22/07/08

 思春期に愛した音楽は今でもふとした時に聴きたくなる。もし今の自分が初めてそれを知ったとしても、決して当時と同じ感動に襲われることはないだろう。当然のことだ。趣味に大きな違いがあるのだから。しかし、こうして長らく聴かずにいると、当時の記憶が蘇るからか、あるいはかつて見逃していたものをみつけ出したからか、もしくは今の私が忘れていたものを思い出したからか、久しぶりの再会に言い尽くせぬ感動を覚えてしまう。

 Sing about everyone that you left behind(お前が置き去りにしたものについて歌え)とは、中学生の頃に好きだったバンドの歌詞である。以前、ある友人に「実生活で会うと凄く明るいのに、文面だと別人のように暗い」と言われたことがある。事実だと思う。現実生活で明るい人間のふりをしているわけではない。私は人を楽しませるのが好きだし、かなり陽気な性格をした人間だと思われる。ただ、自分の内には、罪悪感とまでは言わないが、後ろめたさのようなものがあって、それが落とす影に沿って生きているのも事実だ。これは私自身、中々書きづらいというか、あまり触れたくないテーマである。それに今回あえて触れようとしているのは、これがこのブログに書き残す最後の日記となるからだ。

 他人に影響を与えるとは恐ろしいことだ。多かれ少なかれ、それは誰かの人生を変えることだから。私が思いつきでしたことが、こちらが想像もつかないような影響を他人に与え、場合によってはそれが傷跡になり、忘がたいものとして扱われる。考えるだけでゾッとする。もう二、三年も前の話になるが、このブログの読者と偶然会ったことがある。実は以前からあなたのブログを読んでいて、偶然にも会えて幸いである、など。こんなマイナーなブログでも案外読む人がいるんだなと驚いたが、その際に相手の示した感傷的な態度を、今でも忘れることができない。私も不幸なんです、こんなことがあって、とても苦しいんです。そんな内容を、奇妙までに官能的な表情で語ってくれたのである。私はその態度に「これからお互いの傷を舐め合いましょうね」という暗黙の期待があるようにしか見えなかった。しかし、私は誰かを不幸に溺れさせるために書いていない。これではまるで他人を悲しみの淵に誘き寄せているようだ。気分は最悪であった。

 別の例を取り上げよう。かつて仲の良かった女性が、純粋かつ美しい友情の日々に水をさしたことがある。無論これも私の考えすぎかもしれないが、元々自分の家庭の素晴らしさを話題にしていた相手が、私の家族仲の話を聞いてから、こちらを真似るように両親や兄妹の愚痴を語るようになったのだ。そして口酸っぱくSNSの裏垢で家族の悪口を語る。まるで自分が不幸をばらまいているようだった。確かに以前、自分の家庭環境についての話題をよく取り上げた。それを嘆いたこともある。しかし、もしその影響で、「ああ、自分の家庭も最悪だな」と考え始めて、家族に対してキツく当たり始める人がいたとしたら、それは私が間接的に他人の家庭の幸福を壊したと言っていいのではないか。ドストエフスキーも「不幸は伝染病だ」と書いている。家庭内悲劇を描いた漫画に影響されて、自分の親族を「毒親」の類だと罵り始める子供が、この世にどれほどいるだろう。人の癖や仕草は他に伝染するのである。

 しかし、彼女はきっと思いも寄らなかったろう。私は相手に自分と同じくらい不幸になって欲しかったのではなく、むしろ相手の持つ「幸福な家庭」に仲間入りさせて欲しかったのだと。Bron-Kも歌っているように「誰もが望む未来は/暖かい家、かぞくと仲間達」なのではないか。何一つ失わず、すべてを手に入れようと願うことは、果たしてわがままなのだろうか?

 罪悪感のようなものが働いているのかはわからない。ただ、通奏低音のように仄暗い感情が無意識に存在し、それが私の書くものを暗くしてるのはあるかもしれない。父や母に後ろめたさを感じていないと言えば嘘になる。私は両親の期待に応えられなかった、出来損ないの息子だ。兄弟の内でまともに社会生活を送っていないのも自分だけだ。普段はそれを気にしていないが、そのことについて考えると、どうしても後ろめたい感情が溢れ出てくる。否、だからこそ普段考えないようにしてるのかもしれない。特に妹に対しては、愛していながらも何も出来ず、今も向き合えないまま逃げ続けていることに不甲斐なさを感じている。やはり、考えると死にたくなる。私は妹を抱きしめたいが、こんな情けない姿をもう何年も会っていない家族に見せたくないのである。

 学生時代にも後悔したことが多くある。いじめを黙認したことや、あるいはそれに間接的に加担したことだ。私はとても罪深い人間だ。自分はこんな恵まれてるのに、不幸な面をして生きていいのかという気持ちがある。十分「やることやってる」くせに、「ああ俺も被害者なんですよ」なんて態度が取れるわけがない。もしくは、あんな最低な時代を過ごしたのに、ヘラヘラ笑って生きるのが許されるわけがない。自分の失われた家庭と、欠陥に満ちた青春をやり直したい。心のどこかでそのような気持ちがないと言ったら嘘になる。勿論そこには「人から見下されたくない」というプライドも働いていたが、そのために努力を重ねたのも部分的に事実だと思われる。

 しかし、今になってやっと気づいた。約七年間、私は失われた少年時代のために努力を費やしたが、結局それは無意味だったようだ。時にはプライドから、人にはできないことを経験しようと躍起になった。しかし、それが一体何になろう。世の中にはしなくていい経験だってあるはずだ。私はその事に気づかなかったのである。

 結局、自分は文学とか、音楽とか、哲学とか、その手の類にしか能がない人間である。そして、他人の後ろめたさを糧に生きたところで、過去を償えるわけがない。他人を救おうとすることほど烏滸がましいものはないが、そもそも我々に目の前の誰かを救おうとすることなど不可能である。社会的に立派になろうとしても、かつて自分が (たとえ間接的であろうと) 不幸にしてきた人間を償うことには繋がらない。それでいて、我々は誰かを置き去りにしなければ前に進めないのである。しかし、だからこそ我々はsing about everyone that you left behind(自分が置き去りにしてきたもののために歌う)のでなければならない。それのみが唯一の償いだ。

 歌い方は人それぞれである。出来ることは限られている。しかし、自分に与えられたこの能力を尽くし、可能な限り自分が置き去りにしたもののために歌わなければならない。失われた青春を追い求めてるだとか、壊れてしまった家庭をやり直したいだとか、そんなものはどうでもいい。きっとどうにもならないし、いつまで経ってもないものねだりで終わるだろう。もしかすると、はなから自分には縁のない話だったのかもしれない。ならば、今の自分に出来ることからはじめて、未来のために、少しでも自分が置き去りにしたものが報われるように、努力をしなければならない。無論、その置き去りにしたものの内には過去の自分さえも含まれている。有名になりたいとか、もう少しマシな生活をしたいとか、そういう欲もある。結局、自分に出来ることなど芸術と哲学くらいしかないのだから、生活をするとしたらこれ以外に考えられない。ただ、それもあるが、それ以上にやはり私は誰かのために生きたいのである。自分の加害性、過去の馬鹿な行い、自分のせいで多少なりとも不幸になった人々、そんなものは考えたらキリがない。そしていくら私が正義感に酔ったところで、「死にたい」と呟きながら過ごしたところで、失われた時の償いはできないのである。ならば、今自分がいるこの場所から、出来ることをしなければならない。そんな当たり前のことに気づくまで、こんなにも長い時間がかかったのである。

 私はこのブログを、やはり心の何処かで他人の気を引くために書いていたところはあると思う。しかし、もうそれもやめにしよう。目先の幻影に惑わされず、自分の内に潜む「後ろめたさ」に向き合って、少しずつできる限りをこなしていこう。このまま腐りたくないから、もうそうするしかない。本当はこんなことを書くつもりもなかったが、もう四年近くこのブログを運営しているので、ケジメをつけるのが義理だと思われたので、書いた。昔は比較的よく読まれていて、ブログの一日の閲覧数が三〇〇を超える日も少なくなかった。しかし、気がつけば読者は減り、今や一日の閲覧数は二〇から三〇、多くて五○、六〇である。しかし、それでいいと思う。元々人に好んで読ませたいと思うような内容を書いていなかった。このまま忘れ去られるのが相応しい。それでも、今日までこのブログを読んでくれた人達には感謝したい。最後まで付き合ってくれてありがとう。

 さて、今後についても軽く触れておこうと思う。昨年末から少しずつ活動らしいものを始めてきたが、本格的に人文なり音楽なりに腰を入れるつもりでいる。勿論、まだ始めたばかりだから、これからまた何度も転ぶだろう。しかしその際は、身近な人の助けを借りながら、また何度も立ち上がろうと思う。自分の周りには、歳が上だろうと下だろうと、自分の先をゆく人が多いから、彼らに支えられながら、前に進むことが出来たらと思っている。フランス語の習得も目標の一つだ。ドゥルーズプルーストなど、私は文体にこだわっている仏作家の本を好む。にも関わらず、それを原文で読めないのは実に惜しいことである。そして、フランス語をある程度読めるようになったら、何人かと協力して、未邦訳のまま残されつつあるドゥルーズの講義録を日本語に訳してゆきたい。つたない作業になるだろうが、誰もやらないなら自分がやるしかない。記憶が正しければ、彼の全講義録はパリ第八大学の公式ホームページに公開されているはずである。

 色々書き残したことはあるが、すべてを言い尽くすには時間がない。今後何かあったら、再びここで告知をするだろう。その際は、この未熟な若者の行く末をどうか温かく見守っていただきたい。その日までは、今しばらくのお別れということだ。改めて、今日まで読んでくれた方にはお礼を言いたい。ありがとう。あなたは私を愛してくれた。私はその愛に応えたい。