22/06/07

 父と最後に会ったのは二年前である。時期はちょうど今と同じ頃だったと記憶している。それ自体、数年ぶりの再会であった。食事中、父は驚くべきことを言った。曰く「最近マッチングアプリを始めたんだが、会った相手にむちゃくちゃ金をせびられた」というのだ。かつてはあれほど武勇伝を語った父も、今や老いて、頭皮は薄くなり、やつれた顔をしている。「そうか、そりゃ大変だったね」と、私は思わず返した。

 驚きに駆られた反面、さほどショックを受けなかったのは、「そういう話」に慣れていたからだろう。小学生の頃、よく「再婚するかもしれない女性」が家にやってきた。学校から帰ると見知らぬ女性がいて、その連れ子と思われる少年が二人いる。私は子供二人と遊ぶことにして、父をその女性とふたりきりにした (我ながら気が利く子供である) 。かと言って、連れてくる女性がいつも同じであったわけではない。父は「婚活サイト」に登録していたのである。複数の見知らぬ女性が家を訪ねきたが、誰も父と同じ離婚経験のある方ばかりだった。時には運営する会社のオフィスに赴くこともあった。その際、何故か私も父に同行した。そして二人で、会社から「婚活」についての説明を聞いた。

 結局、父は再婚しなかった。ある日、いつものように連れてきた女性が帰ると、父が言った。「どうだ。お前らも、家族は多い方が嬉しいだろ。」それに対して、私と兄は返した。「いや、別に。そんなこともない。」「そう?」「うん、どっちかっていうといらないかも。」「そうか……」

 以来、父は「女性たち」を連れてこなくなった。私と同様、人の気持ちを考えるのが苦手な父は、再婚して相手の連れ子が兄弟になった方が我々が喜ぶと本気で考えていたのである。

 父と母が離婚したのは、私が小学生に上がる前後の頃だった。両親が別れた理由は二つある。一つは父の暴力だ。ボクシング経験があり、また元自衛官であった父は、時間に厳しく、怒ると手をあげることも少なくなかった。物を投げることもあった。私も数回ぶたれて鼻血を出したことがあるが、まだ可愛い方である。もっと酷かったのは私の兄二人だ (私は四人兄妹の三男であった)。特に長男坊のMは、予定があるにも関わらず時間通りに起床しなかったということで、父から蹴りを入れられた。結果として、兄Mは腕を骨折した。当時は高校生で、野球部に所属していた。しかし長い間、骨折のため野球ができない身体になった。だからだろうか。離婚して母方に引き取られて以来、兄Mは一度も父と会っていない。もっとも、私もこのMとは十年以上会っていない。言わば「生き別れの兄」である。我ながらドラマチックな話だ。

 離婚したもう一つの理由は、父が母の浮気を疑っていたからだ。離婚してからまだ間もない頃、母は当時の恋人と同棲を始めた。相手は私が幼稚園児だった頃の同級生の父親である。裁判の時、父は長男と次男の親権を獲得しようと必死になっていた。それは私と妹が自分の子供ではないと疑っていたからではないか?結局、父は私と次男坊のKを、母は妹と長男坊のMを引き取ることとなった。

 しかし、何故これらの内情を知っているのか?他でもない、父自身が教えてくれたのである。兄Kが大学のため家を離れて以来、私は父と二人きりで食事をする機会が増えた。父はよく、酔ったついでに「打ち明け話」をしたものである。上に書いた母の浮気への疑いの他に、少年時代に祖父から受けた暴行や、父が高校でいじめていた生徒の話を聞いたりした。仕事の愚痴、自衛官時代の思い出、「若い頃に女を引っ掛けた話」も聞かされた。正直、父のモテ自慢については「本当の話か?」と思わざるを得ないものが多かった。まるで漫画やドラマのような話が多かったからだ。しかし、その筋の通った鷲鼻や、外国人のように大きな二重まぶたから察するに、もし父が若ければ確かに異性から愛されそうな容姿だとも思った。

「お前が家を出たら、俺は毎日違う女の子とデートするんだ。」これもまた、酔った父がよく話す内容であった。「毎日違う女を抱く」とまで言わなかったのは、当時まだ高校生だった私を気遣ったからかもしれない。「月曜はあの子、火曜はこの子、と言った感じでな……」しかし、水道局で働く父に、そんな余裕と当てがあるとは思えなかった。

 時には暗い顔を見せることもあった。父には悲劇の主人公を演じて、自らの十字架の重さに酔いしれる癖があった。「俺は地獄行きだ。」突然、晩飯の最中に重苦しい顔つきで語り始めた。あたかも今日までの愚行を後悔するかのように。「今日まで最低なことを沢山してきた……」しかし次の日には、「馬鹿でもチョンでもできることだ」とか「同性愛は病気だ」とか、いつも通りの発言を繰り返すのである。

 私は多くの子供が当然のように抱く愛情と尊敬を父に寄せていた。そうすべき理由も勿論あった。母と離婚してまもない頃、父はそれを我々に悟らせようとしなかったのである。朝食の時間には、かつて母が作ったのと同じ料理を用意した。我々に母の不在を感じさせないためである。ただ、父の味付けは濃くて、おまけに子供にはとても食いきれない量だった。おかげで、私は何度もそれを吐き出すこととなった。

 明らかに、父は「善良な人間」になろうと努めていた。手をあげるのをやめて、怒ることも少なくなった。再婚相手を探したのも、無論父がそれを欲したのもあるだろうが、我々兄弟を気遣った面もあるに違いない。仕事の影響で、夜になっても家に帰らない日も少なくなかった。冷蔵庫を開ければ、昨晩から買い置きしてある晩御飯が用意されていた。一人でそれを食べていたのを記憶している。リビングは暗く、六人用のテーブルは子供ひとりには大きすぎるくらいだった。父なりに、我々に寂しい思いをさせない方法を探していたのである。

 成長するにつれて、私の父に対する尊敬は薄れていった。しかし、かつての罪を償おうとして、一個の人間として正しくあろうとする父の姿は、幼い私の目には立派に見えた。今ではむしろ、尊敬よりも憐憫を多く抱いている。父は明らかに結婚に向いた人間ではなかった。

 ひとりタバコをふかしながら、父はよく別れた母の名前を歌っていた。「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん……」そして、もう五年近く前になるだろうか、久しぶりに会った母の口から、驚くべき話を聞いた。なんと、父が母に再婚を申し込んでいたのである。それも突然の話だったという。理由は「家の管理をする人が欲しいからだ」と語ったらしい。当時、父は祖父の家に叔父と三人で暮らしていたが、その家は三人が暮らすにはあまりにも広かった上、祖父は呆け気味で介護する者が必要であった。しかし、そこには間違いなく語られざる理由も含まれていたに違いない。そして無論、母はそれを断った。

(しかし、もし父が母に多少なりとも未練を抱いていたとしたら、それは何故なのだろう?母は決して醜くなかったが、少なくとも私の目には美人にも見えなかった。しかし、若い頃の自慢話が本当だとすれば、別れたからこそ母に執着していたのかもしれない。手が届く時には何も思わないが、それが禁止された途端に欲しくなるという現象がある。世のプレイボーイ達は、関係性が不安定なものにこそ惹かれ、ひたすら相手の尻を追いかけ回すが、相思相愛になった途端に熱が冷めて、また別の女性を口説き始める。これと同様の話は女性もありうる。自分を口説く時には気取った態度を取るが、離れ始めた途端に相手に寄り添おうとする女性が、果たしてどれほどいるだろう?世の多くの恋愛は、不確実な関係がもたらす刺激を楽しむものであり、お互いを支え合う関係を得るためのものではないのだろう。)

 祖父の家を離れた今、父は2LDKの賃貸でひとり暮らしている。子供達からは嫌われ、親戚付き合いもなく、友人も尋ねてこない。孤独な老後が彼を待ち受けているだろう。因果応報と言うべきか、それとも同情すべき末路なのか。私にはわからない。それに、将来の自分がこうならないと、どうして言い切れるだろうか。父の子供である私もまた、彼と同じ呪われた血を引いているのではないか?事実、たとえ家庭を持ったとしても、充分に妻と子供を愛せる自信などないのである。