顔といい、その手つきといい、結構ムカついた。しかし、怒るような場所でもなかった。私は笑って済ませることにした。

 何故こんな話を始めたかと言えば、これらの経験は、同性との関わりよりむしろ異性との関わりにおける問題へと私を導くからだ。以前、仲の良かった女性が言っていたが、世の中には「抱かれることで相手をつなぎとめようとする女性」がいるらしい。抱かれるだけでなく、泣いたり、奇行に走ったり、あるいはプレゼントをしたりすることで、何とかして相手の注意を引こうとするわけだ。

 今日まで、自分は出来るかぎりそういうことに関与しないよう努めてきた。それは「自分を安売りしてはならない」という道徳的な説教を垂れるためではなく、その「安売り」をする側の気持ちが分かるからだ。自分が性的に搾取されているとは露ほども思わないが、一方で、その搾取される側の人の気持ちが多少なりともわかると感じている。これは勝手な思い込みかもしれない。ただ、これまで自分に変なことをした同性を憎むつもりはないが、同じ側に立ちたくないという気持ちがある。

 とは書いたものの、現実は書き言葉以上に複雑なものである。他人からすれば、こちらの主義主張の大半はどうでもいいものに過ぎない。他者の肉体を断ることで、これまで相手を泣かせたり、怒られたり、あるいは責められたり、絶縁されたりさたこともある。私としては正しいことをしたつもりでいるが、結局それもエゴにすぎないわけだ。別にエロいことが嫌いなわけじゃないのだから、すればいいという話にもなる。しかしそうなった場合、大袈裟な言い方になるが、過去の自分を裏切るような思いがする。これは倫理的な問題である。正直な話、自分が気持ちよくなれて、相手も悪い気がしないならば、素直に股間の欲求に従うのが正しい気もする。しかしそうなった場合、私には今のような綺麗事を語る資格はない。時折、思い出しては「あの時ああした方がよかったのか」と考えることもある。実際にどうかは知らないが、「向こうから誘ってそれを拒むなんて侮辱だ」という話を聞いたこともある。結局、私には「よくわからない」という感想しか出てこない。

 一方で、この問題にはもうひとつの側面があると思われる。それは自分と母親との問題だ。何でもかんでも不幸を家庭に起因させることは、正直に言って頭があまり良くないというか、考え方として単純すぎて好きではない。しかし、こればかりは考えざるを得ないものがある。私は母が嫌いだった。嫌いというよりも、「無関心であった」というのが正確かもしれない。母についてはいくつか笑える話があるが、その内の一つを書こうと思う。

 PSPに熱中していたことから察するに、それは私が中学生の頃の話である。ある日、私は母から電話をもらった。「来月の誕生日に欲しいものはあるか」とのことだった。両親が離婚して以来、私が母からプレゼントを貰うことは稀だった。恐らく、母なりに気を利かせてくれたのだろう。私は「PSP用のソフトで、面白いゲームが欲しい」とこたえた。母はそれを了承した。が、しかし今考えると、これは無茶ぶりだったかもしれない。普段ゲームをやらない母からすれば、何をあげればいいかわからないはずだ。結局、当日になっても母はプレゼントをくれなかった。

 一ヶ月後、再び母から電話が来た。内容は誕生日プレゼントについてである。「忘れているわけではない、ただ忙しくて買う暇がなかった。もう少し待って欲しい」と語る声が、電話越しに聞こえた。私はそれを了承した。しかし、結局また一ヶ月待ってもプレゼントは来なかった。

 私が誕生日プレゼントをもらったのは、最初の電話から三、四ヶ月後のことである。母は私の住む家に来て、「これ面白いらしいから」と言ってゲームを渡すと、少し世間話をした後に帰っていった。貰ったのは『空の軌跡』というRPGゲームである。ゲームは前半と後半でディスクが分かれていて、片方のソフトにはまだ中古ショップで買った際の札がついたままだった。もう片方のディスクについては、母の当時の同棲相手のお下がりであった。母は「恋多き女」だった。中学校に上がる前、母の家に遊びに行くと見知らぬ男性が黙ってゲームをしている姿が思い出された。

 と、こんな感じで書いてみたが、これが理由で母が嫌いになったわけではない。というか、この話自体は特に暗い思い出として残ってはいない。大人になってから笑い話として持ち出した際、話し相手に余計な憐憫を寄せられたことがある。その時、初めてこれが人目に「不幸な少年時代」として映ることに気がついた。以来、相手の驚く反応が面白くて時々この話をしている。実際、ゲームは面白かったし、もうストーリーも覚えていないが、当時は兄とふたりでやり込んだ記憶がある (兄は私よりもハマっていた、私のプレゼントなのに)。家に父が居ない時は、二人でよくそのゲームの話をしたものである。それに、『空の軌跡』は、私の記憶が正しければ母から貰った数少ないプレゼントの一つであった。当時は心からそれに喜んでいたし、内容を忘れたけれども、その主題歌は今でもたまに聴き返す。私にとっては「古きよき時代」の象徴である。

 母を嫌いになった原因は妹にある。どちらかと言えば、それまでは大して一緒に過ごした時間もないから無関心に近かった。しかし、文学の中ではよく主要なキャラクターと母親との思い出が美談として語られる。それに触発されて、好んで母の家を訪ねていた時期がある。二十になるかならないかの頃だ。恐らく、両親の離婚以来、あんなにも母と関わったのは初めてであった。しかし、そこにあるのは思い出によって美化された母の姿ではなく、現実の母親の姿であった。

(リルケは『マルテの手記』や『ドゥイノの悲歌』で理想化された母性について語っているが、実際の彼は母親に対してほとんど憎しみに近い愛情を寄せていたという。それを知った時は心底から安堵を覚えた。自分だけではない、自分はおかしくないと気づけたから。)

 決定的であった出来事がある。母の家に泊まった日のことだ。その晩、私は寝床として与えられた屋根裏部屋にいた。下を覗くと、リビングには酔いつぶれた母と、その隣に寝そべる「男友達」がいた (恋人ではないが、彼には「世話になっている」らしく、母に会いにいくとよくその人が隣にいた)。やがて玄関の鈴が鳴り、妹が帰宅したのがわかった。大学生であった妹は、実家から大学に通いつつ、日付けが変わるまで近所の飲食店でバイトをしていた。

 私は妹を屋根裏部屋へ呼んだ。妹は大人しく、内気な娘だった。いつも他人に気を使って、こちらに悪く思われないようヘラヘラ笑っていた。だからこそ、私とふたりで話す際に見せた顔が一層こちらの胸を締め付けた。妹はリビングに寝転がるふたりのだらしない大人を見つめた。そして静かに自分の想いを語った。今日もバイトだった、貯金のためだ、両親がこれでは頼りになるのは自分くらいだ、など。記憶違いもあるかもしれないが、大体そんな感じの内容だった。私はこれまで妹のために何も出来なかったことを後悔した。そして、この女がこんなにも独りで抱え込んでいることに気がつき、思わず抱きしめたくなった。しかし、我々はそんな仲ではないこともわかっていた。結局、「自分が家族でいちばん愛しているのはお前だ」とだけ妹に伝えた。

 翌朝、私は出発の準備をしている最中に、何故かは知らぬが母に容姿のことを褒められた。お前は可愛い、まるで女の子のように綺麗だ、など。そして、その場には妹もいた。そして妹に「不細工」だと言った。あんたは醜い、本当に不細工、など。妹は困ったように笑った。しかし私には、妹が内心傷ついているとしか思えなかった。

 その時である。私は妹がこんな風になってしまったのは、我々家族のせいであるということに気がついた。否、そうとしか思えない。控えめな態度で、いつも誰かの顔色を伺っては道化を演じている。妹の自己愛がこんなにも低いのは、我々家族がちゃんと妹を愛してやらなかったからだ。母と妹は仲が良かった。否、表面的にはそう見えていたし、自分もその日までそう信じていた。しかし、私は馬鹿だった。妹はきっと母に複雑な想いを抱いていたのだと、その時になってやっと気がついた。そして、この時ほど母を憎たらしく思ったことはない。私はこの軽薄な売女を殺してやりたいと思った。

(一方で、私はそれから母方の家族を避けただけで、それ以降母はもちろん妹にも会っていない。結局、私は逃げたのである。)

 人生はドラマではない。「恋多き者の一生」は、傍から見ればドラマチックだし、本人にとってもきっと刺激的な生活が待っているに違いない。しかし、それに振り回される人間はたまったもんじゃない。母が母なりに苦労しているのは理解している。女手ひとつで兄と妹を育てあげ(我々は四人兄妹であり、私はその三男であった)、昼職と夜職をかけ持ちしながら生活することは、並大抵の苦労ではないはずだ。母が夜職の源氏名を、兄と妹の名前から取っていることも知っている。しかし、それでも自分にはどうしても母を愛することが出来なかった。実際、他人の愛に飢え、それに振り回され続ける人生など滑稽の極みである。ある時は「これこそが真実の恋だ」とか思い、それが裏切られれば別の相手にまた同じことを考える。その都度「この人こそが運命の人だ」と語り、不幸に塗れた自分の一生を美化する。まぬけな感傷である。そのせいで同じ間違いをずっと繰り返していることがわからないのだ (確かチェーホフは「かわいい女」という短編でそれを見事な皮肉と共に描いていた)。

 母との因縁があるからか、「恋多き女」と知り合うと、惹かれるわけではないが「説得したい」という謎の欲求が湧いてくる。余計なお節介なのは承知している。ちょうど去年の三月まで、該当する女友達が一人いた。一緒に飯を食いに行っては、向こうの恋愛談を聞いて笑うということを何度かした。食事の度、相手が不幸で、最近別れたからなお一層不幸であること、そして新しい彼氏を求めていることを聞いた。その意味はわからないふりでやり過ごして、代わりに「自立した人間になること」を推奨するという、愚にもつかない、思い返せば大変恥ずかしい説教を垂れた。結局、我々は疎遠になった。それは私の「道徳的な説教」のためでもあるが、諦めきれない相手がいたからであった。私には、愛さずにいられないただひとりの人がいた。向こうはそれを知っていた。そして、向こうからすればそんな相手がいるのに他の女と遊ぶ私の方がふざけていると思えたのである。とまあ、勝手な憶測だがそう考えている。

 しかし、まるで三文芝居のようなセリフを書いてしまった。こうして考えると、自分の母への憎しみはまるで同族嫌悪のように映る。依存できる相手を求め、他人の愛に飢え、そして振り回される。自分にそんな母と似たところがないと言えば嘘になる。そして、それを思うと嫌で仕方ない。

 何より嫌なことは、もう二十中盤なのに、未だに過去の暗い影を引きずり、それに苛まれているということだ。いつになれば嫌な思い出を忘れることが出来るのか。いつになれば思い出から解放され、自由に生きることが出来るのか。自分が特別不幸だとは思わない。ただ、このように過去を掘り下げて勝手に猜疑に苦しむなど、我ながら滑稽の極みである。そもそも、二十代の若造が自分のこれまでの人生を説明付けようとしたところで、浅い考えしか出てこないはずだ。我々は自分の直面する状況に応じて意見を変える。昨日までと同じことを今日明日も考えるとは限らない。架空の人間の自伝を描くならともかく(それがジッドやプルーストが試みた小説であった)、個人的な過去をわざわざ語ることに何の意味があるのか。苦境に立たされた時、人は自分の苦しみに説明を与えようとする。しかし、実際にそれが発生した原因と理由は、当時の自分では思いもしなかった所にある場合が多い。だから時が経ってやっと物事の真意が掴めるようになる。恐らく我々に求めれらるのは、自分の身体に刻まれる傷跡に耐えると同時に、それを乗り越えた先に向かおうとすることである。